表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
品川夏空模様
17/187

血と満月のお話(4)

 夜が明ける前に市中見回りの者達の手で、化け物二体の死骸は回収された。喉だけを的確に突かれた一体は、事態の収拾の為に首を河原に晒された。もう一体は、首から上があまりに無残な状況であった為、速やかに焼却処分とされた。化け物による殺人は、三名の犠牲者を数えるに留まり、一夜にして収束したのであった。

 今、日は東の山から顔を出したばかりである。その光を背に受けて、桜と村雨は、西へと歩き始めていた。


「んー……もう少しちゃんとお別れとかさ、言わなくて良いの?」


「必要有るまい、永久の分かれでもあるまいに。それに、下手に顔を見せると土産をせびられる」


「あはは……神社巡りでもして、お守りでも買って帰る?」


 眠ったのは二刻程だが、足取りは軽い。前夜の負傷は大きく響いてはいない様子で、村雨は両手を頭の後ろで重ねている。


「どうするかな、仏教徒に神道の品をくれてやるのはどうかと思うが……良し、十字架にしよう」


「尚更悪いと思う」


 日の出と共に動き出す町は、既に賑わいを見せ始めている。人の流れに乗って、二人が向かうのは、東海道五十三次。品川宿の宿から始め、今日は程ヶ谷まで向かうらしい。ゆるりと脇道などして、道端の商店など冷やかして歩いても、日暮れまでには到着するだろう。別に程ヶ谷自体に目的は無いが、気を惹かれる物が有れば、少し長く滞在するのも良いだろう。旅とは自由なものなのだ。


「そう言えば、宿の方はどうする?」


「程ヶ谷だったら、安い宿はいくらでも見つけられると思う。細かい事を気にしなきゃ、十数文も有れば、屋根の下は借りられると思うよ。」


「いや、そうでなくてだな。私が言っているのは、近くに岡場所でもあるか、飯盛り女の質はどうかという話で」


「あんたちょっと黙ってろこのやろー」


 桜の脛に爪先蹴りを入れつつ、村雨は背負っている荷物から、幾重にも折りたたまれた紙を取り出す。広げて見せればそこには、五十三次それぞれの地名に対応して、宿の名前が二つか三つは乗せられていた。


「……あのね、こういう風にちゃんと調べてあるの! そこに到着してから宿を探すなんて、時間が掛かって仕方ないでしょうが!」


 出立が長引いた事を利用して、『錆釘』の資料から、評判の良い宿は見つけてある――評判の良い、そして宿泊料の安い宿を。ぱらぱらと捲って見せれば、今回は素通りするだろう川崎や神奈川まで、宿の名前が調べあげられていた。長雨などで道中を進む事が出来なかった場合に備えて、だ。


「おお……これは分かりやすいな、ふむ。わざわざ几帳面な事だ」


「旅の前って、普通はこういう風に、泊まる場所を決めておくものじゃないの?」


「知らん。少なくとも私は、その時その時の風任せだった」


「うん……まあ予想はしてたよ、なんとなく。桜って、計画性って言葉と縁が無さそうだもん」


 はぁ、と小さな溜息。それも心底あきれ返ったという風情ではない。友人の戯言を皮肉で咎める様な軽い声だ。

 えっほえっほと飛脚が走っていく。向かうのは東、桜達とは逆の方角だ。足元が草鞋でなく靴だった事から、おそらくは上方か、近くとも浜松から来たか、というところだろう。異国の空気を纏った飛脚を、村雨は何か、憧憬のような感情を抱いて見送る。


「一人旅かな、あの人?」


「だろうな、あれが生業なのだから。ゆうゆうと周囲の景色を楽しみ、女を楽しむ暇などあるまい。その点我々は――」


 おかしな同情の視線を、桜は飛脚の背に向けていた。優越感混じりの表情が、なぜか非常に、村雨の癇に障った。


「そうそう、私との旅の間は女遊び禁止ね。財布は私が預かります」


「――んな、ぁ、んだとぉっ!? そんな、旅の楽しみの八割が……何も吉原と言っているわけではないのだぞ……?」


「あんたの頭はそれしか入っとらんのか! 今の手持ちだと、余計な事に使えるお金が少ないの!」


 そう思った理由を、懐具合の寂しさから来るものだと、自分で自分に言い聞かせる。道中の宿代、食費の事を考えれば、豪遊する程の手持ちは確かにないのだ――が、二百文やそこらで買える安遊女なら、幾らか買った所で、然程影響も有るまい。桜の主張も、あまり間違っているわけではないのだ――根本的な部分から間違っている、という問題が有るが。


「とにかく、決定事項! 安全で快適な旅の為にも、無駄遣いは許されません!」


「ぐぅ……ええい、私は雇い主だぞ! 強権発動だ、雇用主命令だ、文句が有るか!」


「うぐっ!? こ、この、どうでもいい場面で余計な事を思い出してくれて……!」


 村雨自身が半ば忘れていたが、この二人の間柄は、契約関係である。桜が金を出して雇い、村雨はその意向に従って働く。つまり、契約が継続している間、よほどの無茶でも無ければ、村雨は従う義務が有る訳だ。


「……で、でも、実際にお金が……」


「稼ぐ手段など幾らでもあるわ。肝心なのは、旅を快適なものにする事だと、お前自身が言っただろう?」


「ぐぐぐ……うぅ」


 実際問題、桜ほど腕が立つのなら、道場破りでもして回れば、旅費に困る事も無いだろう。看板か金かと聞かれれば、武道家の意地、看板を易々とは降ろせない。本当に稼ぐ手段が有るからこそ、これ以上の反論が出来ず、村雨も言葉に詰まり――


「うぅー……あーもう! だったら好きにすればいいでしょー! その代わり、私と宿は別! 朝も自分で起きろ、寝坊禁止!」


 ――殆どやけになった様にふくれ、足音も荒く、桜を振り切って歩いていこうとする。


「おお、おいおい、待たんか。それでは色々と不便だろうが、合流するだけでも手間が……」


「うるさいうるさい、もう知らない! 好きなだけ遊んでくればいいじゃない!」


 慌てた様に脚を早め、桜は村雨の横に並ぶ。だが、村雨は視線を合わせる事もなく、靴の先だけ見て早歩きに進んでいく。


「おーい……」


「………………」


「おーい、返事をしろー」


「………………」


「はぁ……分かった、分かった!」


 桜が二度呼びかけて、どちらも返事が無い。三度目は声を掛けるのではなく、ぐいと腕を掴み、村雨を道の脇に引き寄せた。その時に村雨は初めて、あまり早く歩き過ぎて、先を行く荷車に突っ込み掛けていた事に気づく。


「初日の朝からそれでは私が持たんわ……お前の言うとおりにするから機嫌を直せ。な?」


 引き寄せられて、村雨はふくれた顔を上げる。じっとりと湿った視線は、桜にある種の重圧を掛けていた。愛想笑いをしながら、眉の端が下がっているのは、困り顔の証だろうか。


「……じゃあ、約束は出来る?」


「神に誓って」


 片手を掲げ、異国異教のやり方を倣った様に宣誓する桜。生活態度などを見れば、桜が神など信じていないのは窺える事である。


「信憑性皆無だよねそれ」


「だな、ならば何に誓えば良いのだろう」


 大真面目な顔をして祈る相手を探している桜に、村雨も根負けしたのか、二度目の溜息をついた。脚を止め、適当な塀に寄りかかり、まだむすくれながらも桜を見上げる。


「自分と私に誓えばいいじゃない、旅の間は女郎買いはしないって……こんな事、女に対して約束させなきゃないっていうのがおかしいよね?」


「何をいう、同性を愛して悪い理由が有るか。良く言うだろう、ほれ、好きになったものはしょうがないと」


 この国の価値観の外で育った村雨からすれば、同性愛というのは、それだけで不自然なものに思えている。悪い理由が有るかと問われれば具体例は無いが、然し良しとする理屈もまだ見つける事は出来ていない。だから、次に口にした言葉は、自分の価値観の変化に、自分でも驚かされるものとなった。


「そこは良いんだけどさー、もう少し一途になれないの? あなた、手当たりしだいって雰囲気だもの……群れを作らない動物は、一夫一妻が普通なんだよ」


「むぅ、一婦一妻か……定住も、道連れの旅も、これまで経験が無いのでなぁ……」


 自分が問題にしたのが、桜が劣情を抱く相手が同性である、という点では無かった事。相手を一人と定めない点をのみ、口を酸くして指摘していた事を村雨は気付かされる。これを表には出すまいと、おかしな意地は張り続け――


「江戸には二年居たらしいし……大体、今回の旅は私が一緒じゃない」


「だなぁ、うむ……うん? ほうほう、成程成程……」


「……何よ、急に気味の悪い笑い方して」


 我悟れりとばかり、目は平常の通りでありながら、口をぐうと歪めて笑みを見せる桜。村雨の背後から、肩に腕と首を載せるようにして纏わりつき、くすくすと喉を鳴らす。


「いや、お前も一人前に妬いてくれるのだなぁ……いい、可愛らしい事だ」


「ー―っ! 誰が嫉妬なんてしてるかぁっ!」


 湯に通された海老の様に、村雨の顔が赤くなる。ひっつかれて暑いのだと、言い訳をする事も出来よう。だが、それだけの理由で無い事は、自分自身が理解している。


「はっはっはっは。さあて、のんびりと行くぞー」


「離れろ、暑い、重いー! っていうか黒服が暖まりすぎて熱い! 夏にこの服装おかしいでしょ!?」


 道行く者は、姉妹の戯れの様に見て微笑ましさを感じたか、二人に妙に暖かい目を向けていく。それも気恥かしくて、じたばた暴れる村雨と、可愛い可愛いと繰り返しながら中々離れる様子の無い桜。

 ここは東海道五十三次、その一番目、品川宿。川崎宿への道中を三丁進むまで、この騒々しいやり取りは続くのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ