鉛と硫黄のお話(2)
「えぇ、ではですね……うぅ、なんでこんな事に……」
「……あなたが悪いんだからね」
「ぐぬぬぬ、面目ない……」
地主が半べそを掻き始めた辺りで、村雨もついに実力行使におよび、レオポルドを引きはがして座らせた。慣れぬ畳の上の正座に、居心地悪そうにしながらも、頭が冷えた彼は反省したそぶりを見せていた。
順を追って説明すると、このレオポルドという男は、銃器製造業を営むルシア・バラーダ社の社長。つまり、ジョージとは同業で競合他社となる。来日の目的は商談と、そして希少金属を算出する鉱山の確保である。
三百年以上の歴史を誇り、また新技術の特許などで潤沢な資金を集めているレオポルドは、浜松周辺の鉱山を、連なる山ごと纏めて買い上げようとしていた。提示した金額は、それこそ天文学的な数値にもなっているのだが、然し地主がそれに応じないのである。
金銭の不足を訴えている訳ではない。金額の問題では無く、どうしても山を売れない理由が、地主には有ると言うのだが――
「――法師が、枕元に立つのです。腹が減った、腹が減ったと……おお、恐ろしい」
なんでも、この地主が所有する山々には、一つの言い伝えが有るという。
昔、一人の法師が修行の為に山を訪れ、洞窟で雨宿りをしていた所、崩落事故に巻き込まれた。助けを求めたが山中の事、誰も気付きはしない。そこで、岩の隙間から降りてきた蜘蛛に、どうか助けを呼んでくれと願ったのだとか。
信心深い蜘蛛は、仏様の助けもあり、無事に人里に辿り着いた。そして、村の長に助けを求めようとしたが――所詮は蜘蛛、呆気なく踏みつぶされてしまった。
「結局、その法師も崩れた洞窟の中、餓えて死んでしまったと言うのですな。それ以来あの山には、蜘蛛と法師の怨念がこびりついて……」
「……なんて救いの無い話なんだろう」
登場人物の誰も得をしなかった昔話に嘆息しながらも、村雨は首を傾げる。そんな逸話付きの山が高値で売れるのなら、寧ろ厄介払いが出来たと喜ぶ所では無いのか?
その点を指摘すると、地主はまた、泣きそうな顔をする。
「ひえぇ、とんでもない……お祓いしようと徳の高い僧を呼ぶとですね、必ずその夜に法師が現れ、私に延々と恨みごとを……。おまけに、天井にも壁にも、化け物のように巨大な蜘蛛が張り付いて巣を作っていくので、朝には部屋の中でも立ち上がれぬようになるのですよ? そんな山を人に売り渡せば、果たしてどんな事になりますやら……」
聞いている限り、不憫な地主である。が、その話を聞いていた村雨には――そしておそらく、表情を見る限りはレオポルド、ジョージの両名とも、思い当る節が有ったのだ。
「……ふふん、成程な。何を恐れているかと思えば、所詮は『女帝蜘蛛』如きではないか! 全く極東の田舎者は……」
「珍しいのぉ、こんな国にまで住み着いておったようじゃわい。奴らめ、海を泳げるのか?」
神妙な顔をして聞き入っていた二人は、途端晴れやかな顔つきとなり、飛び跳ねんばかりの勢いで立ち上がった。合理主義の西洋人達は、どうやら解決策を見つけた様であるらしい。
「おい、地主! ならばこの私が、その法師とやらを退治してくれよう! それならば貴様も、山を売る事に意義は唱えるまい?」
「ひええ、いやあのその、その様な事をしては法師の祟りが恐ろしく」
「居たか居ないかも分からん人間の祟りなぞ恐るるに足りんわ馬鹿が! いくぞルシア、弾薬を持て!」
「はい、お父様……それでは皆様、お騒がせして申し訳ありません」
地主はやはり気乗りしない様子なのだが、レオポルドは聞く耳を持たない。足音も粗く襖を開けて廊下へ出ていき、その後ろをルシアが小走りで付いて行く。室内に残された一同に、頭を下げたのも、やはりルシアだけであった。
「せわしない奴だな。そんなに座っているのが苦手なのか?」
「うむ、全く。もう少し気を抜いて生きられんかのぉあいつ」
桜の言葉は、立ち上がった二人――つまりはジョージにも向けられているものだったが、この太い男は、その様には受け取らなかったらしい。他人事のように言いながらも、のそりのそりと動き始める。
「おう、地主よ。すまんが、儂もあの山は欲しいのでのぅ。蜘蛛は全て散らしてくる故、あの男ではなく儂に売ってくれれば助かる……では、暫しの後に!」
商売仇にばかり、希少な資源を渡すまいという商売人根性もしっかりと見せる。村雨や桜からすれば、寧ろ鷹揚なジョージの方が、神経質なレオポルドより賢い様にも思われた。
取り残された桜は、家人に出された茶を啜っていたが、湯のみを卓袱台に置くと、首だけを村雨の方に向ける。何やら合点の行っていた三人とは異なり、聞き慣れぬ単語が、会話の中に有ったのだ。
「なぁ、村雨。女帝蜘蛛とは何だ? 女郎蜘蛛の親戚か?」
「ん? ああ、まぁ……女郎蜘蛛の何十倍も大きな親戚? 背中の模様が人に似てて、弱いけど幻覚を見る様な毒が牙に有って、とにかく長生きする女郎蜘蛛の親戚」
「それはまた、傍迷惑な生き物だな……ふむ、ふむ」
大陸の、西の方にしか住まない筈の珍生物。大方、ろくでもない密輸品に紛れ込んだものであろう。村雨はその程度の認識だったが、然し桜は目を輝かせ、
「で、それは楽しめる程度には強いのか?」
答えを聞く前に、既に歩き始めていた。やはり、首を突っ込むつもりになってしまったらしい。
「……期待外れになると思うんだけどなぁ……ま、いいけどさ」
皆が動くのでは、一人で見知らぬ屋敷に居座る訳にも行くまい。地主に一言詫びを入れて、村雨もまた、坑道へと向かったのであった。
浜松城下の中心から離れた地主の家、そこから更に四半刻。目的の坑道は、そう遠くは無かった。
比較的最近までは使われていた場所であるらしく、崩落を防ぐ為に差し巡らされた支え木に、朽ちた様子は見受けられない。松明を置く為の燭台も、比較的狭い間隔で用意されていた。
「……ふん、所詮は辺境の小国か。なんとも効率の悪い採掘だな!」
レオポルドは、先進国に住む者としての優越を存分に振りまきながら、魔力生成した光源を自走させ、その後を歩いていた。すぐ隣には娘のルシアが、箱型の鞄を持って供をしている。
常に何かに腹を立てておらねば気が収まらないレオポルドは、細長い腕を懐に入れて、一丁の短筒を取り出す。銃口を坑道の天井に向け、引き金に掛けた指に力を込め――火薬の小爆発、銃声。成人男性の掌二つよりまだ大きな蜘蛛が、仰向けに落下して息絶えた。
「大方、外来種が地方の迷信と結びついただけの妄言であろう……ふん、こんなつまらぬ事の為に私を煩わせるとは、あの地主めが……!」
短筒――新式単発拳銃を放り投げ、蜘蛛の亡骸を踏みにじる。その横で、投げ捨てられた銃、排出された薬莢をルシアが拾い上げた。薬莢は腰に付けた袋に放り込み、新たな銃弾を取り出し拳銃に装填、父親に投げ返す。投げ渡された拳銃をまた懐に戻して、然しまだ、レオポルドは苛立ちが収まらない。
「……ええい、何故着いてくるか貴様達は!?」
それもその筈である。彼の直ぐ後ろには、商売仇であるジョージの姿が。そして更にその後ろには、部外者である桜と村雨の姿が有ったのだ。
「何故と言うがのぉ、一本道じゃぜ? 真っ直ぐ歩いていればこうなるのも無理は無いわい」
「いやはや、やはり銃という物は面白いな。見事な腕前だ、そこの娘も」
すっかり物見遊山の体で歩いている、この二人。馬鹿げて巨大な蜘蛛を見ても、焦りを覚えた様子は無い。
「……変わった銃だな、お前の作品か?」
むしろ桜の興味は、レオポルドが鮮やかな抜き打ちを見せた銃の方へと注がれていた。飛び道具は弓矢以外は手にした事も無い桜であるが、どうにも気になる事が有ったのだ。あの銃は、つい最近――そう、確か杉根 智江が使っていた物と同じではないだろうか?
「ほほう、ただの無骨なサムライかと思えば、中々に目が高いな?」
桜の言葉には、決して称賛の意図は含まれていなかったのだが、レオポルドはどう受け取ったものだろう。鼻高々に再び銃を取り出し、わざわざ移動光源も引き寄せる。
「如何にも! これこそは我が社が開発した最新最強の拳銃、A・Ma1793! 紙薬包などと言う黴の生えた技術を捨て去り、新たな世代へとシフトした画期的にして革命的な――」
「うむ、技術的な話はまるで分からんが、とにかく新型なのだな?」
レオポルドの高揚の仕方は、美術品を見せびらかす富豪の様でも有り、建築美を誇る大工の様でもある。自分がそれを持っている事、自分がそれを作った事を自慢したいという、兎角子供の様な発想から来た言動であった。
「おうおう、L・Bの社長御自らが説明してくれるとは、こりゃ滅多に無い機会だわい。で? その弾薬の作りはどうなっとる?」
「――!? 誰が貴様などに教えてやるか愚か者がっ!」
然しながら、直ぐ近くには、商売仇の技術者がいるのである。自社製品の詳細に関して語り、他者に利を与える事は出来ない。まこと悔しげな顔をしてレオポルドは押し黙り、桜達に背を向けた。
「ふん、行くぞルシア! 早々に蜘蛛の巣を見つけ掃討してくれる!」
靴の踵を地面に打ち付ける、恐ろしくけたたましい歩き方で、坑道の奥へと向かうレオポルド――彼は一つ、大きな失敗をしでかした。
やや話は前後するのだが、レオポルドが足を止め、桜に自慢を始める直前の事である。
村雨は、踏みつぶされた蜘蛛の亡骸に近づき、その臭いを確認して記憶していた。坑道内に充満している臭いと、蜘蛛の亡骸の臭いが一致したのなら、蜘蛛の数と行動範囲は相当な物になると推測できるからだ。
顔を地面に近づけずとも、膝を曲げる程度で、蜘蛛の体液の臭いは十分に嗅ぎ取れた。間違いない、確かにこの坑道の臭いは、そっくりそのまま『女帝蜘蛛』の体臭と同じである。
しかし、濃度がおかしい。眼前で潰れている亡骸の臭いは、かなり強烈な部類である筈だ。だが、周囲から漂ってくる蜘蛛の臭いは、人の鼻ならそれに慣らされ、他の臭いを忘れてしまう程に強いものである。
「……何十、いや何百匹? おかしいな、そんな餌が有る様には思えないんだけど……」
普通の蜘蛛の数十倍の体積、それを支え得る外殻。女帝蜘蛛がその体を維持する為には、かなり大量の栄養を必要となる。坑道に救う蜘蛛達に、そんな栄養源など集められる筈が無いと思えたが――それはさておき、問題は、村雨とレオポルド、そしてルシアの位置関係であった。
桜に対して自分の技術を誇り、そして背を向けるまでの間、レオポルドの視線は自身の胸より下がらなかった。村雨はしゃがみ込んだままであり、頭は彼の腰程度の高さに有った。
そしてまた、蜘蛛の臭いを記憶する為に移動した時、細かい事に気が聞くルシアは、すうと身を引いて、村雨の為に空間を確保したのである。その動きを、レオポルドは把握していない。
故に、ルシアの腕が有った筈の場所へ手を伸ばしたレオポルドは、目的の物を掴めずに終わったのだ。
「……桜」
「良い旅を」
視線が交錯した刹那、桜は村雨に、西洋軍隊風の敬礼を送った。どうして良いものかと案が纏まる前に、村雨は坑道の奥へ、手を引かれたまま歩いていくのであった。
「……父が近眼で申し訳ありません……はぁ」
娘を置き去りにして気付かぬ親に、ルシアは大人びた溜息を零す。駄目な親の下に生まれてしまった為に、この程度の事では、もはや驚きも戸惑いもしないのだろう。
「ひょっとしてあの男、相当な馬鹿か?」
「馬鹿も馬鹿よ、技術馬鹿だわい。あればかりは、きっと死ぬまで治らんの……追うか」
あまりの事に、桜もジョージも追う事を忘れていたが、光源がこれ以上遠ざかるのは困るのだ。桜は魔術の心得など皆無だし、ジョージも決して器用な方ではない。周囲を照らす程度の事は出来るが、明度の調節が下手なのだと言う。また、銃弾を所持するルシアが居ないでは、レオポルドとて蜘蛛退治もままなるまい。
だが、桜は走り出す事が出来なかった。険しい顔をして脇差に右手を掛け、左手でルシアの肩を掴み、自分の方へ引き寄せる。
「……どうした、ウワバミ娘」
「天井だ。覚悟を決めてから見上げろ」
ただならぬ様子に、同じく走り出せずに居たジョージは、促されるままに天井を見上げ――あまりにばかばかし過ぎるそれの姿に、快を一切覚えぬままに笑った。
八つの緑の玉が浮かんでいる。宝玉かとさえ思える程に透き通り、本当に緑柱石であったのならば、国の宝にもなろう頭蓋大の球。
それが、目だ。確かに彼らの目は大きいが、それでも眼球の直径は、体長の二十分の一という所であろう。即ち、直径が一尺にも及ぶ眼球から想像し得る、この怪物の体躯は、優に二丈ともなろうか。
「かっはは、まっこと化け物じゃわい……!!」
牛よりも尚重たき体を、鋼の爪で岩天井に留め、女帝蜘蛛は桜達を見下ろしていた。針毛を総身に纏う、全き異形であった。
「ひぃい……なんまんだぶなんまんだぶ、どうか成仏してください……!」
暴風の様な来訪者達が去ってからも、地主は畳に額を擦り付け、手を合わせて仏を拝んでいた。
この地主は、坑道に何が住み着いているかを知っていた。常識外れの巨体を持つ蜘蛛達が、慢性的に飢えている事も知っていた。だから、出来るならばあの坑道に、人を入れたくは無かったのだ。
然し一方でこの地主は、非常に臆病な性質でもあった。例えば、部屋に女帝蜘蛛の子が紛れこんだだけでも、伝承に残る法師の夢を見てしまう程に、だ。蜘蛛達を大人しくさせておけるなら、それで自分の心の安寧が得られるなら、多少の外道は躊躇いながらも実行してしまう。
この地主はたった今、近くの若者に金を握らせて、坑道の入り口を塞ぎに向かわせた所であった。勿論、永久に閉ざそうとしたならば、蜘蛛の祟りが恐ろしい。旅人五名が食いつくされ、骨になるまでの間、逃がさない為の小細工だ。
あの巨体の蜘蛛達も、人間をそれだけ食ったならば、数か月は満ち足りたままであるだろうと、希望的観測を抱いたのだ。
「……成程、思ったより悪党でしたね」
「ひいっ!?」
その希望が、恐怖一色に塗りつぶされる。人払いを済ませた筈の自室に、突如、女の声が聞こえたからだ。
姿は見えぬながらそこに居たのは、他でもない、ウルスラである。旅の同行者二人が、町の中心部から離れていくのを見て追いかけたは良いが、姿を現す機を失していた。仕方なしに消えたままで居た所、地主の様子がおかしかった為、そのまま監視をしていたのである。
「人を遠ざけようとしたり、逆に餌として与えようとしたり……貴方の考える事は、正直理解できません。が、見過ごしておく事もまた出来ません……彼女達は、私の連れですから」
「ど、どこに……!? 誰か、だれ――んぐっ!?」
人を呼ぼうとした地主の口に、手拭いが強引に押し込まれた。間髪入れず、喉に触れる冷たい感触。ただの扇子の骨であったのだが、今の地主には、切れ味鋭い短刀の刃とさえ錯覚を引き起こす。
「お静かに。殺しは好きではありませんが、比較的慣れています……知っている事をお話しくださるなら、今回は悪行を見逃しましょう。答えは?」
否、と答える事など、出来よう筈が無い。地主は顔の皺を倍に増やしながら、涙が飛び散る程強く、首を縦に振った。
余人であれば、地主にかかずらっている暇も惜しみ、坑道を塞ぎに向かった若者たちを止めに向かったかも知れない。然し、彼女の思考は、その様に働かない。
ウルスラは暗殺者であり魔術師なのだ。敵の巣に踏み込むならば、事前に情報を得て、相応の武器を用意していきたいと考える人種だ。
「……それでは、質問を始めます。件の坑道に潜む蜘蛛と言うのは――」
喉から扇子の骨が離れた頃には、地主の皺面は汗と涙と鼻水で、とても見られたものでは無くなっていた。未だに畳に伏している地主には目もくれず、ウルスラは全速力で、坑道の有る山へと走り出す。
常の様に、複雑な思考を伴っていない事が表に出ている面構えではあったが、それは単純に、心が一つの感情に塗りつぶされていたからであった。
今回ばかりは、流石に急がなければならない。超人的な強さの桜に、全てを任せておける状況ではない、と。




