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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
東海道中女膝栗毛
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偽教のお話(5)

「おーうい、どうだー、捕まえたかー」


「捕まえたには捕まえたけどー……うーん、喜べない状況になってるからちょっと来てー」


 先の戦闘で気絶させた少女を担いだまま、村雨の向かった方角へと歩いていく桜。少し声を張り上げて呼びかければ、なぜか床の下から答えが返ってきた。


「んん? どうした、床でもぶち抜いたか?」


「地下室に居るに決まってるでしょー、左の部屋の床が持ち上がってるから、そこから降りてきて」


「ああ、こっちか……中途半端な仕掛けだな」


 村雨の声に従って、近くに有った部屋に入れば――ちなみに、桜から見た場合は右であったのだが――確かに、その部屋の床が持ち上がり、階段が見えている。おそらくは有事の際に脱出する為の、地下の隠し部屋なのだろう。特に警戒する事も無く、桜は階段を下りていった。

 地下室は、外の灯りを取り込める作りになっている様で、名称から受ける印象より随分明るかった。だが、教会の無機質な白壁をそのまま使っている為に、納骨堂の様な雰囲気も有った。

 村雨が居たのは、階段のすぐ下である。司祭ガルシア太瀬が昏倒して倒れており、その背の上に座っていた。


「無傷で仕留めたか、やるな」


「階段降りてたから背中蹴っ飛ばしたの、そしたら勝手にのびちゃった。図体でかいのにどんくさいね……と、質問に答えた所で次は私の詰問の番です、そこに直れ」


 桜と少女の戦闘が終わるより随分早く、この司祭は勝手に気絶してしまっていたらしい。余計な心配こそはしていなかったものの、やはり安堵の表情を桜は見せる。然しながら対照的に、村雨は、余計なものを連れて帰った子供を見る母親の目になっていた。


「肩のそれ、何よ。引っぺがして連れてきた訳じゃないでしょうね」


「これは最初からだ、私では無いわ。私がその様な事をすると思うのか」


「思う。不幸にも実体験から推測できる」


「推論は極めて正しいが、こいつが裸なのは元からだ。隠蔽術、服には効き目が無いのやも知れんぞ?」


 村雨は、桜が悪癖を存分に発揮して、気に入った相手を持ちかえったのかと思ったのだ。実質は大きく外れていないのだが、一部だけ桜は念入りに訂正する。見方を変えれば、浮気を問い詰められて弁解している様にも見えるか。


「……はぁ、つまりあの見えない何かの正体がそれって訳ね。どうするのよ、本当に……」


「信者が住んでいた場所だ、探せば服など幾らでも見つかるだろう。とりあえずは関所まで連れていって……その後どうするかは、こいつに決めさせよう」


「決めさせようって、役人に引き渡さないの?」


 司祭を椅子にしたまま、村雨が桜の顔を見上げる。何を言っているのか、と問いただす様な不満げな表情だ。命を狙ってきた集団の一人なら、突き出してしまえと考えるのは、決しておかしな事では無い。


「その男は引き渡す、関所に不当な要求をし、天下の交通を妨げた首犯だ。私達も殺されそうになったのだから、恐れながらと訴え出る理由は有ろう?」


「じゃあ、そっちの肩の荷物は?」


「透明な何かを仕留めたらなぜかこいつが倒れていたのだ。そこに因果関係は有るまい」


「たーっぷりと有る気がするけどねー。ちゃんと繋いで自分で世話しなさいよ?」


 だが、桜がそうしないと決めてしまった以上、何かを言って意見を曲げさせる事は出来まい。村雨は何時もの様に諦め半分、桜の言に従う事に決めたのだった。

 警戒心は薄れていない様で、肩に担がれた少女に顔を近づけ、その臭いを確かめた。本当に武器は身につけていないのかの確認と、人ごみなどに消えても判別が出来るようにとの用心だ。尤も、臭いまでを隠蔽してしまうこの少女の術は、村雨とは相性がかなり悪そうではあるが。


「では、行くとするか。流石に今から三島まで歩くのはちと遠い。関所にその男を付きだしたら、箱根の中で宿を選ぶぞ」


「昼間に泊まった場所はもう無理だろうけどねー……あそこのお風呂、広くて良かったのに」


 そろそろ教会を立ち去ろうという桜の言葉に、村雨は小さく跳ねるように立ち上がる。桜は、司祭の襟を掴み、無理やりに起き上がらせて、左肩に俵の様に担いだ。


「……運びづらくない?」


「いや、別に」


 人間二人を抱えて山を降りるのかと呆れたが、こと力という分野で桜を心配する必要などなかったと、村雨は思いなおす。どの様な環境であれ、地下は愉快な場所とは言えない。早々に立ち去ろうと、階段に足を掛けた。


「お待ちを。この地下道の奥に、捕虜兵士三十名が投げ込まれています」


 背後から聞こえた声に村雨が振り返ると、桜に担がれた少女が、布団干しの姿勢から首だけを起こしていた。


「なんだ、蘇生が速いな。捕虜、とは?」


「今朝、この教会に襲撃を掛けた兵士達です。ガルシア様の身に付けた十字架が、そのまま鍵となっています」


 言葉につられて、司祭の十字架に目をやる。成程確かに、十字架の一辺に窪みが刻まれている。村雨は、司祭の首から十字架を外そうとして――紐が引っ掛かって面倒だったので、無理に引っ張って千切った。


「奥でいいんだよね?」


「はい。一つの広い牢に纏めて入っている、かと。私が知っている限り、ここに牢は一つしかありません」


「ん、りょうかーい。桜、それに何か服着せといて。私はちょっと牢屋開けてくるからさ」


 この十字架、高く売れそうだ。信心深い者には決して言えない思いを抱きながら、村雨は牢の鉄格子を開けに向かう。程無くすれば、特に大きな負傷も無い兵士達は、自分の足でしっかり地面を踏みしめて帰る事になるだろう。


「ふむ、こういう時の指示は受けていたのか?」


「いいえ、いかなる時でも、捕虜を解放しろという命令は受けていません。ただ、そうした方が良いのかと思いました」


「はは、良し良し」


 少女を肩から降ろし、桜は上機嫌にからからと笑いながら階段を上がっていく。最後の一段の部分に腰を掛け、戻ってくるだろう村雨を待ちながら、少女に言った。


「考えるとは、それでいいのだ。さあ、さっさと服を選んで来い、麓に降りるぞ」






 かくして、箱根山中の拝柱教教会司祭ガルシア太瀬は、武力を盾に不当な要求を行ったことで、幕府の役人に捕縛された。後の調査で、司祭の命令で人を殺したと証言した者が出た事、また司祭が信者の財を掠め取っていた事が明らかになる。複雑な思惑が有ったものか死刑には至らなかったが、長く牢に捕らわれる事となったと言う。

 翻って拝柱教そのものには、なんのお咎めも無かった。ガルシア司祭は自分の行動を、教主エリザベートの命によるものであると証言したにも関わらず、である。

 また、箱根教会の信者達は、自分達の依って立つ場所を失った事になる。然してその人数の何割かは、別な地域の拝柱教教会に向かったのだそうだ。外部の人間に強く言われようと、自分が信じてしまった物を、容易く捨てる事はならないのだ。

 では、その何割かを覗いた残りはどうであろうか? 或る者は家に帰り、或る者は旅に出て、また或る者は他教の教会の門を叩いた。そして彼らはまた、新たな地に至った理由をこう語るのであった――黒い翼の天使が降りてきた、と。


 然しながら、その一連の件は、全て数日後の事である。関所に一度立ち寄り、箱根宿へとまた向かう桜と村雨には、全く預かり知らぬ事だ。通行止めの札は撤去され、江戸側から箱根宿へ向かう人の流れは、せき止められていただけにかなりの物になっている。これは宿を選ぶに困ると、少しばかり不安が生まれる村雨であった。


「はーあ、お礼はされたけど礼金は無しかい、世知辛い世の中だねー」


「お前、だんだんとスれて来たな。菓子の一つで喜ぶ無邪気さくらい見せんか」


 役人達には何度も頭を下げられたが、茶と茶菓子を振舞われた程度で、正式な礼も何も無し。もともと関所役人程度に其処までの権限もあろう筈無いのだから、仕方がないと言えば仕方がない。捕虜にされていた兵士達からも、貰えたのはやはり礼だけであった。


「今はお菓子よりお金なの、下手したら割高の宿しか残ってないかも知れないんだから……もう、あの教会にでも泊まれば良かったかな、宿泊設備整ってるし」


「悪くは無いな、神とやらが居るなら喜んで迎えてくれるだろうよ。あいつ、真から詫びれば大概の事は赦すぞ。なぜかイチジクには厳しいが」


「うん、言ってる事が分からない」


 学の有無という点で言えば、村雨はかなり知識が無い部類である。『錆釘』としての活動で得られる情報ならば一通り記憶しておくのだが、書物の内容などは、正直言えば滑稽本以外は目を通さない。


「あのイエスとか言う男な、時節悪く実が付いてなかったと腹を立てて、イチジクは二度と実を付けないようにと呪いよったのだ。余程の罪人だろうが、信仰心さえ有れば赦すと無意味に寛容な男なのだがなぁ」


「……なんでまた、そんな変な事に詳しいのよ。全く縁のなさそうな話なのに……あれ、結局どこで覚えたの?」


 だが、信仰心の薄さという点で言えば、自分よりむしろ桜の方が度合いは激しいと、村雨は思っていた。だからこそ、桜が聖句を告いだ事が不思議でならなかった。そう言えば、後で教えると言われていた事もあり、この折りに聞いておくかと話を向けると、


「ああ、言ってなかったな。私は一応キリシタンなのだ、全く神を信じてはいないが」


「……はい?」


 あまりと言えばあまりに、耳を疑う様な事を言われてしまった。村雨が思い描くする聖職者というのは、己の身を削って他者と神に奉仕する、いわば慈愛が人間と化した存在の事である。こんな血生臭く、そして身勝手に生きるものである筈がない、と考えていたのだから。


「本当だぞ? 師が熱心なキリスト教徒でな、なし崩しに知識は叩きこまれたし、洗礼まで受けさせられた。スニェグーラチカ教会の信者名簿でも漁れば、私の洗礼名も何処かに有る筈だ」


「はらー……それなのになんで、こんな生き物が出来上がるのさ」


「おい待て、随分な言い様ではないか」


 桜は笑い飛ばす様に言うが、村雨はやはり信じられなかった、と言うより信じたくなかった。幼少期より正しいと教え込まれた事の一切に反抗する生き方など、そう簡単に理解できるものではない。自分の価値観を今から正反対にしろと言われて、それが実行できるだろうか?

 そしてまた、神の正しい教えとやらに満たされて育った筈の人間が、この様に己の道だけを信仰する生き物になってしまう事も、村雨は信じたいと思えなかったのだ。実際にそうなってしまった実例が、隣を歩いているにも関わらず、である。


「大体だな、聖書とやらが曲者なのだ。誓ってはならないと説きもしながら、別な項目では誓いの在り方について説く書物だぞ? 何を信じて何を信じなければならんかなど、自分で選べねば矛盾が過ぎてたまらんわ」


「んん……良く分からない。難しい本なんだって事は分かる」


「へぇ、そうなのですか……そういう記述も有ったのですね」


 一つの書が矛盾を内包するなど、特に珍しい事でも無いのだろうが、現状で混乱の渦中にある村雨では理解が及ばなかった。軽く頭を抱える様にして歩いていると、後方から声が聞こえる。

 だが、振り返ってもそこに誰の姿も無い事は、良く分かっている。ただ絹ずれの音に草鞋が地を滑る音、そして人の声と臭いが有るばかりだ。


「おお、聖書なぞ、所詮は人が書いたものだ。神の子の言葉を記述していようが、何処かでおかしくもなるだろうて」


「ならば私達は、どの様な根拠に則って、どの言葉を信じれば良いのでしょう」


「それこそ自分で考えろ、他人に聞く事でも有るまい」


「あー、ちょっとちょっと、お取り込み中失礼二人とも」


 姿の見えない少女と桜の会話に、村雨は体ごと割り込んだ。ずるずると宗教談義をされるより先に、明らかにしなければならない事があるのだ。


「……この人、なんで付いてきてるの?」


「いやまあ、付いてくるなら好きにしろと言ったら、本当に来てしまってな」


「深い理由も有りませんが、私が留まる場所が無くなってしまいましたので」


「……あのねー、旅費は二人分の往復程度しか想定して無いの!」


 えー、と桜がぼやき、頬を膨らまし口をとがらせる、分かりやすい不満の表情を見せる。後ろの少女はそもそも見えない、どんな顔をしているのやら。村雨としては、彼女が自分の旅費を持ち合わせていないのなら、このまま同行させる訳にはいかなかった。


「私、旅費が掛かりませんよ。いつも旅先では、屋根裏に忍んで寝ていました」


「……いやさ、食費とか着替えとか」


「適当な場所を見繕って失敬していましたが」


「泥棒じゃん!?」


 そして、この少女は問題の本質を理解していないのかも知れない。存在を完全に消せる少女は、確かに最高の盗人になり得るのだろう。が、万が一それがバレてしまったら、村雨達まで道連れにしょっぴかれかねない。


「気付かれない様に実行すれば、大概の行動を咎められることは無いのだと習ったのですが……」


「捕まらないのと悪くないのは別なの、小さい子でも知ってる事でしょ?」


「へぇ、そうだったのですか……成程、覚えておきます」


 桜も大概だったが、この少女はどうやら、それ以上に世間と常識を知らないらしい。やっぱり置いて行こうと言うつもりで、半ば疲れた様な表情で振り向けば、満面の笑みを浮かべた桜が其処に居る。


「そういう訳だから、いざとなったら走るぞ。なあに、捕まらなければ問題は無い」


「嫌だー、私はもっと安全な旅をしたいんだー!」


 旅は道連れ世は情け、この女、情け容赦無し。厄介な道連れを一人増やし、京への道はまだまだ続くのである。その内、頭痛か胃痛で自分が倒れるのではないかと、村雨は気を揉むのであった。

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