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灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
東海道中女膝栗毛
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石頭のお話(2)

「……もう行こうよー……」


「嫌だ」


「そんなこと言ってもさあ……」


 刀が大量に展示された部屋の真ん中で、桜は膝を抱え座り込んでいた。かれこれ半刻程も、村雨は帰還を促しているのだが、どうにも聞き入れる様子が無い。桜の視線は取り憑かれた様に、壁に掛かった刀に固定されている。


「どうしたって無理な物は無理なんだから……むぐぐ……」


「いーやーだー」


 袖を掴んで引っ張ってみるが、どういう技を使ったものだか、床に張り付いた様に中々動かない。軽く持ち上げる様にして引きずって行こうとするが、それでも桜は立ちあがらない。


「あーもう諦めろー! 百両なんて大金がどこにあるのよー!?」


「いーやーだー! 嫌な物はいーやーだー!」


 業を煮やして帯を掴んで持ち上げ運ぼうとするのだが、今度は部屋の扉を掴み、意地でも引きはがされまいとする桜。村雨も非力では無いのだが、力比べとなると勝負にもならない。駄々をこねる桜を、結局動かす事は出来なかった。


「うるせぇ、とっととけえれ!」


「はーい、今どうにかしますからー!」


「絶対にあきらめんぞー!」


「あんたは子供か!?」


 作業場で鉄を打っている老人も、或る程度の間隔で、帰れと怒鳴りつけてくる。これで四回目、殆ど同じやりとりを繰り返すが、全くらちが明かない。


「……はぁ、どうしろっていうのよー……」


 村雨は、完全に途方に暮れていた。桜は力任せにどうにか出来る相手ではないが、百両という金額もまた、簡単に作れるものではない。刀一振りに百両、暴利である。然し、ここが完全な売り手市場である以上、その条件を飲まなくては、この刀を手に入れる事が出来ないのだ。

 桜は、もう完全に意固地になってしまった様で、部屋を出ようとさえしない。このまま放っておくならば、一日でも居座り続けるのではないだろうか。


「……値切れ」


「無理です。ああいう人にそういう交渉、通用した事が無い」


「それでもどうにかしろ! 何日掛けようが構わん、有り金全てはたいても構わん!」


「だから無理だって言ってんでしょうが! 二日目から一文無しで旅するつもり!?」


 美術品だの美人だのに狂う人間の話は聞いたが、名刀一振り、いや二振りでこうなる人間も初めてだと、村雨は呆れながらも抵抗する。財布の中身を空にされては、これからの道中、宿どころか食事さえままならない。まさか毎回野山に分け入り、獣を仕留めて食う訳にも行かないだろう。


「ええい、細かい事は気にするな、とにかく私は動かんぞ!」


 さりとて、この状況で桜を動かす手段を、村雨は何一つ見つけられなかった。その上に、自分はこの我儘人間に契約で縛られている立場なのだと、忘れる事も出来なかった。


「……二日目から江戸に帰りたいとか思うなんて……ああはいはい、分かりました! やればいいんでしょやれば! ただし、二日以上は粘らないよ!」


 仕方がなしに提示した妥協点は、村雨からすれば恐ろしく気の長い話であった。二日も有れば頭は冷えるだろうと、村雨は高を括っているのだ。実際問題、諦めなかったとしても、二日も宿泊機能の無い施設に滞在していれば、雇用環境の改善を当然の権利として要求出来る。それでどうにかしよう、というのが、村雨の考えだった。

 桜を直ぐにつれだすのは諦め、村雨が向かったのは、老人の仕事場。先程から鉄を打つ音が響いているから、場所を間違える事はない。


「……あのー、入っていいですかー?」


 気難しい職人肌の人間には、自分の領域に踏み込まれる事を嫌う者も少なくない。不興を買わないように声を掛けてみれば、


「好きにすりゃいいじゃねえか」


「あ……それじゃあ、お邪魔します……ぅ、わっ」


 ぶっきらぼうに、それだけ答えが返ってきた。一応、否では無い。身を縮めこそこそと、まるで盗みにでも入るかの様に、村雨は老人の仕事場に入り込んだ。

 最初に抱いた感想は、恐ろしく暑い、いや、熱いという事だった。炎天下に締め切った部屋というだけでも熱は籠るのに、ここは鍛冶場、轟々と火を使っているのだ。たった一歩踏み込んだだけで、背中から汗が噴き出した。


「ふわー、こんな所で仕事を……ん?」


 老人は、年の割に筋肉質な上半身を露わにし、金床の上で鉄を叩いていた――いや、音は鉄なのだが、何かが違う。村雨はそれが気になり、目に入りそうな汗を拭いながらも、そっと老人の後ろに近寄る。

 赤熱していた鉄が醒めてきてようやく分かったのだが、それは、地色から赤かった。丹土の様に赤く、やや煤けた斑紋が散らばる、不思議な金属だった。そしてまた不思議な事には、老人の金槌が振り下ろされる度にその赤は薄れ、鉄そのものの様な鋼色に変わっていくのだった。


「おじいさん、これ何なの? 鉄じゃあ無いよね……?」


「……霊亀鋼れいきこうだ。鉄より硬えし、くそ重い。ここ五十年がとこで作れるようになった」


「へー……聞いた事の無い名前」


 赤い鉄――霊亀鋼を叩いて引き延ばし、薄くなると金挟みで折り曲げ、また叩く。叩いても伸びが悪くなってきた頃、老人は、それを火炉に入れた。


「……素人は知らねえだろうよ……『燃えろ』『回れ』」


 火炉に手をかざし、小さく二言呟く。火炉の中で炎が渦を巻き、なおいっそう作業場の熱さは増していく。火の粉が弾けて老人に降りかかるが、慣れてしまっているのだろう、熱がる様子も無いし、肌が焼けている様にも見えない。


「……鉄を溶かして、水銀に人の血を数滴、よおく願を掛けた誓紙を一枚、魔術の火を釜にぶち込んで焼き続ける……作れるようになるまで、三十年だ」


 老人の魔力で燃えているのだろう炎は、木々を燃やしたそれに数倍する激しさで、ぼうぼうと弾ける音を上げる。再び取り出した鉄は黄の混じった赤熱の色であり、冷めれば、一工程前よりやや薄れた丹色と変わっている。


「三十年……私の人生の倍以上だね……魔術から、勉強をしたの?」


「俺が餓鬼の時分は、魔術なんてけったいなもん、毛唐の手先しか使わねかった」


 老人は金槌一つで、金属の棒を、一つの刃物に作り変えていく。村雨からすれば、その技術こそ、魔術よりも高度なものに見えた。

 いいや、老人の技術は、魔術と切り離せないものなのだろう。炎を魔力で燃やす為、火炉は他の同業者に比べ小型である。扱う金属も、先の話を聞くならば、魔術的な素養を持ってして初めて作り出せるのだ。金属は、加工途中の火の温度で、容易く性質が変化する。この老人が鍛冶の道に費やした時間は、最低でも三十年。余人の想像の及ばぬ年月と努力の結晶を魔と呼ぶ事は、そう実体から外れてはいるまい。


「十五から、藩のお侍に倣ってなぁ。毎日、毎日、火を付ける事だけ練習して、練習して……」


「そうなんだ……」


 老人自身の語る、人生の一端は、村雨には興味深いものだった。もう少し聞いていようかとも思ったが――欲が出た。

 どうやらこの老人、気難しげに見えて、わりと話し込むのが好きらしい。村雨の問いにも丁寧に答えるばかりか、自分から聞いていない事まで語ってくれる。予想外に気のいい相手なら、もしかしたら。そんな希望を抱き――


「ねえ、おじいさん。刀の事なんだけど……」


「百両だ」


 ――見事にへし折られた。見た目より気のいい人間である事は分かったが、然し値段の付け方という一点においては、この老人、相当な難物である。

 これでは本当に、二日程、この小屋に滞在する事になる。そう嘆いていた村雨を、老人がおい、と呼びつけた。


「手拭いだ」


「はい?」


「表に出て、干してある手拭い取ってこい。汗が目に入る」


 老人は一心不乱に霊亀鋼を叩く。その間、目を何処かへ向ける事はない。会話中の相手である村雨に対しても、それは同様だ。


「ええと、自分で取りに行っても」


「あの女叩きだすぞ」


「……ちょっと待っててね」


 小走りで小屋の外に出て、ぴんと張られた縄に引っ掛かった手拭いを、幾つか纏めて回収する。自分でやれという気持ちは有ったが、まあ、今は火から離れたくない状況なのだろうと自分を納得させた。自分の側も、どこかの我儘なお子様が、勝手に一室に居座っている訳では有るのだし。


「はい、取ってきたよ」


「拭け」


「……はい?」


「汗を拭けって言ってんだ。額んところだ」


 戻って手拭いを手渡そうとしたが、老人は金槌と金挟みから手を放そうとしない。やはり村雨には目もくれず、短い言葉で命令するばかりだ。

 自分達にも非が有るし、両手が塞がっているから仕方がない。自分に言い聞かせ、村雨はかいがいしく、老人の汗を手拭いで拭いていく。瞼の上の骨の出っ張りの所は、汗が特に引っ掛かりやすいので念入りに拭いた。ついでに、手拭いの一つを捩じって頭に巻いてやり、髪から目まで汗が伝わらないようにもしてやる。


「……気が利くな」


「でしょ? 鳶の人とか、こうしてあげると喜ぶからねー」


 一言だけ、ぶつ切りの様な言葉だが、老人も称賛の言葉を述べる。村雨はそれで起源を直したのか、ふふんと誇らしげな笑い方をして見せた。


「水」


「……自分の足を動かすのって、とーっても大事だと思うんだー」


 今泣いた烏がもう笑う、ではなく、今笑った村雨がもう不満顔。ついさっき小屋の外まで行ってきたばかりなのに、また出て、今度は井戸水を汲んでこいというのか。どうせなら両方を纏めて言ってくれと、余計な手間を感じると疲労の蓄積度合いは跳ね上がる。


「水。あの女叩きだ――」


「ほんのちょっとだけ待ってねー! 直ぐに持ってくるからねー!」


 小屋の外の井戸まで走り、釣瓶を引き上げ桶に移し替える。零さないように慎重に、だが適度に急いで戻る。なんで自分はこんな事をしているのか、村雨もそろそろ疑問に思い始めた。灼熱の部屋と炎天下の野外の往復で、自分の方が汗を拭いて欲しい程であった。

 水の桶を渡せば、老人は片手で金属を火炉に入れながら、もう片手で水を飲む。流石に飲ませろとは言いださなかった事に、村雨は深い安堵を覚えた。これ以上あれをしろこれをしろと言われ続けたら、流石に我慢が持たないと思ったからだ。


「んん、っぷはぁ……おい、餓鬼。飯はどうするんだ?」


 水を一気飲みして桶を放り出した老人は、口元を拭いながら尋ねた。


「え、ご飯? 桜があの調子だし、十丁以上先の大磯宿まで行って買ってくるか……食べない、かな」


「一旦外にでて、裏側から入り直して右、台所だ。肉と米くらいは有るぞ」


「え、いいの?」


 予想外の親切であった。きょとんとして聞き返す村雨だが、直ぐにその真意を理解する。


「……ええと、どれくらい作ればよろしいのでしょうか」


「俺の分は三合だ。肉は干したのを五枚で良い」


「やっぱりね、そうなるよねー……」


 飯を作れ、代わりに食わせてやる。この老人が言っているのはそういう事だ。これまでの展開から考えて、ここで断れば、じゃあ追い出してやるという話になるのだろう。そう簡単に追いだされる桜ではないだろうから、余計に問題がこじれ、刀の入手は遠くなってしまいかねない。唯々諾々、村雨は従う他は無かったのだ。





 端的な言葉で表現する。村雨の料理は、調理経験の少なさから、あまりに順当にへたくそであった。

 合計九合と大量に炊いた米は、水加減を間違えた為にお粥状態であり、火加減が強すぎて気泡が昇ってくる程だ。塩か卵でも混ぜれば食えない事は無いのだろうが、それにしても多すぎる。水を大量に入れすぎた為、本来完成する筈の量に比べ、三割か四割増しとなっている。

 肉は、ただでさえ硬い干し肉を強火で焼いて更に硬くしてしまった。老人が健康体だから良かったが、もしも歯が弱っていたら、これが止めとなって抜け落ちていたかも知れない。最初の何枚かを焼いた時点で違和感を覚えたらしく、他の数枚はそのまま皿に乗せられていたが、これもこれで当たり前だが硬い。そもそもこの老人が作った干し肉、湯に出汁と共に浸して、汁物とする為の作り方だったらしい。


「……このガキ、或る意味凄え」


「うむ、これも一種の才覚やもしれんな……」


 鋏や包丁を置いてある部屋にちゃぶ台を用意して、村雨達は食事を取っていた。刀に張り付いていた桜も、食べ物の臭いがしたら、光に引き寄せられる羽虫の様にやってきた。そして、老人と二人で、神妙な顔をしてお粥を啜っている。


「……私に料理なんかさせるのが悪いんだい」


 村雨は、焼いた干し肉を二枚重ねにして噛み千切りながらふてくされていた。何も二人の意見の統一を、この様な所で見なくとも良いではないか、という事だ。そもそも料理の経験など皆無に近い村雨なのだから、お粥をお粥として食べられる事が奇跡なのだと、本人は主張したいらしい。当然ながらその様な事を口にすれば、尚更憐れみと呆れの混ざった視線を、二重に浴びる事になってしまうのだろう。


「水が多いな、肉は悪くない」


「……好き勝手な事を言ってー……」


 桜は早々に、米にすれば四合分程は平らげて、また刀の展示部屋へ戻っていった。食器は片付けていない。どうやら、これも村雨の仕事にされる様である。


「肉が硬え。なんだこりゃ、木の皮じゃねえか」


 老人の方は、自分が宣言した通りに米三合分の米と、干し肉五枚を腹に収めた。健啖である。こちらも食器は片付けず、村雨の仕事は更に増える。


「うううううう……! あー、もう何なのよー! 私の扱い酷過ぎるでしょー!?」


 真っ赤な夕日に照らされた村雨は、濡らした布で食器を磨きながら、己に降りかかる理不尽を嘆く。旅はまだ二日目、前途多難が目に浮かぶ。作業場の方では老人が、またぞろ手拭いを要求していた。

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