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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
東海道中女膝栗毛
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鉛と硫黄のお話(4)

 細長い坑道は、女帝蜘蛛の巨大固体に切り崩された大岩によって分断されていた。

 手前側には、桜達三人が、後退を続けながらも蜘蛛の駆逐を続けている。

 そして片一方、村雨とレオポルドにも、蜘蛛の群れはまた迫り来ているのだ。


「えーい、やぁっ! 二匹目ぇ!」


 相手が人の形をしていないならば、村雨は、己の狩猟本能に枷を設ける必要を感じない。小さな体で壁を床を蹴って跳ね回り、巨大な蜘蛛を相手に暴れまわる。

 こちらの二人が幸運だったのは、相手が巨大ではあるが、数が二十程と少なかった事だろうか。また、図体のでかさで身動きが取りづらくばっているのも、付け込む要素であったに違いない。

 真っ先に襲いかかってきた一体を、靴の踵で頭を潰し、一撃。続いて寄ってきた一体は、爪先で緑の眼球を貫き、体内を掻き回してこれも一撃。所詮は外骨格生物、装甲一枚貫けば弱いものだ。


「ええい邪魔くさいっ、どけどけどけぇっ! 道を開けろ蜘蛛風情がァッ!」


 翻ってレオポルドは、威勢こそ良いが、一発撃つごとに弾込めが必要。既存の弾丸に比べて『カートリッジ』は装填が楽だが、然し時間が掛かる事は否めない。ようやく一匹射殺して、次の一匹に銃口を向けた所であった。

 どうやらこの蜘蛛達、統率は取れているが、一匹一匹の知能は高くないらしい。仲間が殺されて怯えを見せるでもなく、かと言って怒るでもなく、何事も無かったかの様に距離を詰めてくる。そしてまた、先に飛び込んだ仲間と同じ様に、目を貫かれて果てていくのだ。


「ねえ、どうするの?」


「何がだ!?」


「こいつらを倒した後!」


 村雨がまた一体、レオポルドも一体。此処までで合計五体の蜘蛛を仕留めて、僅かに会話の余地が生まれる。その隙に村雨は、此処から先にどう行動するかを尋ねた。

 後方は岩で道を塞がれていて、前方は道が有るのか無いのかも分からない。選択肢は三つ、進むか無理に戻るか留まるか、だ。留まっていれば、桜達が岩をどうにかするかも知れないと、希望的観測も持てる。


「愚問だろう、先へ進む! 何処の馬の骨とも知れぬ連中に、ルシアを預けておけるか!」


「……片方は知り合いだったよね」


 選択肢が最初から一つしか無かったとでも言わんばかりに、レオポルドは先へ進む事の他は考えていない。装填が終わらない内から、近づいてきた蜘蛛の頭を何度か蹴りつけて後退させようとしていた。

 とはいえ、レオポルドの蹴りは、素人のやり方である事を差し引いても非力なものであり、一撃で蜘蛛を仕留めるには至らない。軽量の村雨の方が、例え人外の優位性が有るにせよ、よほど威力が有る様子だ。


「ぐぬぅ……いっそ炸裂弾の一つも持ってくれば良かったか……!」


 相手が人間ならば、そして少数ならば、きっとレオポルドの銃の方が脅威となっただろう。自分の力だけでこの局面を打開できない事に、彼の苛立ちは愈々募る一方である。

 村雨の背後に回って装填、進み出て銃撃、また舞い戻る。自分より明らかに小柄な少女、娘と数歳しか違わない子供を盾にしなくてはまともに戦えない。自分が情けなく、だが他にどうしようも無く、気付けば釣り上がった目の端に涙さえ浮かべていた。

 坑道の奥から、巨大な何かがのそりと進み出たのは、その時であった。始めは、ただ坑道の暗さが増しただけかと錯覚する程、それは黒かった。他の蜘蛛達が茶褐色から黒の折り混ざった体色を持つ中で、『それ』だけは真に黒かった。


「また出た――ぇ、うぇっ!?」


「うぉ……!? なんだ、なんだこの醜い化け物は!?」


 ただ一点だけ他の色を持つ部位が有ったが、然しその部位は本来、蜘蛛には存在しない筈の物。人間の上半身が、蜘蛛の胴体から生えているのだ。

 周囲の巨大な蜘蛛より更に二回りも巨大な化け蜘蛛――いや、もはやこれが蜘蛛なのか、村雨の鼻さえ判断が出来なかった。


「オオオォオォォ…… ォオオオオ……!!」


 藍の綿服、袈裟、ずたずたに擦り切れてぼろ布になった衣服が、人の上半身に引っ掛かっている。髪も髭も伸び放題に伸びて、人の身の丈よりまだ長い。地鳴りとも紛う奇声は、だが然し悲歎に打ち沈んでもいる様であった。


「オオォ、ォ――ォォ、アアァ……」


 両手で顔を覆い、嘆く。八つの足が体を浮かせ、村雨とレオポルドへ向けて前進する。人の体と蜘蛛の体は、互いに互いを慮る事無く、己の思うように動いていた。


「――っ、しぃっ!」


 他の蜘蛛と、明らかに違う。先手を打って、村雨は、爪先で押し込む様な蹴りを放つ。蹴りは何に防がれる事も無く、その化け物の蜘蛛腹に命中し、そしてあえなく弾き返された。


「痛……! 硬い、これ……」


 周囲のただ巨大なだけの蜘蛛に比べ、人を交えたこの一体は、恐ろしく頑強に出来ていた。外皮が鉄板で補強されているかの様な感触と重量は、とても尋常の生物の物とは思えず――いや。

 そも、尋常でないと言うならば、人の上半身を張りつけた蜘蛛という存在が、尋常ではない。蜘蛛の胴が蹴りを受けてようやく、ざんばら髪の人体は、顔を覆う手を除けた。


「オオオォ、ォ――死にたくない、死にたくない、死にたくない……! 儂は、死にたくないィ……!!」


 やせ衰えて、骨の上に皮膚が張り付くばかりの顔。死相浮かぶ面を醜怪に捻じ曲げ、僧形の人体は血を吐く様に叫ぶ。それに伴い、八本の足のうち四本が、轟と風を巻いて薙ぎ払われた。


「うわっ――!? あ、あぶな、っと!」


 頭を狙った二つ、余裕を持って回避したと思えば、続けざまに胴体を狙う二本の脚。何れもが岩盤を抉り、巨躯を天井に張り付けるだけの力と強度を秘めた爪を備える。己の細腕で受け止めきれる物とは見えず、村雨は狭い坑道を、限界まで使って逃げる事に徹した。


「おのれ、おのれ亡者めがぁっ!!」


 レオポルドもまた、この化け物にただならぬ恐怖を覚えたものと見えて、躊躇なく銃弾を、僧形の額に叩きこむ。人の上半身が大きく仰け反って――血の涙を流しながら、直ぐに姿勢を立て直した。


「死にたくない、死なぬ、生きて外へ……外へ、外へぇええエッ!!」


 口角泡を飛ばし、坑道の岩を削りながら、滅茶苦茶に蜘蛛脚を振り回す化け物。痩せているという言葉では不足になる、必要な肉さえ削ぎ落した様な人体に、村雨は一種の確信めいたものがよぎる。


「まさか……地主が言ってた法師って……!?」


 化け蜘蛛の爪は、岩壁も周囲の蜘蛛も、無差別に微塵に還し続けた。






 三百も蜘蛛を潰した辺りで、桜の数の感覚は完全に麻痺した。機械的に刀の鞘を振るっているが、子蜘蛛の群れの終わりは見えず、足元はおろか岩壁まで蜘蛛に埋まっていく。気付けば三人は、坑道の入り口近くまで後退していた。


「ふんっ、ぬうぅ……! 駄目じゃあ、さっぱり動かんわい! 腰が壊れる!」


「年寄りが無理をするな、蜘蛛だけ踏みつぶせ!」


 坑道入口は、岩と土で塗りかためられていた。ジョージの体格で無理に押し込んでも動かない。


「四十前の男に何を言うか――おう、小煩い蜘蛛じゃあ!」


 こう何匹も相手にしていれば、鋼の様な体毛を踏まずに蜘蛛を潰す方法も見えてくる。やはり、目の辺りを狙うのが良いのだ。他の部位より脆く出来ている上に、暗い坑道でも緑に光り、狙いを付けやすい。

 だがそれは、人の手足で対処できる数であって、初めて意味のある事だ。


「く、ぬ――多いな、今更だが……っ!」


 潰した子蜘蛛の死体の上を、別の子蜘蛛が這ってくる。いつの間にか、桜の脚に辿り着いた子蜘蛛が、腹の辺りまでよじ登っていた。肌に張りつかない和服は、子蜘蛛の牙を通さずに済んだが、然し危なかった事に変わりは無い。袖で払い落し、強く踏みつぶして、確実に殺す。


「きゃっ!? いや――!」


 然し、それも間に合わない。桜の刀から逃れた子蜘蛛の一匹は、とうとうルシアの脚に辿り着いた。多脚の外骨格生物が体を這いあがるおぞましさは、少女が到底耐えられるものではない。寧ろ、今まで悲鳴を上げなかった事が奇跡に近いのだ。


「おう、拙い……! 嬢ちゃん、乗れ!」


 言うが早いか、ジョージは素手で蜘蛛を引きはがしながら、ルシアを肩に担ぎあげた。地面が遠くなれば、蜘蛛からも遠ざかるだろうか――いいや、蜘蛛は壁も天井も歩きまわる。何処へ逃げようが、ここは四方――いやさ六方を囲まれた坑道、逃げ場など無いのだ。


「こうなれば、もはや――」


――『眼』を使うしかないか。桜も追いつめられていた。

 炎を起こせば、岩壁の坑道は、天然の竈と化すだろう。だが、熱で焼け死ぬのは、体の小さい子蜘蛛が先になる筈だ。大火傷を負ってでも、蜘蛛の餌にならずに外へ出るならば、それが最善の策ではないか?

 だが、駄目だ。閉じ込められたのが自分だけならば、その選択も出来ただろう。だが、此処には体の小さな子供が一人。それに、更に奥では村雨が閉じ込められている。酸素が何処まで持つかも分からないのだ、炎など使って居られようものか?


「……いや、然し。然し……!」


 どうにもならぬのか。諦めはせねど、結果は無慈悲に突き付けられる。焼いて、自分の生き延びる可能性を上げるか。或いは焼かず、村雨とレオポルドの生き延びる可能性を上げるか。




「遅くなりました、桜」


「――っ、水……!? お前、ウルスラ!」


 解答として与えられたのは、その何れよりも或る面では粗っぽいやり方であった。

 岩の天井を貫き、一本の腕が付きだされる。それに僅かに遅れ、間欠泉を逆様にした様な大量の水が、坑道に流れ込んだ。

 高圧の水流は、天井に張り付いていた巨大蜘蛛の腹を強かに打ち据え、地面に仰向けに叩き落とす。天井に空いた穴は見る見る内に広がり、人が一人通り抜けられる程度の幅になる。

 そして、其処から上半身を覗かせたのは、髪も衣服も皿屋敷の幽霊の様に濡れそぼったウルスラであった。


「うぅお! 豪勢なシャワーじゃのう、髪でも洗いたいわい!」


「申し訳ありません、石鹸は持参しておりません。父に借りて来ましょうか?」


 忽ちの内に、坑道に水が満ちていく。足元を張っていた蜘蛛達は慌てふためき壁へ非難する。ここへ来て獲物に食いつこうという、食に狂った貪欲な蜘蛛はいないのだろう。

 水源が無限であるかの様に、忽ちに水は、桜の足首までを埋める。それもその筈だ、ウルスラが此処へ引き込んだ水は――


「山中の湖底に穴を開け、此処まで繋ぎました。程なくこの坑道は水没します、こちらから抜け出してください」


 周囲に生命の気配が無い、あの無生物の湖から引っ張った水だ。身体操作の魔術に長けたウルスラであれば、己の手足を掘削機械の様に扱い、土を掘り進むなど訳は無い。とはいえ、やはり辿り着くまでに相当な時間は掛かり、手の爪も何枚か剥がれてしまっていたが、彼女の表情は普段の通り、何も考えていない茫としたものであった。

 水が高地に有り、低地には閉鎖された空間と多数の敵。水没させて殺すのは、決して珍しい手段では無い。思考を極めて苦手とするウルスラでさえ、容易く辿り着ける案だ。

 肝心なのは、実行に移せるかどうか。数十間の土を抉り、岩を砕き、合間合間に水面へ戻って息継ぎをし、また湖底へ戻る。体温は奪われ、酸素の欠乏と僅かな時間の呼吸を繰り返し、爪は圧し折れ指から剥がれる。斯様な苦行を苦と思わぬ者にのみ可能な、単騎による蜘蛛の牙城への水攻めであった。


「……おかしいですね、水の溜まりが早い。計算ではもう少しゆっくりになる筈で……」


「蜘蛛が天井を崩した、途中で坑道が塞がっている! 村雨とあと一人――あー、細い男が閉じ込められている!」


 地主を脅迫して図面を確保し、湖の水量を図り、どの程度で坑道が水没するかは、ウルスラも計算していた。問題は、坑道のほぼ中心で、大岩と土砂が完全に道を塞いでいた事である。

 水は、桜の腰まで届く。子蜘蛛は必至で天井まで逃げ、ウルスラが開けた穴から逃げていこうとして――湖の水に叩かれ、坑道にまた落ちる。


「……仕方がないですね。本当なら、此処から貴女達を引き上げる算段だったのですが……桜、やはり最後は貴女に託します」


 それは、思考が伴ったかも怪しい程――彼女に関して言えば、否と断言できる――僅かな逡巡。ウルスラもまた、坑道を埋めていく水に降り立った。


「と、言うと、どうするつもりだ?」


「水が天井に達したら、入口を塞ぐ岩を斬ってください。蜘蛛ごと水を排出可能……なのでは、と思います。多分、きっと」


「断言できんのか?」


「さあ、なんとも」


 水は桜の胸まで届く。ウルスラは既に、背泳ぎの姿勢で、足を地面から離している。


「水中で岩を斬れとは無茶を言う。失敗したらどうする?」


「その時は皆死ぬんでしょうか。そうしたら天国へいけますか?」


「馬鹿、私もお前も地獄行きだ。フレジェトンタで溺れるのがオチだろうが」


「では、予行演習という事で」


 桜もウルスラと同様に、水の上に体を浮かべる。天井が、瞬き一つの度に近付いてくる。


「はっはっは、女房子供を残して死にたくは無いのう! 斬り損ねるなよウワバミ娘!」


「……初耳で申し訳ありませんが、お子さんが?」


 ジョージもそろそろ、口まで水が届くころだ。精一杯に背伸びをして、辛うじて声を出していた。ルシアは高く掲げられている為、まだ水に浸かる事は無さそうだが、表情を見る限り、水が得意ではないらしい。まかり間違えば溺れ死ぬ。その恐怖から逃れようと、雑談に意識を割り振ろうとしたのだろうか。


「おう、十になる男の餓鬼じゃわい。儂に似とらんのがつまらんが、あれで中々――ぅわっぷ!?」


 口が水没し、ジョージの声も途切れた。掲げられているルシアも、もう顎まで水に沈む。

 桜は仰向けのまま浮かび、岩天井に足を付けると、


「十数える間、息を止めていろ。それまでに岩を斬り開く」


 と、と軽く蹴り飛ばし、這う者の何も無い地面へと降り立った。

 浮力で体が持ちあがりそうになる。水圧が手足を抑え込もうとする。全く水中とは、人の為に在る世界では無いと肌で感じられる。

 黒太刀『斬城黒鴉ざんじょうこくあ』の、真一文字の閃き。寸拍、坑道の入り口は瀑布と化し、蜘蛛も人間も、水と共に吐き出した。

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