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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
東海道中女膝栗毛
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鉛と硫黄のお話(1)

 取り立てて用件が無いのなら、旅はゆるりと行くべきであろう。正直なところ村雨は、自分達の健脚を過小評価しすぎていたのだ。 当初の予定であれば、京の都に着くまでに、三月程を費やす計画であった。ところが、いざ歩き始めてみれば、川止めさえ受けたというのに、島田宿を立ったのが、出発から十日目の事。のこり三十と一の宿場を超えるのに、このままでは一月と掛かるまい。

 その様な訳で、一向は少しばかり――いや、かなり――歩みを遅くした上で、朝も寝坊をする事に決めた。

 島田宿を立ち、金谷、日坂を過ぎ、掛川で一泊。袋井、見付と来て、浜松宿で一泊。翌日は、道中を半ばまで踏破した事を祝い、各人好きな様に、町で一日を過ごす事になった。

 出立から十三日目。既に町の雰囲気は、多分に西洋の風を孕んだものとなっていた。




 酒食は娯楽の最たるものである。美酒さえあれば、未開の文明一つを滅ぼす事さえ可能なのだ。

 浜松城下町に、一軒の小洒落た酒屋が、洋風建築に似合わぬ暖簾を掲げている。その広い事は格技道場の様であり、畳は一つも無く、草鞋履きのままで店に上がる。日の本では馴染み薄い椅子に腰かけ、丸机を囲んで酒を飲み、肴を食らう作法だ。酒屋と呼ぶよりはむしろ、酒場と称する方が適切であろうか。


「……止めた方がいいのか、放っておいていいのか」


 故郷の酒に比べれば弱い――かと言って自分にはやはり強すぎる、酒精の香りにあてられながら、村雨は額を抑えて項垂れた。彼女がこうして悩まされる場合、元凶はほぼ間違いなく、その雇い主の桜である。


「いいや、女の方が有利であろう!」


「それは無いわい、間違いなく男の方が恵まれている!」


 桜は、たまたま同席した西洋人の男と、侃々諤々激論をぶつけ合っていた。内容は子供の戯れ程度で、男と女ではどちらが恵まれているかというものである。


「まず女はだな、生まれ付いて男より見た目が良く出来ている! 柳腰に掛かる艶の髪から、はらりと除く背、肩の儚さ……男では到底真似など出来まい!」


 空になった器の底で、木の机をがんと殴りつける桜。厚いギヤマンのジョッキは、強い蒸留酒を一合半も注げるのだが、既に四杯は空けている。


「なにおう!? 男は頑強に出来とるわい! 女の細腕、華奢な拳では、いくら殴りつけようが堪えもせん。身一つで荒野に生き新天地を開拓する、そのロマンは女には分かりはせんだろうの!」


 向かい合う男も同じだ。達磨の様に丸く大きな目玉をぎろぎろ巡らせて、まだ潰れる様子は無い。図体のでかい男だ、酔いの回りも遅いのだろう。

 そう、この男、でかいのである。背丈はと言えば、決して飛び抜けて大きい訳ではなく、せいぜいが六尺をやや過ぎる程度。しかし、肩から腹から腰から足から、全てが太く出来ているのだ。短くも丸太の様な首からは、釣鐘紛いの大音声。逆立った金髪、金の無精髭は、やはり異国の風来坊と言った風情である。


「ならばその華奢な拳、一撃喰らってみるか!?」


「おうおう、食わせてみい! つまみが切れて腹が減ったわ! 店主!」


 ともすれば、一触即発かと身を凍りつかせかねない状況――然し、村雨は慌てふためくどころか、呆れたように溜息を零し、干し肉を噛み千切るだけ。


「……すいませーん、お代わりお願いしまーす」


 なにせこのやり取り、もう三週目なのである。桜も西洋男も、顔がまるで赤くならないからそうは見えないのだが、すっかり頭は酒に毒されているのだ。こうなればスサノオに倣い、飲むだけ飲ませて潰してしまえ。酔人を相手には出来ぬと、村雨は匙を投げていた。


「ほりゃさ、お代わりお待ち。凍死するなら、うちから離れたところで頼むよ」


「大丈夫、殺しても死なないから、これ」


 赤茶けた熊髭の店主が、空のジョッキに酒を注いで戻っていく。呆れ顔だが、強く咎めてはいない。面白い見世物にはなっているからだ。

 店の中心でのこの騒動も、一歩引いた目で見てみれば、柱の様な偉丈夫と、黒備えの女侍の飲み比べ。野次馬どもなど小銭を出しあい、どちらが先に倒れるかで博打を始める始末だ。盛り上がっているから全て良し。店主は中々、鷹揚にして茫洋とした人物であるらしい。


「ん、ん――っぷはぁ、おう!」


「ぬが、早いのぅ貴様……!」


 ジョッキを空にしたのは、桜が一拍だけ早い――が、遅かった男の方も、十を数えるよりは先に飲み干している。五杯目、と呟いて、村雨は左手の指を全て畳んだ。


「なーにやってんだかねー、もう。私を見習ってほしい、本当にもう」


 昼間から穀潰しと甲斐性無しが集まるこの酒場だが、村雨もただ、無為に時間を過ごしている訳ではない。早朝の内に、自分自身の用事は済ませていた。

 浜松城下程の大きな宿場町ともなれば、『錆釘』の支店も有る。そこへ赴いて、現在の京の事情を記す資料を、片っ端から漁った。瓦版から、構成員が直接見聞きした事を綴った反故まで、借出せるものは粗方全て。


「……なんかおかしいんだよねー……」


 京は今、開国を迫られた五十年前に巻き戻ったかの様な情勢に有るらしい。何でも深夜になると、刀を構えた武士崩れが、揃いの着物で徒党を組み、町を練り歩くのだそうな。

 だが、彼らが何をするかと問えば、別段人斬りをする訳ではない。寺社、神社に乗り込み、建物を散々に打ち壊すのだと言う。

 刃向った僧侶や信徒は酷く打ち据えられるが、然し命は取られない事が多い――多いと言うのは、やはり不幸な例外は幾つか存在するという事だ。峰打ちも、所詮は金属塊での殴打。人を殺すなど、そう難しい事ではない。

 地方の一部ならば兎も角、広い目で見れば平和になった筈のこの日の本での狼藉。しかも、新政府の本拠である京の都ともなれば、忽ちに暴力集団は捕えられてしかるべきであろう。だが、誰一人捕縛されていないと言うのだ。

 動かないのは新政府ばかりではない。政府直下の治安維持・司法・軍事を司る組織――つまりは幕府も、まるで動こうとしない。と言うよりは、適切に動かない。むやみやたらと町を歩きはするが、その行動が、狼藉者の拿捕に繋がっていないというのだ。

 一般庶民は、義憤に駆られて首を突っ込まなければ、今のところは安全であるからして、信心深い者の他は大騒ぎをしていない。だが、僅かずつ、京の町から人が減っているのも事実。堺や大津へ転居する者が、後を絶たないのだと言う。


「楽しい観光とはいかないのかな……って、桜は――」


 誰が聞いてもきな臭さを感じるだろう話ばかりが見つかって、村雨は気分が重かった。だと言うのに桜は、楽しそうに飲んだくれている。


「おうおう、なら女に出来て男に出来ない、得しか無い事を上げてみい!」


「有るぞ、それならば有る! いいかよく聞け、女はな――堂々と女湯に入れる!」


「――!? な、なんだとぉう……!? ぐ、ぐおおおおおおお……!!」


 不毛な論争は、どうやら決着を見た様だった。両者が飲み干した蒸留酒は、実に七合半ずつ。横から見れば、僅かに腹が膨らんでいる様にさえ思えた。


「日によっては絶景だぞ、白魚の様な指が黒髪を梳く、二色の対比に加えて絹の肌を伝う湯の玉! ふっはははははは、どうだ悔しいか、羨ましいか!」


「ぐお、おおおお……! そうか、それが有ったかぁ……!! おのれ、おのれ、悔しくなど無いぞぉおおおおおお!」


「……あ、駄目だこいつら。完全に壊れてる」


 未だに呂律が回っている事が、もう奇跡なのかも知れない。無駄に有る胸を無駄に張り勝ち誇る桜と、床を拳で叩き涙を流す男と、何れも最早、理性が窺えない。早々に感情を済ませ、宿まで引きずって行こうと決めて、村雨が立ちあがったその矢先であった。


「おっ、とと……危ないな、もう」


 空の酒瓶が、村雨の頭目掛けて、突如飛来した。首を横に傾げ、危なげなく回避しながらも、その元凶に不快感の籠った目を向ける。


「てめえコラ! おうコラ! やんのか!?」


「あぁ!? やんのかてめえコラ、おう!?」


 そこでは、すっかり酔ってしまった結果、言語能力さえ失った若い男二人が、互いに額をくっ付けて睨み合っていた。酒瓶はどうやら、相手を殴りつけようとした際、手が滑ってすっぽ抜けたものであるらしい。ちなみに、片方は古風に髷を結い、片方は女の様に髪を伸ばしている。

 髷の方の男が、中身入りの酒瓶を掴む。長髪の男はそれに応じ、空になったジョッキを振り回す。やんややんやと客が野次馬に転ずる中、店主が頭を抱えながら、村雨の方に歩いてきた。


「はーぁあ、また始まった……二日に一度はこれだ。嬢ちゃん、危ないから早い所、宿に戻った方がいいよ」


「うん、危ないね……何処ぞの物好きが首を突っ込みかねない。ほら帰るよー、飲み過ぎにも程が有るってば――っ!?」


 両者の案ずる所は少々ずれているが、この場に長居するべきではない、というのは同感である。早くも飛び入りをしたそうな顔を見せる桜の肩に指を引っかける。ぐいと引いたその瞬間、耳の横で鳴った爆発音二つに、村雨は思わず身を竦ませた。

 爆発音と言っても、大筒をぶっ放す様な大それた物ではない。村雨は具体的な事例こそ上げられなかったが、敢えていうなら故郷の雪原に住んでいた時、人里の方角から稀に聞こえた音に良く似ていた。


「……あ、りゃ、りゃ……?」


「あん? ……あれ、ねえぞ、酒瓶がねえ……!?」


 若い男二人が振り上げた凶器は、爆発音を境として、完全に砕け散っていた。髷を結った男など、飛び散った酒で羽織が濡れて、痩せ犬の様なみすぼらしさになっている。瞬き一つより早い、まさに瞬間の出来事、豪快な笑いが酒場に響いた。


「ぐっははははは、喧嘩はいかんの、酒が不味くなる! こら坊主ども、とっとと帰れ帰れ!」


 果たして小爆発の元凶は、あの太い男が両手に持つ短筒であった。先端に空いた口から煙をもうと立ちあげて、一度嗅げば忘れられない、火薬の香りを漂わせる。

 短筒は、火薬の力で鉛玉を打ちだし、硝子製の瓶もジョッキも粉砕したのだ。


「ほう、拳銃とやらだな。ついこの間も見たばかりだが……」


「おう、いかにも……っと、名乗りを忘れとったな、ウワバミ娘」


 先程までの酔いはどこへやら、桜は童女の様な無邪気さで、短筒に顔を近づける。腰を抜かしほうほうの体で逃げ去る若い男達を背に、西洋男は、裂けた岩の様にごつい笑顔を見せた。


「G・G・F――ギブソンズ・ガン・ファイヤーワークス社長、ジョージ・ギブソン。何丁か買うか? 弾丸たまは安くしとくぞう」






 豪放磊落を地で行く笑い声を、桜はどうも気に入ってしまったらしい。勘定を終えて郊外へ向かうジョージの横を、上機嫌で歩いていく。

 ジョージは、遥か東の新大陸の、開拓者集団の一員であるらしい。ともすれば無法地帯になりがちな新都市、原住民や猛獣の多い地域での生活の為に、魔術に頼らない武器を作り、提供しているのだそうだ。

 酒場で使って見せたのは、新型の中折れ式単発短銃。火薬と弾丸を同時に包んだ薬包紙を装填、爆発の威力で弾丸を射出する。弾込めが迅速に行える上に威力も中々高く、命中率が良い。作った端から飛ぶように売れて、笑いが止まらない程だとか。


「……ふむふむ。それで、遠路はるばる商売に?」


「おう、此処は良い市場じゃからの……が、理由は他に有る!」


 そんなジョージが、自ら日の元を訪れたのは、鉱山資源と技術の為である。

 鎖国している間は知られていなかったが、日の元は実は、魔術的な性質を持つ鉱石が大量に産出する。その上に、それを加工する技術が、古来から伝わっているのだ。

 例えば、通常の鉄に似ているが、高温では無く低温で融解するという奇妙な金属。例えば、粉末にして水に溶かす事で、粘性の高い泥の様に変化する金属。諸外国は、この貴重な鉱山資源を、喉から手が出る程に欲しがっている。

 そして、ここ浜松とその周辺は、希少金属が産出する鉱山が、特に集中している地域なのだ。ジョージの会社、GGFが、それを見逃す手は無い。


「山を十も纏めて買って行こうと思ったんだがのぉ、どうにも地主がぐずってぐずって敵わんのだと。仕方なしに、儂が直々に出向いたという訳よ」


「ぐずる、か。金額を吊り上げていると?」


「いんにゃ。どうしても売れない訳が有るとか……儂も細かい事は知らん、聞いとらんからのぉ」


 顎髭をばりばりと引っ掻きながら、やや呑気な口調でジョージは語る。言葉を終えて息継ぎ一つ、また徐に口を開くには、


「……それに、ちと愉快な奴も来とるそうでな。挨拶もしておきたいという事よ」


 どうにも、旧友を訪ねる悪餓鬼の様な面構えであった。


「で、今向かってるのはどこ?」


 二人から一歩下がって村雨が、酔人どもの目的地を尋ねた。火薬の臭いが苦手なのか、鼻を左手で覆っている為、声がややくぐもってしまう。


「近隣の大地主とやらよ、儂が直々に話を付ける。なあに、いざとなれば札束で頬を張ってやるわい」


「……この国だと、お札より小判の方が印象は強いと思うけどねー」


 銀行という近代的施設が作られながら、旧態依然とした貨幣制度も残る日の元。大陸育ちの村雨は、やや引いた視線を保っていた。






 さて、目的の屋敷である。屋根が高く、瓦が整然と美しく積み上げられていて、まさに裕福な家なのだろうという雰囲気を醸し出している。完全に日の元風の建物で有るのに、玄関には不思議と、西洋風のドアが付けられていた。


「どうしてこの国のドアは、外の人間が引かねばならんのじゃ……おおう、たのもー!」


「靴は脱げよ、私も最初は良く忘れたものだが」


 ジョージの大声は、屋敷の奥まで届いた筈である。返事が来る前にドアを開け、玄関に上がり込んだ。これだけの屋敷、使用人の迎えも無いのはおかしな事で有ると、僅かながら疑問も抱いたが、


「売れぬだと!? 私自らにまで足を運ばせておきながらどういう料簡なのだ貴様は!」


 おそらくは地主の私室が有るだろう方角から、神経質そうな叫びが聞こえてきた。桜と村雨は顔を見合わせたが、声に殺意の様な物は感じなかったので、取り立てて足を速める事も無い。先客がいるらしい。


「取り込み中の様だが」


「構わんわい、儂は迎えが無い程度で機嫌など損ねんぞ?」


「向こうが構うんじゃないかなー……忙しそうだし」


 家人、使用人などは、その先客の接待に掛かりきりなのだろうか。成程、厄介な人間だというのは、聞こえてくる声だけで窺える。が、それで思いとどまり踵を返すジョージでは無い。声の発生源である部屋は、真っ直ぐに歩いていけば直ぐに見つかった。


「おお、やはり居ったなぁ。あいかわらず喧しい奴よ、邪魔するぞーう!」


 襖をがらりと開け、敷居を大跨ぎに部屋へ入ったジョージは、幾つもの視線を同時に浴びる事となった。

 まずは使用人が三人。何れもこぎれいな洋装をしているが、顔立ちは田舎の娘といえば思い描きやすいだろう。狼狽が浮いた顔で、思いがけぬ乱入者に、縋る様な目を向けている。


「わわ、わ……そ、そこの人、頼むから助けて、ひいい……!」


 それから、地主なのだろうと思われる、やや太り気味の男。口調の軽さから、威厳などはあまり感じられない人物だが、両肩を掴まれて前後に揺す振られている様は、更に情けなくも思えた。

 そして、地主の頭を前後にがたがたと揺す振っている元凶は、レンズの向こうで慳貪に目を細めた。この国ではあまり見かけない、眼鏡を掛けた男だ。


「む、貴様は……! おのれ、貴様も嗅ぎつけたか!」


「よーうレオポルド、相変わらずだのぉお前は。こら、放してやらんかい」


 どうにも旧知の仲であるらしい二人。レオポルドと呼ばれた男は、漸く地主を揺さぶる手を止め、代わりに警戒心も露わに、細まった目を更に糸の様に細める。

 ジョージの印象は太い男だったが、このレオポルドという男は、兎角細長い。背丈は桜とそう変わらないのだが、腕と足が、常人より拳一つか二つは長いのだ。その上に痩せ形である為、遠目に見ていると、実際の背丈より随分長身に感じられる。


「知りあい……なのは確かだな。なんだ、友人か? それとも仇敵か?」


「いんにゃ、商売仇じゃい。くそ融通の聞かん奴でのぉ……」


「本当だね……ええと、大丈夫?」


 レオポルドがいきなり手を放した為、地主は仰向けにすてんと倒れ込む。あまりと言えばあまりに哀れだった為、村雨が助け起こしに向かうと、同じ行動に移っていた少女がもう一人いた。


「……あれ、地主さんの? って違うよね、髪の色とか……」


「いえ、父がご迷惑おかけしております、申し訳ありません。私はルシア、ルシア・バラーダ=Ⅷと申します、以後お見知りおきを」


「あ、えーと……これはこれはご丁寧に、どうも」


 腰を直角に折り曲げてから、平静を保った表情のままで地主を引き起こしている少女は、十一か十二歳くらいの外見に合わず、落ち着いて大人びた挨拶をした。思わず、同じように直角に頭を下げてしまう村雨。


「ルシアちゃん、でいいのかな。あなたのお父さん、何をしてるの?」


「当地一体の鉱山を、山ごと買い上げる為の交渉――いえ、あのように掴みかかって叫ぶのが交渉だとは思いませんが、父の悪い癖でして申し訳ありません。とにかく、商談の最中です」


 よほど詫び慣れているのか、会話の中に謝罪の文言を織り交ぜる事に淀みが無い。ブラウンの髪の小柄な少女は、むしろその父親より、よほど老長けている様にさえ、村雨には感じられた。


「と、申し訳ありません、少々お力添え願えますか? 父の頭を冷やさなくては、この屋敷に数日は滞在する事になりかねませんので」


「……なんだか、苦労してるんだね」


 地主を座らせ落ち付かせ、レオポルドの方に目を向けて見れば、今度はジョージに食って掛かっている。商売仇への敵愾心とひいき目に見た所で、娘がいる良い大人のやる事にしては、やはり子供じみているという感想は隠しようが無い。年齢に比べて精神面で完成されたルシアに、なんとなくという程度だが、村雨は同類の雰囲気を感じ取った。


「はっは、中々に見物だな。おう、殴り合いを始めるなら歓迎だぞ、むしろ積極的に始めんか」


「あんたは煽るな、あんたは……ああもう、何なのよこれ」


 そしてやはりと言うべきか、桜の酔いは醒めきっていない様である。厄介さんが二人、細かい事を気にしそうに無いのが一人。この状況に何処から手を付け、何処へ運べば良いのやら、村雨は途方に暮れてしまった。

 ……最大の迷惑を被っているのは、この屋敷の家人達であるのは明白だが、それに言及する常識人はいないのであった。

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