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最後の戦のお話(3)

 そうして、地獄が続いた。

 僅か百名の白槍隊は、味方の兵と見事に呼応し、政府軍に対抗した。

 彼等の猛威は、場外の援軍第三波、第四波が雪崩れ込んでも変わらない。最終的に、数十倍に膨れ上がった敵の中を、白槍隊は穿ち続けた。

 その中でも波之大江 三鬼の暴威は、もはや天災に等しかった。

 彼一人で弑した兵士の数は、優に三百を超えている。

 敵も味方も分からぬ程の屍の山を、大跨ぎし、踏み付け、大鉞を振り回す三鬼に、敢えて立ちはだかる者も無い。


「ごぉおおおおぉぉぉ――――……ぉ、ぉ」


 蒸気と紛うばかり、もうもうと白い息を吐く三鬼。口の周りは赤々と血に染まっている。

 飢えを敵兵の屍肉で満たし、渇きを敵兵の血で潤し戦い続けた三鬼は、未だに疲れを見せていない。

 その周囲には、もう、誰も残ってはいなかった。

 信徒兵の二百も、白槍隊の百も、一人残らず死に絶え、ただ一人で戦い続けているのが三鬼であった。


「次は誰だ」


 地を震わす轟音――轟声が響く。三鬼への包囲網が、広く、目も荒く綻んで行く。

 散発的に矢が射かけられ、銃弾が射出されるも、それは三鬼の体を貫く事も出来ず、虚しく落ちるばかりだ。


「来ぬなら拙者より参るぞ」


 ずぅん、と足を踏み鳴らし、鬼の巨躯が馳せる。並の兵士の、倍の歩幅である。

 ぶぅん、と鉞を振り回し、鬼が咆哮する。人の胴体が、幾つも宙を舞った。

 それでも、三鬼へ向かっていこうという者などいない。

 三鬼の後方には大きな門が有り、それを破れば、後は本丸まで一直線に突き進める。それが分かっていても、横を抜けて行こうという者さえいない。

 何千という兵が、たった一人の鬼に呑まれ、貼り付けにされていたのである。

 その中には、松風 左馬さえが含まれていた。

 天下無双の拳術家を自認するこの女さえ、敢えて三鬼へ打ち掛かる事は出来ぬのだ。


「片谷木、あれをどうする」


 兵士の壁の中に紛れ、左馬は、隣に立つ片谷木の顔を見ぬままで問う。


「どうもこうも、打ち砕くのみ」


「それが出来るなら苦労は無い!」


 片谷木は、場や敵に合わせて戦術を変える男では無い。どのような敵が相手であろうと、殴り、砕くのみである。

 然し――限度がある。

 彼我の力量を測ることは、生き抜く為に必要な力であるが、松風 左馬はその技に長けている。その勘が、自分と片谷木を合わせたとて、今の三鬼には敵わぬと囁いていた。


「私に、他の技は無い」


「おい!」


 その言を聞かず、片谷木は鬼の前に進み出た。

 見上げる程の巨躯――片谷木も大柄ではあるが、その頭が、三鬼の腰の辺りに有るのだ。


「私がお相手をする」


 常と全く変わらず、深く腰を落とし、左手は手刀を作って前、右手は拳を握って鳩尾。

 一切の奇を衒わぬ、真っ当な構えである。

 無駄が無く、無骨。同類である鬼は、その構えを気に入ったと見えて、


「その意気や良し」


 片谷木の頭上へ、大鉞を振り落とした。


「むん!」


 片谷木は、摺り足で前進しながら左手を振り上げ、大鉞の柄を打つ。受け止めるのではなく、体の横に流し、


「せやあああぁーっ!!」


 間髪入れず、正拳を放った。

 腰まで引いた右拳を、的へと一直線に放つ――たったそれだけの、然し日の本一の破壊力を誇る正拳、上段打ち。

 それは三鬼の腹へと突き刺さり、鬼の巨躯を宙に浮かせ、三間も後ろへ弾き飛ばした。

 どっ、と政府軍の兵士達より歓声が上がる。その声を背負いながら、片谷木が三鬼を追う。


「……良き拳に御座る」


 然し――鬼は、死なず。そればかりか、両の足で着地すると、すぐさま反撃に移る程であった。

 大鉞による暴風が、三鬼の周囲に吹き荒れる。

 片谷木はそれを、前進し続け、柄を受け止めて防いでいた。

 度胸――ばかりでは無い。下がれば柄ではなく、刃が己の身に迫ると知っているから、決死の覚悟で進み続けるのだ。


「かあぁっ!!」


 左拳。腹。


「うぉおらあああぁっ!!」


 右拳。大腿。

 上半身へは手が届かない。届く場所へ、片谷木は、渾身の拳を打ち続けた。

 それでも――三鬼は揺るがず、左馬の見立てもまた、これでは勝てぬと変わらぬままであった。

 歯を軋ませど、鬼の脅威は変わらない。


「くそっ――どうしたら良い!」


 喚きながらも、左馬は理解していた。三鬼を倒すには、化け物じみた耐久力を上回る力をぶつければ良い、それだけだ。

 然し――それが出来る者が、日の本にどれ程いるのか。


 ――居る、一人だけ。


 左馬は、悪友の顔を脳裏に浮かべながら、打ち消すように首を振った。

 〝それ〟は、最後の一手として温存するように通達されているし――自分自身が、頼りたくない。それならまだ、自分から鬼に打ち掛かって死ぬ方がましだとさえ思えた。

 そうして葛藤を続ける左馬の背後に、見知らぬ女が立ったのは、本当に直ぐの事であった。


「〝九龍〟の松風 左馬さんで? あーら、お噂より美人さんでいらっしゃる」


「……誰だ、鬱陶しい」


 振り向かぬままに答えれば、その女は、左馬の隣に進み出て並んだ。

 血のように赤い髪の、背の高い女であった。


「杉根 智江と申します。……おしゃべりを自重して要件をお伝えしますと、あの鬼さんを仕留める方策をお伝えに」


「ほう?」


 無茶を言う――そう思いながら、左馬は首を横へ向ける。

 隣に立つ女の目には、馴染み深い色がある。〝どこかおかしい〟連中に共通する、狂気の色である。


「聞かせてみろ」


「はいはい、勿論では御座いますがぁ……」


 話を促せば、智江は目の狂気を更に増し、ぎらぎらと輝いた瞳で鬼を見つめながら、


「その前にちょいと、あの鬼さんに殴りかかって見ちゃくれませんかねぇ?」


「……無茶を言うな」


「いえいえ、真面目な話。ほらほらぁ、急いで急いで」


 脳髄の中では、怪物を殺す為の算段の、最も単純な解答を既に見つけていた。






 二条城の本丸に、付け足すように作られた地下――その、最下層。

 一階層を全て一つ繋がりの牢獄とした中に〝彼女達〟は居た。

 あの宴に、主賓として招かれた折には、名に冠された色に合わせて、華々しく飾られた衣装――鮮やかな着物も、袖を僅かに残して引き裂かれている。

 互いの背に腕を回し、抱き合う形で鎖に繋がれた二人は、手首の枷と、端切れとなった布の他、何も身に付ける事を許されていなかった。

 隠すもの無く晒された肌には、真新しい痣が幾つも――手足や、腹や、幾つかは顔に浮いている。

 狭霧 紅野。

 狭霧 蒼空。

 囚われの身となった、双子の姉妹であった。


「う……うぅ、うー、うーっ……!」


 蒼空が、呻くように泣いていた。

 古傷と痣の残る紅野の胸に顔を埋め、身を震わせる姿に、無双の剣士の面影は無い。

 怯え、嘆く、ただの打ちひしがれた少女がいるばかりであった。

 その髪に頬を当てながら、紅野は天井を見上げていた。

 外の光の一片とて入らぬ、暗い部屋の中で、


「……辛いか、蒼空」


 ぽつりと問えば、蒼空は啜り泣きながら頷いた。


「だよなぁ……」


 乾いた笑いと共に、紅野は呟く。

 唇の端が切れ、血が伝い、乾いた痕が有る。口角を上げた為か傷が開いて、またつつぅと首まで赤い線が引かれた。


「死んじまおうか、いっそ」


 まるで、散歩にでも行こうかと尋ねるように、軽い口調の問い。

 けれども虚ろに天井を見る目は、戯れごとを言う者のそれでは無かった。

 目を合わせぬまま、蒼空は首を左右に振った。

 強く、強く、紅野の体が揺れる程、首を振った。


「そっか……〝まだ〟駄目か」


 乾いた笑いの中に、僅かに感情の色が戻る。

 楽になる事を許さない、妹の厳しさへの苦笑いか、それとも思いやりを微笑ましく思ったか――いずれにせよ、この牢に戻されて初めての、人間らしい感情の動きだった。

 枷に繋がれたままの腕で、紅野は蒼空を抱き締めて――数滴だけ、涙を零した。

 地下牢にまた、静寂が訪れる。

 その静けさを掻き乱す、幾つもの足音がする。

 我先にと階段を降りて来たのは、赤心隊――冴威牙の部下、ならず者崩れの集団であった。


「なんだ、冴威牙の兄貴は居ねえのか?」


「別にもう良いだろ、冴威牙なんざ。どうせ皆死んじまうんだ、犬っころが何処行ったかなんて知ったこっちゃねえよ」


「そうだな、どっかに逃げてようがくたばってようが、どうでもいい」


 かつて二十人以上も居た彼等は、その半数を失い、生き残った十人ばかりもまた、かつてとは違う凶暴さを孕んでいる。

 二条城を取り囲んだ軍勢を見て、もはや勝ち目など無いと悟った彼等は、戦いに赴こうとさえしない。


「同じ死ぬなら、良い思いをしてから死んだ方がいいよなぁ?」


 下卑た笑みを浮かべた一人が、紅野の肩を踏みつける。それが合図となったかのように、他の者達も思い思い、拘束された紅野と蒼空の身に群がって行く。

 幾つもの手が体に触れるのを感じながら、紅野はそっと目を閉じ、蒼空の頭を強く胸の中に抱いて、


「じゃ、もう少しだけ頑張るかぁ」


 誰にも聞こえぬよう、小さく、小さく呟いた。


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