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最後の戦のお話(13)

 二条城、本丸の外では、七百を超える信者兵の悉くが、ついに政府軍によって打ち倒された。

 一兵残らずである。

 捕縛された者も無ければ、武器を捨てて投降した者も居ない。

 皆が皆、己の信じる教えに準じて死んだのだ。

 政府軍の疲弊もまた、相当のものであった。

 三度まで生き返る兵を七百、悉く殺すまでに、数百の兵が死に、手傷を負った者は数知れない。

 敵の姿が無くなった時、兵士達は、まず休息を欲した。

 仰向けに横たわる者、座り込む者、友の肩に寄りかかる者、様々である。

 勝利の喜びより、戦いが終わった事による安堵が強い――或いは、実感も薄いのかも知れない。

 交わす言葉も少なく、聞こえる音は、呻き声ばかり。そういう場所で松風 左馬は、ぐいと酒を煽っていた。

 懐に忍ばせていた小瓶が、この戦から辛うじて生還していたのだ。

 零れても惜しくは無いようにと、注いでいたのは安酒であったが、こうなればもう少し美味なものを選んで居れば良かったと、後悔の念が募らぬでもない。

 安酒だが、度は強い。

 乾いた喉に、ひりつく熱さ――一口喉へ注ぐごとに、左馬は深く息を吐いた。


「それは、美味なのですか?」


「あぁ?」


 すると、背後から突然に声を掛けられた。

 気配を消すでもなく、ただ通りがかったというような調子で歩いていて、突然足を止めた女――

 いや、まだ少女と呼んだ方が正しいだろう。

 身体つきはしなやかで、女と呼ぶには、少し体のまるみが足りない。

 左馬が思ったのは、


 ――蛇みたいな奴だ。


 というような事だった。

 顔に表情が薄く、身体はなだらかで、だが動くとなれば良くしなり、良く曲がりそうだ。かなりの無理が出来そうな、柔らかくも強靭な筋肉が備わっている。

 丁度、川を泳ぐ蛇の滑らかさに似たものを、彼女は持っていた。


「誰だ、お前」


「失礼しました。雪月 桜の――」


 左馬の誰何に対し、彼女は名を名乗るでなく、代わりに共通の知人の名を挙げて、


「――旅の連れと言いましょうか、捕虜と言いましょうか、弟子と言いましょうか、従者と言いましょうか……ウルスラと呼ばれています」


「さっぱり分からない」


 兎角、要領を得ない答えであった。

 変な奴だと思いながらも、左馬は、ウルスラを背後に立たせておく事とした。

 人間にも色々と居るが、こいつは少なくとも、いきなり襲いかかってくる類の人間ではない――なんとなくそういう確信は有ったし、何よりも疲れていたのだ。


「桜も良く、お酒を飲んでいました。そこまで美味なものでしょうか、お酒というものは」


「美味いかどうかで言ったら、そこまででも無いさ」


 小瓶を空にして放り投げ、その場で大の字に倒れ込みながら、左馬は答えた。

 別段、真面目に取り合う意味が有るでも無いが、何か、なんでも良いから誰かと話したい――そういう風情で、顔を見ぬままの答えであった。


「美味でないものを、嗜むのですか?」


「場合によるよ。気に入らない奴をぶちのめした時やら、一端の技を身に付けた時やら――そうまで行かなくても、昨日の夢が面白かっただとか、出先で一文銭を拾ったとか、そんなどうでもいい事で、酒は美味くなる。酒自体にも味はあるが、まぁ……そんなに大事でもない」


「……では、今は、何故?」


「酔えるからさ」


 左馬は、自分の懐を探る。

 酒は残っていないし、銭は数枚見つかったが、酒屋は遥かに数町も先だ。

 左馬は、言葉とは裏腹に、まだまだ酔いが回っていないようであった。


「つまらない事が有っても、気に入らない事が有っても、酒を飲めば少しは気分が良くなる。頭をがぼんやりと、余計な事を考えられないようになって、不味い酒だろうがなんだろうが、飲み続ければそのうち良い具合になってくるのさ」


「気に入らない事が、有ったのですか?」


 ウルスラが、左馬の頭の近くに膝を着き、体を折り曲げるようにして、顔を覗き込む。

 表情は、変わらず薄い。

 薄いのだが、近くで見るとその顔にも、幾らかの感情の動きが読み取れる事に、左馬は気付いた。


「……あいつら、私を置いて行ってしまった」


 その色が、自分の色に良く似ていたから、酒が回りきらぬ内に、左馬は饒舌になる。


「城門の前に居た私に、あいつらは、〝ゆこう〟と言わなかった。桜と村雨の二人だけで、他に何も要らないという風に――私を置いて行ってしまった。あいつらはもう満ち足りてるから、他の余計なものは要らないんだろうが――余計なものに放り込まれて、少し気に入らないのさ」


「そうですか」


 短く、ウルスラが、受ける。


「そうですかって、お前……」


 それから、首をぐうと反らして、空を――更に身体を反らして、二条城本丸の、天守閣を見上げた。


「何故、貴女に声を掛けたくなったのかは分かりました。……私も、寂しかったのかも知れません。ほんの一時でも、共に旅をした二人だというのに――あんな高くに、登って行ってしまって」


 場内では、まだ戦いが続いているのか、それとももう、終わっているのか。

 地上に取り残された左馬や、ウルスラや、或いは――


「皆、同じなのかも知れません。取り残されてしまうような気がしたから、此処に集まって戦って――せめて、戦の終わりだけでも共有したい」


「叙情的な解釈だ」


「いけませんか?」


「いや……」


 私も同じだ――とは、悔しくて、言えなかった。

 度の強い酒だったのに、酔いはまだ来ない。左馬は、遥か高みの空を見上げ続けていた。

 その時、俄かに、城門の方から、どよめきが波となって伝わって来た。

 目にしたものの解釈に戸惑う、困惑の声であったが、然し歓声も、そこには混ざっている。


 ――何だ?


 左馬は、のろのろと立ち上がって、得物の鋼棒を引きずり、城門の方へと歩いた。

 そこでは、疲れ切った兵士達が、左右真っ二つに分かれて、大きな路を為し――

 その路に、狭霧 紅野が立っていた。

 返り血か当人の血かは分からぬが、元の衣服の柄も分からぬ程、首から足まで赤黒く染まった、狭霧 紅野。

 左手には、巨大な鋸が――狭霧和敬の愛刀『石長』が有った。

 そして右肩には、明らかに身の丈に合わぬ凶器――波之大江 三鬼が用いていた、無銘の大鉞が担がれている。

 大鉞の切っ先には、首が吊るされていた。

 狭霧兵部和敬の首であった。

 父の首を、娘が、高々と掲げているのであった。


「おお……っ」


 松風 左馬は、驚嘆する。

 左馬という武芸者から見ても、紅野は、見事な血紅の伊達姿であった。

 寄って良いものか、逃れるべきか――測りかねる静けさを伴って、紅野は立っている。

 楽しげに歩いていたり、吠え狂っていたりすれば、寧ろ周囲はその感情に呼応して、もっと明瞭な反応をしたのだろう。

 紅野は、静かに、父親の首を掲げて立っている。

 歓声が消えて行く。

 喜んで良いのか?

 粛々と、祈れば良いのか?

 分からなくなった兵士達の、唾を飲む音さえ聞こえるまで、二条城が静まり返った時、


「賊将、狭霧和敬、この狭霧紅野が打ち取った!」


 丁度、水をぎりぎりまで注ぎ込んだ皮袋を、外側から刃物で斬り付けるように、張り詰めた空気を、紅野の声が斬った。

 皮袋に空いた穴へ水が殺到するように、最初に誰か、拳を突き上げて万歳を叫んだ者を、残る何千人もが真似た。

 そして、小さな皮袋の穴が、内側の水の圧力で一気に張りさけるように、向かう先を見つけた兵士達の感情は、爆発的な大音声となって轟いたのである。


 ――凄いな。


 左馬は、戦場で一度、狭霧 紅野と拳を交えた事がある。

 さして長い戦いでも無かったが、直接に打ち合えば、左馬なら敵の技量は十分に計り得る。

 だが、〝こう〟まで出来る人間だという印象は、その時には受けなかった。

 周囲の空気を読むというより、周囲の空気を一身で塗り替えてしまう立ち振る舞い――それは、もはや英雄の才とも言えよう。

 かつての狭霧 紅野に、その才は無かった筈だ。

 だのに左馬は、今、兵士達の前に立つ彼女を見て、その才の一端を感じ取っていた。

 もっと近づいてみようか――そんな事を思ったが、人の壁は大きく、越えて行くのも容易では無く見える。なのでその場に留まり、左馬は紅野を遠目に見ていた。

 そこへ、兵士が一人、人波を必死に書き分け、紅野の前に転がり出る。

 彼もまた、返り血で真っ赤に染まっているが、身に着けている衣服は、政府軍と戦って壮絶に散って逝った、白槍隊のものに似ていた。


「副隊長!」


「……お前、岸谷か」


 血染め服の男――岸谷は、紅野の前に進み出て、地面に膝を着く。

 実際にこの男、かつては白槍隊に居て、紅野が離反した折に付き従った一人であった。

 あまり知恵働きが得意な性質では無いが、両手で良く槍を振るう、胆の据わった男である。

 岸谷は、衣の懐から、油紙で包んだ何かを取り出し、紅野の前で掲げる。


「お忘れ物を」


「忘れ物?」


 左手の大鋸を投げ捨てて包みを受け取った紅野は、訝りながらも油紙を剥がし――


「おおっ!」


 包まれていたのは、紅野が愛用していた煙管であった。

 城から単身で出撃する折、置いて出て、それっきりになっていた煙管を、岸谷が持ち出し、此処まで運んできたものであった。

 一目見るだけで、丁寧に手入れされていた事が分かる程、表面に曇りや汚れが無い。

 そして何より、煙管の火皿には、既に煙草の葉が詰め込まれているのだ。


「上物を探しました――」


「岸谷、お前最高だよ!」


 紅野は目をきらきらと、驚く程の無垢さに輝かせて、煙草の葉に火を付けた。

 ずう、と息を吸いこんで、肺の隅々にまで満ちる程、たっぷりと息を止めて、


「っ、かあぁーっ、美味えー……」


 体全体を震わせて、余韻までを惜しむように、煙を吐き出した。


「どれだけぶりだかなぁ、こいつ……あー、沁み渡るわぁ……」


「喜んでいただけて、何よりです!」


 岸谷は、如何にも軍人らしくかっちりと頭を下げて、また兵士の列の中に消えて行った。

 それを見届けた紅野は、忠臣からの予想外の贈り物を、心行くまで堪能する。

 目尻は下がり、口の端は上がり、どっかと地面に胡坐を掻いて、時々膝を手で叩きながら、紅野は煙をたんと味わった。

 幸せであると、顔と体の全てで叫んでいるような、紅野の姿であった。

 松風 左馬は、それを見ていると目を焼かれるような気がして、瞼を閉じ、


 ――眩しいな、あいつも。


 何故か、また、少しだけ寂しさを感じた。

 今は太陽より、地上にこそ、まぶしいものが多すぎる。逃げるように左馬は、空を見上げて――


「……ん?」


 その空に、大蛇が躍るのを見た。

 二条城、本丸の天守閣から、幾匹もの蛇が這い出し――それはやがて、城に蛇体を喰い込ませ、巻き付き始める。


「おい、おい、おい――ちょっと待った」


 蛇は、無限とも思える程に増え続ける。

 城壁に絡み付き、その身を絡め合わせて、壁となり、城壁を垂直に伸ばして行く。

 高く、より高く――


「あいつら、何と戦ってるんだ……!?」


 その様はまるで、紫色の塔のようだった。






 城内――そこは再び、異界へと変わっていた。

 然し、この異界は、現世と隔離された、別の空間では無かった。

 紫色の壁に覆われながらも、床や天井を見るに、そこは間違いなく、二条城本丸の、天守閣の中なのだ。

 エリザベートは――もう、居なかった。

 体内から無数の蛇に食い破られた、無惨な女の亡骸が一つ、床に転がっているばかりである。

 この亡骸から這い出した蛇が、肥大化しながら城に絡み付き、紫色の塔を為したのだが――その事は、城の内側にいる、桜と村雨には分からぬ事であった。


「……村雨。お前の鼻は、なんと言っている」


 桜は、長尺の黒太刀を鞘に納め、太刀『言喰』と脇差『灰狼』の二刀を抜き、自然体で立っていた。

 直感――今はこの形が良いと、何を根拠ともせぬまま、なんとなく桜は、そう思ったのである。


「えーっとね、全部」


 村雨もまた、無理に構えを作る事なく、両手を自然に垂らして立っている。

 四方八方、何れからの攻撃であろうが対応できるように、体重は足の指だけに乗せ、踵は僅かに浮かせている。


「全部?」


「見えてるのが全部――」


 言い終わる前に、桜の後方で、紫色の壁が蠢いた。

 そこから、壁と全く同色の腕が、矢弾の如き速度で伸び、桜の首を狙い――


「成程」


 振り向きざま、桜は伸びて来た腕を、脇差の一閃で斬りおとした。

 それが合図となったかのように、周囲の壁全てから、大量の腕が伸びる。

 人の腕ばかりでは無い。

 獣の足も有れば、人の顔のようなものも混ざっているし、鳥の翼であったり、或いは二人が見た事も無い奇怪な生物の触腕であったり――ありとあらゆる生物の模造品が、桜と村雨目掛けて殺到する。

 二人は、それを斬り、潰しまくった。

 潰せば潰すだけ、無限に湧き続ける、生物の破片――

 村雨はその全てに、エリザベートの臭いを嗅ぎ取っていた。

 それだけではない。

 二条城本丸を呑み込んだ、紫色の壁の全てが、エリザベートなのだ。


「ついに、命の形を捨てたか!」


 心臓を狙って突き出された、巨大な蜂の針を真っ二つに斬り落としながら、桜は紫の壁へと叫ぶ。


「不要ですから」


 姿も見えぬまま、エリザベートの声が答えた。

 紫の壁全てが、一つの声帯であるかのように振動して放たれた、不気味な声であった。


「もう私には、何も要らない。今、貴女達を殺す事さえ出来るのなら、人の形に戻る事が出来なくとも良いのです。貴女達は、私が待ち望んだ人――私を悪夢から目覚めさせる人!」


 紫の壁が、歓喜に打ち震えている。

 揺れて、壁の一部が剥がれ、床に落ちた――それは人のような形になって、村雨へと飛びかかった。

 ぱんっ。

 迎撃の拳が、ヒトガタの頭を打つと、それは紫色のどろどろとしたものになって、床に浸み込んで消えて行った。

 その後から、後から、同じ形のものが湧き出し続ける。

 武器を持たず、知恵を持たず、命じられたままに襲い掛かり、押さえつけようとするだけの不恰好なヒトガタ――

 だが、数が多い。

 砂利を投げられているようだ、と村雨は思った。

 子供が癇癪を起こし、足元の砂利をごっそりと掬って、腕を振り回して投げているような。

 一粒一粒は、皮膚を少し引っ掻くだけの砂利――だが、元を断たぬ限り、砂利が尽きる事は無い。そういう際限の無さと――


「私を否定しなさい、魂の底から! 神は無能だと説く私を! 神は邪悪だと説く私を! お前は間違っているのだと、理ではなく、命を込めて!」


 幼い激情が、無尽蔵の攻撃に込められていた。

 エリザベートはもはや、何を包み隠す事も無く、幼き信仰者に立ち返っていた。

 私を否定しろ。

 私を殺せ。

 怪物である私を殺し、神の全能なるを、神の愛を、証明して見せろ、と。

 それをねだる相手が、神の道を歩む者ではないと知りながら、子供が道理で納得せぬように、エリザベートは道を行かぬ者に道を要求する。


「真実、神が居て! 神が正しき者に加護を与えると言うならば――神は私ではなく、貴女達を守る筈なのです! 無限遠の万難を排し、私を殺して見ろぉっ!!」


 ごうっ――

 突然、暴風が、天井から吹き込んだ。

 何事かと思った桜が見上げれば、天守閣の屋根が、遥か上空に引き抜かれていた。

 城の外壁を覆った大蛇の壁が、本来の城より更に高い筒状に伸び、その筒の頂点から伸びた巨大な腕が二本、屋根を、重箱の蓋のように持ち上げていたのである。

 十数丈の上空で、握り潰されている屋根――二本の巨大な腕は、十分に屋根を砕いてから、手を開いた。

 落下する。

 大量の木片や、瓦や、釘の混ざった瓦礫の雨が、遥か天高くから、遮蔽物の無い空間へ、桜と村雨目掛けて降り注ぐ。


「っ、桜!」


「応!」


 桜は、空を〝見た〟。

 目視した空間に直接、炎の壁を出現させる――異能の一種、〝代償〟の力。

 魔術の如く、魔力を介して現象を引き起こすものとは異質の、桜の奥の手とも言える力であるが――


「下は任せた!」


 その効力は、桜が目を閉じるか逸らせば、その瞬間に消え失せる。

 瓦礫の雨が降る間、桜は、首を上に向けたままで居るしかない。

 そこへ、周囲から伸びる無数の――手や、爪や、針や、牙。

 村雨が、それを打ち払う。

 桜が動けぬ分までを補わんと、村雨は、全力の更に上を振り絞って馳せ回った。

 長い時間では無い。

 時間差で降った瓦礫の雨が止むまで、ほんの数秒の事。

 その間に村雨は、数十の、壁から伸びた〝もの〟を叩き潰していた。

 たった数秒の間に、恐ろしい数の攻防が押し込められている。

 エリザベートが最期に用いたのは、予備として蓄えた大量の命を武器として振るうという、極めて単純な発想の術であった。

 数百、数千人を殺して蓄えた命が、そのまま、数百、数千の武器――人や獣の形をした、自律し動き回る武器となる。

 例えるならば、桜と村雨は、数千の軍勢の中に、ぽつんと取り残されて戦っているようなものだった。

 一瞬とて休まらない。

 呼吸さえを急がねば、敵の数に追い付けない。

 次第に敵は、四方ばかりでなく、屋根が無くなって開いた空間からも、飛び降りて襲い掛かって来るようになった。

 落下の勢いのまま、村雨の頭蓋へぶち当たろうとする、丸い巨大な殻――桜がそれを横から掴み、敵が群れを成している一角へ投げ込み、


「どうする、殺し尽くすか!?」


「いやいやいや、無理でしょ!?」


 村雨と背中合わせになり、迎撃を続けながら問う。

 数がどれ程とも分からない、八方から攻め寄せる敵の群れ――殺し尽くすなど、出来よう筈も無い。

 このままでは、やがて数に飲まれると、桜とて十分に分かっていた。

 だが――ならばどうする?

 周囲の敵は、次第に形を変え始めた。

 その一撃で殺そうというような、爪や牙など、鋭利な武器を持った者が消えて、代わりに、手足に絡み付いて動きを止めようという意図の見える形が増え始めたのだ。

 斬っても、潰しても、倒した〝もの〟が蠢き、足に纏わり着く。

 手足を絡め取る体積と重量が増せば、自由に動きは取れなくなり――


「村雨!」


 ついに桜は、有象無象の肉塊の群れに飲み込まれながら――村雨の名を呼び、空を指差した。

 次の瞬間、そこへ、巨大な拳が振り落とされた。

 先程、屋根を引き抜いた巨大な腕――それが、十数丈の高さで拳を握り、無数の肉塊ごと、桜目掛けて拳を打ち下ろしたのである。

 拳は、容易く床を貫いた。

 一枚、二枚、三枚――数階層をぶち抜いて、地上階まで拳は届く。

 やがて、腕が引き上げられた時、二条城は地上から天守閣まで、吹き抜けに見上げられる形へと作り替えられていた。


「これで、一人! 村雨さん、貴女はどうですか!? 私を殺す事は出来るのですか!?」


 紫色の壁が振動し、全体から、エリザベートの声を発する。

 もはやエリザベートの声は、どのような感情を抑制する事も無い。人を痛めつける事を喜ぶ、邪悪な者の声と化していた。

 巨大な腕は、二本ある。

 桜へと振り下ろされたのとは別の、もう一本が、やはり拳を握り、高々と空へ掲げられて――

 その時、エリザベートの声――かつてエリザベートという人間だった者の意識は、ようやく気付く。

 村雨の姿が、見えないのだ。


「……な、何っ!?」


 翳された拳が、そこで止まる。

 叩き潰すべき者を探して、紫の壁が蠢く。

 だが――遮蔽物など何もない天守閣で、姿を隠す術などは無いのだ。

 事実、村雨は、隠れていなかった。


 ざ、しゅっ。


「――っ!」


 掲げられた拳に、刃が突き刺さる。

 もはや〝エリザベートだったもの〟は痛みなど感じないが、衝撃が意識を高所へ運んだ。

 村雨は、巨大な拳の上に立ち、桜の脇差を逆手に持って、拳へと突き立てていたのだ。


「何時の間に――」


 桜目掛けて拳が振り下ろされた時、村雨は、落ちてきた拳を足場に、巨大な腕を駆け上がったのだ。

 そうして、紫の壁の頂点まで達してから、もう一本の腕に飛び移り、その上までをやはり駆け上がって――今、至天の塔より高みに立っている。


「――りゃああぁっ!」


 そこから、村雨は駆け降りた。

 灰色の体毛に、太陽の光と、血の飛沫を照り返して、突き刺した脇差を引きずって駆けた。

 巨大な紫の腕が、村雨が走るに合わせ、切り開かれて血を吹き上げ――

 腕の長さを駆け降りても、村雨はまだ止まらない。

 降下の速度を脚力で強引に捻じ曲げ、〝壁〟を走った。

 螺旋を描くように、壁を馳せながら少しずつ床へ近づき――そうしながら、逆手に持った脇差で、壁を抉り裂く。

 村雨は、特定の何処かを狙ってはいなかった。

 周囲の壁の全てが、〝かつてエリザベートであったもの〟ならば、何処であろうが斬れば良いのだと――

 壁が、死んで行く。

 数多の命を費やして作り上げられた、至天の塔の壁が、斬り殺されて行く。

 苦悶の雄叫びが、塔の全体から上がった、まさにその時――


 ごうっ。


 二条城本丸が、傾いた。


「……?」


 〝エリザベートだったもの〟の意識は、初め、地が揺れたのかと認識した。

 揺れたのではない。

 ほんの一瞬だけ揺らぐのではなく、明らかに床が斜めになる程、本丸が丸ごと、傾いたのだ。

 そして、また、


 ごうっ。


 衝撃を伴って、本丸が、逆に傾く。

 地震ではない。

 砲撃でもない。

 この衝撃は何か――〝エリザベートだったもの〟は、訝りながら、己の体となった〝壁〟の全てで、本丸を探り――

 そして、見た。


「何を斬れば良いのか分からんのなら……」


 雪月 桜が黒太刀を振るっていた。

 城の柱も、梁も、天井も、床も、壁も――届く全てを、桜が、滅多切りにしていた。

 数十丈の高さ、数百数千の人間の重さに耐え得る木材が、漆喰が、鋼が――そして、本丸に外から巻き付くように広がった紫の壁までが、悉く、紙のように断ち切られて行く。

 それで、城が自重に耐えられず、傾いたのだ。

 黒太刀は、刃毀れの一つも無く、曲がりもしない。刃に触れる万物が、無であるかの如く、容易く刀身を通す。

 雪月 桜が強く恋い焦がれ、〝刀匠〟龍堂 玄斎が鍛え上げた、天下第一の刀の名は――


「何もかも、全て斬ってしまえば良いでは無いか」


 『斬城黒鴉ざんじょうこくあ』。

 この刀は、この為に生まれたのだ。

 ついに、本丸の一階が〝潰れた〟。

 上階の重さを耐えるだけの部品が残らず、縦に圧縮されるように潰れたのである。

 たった一階層分の高さとは言え、本丸は一瞬だけ落下し、地上へ衝突して激しく揺さ振られる。

 もはや城外の者達も、この異常に気付いているだろうが――

 その誰もが、よもや雪月 桜が、城一つを斬り倒そうとしているなどは思うまい。

 常軌を逸した思い付き、狂気とも呼べよう行為であったが、


「見ていろ、爺! 大言壮語ではないと教えてやろう!」


 たった二人。その狂気を、狂気と思わぬ者が居る。

 それは、刃を振るう雪月 桜自身であり――


「……エリザベート、〝やっと〟終わりだよ」


 周囲に蠢く異形達から逃れ、一人階段を駆け降りて行く、村雨であった。

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