夜の鳥のお話(1)
何事も、ごまかせる範囲には限度がある。裏でひっそりと起こった出来事ならばまだしも、街のど真ん中での騒ぎとなれば、到底隠しきれるものではない。
「……どーするの、これ。どーするの」
あの老婆に追いまわされて、四日後の事。宿のベッドの上で、村雨は頭を抱えていた。一通の書状が原因である。
そのまま家宝として保管出来そうな程、書状の紙質は良く、墨は黒く、文字は美しい。判子の朱も均等に乗り、彫りも繊細にして華麗。これが恋文であれば、どんな女とて心を揺さぶられようというものである――が、この手紙、そんな甘ったるい代物ではない。
それは、召喚状である。江戸支部所属の村雨、京都支部所属の松風左馬、この二名を招請、話を聞きたいとの旨が記されていた。早い話が、尋問の為に呼びされた訳だ。理由は一つ、隠密に行う筈の仕事を、よりにもよって衆人環視の中で完了した事である。
先日の一件で、『牡丹登楼』の店主は重傷を負い、暫し療養に入った。店舗も壁やら床やら壊され、更には店の遊女たちにも混乱が伝播、暫しの営業休止を余儀無くされた。その事自体は依頼主の意向に沿うのだが――加害者が明確に、誰なのか特定出来てしまう事が問題なのだ。
そもそも今回の、〝揚代が極端に安い妓楼の調査〟というのは、いわば競合する幾つかの店が金を出し合って以来した――つまり、依頼する側が多い故に、話が漏れやすい内容なのだ。当然の様に街には、この店を潰そうとしている連中がいるらしいなどと噂も流れる。そんな状況下、大っぴらに店の主人を殴打する輩など出て、それが拿捕もされずとなれば――後は、答えが出るまでそう遠くも無い。
『錆釘』は、大概の仕事を引き受けるが故に、権力との癒着も強い。権力者達とて、私生活で知られたくない事の十や二十は有るのだ。だから、市中で暴れてお咎め無しの人間など居れば、役人かヤクザ者か、或いは『錆釘』か――そんなところだろうと予想が付く。
つまり今、京の街の遊び人連中の中では、〝他の見世が『錆釘』辺りに金を出し、牡丹登楼を潰そうとした〟というのが、疑いの余地も無い事実とされている。その風評被害――事実ではあるのだが――が、娯楽を売る妓楼では、馬鹿にならない影響なのだそうな。
「あーもう、仕事回してもらえるようになるまで結構掛かったのにー! 今回で台無しじゃないのー!」
「ふーむ、どこで失敗したのだろうなぁ」
失敗の原因である雪月桜は、村雨の背中に圧し掛かる様に書状を覗き見ながら、他人事とでも言わんばかりに首を捻った。すかさず村雨の左肘が、桜のこめかみを打ち抜いた。
「全部あんたのせいでしょーがー! 天井裏に忍び込むとか、あんな無茶しないでさあー……」
「お前も止めなかったろうに。大体な、あの婆がいた時点で、何をやっても無駄だ」
店全体の会話を盗み聞き出来る聴力の前には、確かにどんな策略も無駄だ。が、それならばそれで、自分一人で忍び込んでも良かったのではないか――そういう事も、村雨は考えてしまう。少なくとも自分だけであれば、あの遊女の境遇に同情はしようとも、あそこまで老婆を痛めつけは――できないという事も有るが、しない。
「……桜さー、なんであそこまでしたのよ。もう少し手を抜いてくれれば良かったのに」
思えばあの時の桜は、少しばかり過剰に力を振るってはいなかったか。ふと、そんな事が気になって、村雨は背中に圧し掛かる重みを押し退けつつ訊ねた。
「仕方が無かろう、妊婦一人抱えては思うように動けん。あれでも加減はしたのだぞ」
「だったら、一度置いて逃げてからでも良かったのに。別に、すぐ殺される様な場面じゃなかったんだからさー」
「……それを言われると困るな……村雨、お前少しばかり意地が悪くなって――おっと」
決まりの悪そうな顔になった桜が、何かに気付いた様に顔を上げる。僅かに遅れて、部屋のドアがノックされた。入れと声を掛ける前に、松風左馬がドアを開けていた。
「や、お取り込み中に失礼。面倒だけど山から下りてきたよ、感謝したまえ」
「良く言うわ、お前も元凶だろうに。村雨、行くぞ。部外者だが当事者だ、私も混ざる理由はあろう」
「私の目からすれば、お前が原因の七割を作っている様に感じられるのだけれど……相変わらずの傲慢だね、お見事」
のっそりと立ち上がった桜は、床に置いた太刀を背負うだけで、外出の準備は完了。村雨に至っては、靴を履くだけだ。七階から、『錆釘』事務方のある三階まで、長い階段を下りていく途中、
「でさー、桜」
「ん?」
「あの時さ……別に葉隠を連れ出すの、後で良かったよね。怒鳴りつけたって、本人が気にしてないんじゃ、意味も無い事だったし」
村雨は、どうしても分からなかった事を聞いた。無駄が多すぎる上に――あの時の桜は、本気で葉隠を叱りつけていた様に見えた。自分の身が危ないという時に、桜はそこまでする人間だっただろうか――否とも言えず、応とも言えぬのだ。
敢えて分かる事を挙げるならば、確かに葉隠は内心で迷っていたにせよ、表面的には、老婆の言葉に従うつもりであったのだ。妓楼の風習を知らぬ筈も無い桜が、何故、其処にこだわって首を突っ込んだのか。
桜は、ただ困った様な顔をして、
「……私とて、嫉妬くらいするわ」
それっきり暫くは喋らなくなった。その隣では左馬が、居た堪れぬ顔で視線を逸らしていた。
皇国首都ホテルの三階は、一階層全てが『錆釘』の事務所となっている。日の本に数十点在する支部を統括する、ここはいわば、日本中央支部と呼ぶべき場所だ。ここに所属するのは、各支部から掻き集められた優秀な者ばかり。当然、各種の決定権なども強く握っている。
「あー……これが市中引き回しの時の感覚なのかなー……」
だから、村雨は、半ば諦めた様な顔になっているのだ。人事権を持つお偉い様に名指しで呼び出されるなど、ろくな事ではあるまい――丁度数日前、あんな騒ぎを生みだしてしまっては。
肩を落としながら歩いているのは、無暗に狭く長い廊下である。直線的に長いのではなく、数度折れまがっている為に、実際の空間に比べて距離が延びているのだ。こんな構造にしているのは、何らかの敵対者に攻め込まれた時、少数の人員で撃退出来るようにとの対策であるらしい。
廊下の突き当たりには、力技で破るのには難儀しそうな鉄扉。桜は「斬れるな」と呟いたり、左馬は「五打という所かな」と呟いたり、そういった好奇心を掻きたてられる程には重厚な作り。三度程叩くと、向こう側から開けられた。
「お待ちしておりました、奥へどうぞ」
出迎えは、そこに居るだけでも涼やかな風が吹いてきそうな、爽やかな青年であった。ひゅう、と左馬が口笛を吹く。それをまるで気にせず、青年は無言で、三人を先導して歩き始めた。
書類が山の様に積み重なった狭い部屋を抜け、少し整頓された客間らしき部屋を抜け、煙管の煙が目に染みる休憩室を横に過ぎ、そのまた奥、やけに薄暗い部屋。そこまで辿り着くと、今度はまだ七か八歳くらいだろう子供が、三人の案内を引き継いだ。
「あれ、呼ばれたのって、二人だけだったんじゃ……」
「そう邪険にするな、私も混ぜろ」
「……まあ、良いですけど。『堀川卿』、二名とも到着しました、おまけつきです」
建材の質の為か、声がやけに反響する部屋だった。呼びかけられた『堀川卿』なる人物の返事は無い。村雨の歩みは愈々、米俵でも背負っているかの様に重くなる。
「うげ……終わった、完璧に終わった……およよ」
子供がその名を口にした瞬間の村雨の顔は、半紙に藍を染み込ませたかの様な色の変わり様であった。
「どうした、そうも怖い相手なのか?」
「真面目に働いている子には、恐ろしい相手だろうね」
桜の問いに答えたのは左馬だった。我関せずの、気楽な顔である。
「『堀川卿』――十年ばかり前から、この国の『錆釘』を纏めてる人なんだ。実務はあまりやらないらしいけれど、人材採用だとか配置の決定だとか、後は依頼の割り振りだとか……大体の業務に携わってる。つまり、私達の様な一構成員からすれば雲上人。生憎と会った事は無いんだけど……あれが、そうではないかな?」
「ほうほう、戦場こそ違えど腕利きか……どれどれ」
話を聞く限り、大層な人物であるらしい。桜も興味をそそられ、左馬が指差した方向に、細めた眼を向ける。部屋の薄暗さに目が慣れて――
「……あー、あれか?」
空気の抜けた紙風船を思わせる、力の入らない疑問形を発した。
部屋の奥には、牢名主を思わせる、数段高く積み上げられた畳が有る。その上に布団が敷かれ、一人の女がうつ伏せに転がっていた――いや、寝ていた。横になって休んでいるとか、そういう段階で無いのは、規則的に上下する背中から分かる。布団は豪勢に金糸、暗い室内でさえ光を跳ね返している。
「堀川卿、起きてください。起きてくださいってば」
畳の下から、案内の子供が布団を揺さぶる。すると鬱陶しそうに、紺色の襦袢に包まれた腕が動いて、
「んー……後半刻……」
子供の手を弾き、布団を頭まで引き上げた。もはや慣れ切っている事なのだろうか、案内役の子供は、布団の端を掴み勢いよく引っ張る。積み上げられた畳の上から女が落下し、ずでん、と痛そうな音がした。
その時――あまりに非現実的な光景だが――金糸の布団がほぐれた。女が落下するに合わせ、きめ細かな糸に分割され、扇の様に開いて床に落ちたのだ。
漸く桜は、あれは布団ではなく頭髪だったのだ、と気付いた。
「いーたーいー……起こす時はやさしくしぃて、あれほど言うたやろー?」
「だって起きないんですもん……それじゃ、失礼します」
最低限の仕事だけ済ませた子供を、髪にうずもれた目が、恨めしげに見送った。のそり、と髪に隠れた体が動き出す。眠たげな声は、美しさに艶を纏う、熟した女のそれであった。
「ぶー、躾の悪い子。まだ五刻しか寝とらんのに……ふわーぁ、ぁむ」
一体にして、人の頭から髪が生えているのか、髪の塊から人が生えているのか、それさえ分からぬ様な姿である。真っ直ぐ伸ばせば三丈、四丈――最長の部分ならば五丈有るかも知れない。付け根から毛先まで、箔を張りつけた様な金色だ。そして、髪の隙間から覗く目も、また金色であった。
「ふむ、年増だな。美人だが年増だ」
「怒こりますえ、桜さん。若さ吸い取ったろか」
「名乗った覚えは無いが……地獄耳な上に早耳か」
言葉ほどには、声に怒りを滲ませていない。戯言に戯言で返答する、どうやら『堀川卿』は、生真面目さとは縁遠い生物であるらしかった。
「さて、まずは村雨ちゃん、それから左馬さん。呼び出しの理由は分かってはる?」
「さっきの美男子に合わせてくれる為かい? 持ちかえりは可?」
「駄目どす、そして間違いどす」
詰問が始まるが、蒼い顔をしているのは村雨だけ。真剣に仕事をするつもりなど無い左馬は、上司の問いかけに対しても、ふざけた様な態度で返した。
「話を聞けば、避けられない結果やと言えるかも知れへん。けどなぁ、なんぼなんでも、街の真ん中であの荒事、あの騒ぎ……はぁ」
「も、申し訳ありません!」
金髪の中に埋もれて溜息を付く堀川卿に、村雨は、ほぼ直角に腰を曲げて頭を下げた。
「村雨ちゃん、あんたは確か……大陸の子やったなぁ。うちに来て二年、小さな仕事ばっかりやけど失敗は無し。うん、頑張ってる頑張ってる。今回のお仕事も、そらあんな化け物居たら仕方ないわなぁ」
褒め言葉と笑顔が同時に向けられたが、それを額面通りに受け取れる程、村雨も純粋ではなかった。むしろその猫撫で声が、何時、断頭の刃に変わるかと気が気でない。
「それに比べて左馬さん、あんたはうちに来て半年ちょっと、お仕事をまともにこなしたのは数回だけ……そら出来高やからええけどなぁ? 頼むから手紙出した時は返事くらいしたらええのに」
「気が向いたら動いてるじゃないか。現に今も、ほらこうしてわざわざこんな所まで」
「気まぐれやのうて、定期的に顔を見せえっちゅう事やて……ええわ、あんたは多分、言うて聞かせても仕方が無い人やろうしなぁ。今回――ちぃと拙い事になった時、来てくれただけでも良しとしとくわ」
「……なんとなく引っ掛かる物言いだね。そこまで大事になっていたのかい?」
謝意の欠片たりと見せぬ左馬だが、堀川卿の金眼に掛かる影を見れば、声音に幾許かの真剣見が混ざった。
「大事になってたのが、表に出てしもうた。誰もな、墓土掘り返して中身をぶち撒くなんて事、喜んではせんのや。埋めとければ良かったんやけど……蓋になってた墓石が、あの大きな婆さんやった。そういう事やね」
「話が見えんが、蓋を開けたのは私か?」
暫し蚊帳の外に在った桜が会話に割り込む。堀川卿は、大量の頭髪を波打たせた――頷いたのだ。
「桜さん。江戸に流れ着いたは二年ちょい前。粗稼ぎしとったんやろなぁ、馴染みの見世は十数件、抱いた遊女は、はて何人になる事やら……それだけ遊べば、ああいう場所の事も分かりますやろ?」
「随分と詳しいな。どうやって調べた?」
「ちょいと江戸の『錆釘』の連中を走らせまして。そんな事より、浮名流した遊び人ならば分かるやろうけど、質問を一つさせてもらいます。墓土の下の骨の話や」
襦袢の袖と髪を使って、堀川卿は口元を隠した。それでも、眉や目元から、顔をしかめているのは見て取れる。
「例えば妓楼、例えば影間茶屋。そういう所には、たまーに……〝普通〟やない趣味の客の為、用意をしてあるところがある。あんたさんの場合もその範疇やね。同性相手で嫌がらん遊女、その程度なら、そう極端に珍しい事もあらへん」
「だな、数件回ってしつこく粘れば、一人くらいは見つからん事も無い」
腕を組み、うむ、と頷く桜。その隣で村雨は、じっとりとした目つきで、桜を睨んでいた。
「ほんなら、桜さん。そういう特別な遊女、陰間の中で特に――法、道徳、物理的な問題、理由はどれでもええけど――数が少ないのは、何やと思います?」
「……子供だな。明らかに幼い、本人の意思などまるで持ち合せておらん子供だ」
苦虫でも噛み潰したかの様な顔で、桜は答えた。嫌悪感の滲む目は、自分の言葉さえ聞きたくないと言わんばかりであった。
「そうやね、それも有る。その為に、遊女にわざわざ子を産ませて、手元で育てる見世まで……気の長いこっちゃなぁ。あんたさんがそんな顔になるのも良う分かるわ。
けどな、桜さん。もうちょっと人間ってのはイカレてるで、知ってはる?」
堀川卿の金髪のうち、おおよそ一抱えほどの束が、蛇にでも化けたかの様に首をもたげた。それに驚く暇も与えず、髪は、自らの内側に隠していた竹簡を取り出し、桜に投げ渡した。桜は、その内容に目を通し――ふぅ、と息を付いて、竹簡を投げ返した。
「……確かなのか?」
「あの葉隠っちゅう遊女が言うとった事が、嘘やなければな。嘘を付くにしても、そんな事を言う意味が分からへん。本当やとは思いたくないけど――」
「本当、という事か」
桜の顔は、表情が薄い。よほど慣れていなければ、その変化は容易く見逃してしまう。今回の場合、左目の瞼が僅かに狭まっただけだが、村雨の目には、それが激しい怒りを示すものだと判別出来た。
「……何が書いてあったの?」
「村雨、お前には――」
「歯抜け、手足無し、目玉無し」
まだ早い、と言おうとしたのか。聞かせたくない、と言おうとしたのか。何れにせよ桜の思いは、堀川卿の冷えた声に立ち切られた。
「部品が欠けた女に性欲沸かす、世の中にはそんな男もいるんよ。舌と喉が駄目で声が出せへん遊女、治癒魔術が得意やからって、殴る蹴るの暴行を受ける〝だけ〟の遊女。阿片漬けになって、『餌付け』が楽しめるなんてのも居たみたいやなぁ。珍しい所では亜人の雌、或いは雄の子供。最低なのは〝新鮮な〟死体……
おっと、まだよ、まだ。そんな顔をするのはまだ早い、もう少しだけ待ってもらえへん?」
堀川卿が語ったのは、人間としての尊厳、最低限の権利さえ奪われた、底の底の存在の事だった。聞くからに、はらわたに焼けた鉄を流し込まれた様な、重苦しい怒りの沸き立つ話だった。村雨は口を押さえて眉間に皺を寄せたが、それは決して大仰な動作とは言えない。
世に外道は蔓延っている、吐き気を催す様な話とて知らぬ訳ではない。だが村雨は――四肢が削がれた人間の惨状を、明確に思い描けるが故に――想像さえ耐えきれず、目に涙を溜めた
「村雨ちゃん、お仕事や、我慢せい。他人の事でな、一々本気になっとったら身が持たんで」
この時ばかりは堀川卿も、上司としての冷たい声ではなく、年長者が年少者を気遣う、人の温かみのある声を発した。然し説くのは諦観の勧め。諦める事が慰めとなる、その事実さえも、喉を突き上げる嫌悪感に変わる。
「それで、続きは……?」
口内に溜まった、普段と味の違う唾液を飲み込み、村雨は絞る様な声を出す。
「……普通の場合はな、そういう連中、大概は仕方なしにやらされてるもんや。他の仕事は出来へんから、飢え死にしない為に玩具に堕ちる。自分の体がまともなら、自分の脳味噌がまともなら、太陽の下を堂々と歩いて生きて行けたろうに……そんな夢を、死ぬまで胸の内に抱えてな。
けどな、あんた達がひと騒ぎ起こしたあの見世、『牡丹登楼』……あそこはおかしい。あの見世の遊女は、それが一番の下っ端の、夜鷹に劣る境遇のもんでも……自分の仕事に誇りを抱いとる。最低限食えるだけで、世間様から見下されて、早死にが約束されて、そんな環境でや。明らかにおかしいと思っとったが――」
また、髪の束が蠢いた。数本の髪が指の様に動いて取り出したのは――
「坊主も神主も嫌いやないけど、これで神父は嫌いになりそうやわ。見覚えは有る?」
――それは、十字架を模した短刀であった。刃は短く、喉を掻き切るか脊髄に刺すか、或いは心臓を貫いて殺す為の道具。少なくとも堀川卿が取り出した物は、村雨の嗅覚を持ってしても血の臭いは嗅ぎ取れなかったが、
「……これは、拝柱教の暗器か?」
武器の形状を、桜が見紛う筈も無い。これは間違いなく、ウルスラが所持していた物と同型の刃であった。
「あの見世の遊女、多分全員が持っとるやろ。逃げ出さないのもそういう事や……厄介やなぁ、ほんに」
「盲信、狂信が故の異常か。信仰如きを理由に、あの苦界か」
暗く、涼しい部屋だ。だのに、大気が更に冷え込んだ様な、村雨はそんな気がした。理由の一つは、間違いなく、隣に立っている桜の激情であり――
「村雨ちゃん、左馬さん、お説教は無しにするわ。新しい指令――他の誰でもない、うちからの、直接の依頼や。ええね?」
もう一つは、眠たげに目を擦る堀川卿の、声音に出さぬ威圧。拒否などさせるつもりもなく、されるだろうという予想すらない、傲慢にも似た意思の力は、髪の隙間から覗く目に現れていた。




