石頭のお話(1)
旅は二日目、昼下がり。桜と村雨は、戸塚、藤沢を過ぎて、平塚宿を歩いていた。
「はやー、凄かったね大仏って……なんで、あんなものを作ったんだろ」
「さあな、昔の人間がやる事は良く分からん。が、仏教を大事にしておくのは、為政者としても当たり前だったのだろうな」
戸塚から藤沢へ向かう途中、二人は少々寄り道をして、鎌倉の大仏を見物してきた。信心深い旅行者達が手を合わせるなか、腕組みをして頭も下げずにいる桜の横で、村雨は居心地の悪さを感じていたが、然し自分自身も仏に祈る理由は無かったのである。
結果的に不信心者二人は、大仏様の神々しさではなく、観光名所としての価値やら、歴史的意義やらを話のタネにしていた――
「この国の一番偉い人って、神道の元締めじゃなかったっけ?」
「それと張り合いたいのではないか? 神の子孫と崇めはしても、その指示に従うなどまっぴら、とな。だから天皇派の義経公も、不遇に落とされたのだろうよ」
「……確かあの頃って、後白河法皇の院政期だよね」
「ん、そうだったか? てっきりまた、天皇がころころと掌を返していたのだとばかり思っていたが……」
――その知識の不確実さに関しては、指摘出来る知識人が居ないのだが。
「そういえば義経公の首は、藤沢にて葬られたと聞くぞ? 奥州からはるばる、四十日も経過した首だ。どんな有り様だったのやら」
「想像したくないねー……その頃ってまだ、魔術もこの国に入ってきてないでしょ? 冷凍保存できないんだー……美男子だったらしいのにね、もったいない」
「そうか? 私は寧ろ、白拍子と北の方の死をこそ悼むが」
「……あなたはそうだよね、分かってました」
享年三十一、男盛りに果てた武者に思いを馳せる村雨の気持ちは、桜には理解できないらしい。寧ろ桜はといえば、静御前と郷御前への弔意だけを見せて、義経はそこまで惜しんでいないように見えた。
「それはそうだろう、息子を産んで直ぐに取り上げられた女と、娘と共に自害させられた女だぞ。旦那が馬鹿でなければ、子と幸せに生きていくこともできただろう。全く、顔が良いだけの男は駄目だな。煽てられて調子に乗るからああなる」
「……平家を討伐した英雄にそんな事言うの、多分あなただけだと思う」
鵯越の逆落としに八艘飛び、様々な逸話を持つ英雄でも、女を不幸にすればこうも酷評するのか。一つの方向での徹底ぶりに、村雨も呆れる他は無かった。
さて、早い朝から歩いていれば腹も減る。茶店を見つけ、それぞれに茶を一杯、それから焼き餅を注文した桜と村雨。焼けた味噌が香ばしい、大きさの割に中々腹に溜まる良品である。
「この後はどうする? このあたり、後はそんなに見るものないよ?」
「ふうむ……大磯は兎も角、小田原までとなると、ほぼ五里か……日が暮れるまでには付くが、二日でそこまで行くことも無いか?」
「んー……だね、無理に行くこともないかも。大磯で早めに宿を取って、明日は箱根でのんびりするのがいいと思う」
「良し、決まり。おーい、茶をもう一杯頼む!」
今日の残りの道程は一里未満、半刻も掛からず辿り着ける距離と決めた。日が沈むまでは三刻もある。日が沈むと同時に閉店する店は多いが、これなら冷やかして回るにも余裕は十分だ。入口近くで呼び子をしている声を掛け、桜は茶を持って来させる。
「はぁい、ただいま――――お待たせいたしました、どうぞ」
「うむ、すまんな……時に娘子、このあたりに、刀を扱う店などあるか?」
「刀、でございますか?」
「……普段、娘子なんて言葉、使わないくせに……」
普段も偉そうな口調だが特に今は気どっているなと思いながらも、村雨もまた、刀の必要性は理解していた。
素手でも化け物じみた強さの桜ではあるのだが、やはり本業は剣士なのである。万が一の事が有った場合、思うように扱える武器が無いのは不便な事だろう。この前の様な化け物が、旅先で絶対に出てこないとは言い切れないのだ。
「刀、刀、さて……ああ、それならば――――いえ、あれはどうでしょう……」
「む、何か心当たりでも?」
言い淀む娘、その袖を掴んで立ちあがる桜。何時に無く真剣な表情をしているのも、やはり腰に有る筈の重さが感じられないのは心細いのだろうか。
「ああ、あ、あの、お客様? わた、私は仕事の途中でして、あのあの、あのですね」
「教えてはくれんか? これから長い旅をする身故、刀も無しでは心もとない。どうか、私を助けると思って……」
違ったらしい。確かに、刀が欲しいというのは本音だろう。が、桜の今の目的は、どちらかと言えば茶店の娘に迫る事にすり替わっていると、村雨の目には見て取れた。娘の方も明らかな動転が見えて、声が裏返ったり、言葉が引っ掛かったり、頬を赤くしたりと大忙しである。
「……美しい娘だ、その心もきっと同様に美しいのだろうな。どうだ娘子、刀さえ手に入れば今日は余暇が有る。閉店し、片付けが終わったら……」
「いや、いやあの、そんな事を言われても困ると申しますか、でもでもええと、どうしてもというならお付き合いするのもやぶさかではないといいますか、閉店は申の刻になると」
「はいはい、ナンパしない。それで、刀を扱ってるお店、どこなの?」
茶店の娘の手を両手で握り口説いている桜に対し、娘の方も泡を喰いながら、なぜか誘いに乗りそうな雰囲気。これでは話が進まぬと、村雨が間に割って入った。
「出来るなら、他のお客さんの目がこれ以上痛くならないうちに知りたいんだけどさぁ……」
「……はっ!? ああ、申し訳ございません、はい! ええと、刀刀刀、刀と言いますとやっぱり刀鍛冶の所が良いかと存じます、はい!」
桜の手を振りほどき、ぴし、と直立する茶店の娘。不満げな顔の桜を余所に、改まって話し始める。
「ここから大磯宿までの道中、お地蔵様が五つくらい並んでる所から道を横に行きますと、煙をもうもう吐き出している家がございますのですね。そちらに済んでいるおじいさんが、これまた凄腕の刀鍛冶屋だという話でございます……と、言われております」
「ふむ、ふむ。何故、そこまで伝聞系なのだ?」
「それがですね……そこで刀を買えた人の話を、誰も知らないのですよ。包丁や鋏くらいなら、私どもの店でも使ってるのですけれどね」
「ほう? ならばすまんが、その鋏とやらを見せてもらえんか?」
「はい、ただいま!」
パタパタと足音を立てて引っ込んでいった娘は、直ぐに鋏を持って戻ってくる。一連の会話の間、茶を頼んでも団子を頼んでも老婆が運んでくる為、桜へ恨めしげな目を向けている男が居て、少し村雨は気まずくなる。
が、そんなこともお構いなし。桜は、受け取った鋏を目の高さに掲げ、その刃を眺めていた。
「……これは、おお……欠けの一つも無い、歪みもない、なんと見事な……これが、数打ちの鋏か……?」
「えと、結構幾つも作って売ってた筈ですから、多分量産型なのではないかと……」
「例えがおかしい気がするが、気にするまい。いや、気に入った! その爺とやらの鍛冶場、見に行くぞ!」
しゃきん、と心地よい音を立てて鋏を閉じ、桜は膝を打つ。飲み食いの代金の小銭を払う事さえ、時間を惜しむ様にせわしない手つきであった。
「あ、あの、お武家様……それでですね、私はその、閉店時間がですね」
「ごめん、この馬鹿の言う事を真に受けないで、ごめん。後で何回か殴っておくから、ほんとごめんなさい」
「……あれ? あのー、私、申の刻以降は空いてますよー、一人暮らしですよー……」
支払いが終わり、すっかり自分のやっていた事を忘れて歩きだす桜を、茶店の娘が呼び止めようとする。ここでもまた、頭を下げるのは村雨になるのだった。
平塚宿の観光は、結局お流れとなった。桜は、目的地に着くまでの僅かな時間すら堪えられないのか、横から顔を見ているだけでも分かる程の期待に心を疼かせている。
「もう、なんでまた、後先考えずああいう事するのさ……」
村雨からしてみれば、茶店が見えなくなるまでの間、背に娘の怨念染みた視線を受ける事になったのだ。文句を言いたくなるのも仕方がないというものだろう。
「いや、同類の気配がしたのでな、つい。それより今は刀だ刀、そんなことはどうでもいい」
歯が浮く様な言葉を掛けていた相手も、今の桜には全く興味の無い存在になったらしい。この切り替わりの速度は褒めるべきか、移り気にも程が有ると責め立てるべきか、村雨も暫し悩んだ。
刀を買う事自体に反対はしない。旅費は少々余裕を持って用意して有ったし、遊興費を少し削れば、そこそこの刀くらいは購入できる筈だ。腰に二本を揃えずとも、それなりに強度のある刀が一振り有れば桜なら十分だろうと、村雨は考えた。
平塚~大磯間の道のりは本当に短く、歩き始めて四半刻もすると、並んだ地蔵を見つけた。その地点から、道は二つ。一つは幅の広い大磯への道で、もう一つは細く草生して、林の方へと延びている。
「この先か……どうれ、どんな仙人紛いの爺が出るやら、見に行くぞ」
「せめておじいさんとか、老人とか、そういう言い方にしない?」
「呼び名などはどうでもいい、肝心なのは良い刀が有るかどうかだ」
「……あんまり名刀に拘られても、財布が困るからね」
林は、あまり背の高い木は多くない為か、踏み入っても森の様に暗くはならない。虫は居ても動物の類は少ない様で、獣の気配も声も、臭いも稀にしか察知できなかった。
「で、煙の臭いはするか?」
「うん、丁度風上。多分、何も考えないで真っ直ぐ歩いても着くと思うよ……色々燃やしてるみたいだね、結構凄い臭いになってる」
村雨の鼻を頼りにするまでもなく、林の少し草が折れた部分を歩いていけば、やがて一件の小屋が見えてきた。小屋とは言ったが、鍛冶屋の仕事場というだけはあり、相応の大きさがある。妙に洋風の煙突が拵えられえて、そこから煙がもうもうと立ち昇っていた。
「誰かいるのかなー……」
「いなければ帰るまで待つまでだ。たのもー」
「あ、ちょっと待ってよ……ごめんくださーい!」
開け放された戸を潜ると、そこは日常生活に必要な刃物を扱う、小さな店の様になっていた。鋏、各種包丁、針、毛抜き、その他もろもろ。鎌や鍬の先など、農具も置いてある。
「おおお……凄いな、これは凄い……これほどの技量の鍛冶師を知らなかったとは、我ながら不覚だ……!」
桜は、さっそく包丁の一つを手に取って、あれこれ角度を変えながら眺める。
まこと見事な作りであった。どれ程に目を凝らそうと、その刃には極小の欠けも見つからない。あまりに真っ直ぐに出来ている為、定規の代わりに使えるのではとも思える程だ。懐紙を取り出し、軽く引きながら触れさせる。引っ掛かりの一つもなく、はらりと紙は切れて落ちた。
「そんなに凄いの?」
「凄い。使わないと分かっていても、この包丁まで買って帰りたくなる程に凄い」
「そうなんだ……だったら、ここに来たのは正解かもね」
村雨は刃物にはとんと詳しくないが、桜の興奮の度合いから、ここに置いてある品物の出来の良さは窺えた。付いている値札を見ると、どれも良心的な価格である。これならば、旅費に大きく響く事もあるまい。
「……あれ。でも、そういえば……」
然しながら、一点ばかり気に掛かる事も有る。そこで刀を買った人間の話を、誰も聞いたことが無い――と、茶店の娘は言っていた筈だ。ここに置いてある商品はどれも安価で、どうやらそれなりに売れているらしい。もしや此処の鍛冶師は、刀を作っていないのか?
「んー……あれ? 桜、そっちの部屋、もしかして」
「うん? おお、見るからに何か置いてありそうな」
包丁一つに魅入ってしまっていた桜と違い、あれこれと目を飛ばしていた村雨は、部屋の隅に、壁と殆ど同化した色の扉を見つけた。半開きになっているそこからは、この部屋と同じ様に、大量の鉄の臭いがする。
「どれどれ、向こうは――――なんと」
いそいそと次の部屋へ向かった桜は、扉を潜って直ぐ、入口で立ち止まった。声に現れる感嘆が、一段と色濃くなる。
その部屋は、桜が求めていた通りの品物、刀が有った。壁に所狭しと掛けられ、簡素な木の台に置かれ、抜き身の刀が陳列されていたのだ。大小様々、短いものならば短刀、長い物は合戦でも見られぬ様な大太刀。日の本に存在する、ありとあらゆる刀を掻き集めた様な、そこは正しく刀の都であった。
これを見た桜の顔は、菓子と玩具を望むだけ与えられた子供の物になる。おお、と言葉にならぬ声ばかり零し、吸い寄せられるように、壁の刀を手に取った。ここが屋内で無ければ、思う存分に振り回しただろう。輝く目が見ているものは、達人芸により叩きあげられた刀身、ただ一つだった。
丁度、その時である。桜は気配を、村雨は臭いを察知して、部屋の入り口を振りかると、
「なんだ、手前ら。盗人か?」
暫く遅れて、夢を醒ます慳貪な声。外から帰ってきたものだろうか、一人の老人が、部屋の入り口に姿を見せた。白紙を短く切った、体格の良い男だ。顔の皺の深さは年齢に比例しているものなのだろうが、背中と腰は真っ直ぐ伸びていて、腕も胸も太かった。
「ここにゃあ盗む物なんてねえぞ。置いてあるのは全部――」
「老人、ここに有る刀を譲り受けたい。幾らだ?」
うさんくさい物を見る様な目の老人の言葉を遮って、桜は己の用件だけを口早に告げる。既に意識は刀にしか向いていない様で、不作法という他は無かった。
「――客か、面倒くせえなぁ……」
「……あれ?」
だが老人はそれを聞くと、急に目の厳しさが緩んだ。怪しい人間を見る目から、言葉の通り、面倒な客を見る目に。あまりに物分かりが良い為、村雨は呆気に取られた。誰も刀を買った事が無いという鍛冶師。
「ああ、客だ。金なら相応に持っている。脇差一つと打刀――いや、太刀が良いな」
「そうかよ、そこに有るのはどれも同じ値段だ。好きに二つ選びな」
どんな難物なのやらと思っていたが、吐き捨てる様な口調ながらも、壁を指差し商談を進めていく。あまりに上手く行き過ぎている、村雨に疑心が芽生えた。
「ええと、ごめん。ここの刀、一振り幾らで売ってくれるの?」
嬉々として刀を選んでいる桜の後ろで、そっぽを向いている老人に訪ねる。は、と一つ、笑い飛ばされた。
「百両だ、びた一文負からねえ」
「ひゃく……!?」
桜の手が硬直する。村雨は、自分がおかしな汗を掻いている事に気付いた。
刀を誰にも売らない鍛冶師、成程道理だ。鍛冶師が売らないというより、誰も買えないだけの金額設定なのだから。
「そんな無茶苦茶が有るかぁーっ!!」
普通の家族が八年は生きていける金額を、刀一振りの価値と定める暴虐。憤る村雨の叫びは、虚しく林に響き渡るだけであった。