鉛と硫黄のお話(3)
「ええい、忌々しい……どこまで続いておるのだこの坑道はっ!!」
やはりと言うべきか、レオポルドは万物に当たり散らしていた。進んでも進んでも進んでも、一本道の坑道が、行き止まりにならないのだ。
住み着いている筈の蜘蛛も、一匹を撃ち殺して以降、全く遭遇していない。さては徒労であったかと思うと、更に苛立ちが募り――いや、彼の場合は特に理由が無くとも、常に腹を立てているようなものだが。
無形である光を、強引に球に形作った様な浮遊物が、レオポルドの数歩手前を進んでいる。松明よりは明るく、何より火傷の心配が無い光源は、この様に狭い空間では重宝する。どうやら魔術の腕前も、銃撃に負けず劣らずであるらしい。
「全く、さっさと本国へ戻りたいと言うに……島国は何もかも狭苦しくてかなわんぞ!」
「あれ、ここで採掘していくんじゃなかったの?」
「そんな事は人足を雇ってやらせるわ! 設備もないこの国で何ができるか!」
足元の石を、見えなくなるまで蹴り飛ばし、レオポルドはひたすら突き進む。その途中に向けられた問いには、語調を一切和らげぬままに答えた。
彼が日の本を訪れたのは、魔術強化を経ずして火薬の爆発に耐えうる頑丈な銃を作るに当たり、良質な金属が必要であったからだ。生国である都市国家ティエラ・ロッサで条件が満たせるならば、各種設備の整った開発環境から離れるなど、そも考えもしなかっただろう。
一刻一秒でも早く本国に戻り、慣れ親しんだ工房に籠りたい。新型弾薬をより効率良く射出する機構の案が、頭の中に三つか四つは有るのだ。それを形に出来ないという不満は、この男を更に苛立たせ、ぎしぎしと奥歯を鳴らす程であった。
三百年の月日を誇るルシア・バラーダ(L・B)社の歴史の中でも、このレオポルド・バラーダという男は、極めて異質である。
一つに、L・B社は本来、長女が代々の社長を務めるという慣習が有るのだ。七代目ルシアが、子供を男児一人しか設けず、また養子も取らなかった結果ではあるが、伝統を重んじる一族経営の会社では異例の事態であった。
然しながら、古い石頭を押し切って彼を社長たらしめたの才も、やはり彼の異質たる点である。
彼は幼いころから、魔術を用いる事に長けていながら、然し魔術を全く愛さなかった。自分自身が使える技術を、まるで無価値な物と見下していた。それは、『他の誰もが同様に使えない』からである。
自分だけが使えて、他人が使えない魔術。他人だけが使えて、自分が使えない魔術。術者によっては、発動させる事さえ出来ない技術など、存在する意味が無いのではないか。技術とは、万人が同様に、単純な操作だけで扱えるものであるべきなのではないか。
その様な考えを持っていたレオポルドには、『引き金を引けば弾が飛ぶ』拳銃は、極めて合理的で分かりやすく、かつ理想的な技術の塊に感じられた。そして、この道具の性能を引き上げる事に、ただならぬ喜びを覚えるようになったのだ。
齢十五にして狙撃銃の命中率を三割以上引き上げ、二十を過ぎて社長に就任してからは、片手で扱える拳銃に着目する。十年以上の開発を経て、ついに完成させたのは、誰もが容易く扱える新型弾薬『カートリッジ』であった。
紙で火薬と弾丸を包み装填する従来のやり方を捨てて、金属の筒に火薬と弾丸を詰めておき、その筒を銃身に装填する。ひっくり返そうが振り回そうが、新型弾薬から火薬が零れる事はなく、また多少の湿気であれば、火薬が湿気る心配はない。
零す事を恐れずに済む分だけ、使う火薬も強力なものに出来る為、とりまわしの利便性ばかりではなく威力も高い。この技術は、銃器の歴史を五十年は早めたとさえ評価される代物だ。
技術革新という一点にのみ着眼点を置くならば、レオポルドは極めて優秀な男である――が、それでさえ補えない程に、彼は欠点だらけの人間でもある。
常に何かに腹を立て、拳を強く握っているが為に、爪が押しつぶされて丸く短く変形した指。歯軋りのし過ぎで、奥歯は少しばかり擦り減っている。暗い部屋に閉じこもる事が多いからか、眼鏡が無くては、人の顔をさえまともに認識できない。
常に吠える様な大声を上げているのは、火薬の爆発音を聞き続けて聴力が衰えているからだ。意識しなければ際限なしに声量が上がり、喉の疲労で漸く、己の無礼に気付く。
だが、その何れにもまして大きな欠点と呼べるのは、思考の視野の狭さであろうか。何か一つに専念すると、他の重要な事項の一切に配慮が回らない。蜘蛛の掃討という事だけに意識が向いている現在、それ以外の本当に重要な事を見落としていると、ここまで全く気付きもしていないのだ。
「む……! やーっと二匹目か、出て来るのが遅い!」
近眼ではありながらも、こと射撃に関しては正確無比。流れる様な動作で銃弾を放ち、天井に張り付いていた蜘蛛――人の上半身より巨大であったーーを撃ち落とす。機械染みた規則正しさで、拳銃を右斜め後方へ投げる。右肩越しに左手を翳し――
「……おい。おい! 早く寄こさんか!」
――怒鳴りつけたが返事は無く、気まずそうな沈黙が漂うばかり。苛立ちも露わに(常の事ではあるが)、レオポルドは靴音荒く振り向いた。
「あは、あはは……ええと、どーもー……」
そこに居たのは、投げ寄こされた拳銃をどうして良いものかと途方に暮れる村雨で、
「んな――んで貴様がここにおるかあぁっ!? ああルシア、ルシアッ、何処に行ったぁ!?」
「えー!? 連れてきた本人がそれー!?」
二人分の叫び声は、狭苦しい坑道にやたら良く響いた。
レオポルドがひとしきり叫んで疲労を覚えると、その反響も掠れて消えていく。荒く肩を上下させながらも、変わらず荒い足取りは、元来た道をずかずかと戻り始めた。
「……くそ、くそ、くそ……よりによって同行があの粗暴な連中だとは……!」
「否定はしないよ、しないけど……言い方って物がさ?」
両の足が同時に地面を離れないから、走っているとは表現しづらいが、レオポルドの歩行速度は、村雨の歩幅で追いつくのに多少の難儀を強いられる程であった。そこまであの二人――ジョージはまだ兎も角、自分の連れである桜まで信用されていないのかと、村雨が棘のある声を出す。
それに対する答えはなく、歩く速度がやや早くなったばかり。
「ちょっとー……――」
振り回される事には慣れてきている自覚が有った村雨だが、やはりこの男に対する良感情を持つ事は出来ない。此処まで引きずって来られた事に対し、一言だけでも詫びを求めようと掴みやすい腰のベルトを掴んだ――ら、先へ進もうとしたレオポルドの上半身は、激しく折れて眼鏡を床に落とした。
「ぐぉうっ!? ……っぐ、ぬ」
「――あ、ごめ……ぁ、れ?」
流石にこれはやり過ぎたと詫びたが、レオポルドの怒りの矛先は、予想された方向には向かわない。何も言わずに眼鏡を拾い、また速度を上げて歩いていくだけだ。
「ねぇ、ねえ……ごめんってば」
彼の事だから、天井から岩も落ちんばかりに吠えたてられるかと身構えていた村雨は、寧ろ拍子抜けさえして、遠ざかる背を小走りで追う。その様を、レオポルドは一顧だにしなかった。
さて、天才肌の人間は、自分の理だけに従うものである。レオポルド・バラーダという男は、それを分かりやすく体現している男であった。自分の事に関しては感情的、その他の事に関しては合理的という自己中心思考。身の回りを固める部下も、縁故採用などはせず、徹底的に能力主義で選別している。
大方の人間には公平と、そして親族には非常と評されるその思想には、然したった二例だけ例外が有った。一つが娘のルシアであり、もう一つが――今は亡き、と冠が被せられる女性――ルシア・バラーダ=Ⅶ。先代の〝ルシア〟にして、L・B社の社長になる筈だった人。そして、レオポルドの妻だった女性だ。
彼女はレオポルドに劣らず聡明で、だが彼とは正反対に、誰にも愛される優しい人間だった。そんな彼女が彼に惹かれた理由は定かではない。
だが、二人は仲睦まじい夫婦だった。学生の頃より連れ添い、成人後直ぐに婚姻を結んだ。無愛想な夫に対して妻は良く報いたし、献身的な妻に対して、上手いやり方とはいえずとも、夫もまた愛情を示していた。然し二人の結婚生活は、僅か四年で終わりを迎える。
産褥熱が悪化し、彼女が天に召されるまで、僅かに五日。元より健康ではない彼女であったが、それを踏まえても、あまりと言えばあまりな夭折であった。
以降、妻に向けられていた愛情はそっくりそのまま、寧ろ幾らかの変質を経て、娘に向けられるようになった。決して手放すまい、遠ざけるまい。片時と離れる事は我慢ならぬ、毛ほどの傷さえ許してはおけぬ。完全に、彼女を失った年まで守り抜かん、と。
遥か極東の小国を訪れるのにさえ同行させる様な、安全確保とはやや方向性の異なる保護欲求も、それが原因だ。娘と引き離されている状態とは、レオポルドにとっては、家族が目の前で死に続けるにも等しい恐怖を覚えるものなのだ。
何時しか、レオポルドの両足は、同時に地面を踏まないように変わっていった――走り始めていた、という事だ。予想以上に進んでしまった道のりを、来た時の倍近い速度で引き返していく。
「……あれ、ええと、この辺りの臭いが……んん?」
その過程で、同行している村雨は気付いた。丁度その瞬間に通過した場所は、桜達から引きはがされたあの時に立っていた場所の筈だ。レオポルドが撃ち落とした蜘蛛の死骸が有る、間違いない。
だとすると、ここまでは一本道、桜達に出会わない筈が無い。仮にその様な事が有るとすれば、それは彼女達が来た道を引き返していた時だ。桜が自分に何も言わず戻る様な事が、果たして彼女の性格からして有り得るか――?
「あ――ねえ、ちょっと、それ!」
「ん? ……む、これは――!?」
レオポルドの魔術光源が照らすより先、夜目の利く村雨が異変を察知する。蜘蛛の死体が有った場所から更に数歩奥――坑道入口に近い方向――の通路が、巨大な岩に埋め立てられていた。当然だが、坑道を訪れた時には、この様な物は存在しなかった。
足の裏で押し込む様に、レオポルドが岩に蹴りを打ち込む。ほんの一寸さえ、動く様子は無い。天井が丸ごと崩れて落ちた様なものだ。岩だけではなく、上に覆いかぶさる土砂の重量にも耐えられなければ、これを撤去する事は出来ないのだろう。
「ぐぬ、ぬぅ……! ルシア、聞こえるか、ルシアッ!!」
岩の向こうに叫び続けるが、返答は無い。背後から反響と、木々のざわめきに似た音が聞こえてくるだけだ。
そして、草の一本も生えていない坑道に、樹木など存在する道理は無く、葉擦れ音は葉擦れ音である筈が無い。
「ごめん、そっちばかり気にしてると……うん、ヤバいかもだから、ちょっとこっちね」
既に村雨の鼻は異常を感知して、レオポルドの袖を引き、背後を振り向かせようとしていた。彼がそれに従った時には、既に状況は、収集の付け様がまるで見えなくなっていた。
其処には、人の腰程までの高さが有る蜘蛛が、およそ二十も集まっていたのだ。どれも、宝石の様に美しい目をした、針毛の蜘蛛達であった。
「おう、向こうは楽しそうだったのう! 混ざりたいのう!」
太い体に見合った太い笑いは、然し些か冷や汗を伴っている。銃を握るジョージの手は、事実、僅かだが震えていた。
先に進んだ反響は動けず居ると言うのに、こちらの三人は、先程から後退を続けていた。
「そうか? こちらも中々だろうが。見ろこの歓迎ぶりを、もう何匹潰したかも分からんぞ」
桜は、脇差を鞘に納めたまま、打撃武器の様に使っていた。総金属の鞘は、桜の力で叩き付けられても、へし折れない程度の強度は備えていた。
何故この様な使い方をしているかは、足元に転がる無数の骸が答えている。蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛――何十とも付かぬ、巨大な蜘蛛だ。
巨大とは言うが、桜の手より幾らか大きい程度。天井に控える化け物とは比較にもならない――などと考えたのなら、神経が麻痺している。女郎蜘蛛を十数倍した様な怪物が、脚を縮めて腹を破裂させ、茶色掛かった体液を零して息絶えている様は、中々に見ていて気味が悪い。それが数十も転がっていて、更に数倍するだけの数が、まだ奥から奥から湧きだしてきているのも、見逃せない点だ。
天井からぶら下がる一体に補足された次の瞬間には、坑道の岩壁の隙間から、この連中は這い出してきた。牙に毒を持つ蜘蛛の群れだ、全く存在を度外視して進む訳には行かなかった。
そして、数歩ばかり後退したを好機と見たか、天井の蜘蛛はその鋼の様な爪を持って、天井を〝抉り抜いた〟。先へ進んだ獲物を奪われぬ為、そして自らの巣に余計な敵を入り込ませない為。外骨格の生物にしては、腹が立つ程に賢いやり口だ。
「弾は有りますが銃が有りません、申し訳ありません……退きますか?」
ルシアは、戦闘手段を持ち合わせない為、桜の背後に隠れていた。弾丸だけなら大量に所持しているが、然しそれは、L・B社の新式銃専用の物。一般的に普及している、例えばジョージが持つ旧式銃には対応していない。
「同感じゃのう、こっちは弾が無いわい! あいつらにはすまんが、此処は一度退いた方が――」
「駄目だ、置いていける訳が無かろうが」
進む術は無い、それは桜も十分に理解している。だが、理屈で分かっているからと言って、感情を納得させるには足りない。道を塞ぐ岩は巨大だが、自分なら斬って道を作れる筈だ。ここで引く訳にはいかないのだ、と。
だが然し、足元を埋める程の蜘蛛の群れとなれば、桜とて迂闊には踏み出せない。壁や天井を走る程、器用な技は身につけていないのだ――壁を蹴って飛ぶ程度なら出来ようが。
そして、『眼』も使えない。この狭苦しい坑道で炎を起こそうものなら、人間の蒸し焼きが完成してしまう。止むを得ず桜は、只管に打撃を以て蜘蛛を潰し続けていた。
足に飛びつこうとする蜘蛛を、壁へと蹴り飛ばして潰す。腰に張りつこうと飛びかかる蜘蛛を、刀の鞘で押し潰す。側面から来ても潰す、天井から落ちて来ても潰す。切りが無く、寧ろ蜘蛛の数は増えてはいないだろうかとさえ感じられる。
「おうい、ウワバミ娘! もう弾が切れたぞぉ!」
「知るか! 無理なら走って下がれ、私は戻らんぞ!」
ジョージの所持する弾丸は、どうやら全て撃ち尽くしてしまったらしく、銃声は完全に途絶えた。体格の良い男であるからして、飛びかかって来る所を素手で叩き落としたりグリップで殴りつけたり、それなりには抵抗しているが、おそらくは体力が持たないだろう。
こうなれば仕方が無い。自分だけでどうにかする、と桜は決めて、ジョージとルシアを逃がそうとする。だが、ルシアは桜の背から離れようとせず、冷静に一つ、咳払いをした。
「……申し訳ありません。私の勘違いでなければ、つい先程から坑道の空気に、流れが感じられなくなりました」
「それは、どういう事だ?」
蜘蛛の群れの中で、少し他より大きい一体を、脇差での居合で両断する。ほんの数泊、蜘蛛の攻め手が緩んだ所で、桜はその言の真意を確認する。
「おそらく、入口を何かで塞がれたのかと。理由はさておき、私達が此処を抜け出す事を快く思わない誰かが居るのでしょう……申し訳ありませんが、飽く迄推測です」
ルシアの言葉は、最後の方は声が擦れ、殆ど聞き取れない程度になっていた。それでも鼻がつまった涙声にならないのは、生来の芯の強さ故か。
「……こうなれば、一匹残らず殺しつくすまでだ……!」
桜が潰した蜘蛛は、既に二百を超えている筈。しかし、新手は未だに止まず、次から次へと湧きだしてきていた。
坑道入口を塞いでいた地主の手先は、喧嘩の腕前はそれ程でもなく、ウルスラは無傷で全員を拘束した。
然し、掻き集められた岩やつっかえ棒を取り除こうとはしない。逆に、近くの石や土を使って隙間を完全に埋め、山を駆け上がっていく。
何も知らぬ者からすれば、何を目的としているかも定かではない、正気を疑われる行為だろう。
だが、ウルスラは、自分の行為の正しさを確信していた。
「……地主の話の通りでしたね」
ウルスラが立っているのは、山中の湖の畔。本来なら生物を育む筈の水の周囲には、然し草木の一本たりと存在していなかった。
生物の死骸なら、幾つかは落ちている。だがそれは、肉が一欠片も残らない、完全な白骨である。その骨さえも、幾らか食われた痕跡が有り、形を全うしている物は存在しない。
虫の気配も、鳥の羽音も無い。湖の水は、異常な程に済み渡っていて、数間先の水底が見える程。湖底にもやはり、獣の骨が横たわっている。
「これでは、手放した方が良いでしょうに……」
この山の死骸は全て、あの蜘蛛達に食われた獣のそれなのだ。地中に帰り栄養となる筈の僅かな腐肉さえ食いつくし、木に取り付き、樹皮を刻んで中の虫を抉り出し、一木一草残さず枯れ死にさせた末が、この山なのだ。
湖面には、白糸で編まれた網が、枯葉を張りつけて浮いていた。女帝蜘蛛が仕掛けた罠には、もはや掛かる獣の一匹たりと存在しない。
やがて蜘蛛達は、自らの塒を捨て、周囲の山へと移り住む事になるだろう。その山々でも獣を喰いつくし、山を枯れ殺していくだろう。別段、それを止めねばならぬと義憤に駆られるウルスラではないが――
「……このやり方が、一番でしょうか」
と、と軽く地面を蹴って、頭から湖へと落下する。両足を揃えて鯨の様にくねらせ、ウルスラは湖底へと沈んでいった。




