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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
皇都の夜、黒八咫の羽
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夜の鳥のお話(2)

「まず最初に。今回使う人員は、あんた達二人だけや。そこを覚えといて」


 堀川卿の言葉は、眠たげに曇った声に似合わず、一言一言を強く区切って発されている。金髪の塊が持ちあがった――どうやら、立ち上がったらしい。腕以外の部分は、髪の束の中に隠れている。


「それ以上は一人も回さへん。情報収集は、現時点を持って完了済み。よって追加の人員を裂く必要は無し。輸送、調達、事前事後の工作、その他一切を許可せん――と言うより、許可できへんのよ」


「無理を言うね。補給も無しに戦は出来ないだろう?」


 左馬は、明らかに不平を抱えた、瞼を細める顔をする。


「道理を引っ込めへん事には通らん事や……けど、やらなあかん。猶予もそうは多くない、明日か明後日までに解決したいんよ。そして、最悪無理だとなったら……そもそも、そんな依頼は無かった事にしてもらいたいなぁ」


「……忘れろっていう事ですか?」


 意図を図り切れず、だが言葉の薄暗さは感じとった様で、村雨は身構えつつも訊ねた。


「それもちゃう、うちが忘れるっちゅう事。依頼を出した事も、今日こうやって誰かと話をした事も、そもそも『錆釘』に二人の構成員がいた事も、ぜーんぶ忘れて知らぬ存ぜぬ押し通すっちゅう事や」


 つまりは、蜥蜴の尻尾切りだ。頭に被害が及ばぬ様に、末端だけを切り落として逃げる、組織の常套手段。切り捨てられる側の二人は、共に即座に、戦地での構えへと切り替わる――左馬は前傾姿勢に、村雨は逆に後屈姿勢だが。


「やめい。殺し合いしたら、うちはあっさり死ぬで。左馬さん、あんたの拳足なら一発で首を圧し折れる筈や。……が、まずは何をするかだけ聞いて、そこから判断してもらえへん?」


 堀川卿の金髪の一部が、支えも無しに持ちあがり、斜めに交差される。腕を組み合わせての防御、それに似ている形状だ。村雨の鼻に、魔力の移動の気配は届かなかった。魔術の類では無く、堀川卿の頭髪は、四肢の如く動き回るものであるらしい。

 だが、その防御力は、所詮は髪。より合わせれば縄にもなろうが、ただ持ちあげていては簾にも劣る。返答次第では何時でも――左馬もそう思ったか、一先ず、右足を後方に一歩だけ引いた。


「聞き分けのええ子は好きよ、よしよし」


 笑ったのかも知れないが、顔の半分以上は頭髪の影、堀川卿の表情は見えない。幾度か髪が波打つ、頷いたらしい。


「……あの見世、『牡丹登楼』は、少し離れたところにもう一軒、隠れるように建物を持っとる。二条城の近く、外から見たらただの小屋にしか見えへんようなとこや。常連を一人とっ捕まえて吐かせたし裏も取った、間違いあらへん」


「その常連客は?」


 暫く口を閉ざしていた桜だが、言外の意を嗅ぎ取って言葉を差し挟む。


「加茂川に流した、今頃は海やろ――ああ、勿論生きとらんよ。ああいうのは死んで当然、掃除をさぼるとゴミが溜まってあかんからなぁ。

 どうでもええな、話を続けるで。小屋やが、中を少し覗いてみても、特に何が有るわけでもない。ただ、階段が一つだけ有る。降りていった地下が、〝そういう〟客の集まる所や。本店のもんでも、知ってるのは何人かだけ。客も、通うとるのは十数人っちゅう事やね。

 扱ってる商品は――さっきも言うた様に、普通の見世ではおいとけん様な、所謂訳有りの遊女、或いは陰間。あんまりと言えばあんまりな状況やから、世話をせんと餓えて死んだり、防腐処理をせんと腐って崩れたり……夏やもの。けど、ここ数日は、誰もその小屋に近付かんかった。信用できる見張りを十数人、間違いは無いわ」


 残酷行為を楽しむのは幼い人間だ。子供は虫を殺して遊ぶが、順調に成人すれば顔をしかめる様になる。酷薄な処置は憎むべきであり――それを、嫌悪も怒りも表に出しているとはいえ、事務的に語る。堀川卿の冷血面を睨みつけているのは、この場では村雨だけだ。


「何故、数日も世話が空いた? 以前から目を付けていた、とでも?」


「当たり。前々からあの見世、訳有りを扱う支店があるっちゅうのは聞いとった。見せしめも兼ねて、いつか叩き潰したろうと思ってな。あんた達が、あの婆さんを殴り倒してくれたんは良い切っ掛けになってくれた――が、要らん事も分かってしもた。あの見世の根っこの部分が実は『拝柱教』だったっちゅう事や。

 うさんくさい連中やけどあの教団、政府役人の誰かと癒着しとるらしいんよ、うちらと同じ。って事は、あの小屋の地下は、そのお役人様にとっては明かされたくない秘密の蔵や。御禁制の阿片だけで首が飛ぶやろうし、人道って見地から考えても、まず外道の烙印を押されるわな。くっついて蜜を吸ってた事がバレたら……っちゅうこっちゃ。

 かと言って、直ぐに片付けるいう訳にもいかんかった。そこはまあ……うちの連中が目を光らせてたの、向こうも知っとったんやろ。事を大きくすれば共倒れ、となるわな。失うもんは向こうがでかい、こっちはせいぜいが罰金で済むわ」


 額はキツいけどな、と堀川卿は小さく言い添えて、髪の束から突きだした手で、そろばんをはじく真似をする。


「せやから向こうは、〝絶対に〟しくじらん様に手筈を整えてくる。いや、実際に整えとる。幕府側に手を回して兵隊借り出してきよったわ。こら多分、証拠になるモノ――物も人も、全部処分するつもりやろうな」


「先に回収しておく手はなかったのかい? 聞いた限り暫くは、『拝柱教』側はその小屋に近付かなかったそうじゃないか」


「その代わり、うちらも見張りだけが限度だったんよ。向こうかてこっちが動けば、少々の犠牲は目を瞑るやろ。無意味に死人を増やす事は無いわ」


「……その割に私達は、たった二人で飛び込めと言われているけれどね。これは死ねという意味だと理解して相違無いのかな?」


 相手方は、おそらくは訓練された兵士が複数。一方で『錆釘』が裂く人員は二人。これは、本気で解決する意図が有るとは思い難い差配である。そればかりか参加した構成員の、生存さえ考慮されていない計画だ。左馬の指摘は尤もであった。

 堀川卿は、顔に掛かった髪を、全て手で押し退けた。遮る物が無くなっての表情は、真摯たる物である。


「そうやね、そういう事やと思ってええよ。相手の背後に誰がいるか分からん以上、切り離す尻尾は短くしときたい。優秀な人員を十も二十も、罪人や死人にしてしまう事は無いわ。万が一の事を考えて、あんた達二人を切り離している、それは本当の事や。

 けどな、無理な案ではないとも踏んどるんよ。一つだけ駒を足せば、という条件つきやけど……『拝柱教』に喧嘩を売った腕利きが、『錆釘』の外にも一人おったやろ? その手を借りれば、勝ちの目は有る、となぁ」


 村雨の、そして堀川卿の目が、桜へと向けられる。


「何だ、桜。お前はそんな事までしていたんだね、相変わらずの噛みつきぶりだ」


「行きずりの流れで、売られた喧嘩を買っただけだ。が……確かに一度、軽く暴れはしたな」


「どこが軽くよ、あれが」


 村雨はすかさず、桜の背骨を拳でつついた。それなりの訓練を積んだ武装信者二十五名を相手に無傷、かつただ一人も殺さずに制圧する大立ち回り。心にもないハッタリも含めて、確かに記憶に残っている。

 成程確かに、桜がいるならばどうにでもなるだろう、村雨はそんな事を考えた。性格はさておき、戦闘行為での実力は、もはや心配するだけ徒労となる程だ。戦場が市街地と言うならば、敵方もよもや、建物ごと燃やす様な暴挙には出るまい。ならば残りの問題は、


「で、無関係の喧嘩に、私が首を突っ込むと思うのか?」


「無論。積極的に飛び込み、一人で解決してくれるとさえ思うとりますえ、桜さん」


 駒として挙げられている、桜自身の気持ちだ。

 然しこの問題は、既にしてこの時点で解決している様なものだった。理由など無いが村雨は、桜はこの一件を看過するまいと確信していた。直感ではなく、或いは経験則の類かも知れない。兎も角、雪月桜という人間は、今回は確実に、自分の意思で動くだろうと信じていたのだ。


「罰則目的なんかで、死ぬ様な仕事はさせたくないんよ。けどな、他の構成員は……どうしても、今は動かしたくない。本音を言えば、だーれも動かさずに済ませられるのが一番。せやけど、それやとうちの腹が収まらんのや。

 正直に言います。村雨ちゃんと左馬さん、二人だけで仕事をさせようと決めたのは――桜さん、あんたを巻きこむ為どす。外部の人間に解決してもらうのが一番の得策、そうすれば八方丸く収まる。役人とズブズブくっついて居られるから、うちらは楽な仕事ができる。政府のお偉いさんに喧嘩を売る様な、そんな危険な真似はしとうない――が、雇用主の命令と言うんなら、話は別や。雇用主の意向で一人動く程度なら、流石に向こうも目くじら立てとられへん。

 勿論、何事もなく、向こうが動かんかったらそれでええよ。朝方にでも、適当に真面目な役人を呼んできます」


 更に一押し、ここまで伏せていた腹の内を、堀川卿が曝け出す。彼女は、自分達の損失は許せない、商人の様な考え方であるらしい。使える物が近くに有れば、それを使わないという愚行には踏み込まない。使い切り、使い尽くす。


「案内しろ」


「うちは寝ます、部屋の外に一人待たせておきました。村雨ちゃん、左馬さん、しっかり働いておいでぇな」


 元より桜に、断る気など無い。部外者の事など知らぬとばかり、身内にだけ声を掛けた堀川卿を背に、脇差の柄に手を掛けて歩きだした。






 三条大橋を境として東西に、和と洋の分かれた京の街。二条城の周辺は、西洋の色に染まった地域である。が、然し城そのものは、徳川の御世を未だ引きずっているかの様に、和の色を誇示していた。

 周囲の建築物は、政府所有の城に遠慮を見せているのか、軒並み背丈が低い。その為、空が狭い西京の内であるが、ここは夜空が良く見える。


「……っけえ。嫌な仕事ばかり寄こしやがる。たまにゃ盗人狩りでもさせろってんだ」


 青峰あおみね 儀兵衛ぎへえは、数十間先に見える粗末な小屋を睨みつけ、ここ最近増えた愚痴を繰り返した。

 彼と彼の部下は、端的に言えば、便利に使われる兵隊だ。上は理由も無しに用件だけを押しつけ、完遂するまで支援も行わない。成功すればそれが当然の様に扱われ、失敗すれば叱責を受ける。

 それでも、仕事の内容が内容ならば――山賊のねぐらに踏み込んだり、古城に立てこもった武装集団を捕縛したり、人の為になると分かっている物ならば、文句も言わずに引き受けよう。渋面の皺とは裏腹に、儀兵衛は善良な人間なのだ。

 然し、前回押し付けられた仕事は、宗教団体の信者の捕縛。女子供を組み伏せ縛り上げる、強盗と大差ない中身だった。当然気乗りせず、不確定な要素も有り、結局は失敗に終わった。すると彼の上司は、更に一段程度の劣る、えげつない仕事を押しつけてきたのだ。

 曰く、前回敵に回した宗教団体の味方をして、売春小屋を完全に破壊、中に在るモノを焼却、隠蔽処理せよ。

 儀兵衛が、ただ仕事をこなすだけの石頭であれば、或いは問題など無かったのかもしれない。仕事だから、命令だから殺す。命令だから焼き払う。部下に命令し、最大効率で任務を完遂する、それだけを考えていられた筈だ。

 だが儀兵衛は、妻子はいないが子供好きで、弟夫婦への時節の贈り物を欠かさない男だった。多少の無茶な任務でも、弱者の為と思うならば、疲労も痛みも耐えられる。言うなれば、良い歳をして正義に燃えた中年男であった。

 だから、今宵の儀兵衛は、部下達の目から見ても分かる程に荒れていた。短槍の柄でいらだたしげに石畳を叩き、刀の切っ先で石畳を引っ掻く。がん、ぎい、きい、と賑やかに、兵士が行くぞと音が告げる。

 彼の部下二十九名は、既に大きな円を描いて小屋を包囲していた。一呼吸に一歩、二尺。距離と速度を事前に定め、打ち合わせも無く、包囲網を狭めていく。音を発しているのは儀兵衛のみ。他の全員が息を殺し、足音を顰めて進んでいた。

 嫌がらせ紛いの仕事ばかり押し付けてくる上司からは、妨害してくるだろう相手はせいぜい一人か二人、と聞いている。然し、どういった経緯で得た情報なのかは教えられていない。大方、『錆釘』あたりに間者を潜らせているのだろうが、その程度の事は答えても良いだろうに。


「はあーぁ……時間だな」


 溜息を付くと同時に、儀兵衛は走り出した。散開し、全員が位置についてから六十歩。事前に定め、入念に部下にも言い聞かせてある。この瞬間に走り出せば、目的の小屋に、三十名全員が同時に到達する仕組みだ。万が一誰かが到達しなければ、それは、その部下の待機していた方角で、何かが起こっているという事である。

 果たして、道中何事も無く、総勢三十名は、目的の小屋を包囲した。


「抜刀、突入。全員切れ、死んでても一応首を切り離せ。着火は全員の退却後、油だけは先に撒いておけ」


 小屋の中から悪臭が漂う。が、儀兵衛の吐き気はそれに由来するものでなく、寧ろ己の命令への嫌悪が主因だろう。機械的に仕事をこなす部下達だが、平均して瞬き一つから二つ、戦闘態勢への移行が遅い。誰も、こんな任務はやりたくないのだ。


「さっさと帰るぞ、おう」


 足取りの重い部下達を励ます様に、一度だけ、大きく呼びかけた。


「そうだな、さっさと帰れ帰れ。土産はやらんぞ」


 答えた声は部下のものでは無い。発信源は小屋の内。


「……誰だ」


「さて、誰やら。名乗って通じる程、有名になった覚えは無いぞ」


 誰何に答えぬまま、声の主は小屋の戸を斬り、夜に紛れる様に躍り出る。刃の閃きは、儀兵衛の目にも見えなかった。戸板が石畳に落ちるより早く、部下の一人が、太刀の峰で殴り倒された。


「固まるな、散らばれ! 灯りが有るなら捨てろ、狙われるぞ!」


 己の右手を掛け抜けた影を、儀兵衛は僅かにだが、目の端に止めた。黒装、黒太刀、修羅の笑み。三尺の黒髪を翼の様に靡かせ、風を纏って跳んでいた。黒は夜戦の迷彩となる。少数で多数を相手取るには、姿を隠すが最善の手段――それは儀兵衛自身が、見えぬ敵への敗北で、強く学んだ事だった。

 まずは視界に捉えねばならない。幸いにも、黒の布とはいえど、闇と完全に同色ではない。目が慣れてしまえば、どこに居るかは見つけられる。


「ぎゃ、ぐっ!?」


「うぇ、ぇぉ……!」


 ただ、その〝慣れるまで〟が長かった。二つ、部下の悲鳴が聞こえた。一つは明瞭な、四肢か顔でもやられたのだろう声。一つはくぐもった、腹か胸を打たれたと思われる声。最初の一つは右手に十数歩、次の一つは左手に二十数歩の位置。音の出所の位置を考えると、敵の動きは恐ろしく速い。


「総員五十後退、散れ! 散れ! 二か三人で組んで防御に徹しろ!」


 命令を飛ばしつつも、儀兵衛自身はそれに逆らい前進。小屋の壁を背に、一度だけ深呼吸をして、心を落ちつけた。右手には愛用の短槍、左手には何本目かも分からない刀。喉と心臓を守る様に、軽く掲げて目を細める。闇の中、ゆらりと影が揺れるのを見つけた。


「……弱いって訳でもねえだろうに、不意打ちとは念入りな野郎だ」


 夏の夜の暑さに、然し寒気を感じ、冷や汗を零し、儀兵衛は引きつった笑みを見せる。


「野郎とは失礼な、せめて女郎とでも言って欲しいものだな」


 黒衣の女が、刃渡り四尺はあろうかという黒太刀を、大上段に構えて立っていた。刃は返されている、殺意は見えない。だが敵対の意思は、戦地に身を置く愉悦と共に、三日月を描く唇が示す。

 足の置き方が、体重の掛け方が、呼吸一つ一つが、儀兵衛の脳裏に警鐘を轟かす。強い――それも、おそらくは自分より、自分と部下全てを足したより。


「……勘弁してくれよ、お偉い方よ」


 泣き言を言いながらも、任務の完遂は諦めていない。それを示す様に、短槍の穂先が掲げられ、


「気骨の有る奴、掃除屋扱いは勿体無いな」


 雪月桜は活きの良い獲物を前にして、蹂躙の快楽を味わうべく、唇に赤い舌を這わせた。

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