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最後の戦のお話(4)

 波之大江 三鬼の暴威が吹き荒れている。

 大鉞が振るわれる度、ごう、ごうと風が唸りを上げ、人の上半身程もある刃が、白銀の光を撒き散らす。

 その暴風圏の中に、松風 左馬と、片谷木 遼道が巻き込まれていた。

 二人は、刃に身を裂かれぬよう、三鬼にぴたりと張り付くようにして、振り回される大鉞を掻い潜っていた。


「しゃあっ!」


 左馬が、奇声と共に打ち出した蹴りが、三鬼の左膝を打つ。


「ふんっ!」


 片谷木が、咆哮と共に放った拳が、三鬼の右膝を打つ。

 二者の何れも、自然石、巨木を思う侭に薙ぎ倒す、魔域の拳技である。

 然し、三鬼は倒れない。

 小蠅を払うように、三鬼は巨大な右手を、纏わりつく片谷木目掛けて振るった。

 片谷木は両腕を交差して受ける。

 片谷木の体は、地面に両足で線を引きながら、後方へと弾かれた。

 生物の力では無い。

 瀑布で回る水車、断崖より降る落石――そういう、動き出せば人の手では止められぬと分かり切った力であった。

 受けた腕が痺れ、片谷木の、拳を握る指が緩む。

 三鬼は、間合いが開いた隙を逃さず、大鉞の刃を、片谷木の頭目掛けて振り落とす。

 それを、左馬が横から飛び付くように蹴り、辛うじて弾いた。

 蹴った脚に痛みが返る程の、三鬼の怪力であった。


「片谷木!」


「応!」


 拳の手練れ二人は、この短いやりとりだけで、次の動きを決めていた。

 とは言え、他にやる事が無いのだから、当然だ。

 彼等は、自分の間合いに入らなければならぬ。

 拳か、遠くても、踏み込めば爪先が届くという距離でなければ、彼等は戦えない。

 羽虫が灯りに惹かれるように、二人は三鬼へと飛びかかり――そして、払われ、命の危機を幾度も経る。

 鬼の鉞を、或いは跳び、或いは伏せて躱しながら、二人は三鬼の脚を執拗に狙い続けた。

 二人に加勢しようという者は居なかったが、それは、加勢出来る者が居なかったからに過ぎない。

 誰が、鬼の脅威という重圧を浴びながら、後退せず、必死の間合いに身を置き続けられるだろうか。

 近づけば、鬼の手足に打たれる。

 さりとて恐れて下がれば、大鉞の刃の錆となる。

 だから、常に鬼の手足を避け続けながら、避け切れぬだろう大鉞の間合いにだけは入らぬよう、決して後退せず、恐怖の間合いに留まり続ける。それが出来るのが、松風 左馬と、片谷木 遼道だけだったのだ。

 間違い無くこの二人は、徒手の戦に於いては、日の本の頂点に有る。

 然し、その二人を併せても尚、三鬼の怪物性が勝るのである。

 命を惜しむ人間が、この空間に割り込めよう筈が無く――


「はい、お二人さーん! ご苦労さん、ちょいと交代っ!!」


 だから、命を惜しまぬ者が投げ込まれるのである。

 遠巻きに戦いを見つめる兵士の群れから、女の声がした――と同時、異形の影が五つ、三鬼の間合いの中へ割り込んで行った。

 〝それ〟は、子供のような胴体に、奇妙に長い脚を備えていた。

 人間の顔をしているが、表情は抜け落ち、目の焦点も定まらぬように見える。口が開いて、音は聞こえるのだが、それは声と言うよりも、蚊の羽音に似た唸りである。

 だが、異形の最たる部分は、両腕。

 〝それ〟は、羆の両腕をそっくりそのまま、人間の胴体に繋いでいるのだ。


「む……」


 醜怪極まりない異形の姿に、三鬼が顔をしかめた時、五体の異形は、各々が勝手に、三鬼へと打ち掛かった。

 すぐさま三鬼は、大鉞の横薙ぎを以て迎撃を図る。

 五体を纏めて、胴体を二つに断たんとする、大振りの斬撃。

 それを、異形の一体が、羆の腕を二つ、胴の前で交差させて受け止めた。


「ぬっ!?」


 三鬼の剛力が十全と乗った一撃である。受け止めた異形は、衝撃で背骨を折られたか、地に跪くように倒れ伏した。

 然し、返る手応えは、三鬼を驚かすに足りた。

 異形の腕は、異常に硬かった。

 ただでさえ強靭な作りの、羆の腕の中で、骨が鉄骨に置き換えられていたのである。

 更に、残りの異形四体は、仲間が斃れた事に何ら反応を示さぬまま、鋭い爪を振り翳し、三鬼へと迫るのだ。

 猛牛の首さえ圧し折る剛腕が八本、三鬼へと向けられる。

 剛腕の先に備わった爪は、三鬼の鎧でさえ容易く引き裂き、その下の鋼の肉体にまで傷をつけた。


 ――恐るに足らずとも、侮るべからず。


 三鬼は、この異形達を、迅速に取り除かねばならぬと決めた。

 大鉞の持ち方を、柄の端ではなく半ばを持つ、速度重視の構えへと切り替え――即座にまず一体、異形を頭から二つに叩き割った。

 残り三体。いずれも恐れを知らぬように、真正面から、脚の長さに見合うだけの速度で向かって来る。


「かあっ!!」


 一体が無造作に、大鉞の柄に、頭を叩き潰される。

 また別の一体は、三鬼の右足で蹴り付けられ、仰向けに倒れた所を、頭蓋を踏み砕かれた。

 そして――残った一体が、三鬼の腕に噛み付いた。


「……?」


 羆の腕に備わった怪力と比べ、人の顎と歯は、悲しい程に非力であり、三鬼には僅かな痛みさえ伝わらない。

 だが、戦場だ。訝るより先、早々に打ち殺そうと、巨大な手で異形の頭を鷲掴みにした時、


「その子達、お腹が空いてるんですよ。何せまともに食事が〝出来ないように作り替えました〟からねぇ」


 またも兵士の群れの中から、嘲るような、軽やかな声がした。

 三鬼は、鬼灯のようにぎらぎらと光る眼で、小胆の者ならば視殺しかねぬ程に、その方向を睨み付ける。

 すると政府軍の兵士達がさあと左右に分かれ、身を潜めていた赤髪の女が、三鬼の前に姿を現した。


「ね、ね、鬼さん鬼さん。どうです、私の作った〝人工亜人できそこない〟は? 割と強いでしょ? これね、病気で死にかけてた爺婆やら子供やらで作ったんです」


「……貴公、何者か。この国の者では無いな」


「わたしゃ杉根 智江と申しますが、私が誰かなんてどーだっていいじゃないですかあ。それより大事なのはね、貴方がそうやってガンガンぶっ殺してくれた可哀想な生き物が、元々は人間だったって事と――」


 智江は、左手に切開用の小刀を持ち、その切っ先を、倒れ伏す亡骸の一つに向けた――三鬼の部下、白槍隊の、名も無き誰かの亡骸である。


「可哀想と言えば、その兵隊さん達も可哀想だ。先の見えぬ上司に従って、無駄に戦って無駄に死んだんですからねえ」


「……拙者が、先が見えぬという誹りも、上に立つ者として力が足りぬという非難も、全ては甘んじて受けねばならぬ事。だが、拙者に従って戦った者達は――断じて、無為の死ではない!」


「いやいやぁ、無駄死にでしょう。死んだところでねぇ、別にこの戦に勝てる訳じゃなし、この人達が死んだからって別に何も面白くないし。……いや、いやいやいや待った、一つだけ良い事も有りましたね、いや失敬失敬」


 みしいっ、と、何かの軋む音がした。

 三鬼が全身に力を込めたが為、筋肉が過剰に膨れ上がり、纏う鎧を内側から押し上げて軋ませた音であった。

 その形相を直視した政府軍の兵は恐れ竦み、武器を捨てて逃げ出す者さえが出る。

 智江の舌は滑らかに踊り、三鬼の怒りを存分に煽り立て――


「鍛えられた大量の死体! 部品ごとにバラして、〝人工亜人できそこない〟の材料にしてさしあげましょう!」


「――っ! 貴様、そこ動くなアァッ!!!」


 空も落ちんばかりに、三鬼は絶叫した。

 異形の頭を掴んだまま振りかぶり、智江へと目掛け、握り殺しながら投げつけた。

 智江が身を躱すと、地面に打ち付けられた異形の体は、数度も跳ね、後方の兵士を幾人か巻き込む。砕けた骨が数か所から突き出し、不恰好な剣山のような有様であった。

 智江が動いたと見た時、三鬼もまた動いた。巨体からは想像も付かぬ速度で馳せ、大鉞で、智江の胴を横薙ぎにせんとしていた。

 刃が智江の右脇腹へ迫る。

 然し、刃は智江の体に触れる一寸手前で、何か虚空に存在する、見えない壁を強く叩いた。


「――魔術師かっ!」


「ごめいとーう!!」


 刃が止まる事を知っていたかのように、智江は既に動いていた。三鬼の巨体を利し、彼の股下を転がるように潜り抜け、その反対側へと掛けて行く。

 いや――実際、知っていたのだろう。〝一撃なら耐えられる〟と。

 三鬼を挑発しながら平行し、自分の体の両脇に耐衝撃の防壁を張る程度は、この女なら容易くこなしてしまう。


 ――然し、本っ当に一撃とはねえ。


 杉根 智江は、卓越した魔術師である。無詠唱のままに作り出されたこの防壁さえ、本来なら十数度の斬・打撃に耐え得る強度を持つ。

 それも、三鬼の前には、ただの一度で砕け散る。

 智江は極めて冷静に、自分の持つ武器、用いる事の出来る魔術を組み合わせたとして、今この場で、この鬼を倒す事は出来ぬと、答えを算出した。

 逃げる智江の背に、三鬼は容易く追い付く――歩幅が違うのだ。

 今一度と振り回された大鉞は、今度は智江の左脇腹に触れる寸前で、やはり見えない壁に食い止められる。

 これでもう、防壁は無い。


「決して――決して、無駄死にでは無いっ!!」


 三鬼は吠えながら、智江の頭目掛けて大鉞を振り下ろす。

 地を転げるようにして智江は避けるが、風圧だけでも体を押し流されそうな衝撃。笑みを貼り付けた智江の顔にさえ、冷や汗が流れる。


「皆、己の思う道を歩んだ! 正しいと信じられるものに準じた! 彼等の純な想いを、無駄であったなどとは決して認めぬ! この波之大江 三鬼が在る限り!」


 轟々と風を鳴らして、三鬼は智江を殺さんと、大鉞を振るった。

 幾度と無く振るわれる、掠める事さえ許されぬ暴威。

 智江は完全に避ける事をのみ徹していたが、僅かにでも反撃を視野に入れていれば、あえなく血霧と化していただろう。

 地面を転がり、敵味方を問わず亡骸を盾にし、全力で駆け――それでも、遂には追い詰められる。

 疲労困憊し、地に膝を着いた智江の前で、三鬼は大鉞を大上段に構えた。

 その時、智江が、三鬼が辛うじて聞き取れる程の小声で呟いた。


「『――I send the command NYCTOPHOBIA』」


 否。

 小声で、〝詠唱を完了〟した。

 三鬼の視界から、全ての光が消えた。


「おっ……!?」


 幻術『ニクトフォビア』――光が物体に反射する事を禁じ、完全な闇を作り出す。

 十全な用意を経て用いられれば、半径数十間もの空間を支配する高等魔術であるが、この時は、三鬼を中心とする半径三尺程の、小さな闇としかならなかった。

 それでも、たった一人で戦う三鬼に対しては、十分だった。

 見えぬまま、大鉞を振り落とす。地面を砕いた手応えだけが返る。


「〝お聞きなさい〟、その耳かっぽじって。〝お聞きなさい〟、私の言葉を」


 そして、憎き敵の声が、少し離れた所に聞こえた。


「貴方、どう思ってるかは知りませんがね、大体の死なんてもんは無駄死になんですよ。〝立派な〟死だとか〝有意義な〟死だとか〝潔い〟死だとか、そんなもんはありゃしません。何百通りのやり方で人を殺してきた私が言うんだから間違いない」


「………………」


 三鬼は、智江の言葉に耳を貸さず、ただ音だけを追った。

 目を開いても視界は闇に閉ざされたままだが、その音だけは、周囲のどんな音よりも、鮮明に三鬼の耳に届く。

 距離にして、二十歩。

 怒りに滾った脳髄を冷やすべく、息を深く吸い、音を辿って歩いた。


「死んだらぜーんぶお終いです。政府軍が殺した貴方の部下も、貴方達が殺した政府軍の兵士も、どんな立派な人間だったかは知りませんがね、死ねばそれまで! ……生きてりゃ、まだまだ色々と楽しみが有ったでしょうにねえ」


 心を閉ざし、音を探る。

 十歩。

 声は、逃げようとしない。

 寧ろ――聞こえる言葉から、三鬼こそが、逃げていた。


「私は生き延びますよ。この国の人間に、無様だと笑われようが、微塵も潔くないと指を差されようが、私は絶対に生き延びる。そういう心情の私としては、死人を美化してる貴方がどうにも気に食わないもんでしてねえ」


「………………」


 声は、全く動かない。

 三鬼は、声の出所の二歩手前に立ち、大鉞を、背の後ろにまで振りかぶった。


「さあ、どうしました? 何百人とぶっ殺しといて、今更女の一人や二人相手に、そう躊躇う事も――」


「正に」


 智江の言葉を、三鬼は最後まで聞かなかった。

 声の出所が全く動いていない事を確かめ、鬼の渾身による最大速度を――来るのが分かっていようと、決して避けられぬ一撃を、その箇所へと叩き込んだ。

 これを受けて、生きていられる生物は、きっと地上に存在しない。

 雪月桜でさえが、受け止める事も出来ぬまま、両断されてしまうだろう。

 そういう一撃であった。

 至上の一撃であった。

 そして――

 三鬼の一撃は、虚しく地を砕くに留まった。


「はい、はっずれー!」


「――!?」


 〝その声〟は、二十歩の距離から――三鬼が視界を奪われた時、確かに杉根 智江が居た場所から聞こえた。

 智江は、一歩たりと動いていなかったのだ。


 ――謀られた!


 光を完全に遮断する高度な術に比べて、音の出所をずらして惑わせるだけの幻術は、数段も格が劣る技巧。視界さえ保っていたのなら、三鬼が音に惑わされる事などは無かったに違いない。

 だが、知った時には遅い。

 三鬼は、背に、鬼の体でさえ軋む程の、強い衝撃を感じた。

 片谷木 遼道が三鬼の背に、〝日の本一の正拳〟を、万全の体勢から放ったのである。

 二百四十と七貫の体が浮いた。

 同時に、手首に鋭い痛みが走り、手の中から得物の大鉞が奪い取られたのを感じたが、それは松風 左馬が、槍の如き貫手を加えたものであった。

 打たれ、弾かれた三鬼の体は、何か固いものに衝突する。


 ――門か。


 本丸の正門へと続く道を塞ぐ、ぶ厚く、固く閉ざされた門扉が、三鬼の胸にぶつかったのだ。

 未だに視界の戻らぬ三鬼には好都合であった。

 振り向き、門扉に背を預け、両腕をそれぞれ、頭と胸の前に置いて身構えた。

 見えぬままでも良い。

 飛び道具ならば、痛みはあれど、死にはするまい。

 槍や刀や、或いは拳足であろうと、己を殺すに足る攻撃を――受けた瞬間、反撃に転ずる。

 視界を失ったままでも、三鬼は大怪物であった。

 然し――肉体の怪物たる三鬼に対し、精神の怪物たる智江は、一歩と近付かぬままで、


「forty-five minutes.」


 策の成就を、告げたのであった。

 その瞬間、〝それ〟は流星の如く空に現れ、その場に居る誰の目にも影さえ映さぬまま、波之大江 三鬼の体へ、吸い込まれるように飛び込んで行った。

 砲弾であった。

 日の本に数多く備わる、旧式の丸砲弾ではなく、極めて近代的な、総金属の尖頭砲弾。

 飛来した砲弾は、遥か後方に音を置き去りにしていた。

 狭霧和敬が財力の限りを尽くし建造し、今は政府軍の手に有る巨砲、〝揺鬼火〟の砲撃であった。

 比叡の山城の城壁を、急拵えのものとは言え、容易く貫いた砲弾である。いかな鬼とて、踏み止まれるものではない。

 砲弾は三鬼の体を押し飛ばし、まるで破城槌の如く門扉に打ち付け、裏の閂を破砕して、尚も飛んだ。

 それらの全てが、瞬き程の間に終わったのである。

 〝揺鬼火〟は、不眠不休で動かしたとて、日に三十六度の砲撃が限度である――装填、照準に、恐ろしく時間が掛かるのだ。

 この砲を預けられた智江は、本丸への道を塞ぐ門扉に照準を合わせ、砲撃用意を進めさせていた。そして、その着弾点へ、波之大江 三鬼を誘い込んだのである。

 何が起こったのか、見えた者は無い。ただ、事の後の有様から、何が起こったかを知るのみである。

 即ち――あの〝鬼〟を、打ち倒したのだ。

 しん、と戦場が静まり返った後、揺れ戻るように、空を揺さぶる程の歓声が上がった。






「……前線が賑わっているなぁ」


「賑わいってなにさ、お祭りじゃないんだから」


「他にしっくりくる例えが見つからんのでなぁ」


 二条城、城外東、政府軍本陣。

 雪月 桜と村雨は、戦の激しさを忘れたように、ゆったりと構えていた。

 握り飯を食って腹を満たし、味噌汁を啜り、茶を飲み、軽く体を動かしながら、待っていた。

 その心は既に、戦場に有る。

 然し、敢えて逸る心を抑え、力を蓄えていた。


「この戦が終わったら、どうする」


「え?」


 唐突に桜が、村雨に尋ねた。


「んー、どうしようね……」


「もう洛中もなぁ、十分に見た気がする。だが、直ぐに江戸へ帰ろうという気も起こらんのだ」


「じゃあ……もっと西国に? 壇ノ浦なんかは見に行きたいな、私。あ、あとそれから一ノ谷とかも!」


「平家物語が好みか?」


「だって義経格好いいじゃない」


「私とて八艘飛びくらい出来るぞ」


「そこじゃないって」


 拗ねたような口ぶりの桜がおかしくてか、村雨は横に顔を向けて口元を抑える。

 だが桜は、全く真剣な顔のままであった。


「西国も良いが、もう少し行ってみたい」


「何処へ?」


「そうだなぁ、まずは琉球か。大陸も、天竺は当然抑えるとして、帝国の本土も見たいし……お前の生まれた土地も見てみたい」


「………………」


「私も、大陸の雪の中で育った。お前も同じ筈だ。だが、違う生き物が出来上がった。私が見て育った雪と、お前が見て育った雪は、同じものなのか、別なものなのか、それが知りたいのだ。

 それにな、嫁を取るなら、その親に一言、挨拶でも入れておくのがものの道理で――」


「誰が嫁か」


 村雨は足の甲で、桜の顎をすくい上げるように、高く蹴った。

 すかんっ、と良い音がした。


「こら、何をする」


「気が早い! まだ戦の真っ最中だからね!」


「ふむ、確かに。ならば早々に片付けて、早く旅支度を整えたいものだ」


 桜がそう言って、蹴り上げられた顎を摩った時、二人はほぼ同時に、駆け寄って来る兵士の姿を見た。

 武装は少なく、鎧も軽量――伝令の兵士であった。


「おう、どうだ」


「はっ! お味方は〝鬼〟を打ち破り、本丸への門をこじ開けましてございます!」


「ほう」


 桜は、その知らせに、さして驚いたような様子も見せなかった。

 ただ、軽く頷いて、そして歩き始めただけである。

 走りはしない。

 力を蓄えながら、歩いて戦いの場に向かう。


「あっ、あのっ!」


 その背を、伝令の兵士が呼び止めた。

 高い声。

 村雨と幾らも変わらぬ歳の、少年であった。


「どうしたら――あなたのように、強くなれますか?」


「――ふむ」


 問われた桜は、暫し考え込むようなそぶりを見せてから、横に立つ村雨の肩をぐいと抱き寄せ、


「いい相手を見つける事だ。女だろうが、男だろうが」


 そして物見遊山にでも出掛けるように、ゆったりと歩き続ける。

 その様が、あんまりに――ただびとと隔たっているようで、伝令の少年は目をこすり、その背を見た。

 何処まで行くのか。

 何処だなどと、決まっている。あの城の、天守閣の、敵の首魁の元へだ。

 けれど本当に、あの二人は、そこで立ち止まるのか。

 何処までも行くのではないか。

 煩わしい何もかもを斬り捨てた何処かへ、辿り着くまで、何処までも――

 そんな夢を、白昼に見る程に、桜と村雨は眩かった。

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