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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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夜の鳥のお話(3)

 正面から押し勝てる戦だろうが、策を練るのは悪い事では無い。必勝を期すならば、寧ろ当然の事である。

 夜陰に紛れ、そして桜の気迫と威圧を隠れ蓑に、松風左馬は、音も無く馳せていた。その拳は既に、十人の兵士を、察知される前に殴り倒している。

 桜が自分の居場所を意図的に明かして飛び出したのと同時、左馬は、桜に気を取られた兵士に踊りかかったのだ。自分自身の気配は消し去り、姿は見せず。敵が広範囲に散開していた事もあって、隠密策は功を奏した。

 兵士達は、桜一人を警戒している。闇に紛れた瞬間、同時に離れた二人を倒してのける怪物として、だ。成程、あれは化け物には違いないが、斯様な神速まで身につけている訳ではない。

 敵への過小・過大評価は、敗北を招く大きな要因となる。円陣の〝内側〟の敵に最大の警戒を払っている彼らを、円陣の〝外側〟から蹂躙するのは、それは楽な戦い――と、なる筈だった。


「やっぱり本職は強いね、良く食いつく猟犬だ」


 兵士達を纏める首領格が、予想以上に奮戦している。勝てぬ相手だろうがせめて一矢、その意思が表出しているかの様な、泥臭い奮戦ぶりだ。煽られて、まだ動ける兵士十人ばかりが戦闘意欲を――いや、作戦遂行の意思を取り戻し始めている。


「もう一人いたぞ、離れろ!」


「ちぇっ、見つかった……これはひょっとすると、本気を出さなければないかな」


 闇を裂く光線。敵兵士の中に、光を収束・屈折させる魔術の使い手がいたらしい。道端の木に逆さにぶら下がった、左馬の姿が照らし出される。

 近くに有った兵士の気配が遠ざかり、入れ替わる様に、数本の矢が飛んでくる。黒塗りの鏃で、おそらくは毒が塗りつけてあるだろう。最小限、身を捩って回避する。

 訓練された兵士が厄介なのは、継戦の意思を保ったまま、逃げる事を躊躇わない点にも有るのだろう。拳と脚は届いて三間、魔術師の射程は最大で数里。散らばって逃げた獲物、どれを追うかと逡巡する内に、また矢が飛んできて、左馬は踵で撃ち落とす。


「……手伝えないよ、桜。どうにか頑張ってくれたまえ」






 黒太刀が、闇に弧を描く。粗く、速く、力強い。受け止めた短槍が火花を散らし、儀兵衛の足は地を滑る。だが、立っている。

 鉄槌の如き拳が腹に突き刺さる。骨が骨を打つ、鈍い打撃音。儀兵衛の足が浮き上がり、体は毬のように地を転がる。すぐに立ちあがる。


「っはは、なんだこりゃあ、妖怪かよ……!」


「おう、良く耐える。嬉しいな、嬉しいぞ」


 刃を交える二者は、共に敵の技量に感じ入っていた――その度合いには、大きな差が有るが。

 儀兵衛は、見えている敵に後れを取った事は無い。最悪、負けるとなれば、深手だけでも負わせて撤退する。だが今は、そも反撃の隙さえ与えられていない。何気なく振るわれた一撃を耐えるだけで、手も脚も痺れ、肺が酸素をよこせと喚き立てる。応えてやる為に口を空けると、歯を食い縛る余地が無く、受ける腕から力が抜ける。

 一方で桜も、加減をしている訳ではなかった。それは、殺める戦いと不殺の戦いでは、人斬りの桜の事ゆえに、自然と差は生まれる。だが、不殺なら不殺で、四肢を砕いて肋を圧し折る、その程度の威力は、振り回す太刀の峰に乗せているのだ。

 それが受け止められ、受け流され、相手は未だに立っている。驚愕すべき事で、そしてまた喜ぶべき事に違いない。蹂躙の愉悦は、獲物が強大であればある程に増していく。


「潰せない相手は久しぶりだ、嗚呼、良いな」


 太刀の切っ先が、地に線を引く。下段から顎を狙う振り上げだ。紙一重で避けられるが、掠っただけで、儀兵衛の脚は揺れる。然し倒れない、踏みとどまる。振り上げの勢いのまま上段構えに以降、脳天狙いで振り下ろす。儀兵衛は、短槍と刀を重ね、頭から三寸離れた場所で受け止めた。膝関節が軋むが、崩れはしない。

 『堅壁貫く能ず』、対衝撃の防御魔術。本来は詠唱を伴い、体の外部に障壁を創り出すものだが――それでは、桜の乱撃に対応できない。そこで儀兵衛は詠唱を省略、自らの体内に――皮膚と筋肉、筋肉と内臓、骨の間に――障壁を作り、身を守っていたのだ。

 熟練の術者である。身を守る事だけを考え、全ての戦力を防御に回すのならば、例え相手が誰であろうと、暫く負けない事は出来る。言いかえれば、負けない事しかできないのだが。


「……あと十、いや九か八。けっ、もう一人居やがった」


 だが、それでいいのだ。脇差と太刀、同時に腰を狙う横薙ぎを防ぎながら、儀兵衛は引きつった笑みを零した。元より勝利の条件は、作戦完遂の事項は、断じて化け物を殺す事などではない。

 不意に桜は、対して鋭くもない鼻で、良く知っている様な臭いを捉えた。何であろうかと考えて――それが、油と火薬の臭いだと気付く。儀兵衛が腰に吊るした、小さな壺の様な物が割れて、地面に油が染み込んでいた。


「――お前、まさか……!」


「楽しいんだろ? 続けようぜぇ……ああ、嫌だ嫌だ」


 跳ね飛ばされる儀兵衛を追い続け、気付けば桜は、あの小屋から遠く離れた通りに立っていた。夜の静けさに、陶器を叩き割る音が幾つか聞こえる。暗い空を、赤々と火が染めた。






 村雨は、小屋の中に潜んでいた。夜目と嗅覚を利して敵の接近を知らせたら、戦闘行為は桜と左馬に任せて隠れる、これが事前の取り決めだったからだ。別に村雨も弱くは無いのだが、今回は他の二人が強すぎた。邪魔をするより、大人しくしているのが良い。

 そうは分かっているが、気が滅入る。小屋の中は、地下への階段から、微弱な――だが、常人の万倍も鼻の利く村雨には、耐え難い悪臭が漂っていたのだ。

 階段を下りてみたが、直ぐに、鍵の掛かった扉に行き当たる。桜なら斬ってのけるだろうが、村雨は、それを積極的に開けたいとは思わなかった。

 堀川卿の言葉を思い出す。この小屋で扱っている『商品』の目録だ。歯抜け、手足無し、目玉無し、阿片漬け、亜人の雄雌、新鮮な死体……聞くだけで不愉快になる様な話だ。彼女達、或いは彼らは、この小屋の地下で、数日も放置されていたのだという。悪臭の理由は――


「――やっぱり、そういう事だよね」


 考えるまでもない、考えたくもない。意識を仕事だけに向けようと首を振る。

 気付けば、桜の臭いが遠くなっている。左馬の臭いは、あちらこちらに動きまわり、暫く留まりそうにない。万が一の事が有った場合、自分も戦う必要が出てくるかも知れない。正直なところ、武器を持った相手が複数というのは、やはり辛いものがある。素手の一人相手なら、身体能力任せでどうにか出来るかも知れないのだが。


「早く、朝にならないかな……――って、ぁ……?」


 かしゃん、食器の割れる様な音。油の、火薬の臭いが、小屋の四方を覆った。

 瞬間的に室温が跳ね上がる。裏腹に、村雨は青ざめる。よもや市中での戦闘で、油と火薬で放火しようなどという無茶、予測をしていなかったのだ。


「ヤバ、えーっ!? ちょっ、バカ!?」


 木造の小屋だ。焼け落ちるまで、そう時間もあるまい。外へ逃げなければ。兵士の包囲網も、自分の健脚ならば逃げられる――が、では地下に居る者達は?

 外へ向かって走ろうとする。躊躇い、一歩引き戻り、やはり無理だとまた外を見て――結局、階段を一足で飛び降りた。


「開けて! 誰か居るんでしょ! 火事だよ開けて!」


 扉を、殴りつけるのでは力が足りないから、渾身の力で蹴りつける。五、六と重ね、蝶番が衝撃で緩み始めた頃、扉の向こうでガシャンと音がした。

 内側の人間に配慮せず、鉄の扉を押し開ける。誰かを突き飛ばしてしまったらしく、きゃっ、とか弱い悲鳴が聞こえた。


「あ、ごめん! 急いで逃げて!」


「逃げ、え――待って、あの、教団の人ですか? 何か有ったんですか?」


 声の主を、そも一瞥すらするつもりも無かったのだが、村雨は呼び止められるまま振り返った。色の白い少女だ、儚げで、首には十字架を吊るしている。階段の上の赤を、村雨の姿を、まるで見ていないかのような物言いだが――少女は、目を開けていない。きっと彼女は、目が見えないのだ。


「上の小屋に火を付けられた、早くしないと焼け死んじゃうの! ああでも、外には……!」


 早く逃がして、自分も逃げたい。それが、紛う事無き村雨の本音だ。だが、小屋の外には兵士が数人、炙りだされた獲物を狩ろうと待ち受けている。


「……っ! ここで焼け死ぬか、外で斬り殺されるか、全員にどっちか選ばせて!」


 酷な言い分だ。こう言う他に何も出来ぬ自分が、腹が立って仕方が無い。色白の少女は、見えぬ目で階段を見上げ、ただ亡羊と立ち尽くしている。置き去りにして、馳せた。

 悪臭は愈々強くなる。地下の空間はかなり広い様子だったが、その内部を全て埋めるかの様に、腐臭は拡散していた。村雨は、より臭いの濃い方へ、濃い方へと走る。


「誰か! 居るなら返事! 火事だよ!」


 言葉での応答は無いが、どよめきならば聞こえた。前に置いた右足、踵を軸に直角の方向転換を行い、左手にあった扉を蹴り破った。天井の低い、粗末な、きっと客を迎える為のものではないだろう部屋だった。


「おおぉ、人が……水と食事、持ってきてくれたんで――」


「違う、違うの、いいから早く!」


 その部屋に入るや、一人の女が、床を手で這って近づいてくる。落胆混じりの憔悴した顔で、些かやつれている。夏の暑さに、汗も掻いていない。汗を掻く為の余分な水分が、その女の体内には無かったのだ。逃げろとせかした村雨は、女の両足が全く動いていない事を見て取って、自分の言葉を悔んだ。

 床に伏す様に、壁に寄りかかる様に、そこには十五人ばかりが集まっていた。何人かは、村雨の声を既に聞きつけていたらしく、逃げる為に立ち上がっている――立ち上がれる者は。皆揃って、首に十字架を下げていた。

 また一人の女が村雨に詰め寄り、両手を振り回し、何かを訴える様な目をする。声が出せないのだと気付き、別な者に目を向けた。村雨の胸程の背丈しかない少年が、す、と前に進み出た。


「火事ですか? なら、向こうで寝てる人達から助けてください。あの人達は自分で歩けないんです、だから……」


 一刻を争う非常時に、歳に似合わず、落ち着き払っている少年。然し、恐怖を感じている事は、膝の震えからはっきりと伝わってくる。


「全員で! 誰がじゃなく、皆逃げるの! 時間がもったいない、急いで!」


 無理を言っていると、村雨は分かっている。こうなれば――嫌な言い方だが、仕方が無い。自力で動けないものは見捨て、逃げられる者だけ逃げ伸びれば良い。

 だのに少年は、床に横たわっている一人――明らかに、少年より二回りも背が高い――を、必死で担ごうとしていた。彼だけではない。腕の無い女が、服の襟に噛みつき、病人を引きずって運び出そうとする。杖を付かねば歩けぬ少女が、縄を自分の身に括りつけ、壁際のボロ袋に繋いで引きずっていく。


「……ねえ、それ」


 袋には、赤黒い染みが出来ていた。然し、そんなものを見ずとも、村雨の鼻は、袋の中身が何か、嗅ぎつけていた。


「〝それ〟じゃありません、私達の友人です……人なんです」


「でも、だって、もう死んでるじゃない!」


 死んで、腐って、崩れ始めた死体だった。数日前ならば、新鮮である故に、顔も見るに耐えるものだっただろう。今は――数日しか経過していない事が救いだが、そろそろ皮膚が落ちている頃だろうか。


「それでも、私達と同じなんです。同じところで、同じ仕事をしてた仲間なんです……おいていけません」


 食糧も無く、水も無く、風は吹かず、死臭が漂う。外へ助けも呼びに行かず、外から誰も訊ねては来ず。正しく、ここは地獄である。

 だのにこの地獄には、悲しい程の秩序が有った。誰も自分一人で逃げだそうとしない。動ける者は動けぬ者を助けだそうとし、動けぬ者は自分から助けを求めない。自分の命を諦めたかの様な目で祈りながら、他者の命を諦めようとしていない。

 頑張ろう、一緒に行こう、彼女達は口々に励まし合っている。このままの速度ならば、皆が揃って蒸し焼きにされるのは見えている――それでも、誰も、誰をも見捨てない。

 人の人たる強さ、正しさ、信仰の美徳。そんな道徳的な物が、この地獄には溢れていた。村雨はそれが我慢ならず、気付けば涙が襟を濡らしていた。


「……ふざけてる、ふざけてる……!」


 先程の少年は、人を二人担いで歩いていた。少年の臭いは野の獣に似ている。体格から想像もつかない力は、おそらくは亜人のものだろう――それでも年齢故か、走る事は出来ていない。その横を擦りぬける様に、村雨は走った。

 自分は上等な人格か? 村雨は、素直にはいと答えられない。自分自身の小心さを、卑怯さを、十分に知っているからだ。自分の生業さえ、こそこそと人の間を嗅ぎ回り、時には法も道徳も踏み躙って、利益を追求するものであると自覚しているからだ。

 だが、ならば上等な人格者など、どこに居るというのだろう。旅の道連れしかり、道中で擦れ違ってきた者然り。結局は自分を最優先し、自分の為に他者を犠牲とする。それが生物だと、村雨は思っていた。

 今、己を顧みず他者を掬おうと、地獄を必死で歩む者達がいる。死が数歩の距離まで近づいて、表出しているのは間違いなく、彼らの本質である筈だ。彼らは上等な、素晴らしい善人だ。神を信じ、人を愛し――だのに、最低限の尊厳すら認められぬ生き方をしていた。

 これは、誰の差し金だ。彼らが信じる神が決めた事ならば――信徒への、信仰への、これが報いだというのか。人間が決めた事ならば、決めたそいつは、ここで苦しむ誰よりも劣る下種だ。人は、人間は、自分に最も近くそれでいて遠く離れたあの生き物は――


「――ぁああ。ああああっ!!」


 斯くも美しくあり、同時に醜い存在なのか。

 村雨は吠えた。吠えて走り、熱風の流れ込む階段まで辿り着く。あの盲目の少女が、肩を矢で射られ、煙に巻かれて意識を失っている。大跨ぎに飛び越え、段の半ばを踏み――強く、高く、跳躍した。

 屋根は、半ば焼け崩れていた。隙間から夜空へ――地下から僅かに一足で、家屋の屋根より高く、村雨は跳んだ。着地地点には過たず、刃と火薬の臭いに塗れた兵士が居た。兵士は、落下してくる村雨を避けようと試みて、だが間に合わず、背を強かに打ちつけて組み敷かれた。


「こんな――こんな事を、なんで! なんで平気で、こんな事を!」


 握りしめた拳を、兵士の鼻っ柱に打ち落とす。一つに留まらず、二つと三つと重ねていく。

 奇妙な事だが、村雨は、眼前の兵士を憎んでいたのではない。むしろ彼の背後の、命令を下した誰かを。地下で苦しむ遊女達に、その境遇を押しつけた誰かを。名どころか顔すら知らぬ、存在さえ定かではない者に、怒っていた。


「人間が――人間のくせに、ぃいいっ!!」


 熱風に包まれて噴き出した汗は、双眸から零れ続ける涙と混ざり、拳から飛沫く血と共に、兵士の顔を濡らした。指の皮膚が裂け、肉も骨も痛みを積み重ねながら、村雨は、自分でも意図の理解できぬ言葉を繰り返した。

 その背を、涼やかな風が撫でる。村雨の背後、燃え盛る小屋が、数十の木片へと解体された。剣風が炎を払い、熱源を消し去っていく。『斬城黒鴉ざんじょうこくあ』の刀身が、夜より黒く閃いていた。

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