最後の戦のお話(1)
二条城――日の本政府の主城にして、今は狭霧和敬を首魁とする反乱軍が立てこもる城である。
実の所、この城、決して難攻不落の城などではない。むしろ防衛力を見るのなら、容易に落とし得る部類に入る。
大外を囲む石垣にさしたる高さは無く、そも市中に有るが為、四方の一つとて、天険の守りが無い。
とは言え、城は城。
力に任せて攻め立てるなら、必ずや攻め手は手痛い反撃を被るのだが、然し『新たな戦の形』は、古の築城主達には思いもよらぬ姿であった。
「いやっはーい! 直撃ぃ! 流石に私、計算に一つの狂いも無ーし!」
二条城、東大手門より数十間ばかり下がった箇所、杉根智江は己の算術達者を我褒めしていた。
彼女は元来、生物の体を弄り回す邪法の医師であるが、頭脳の明晰なる事は際立っている。為に、巨砲〝揺鬼火〟の制御を命じられたのである。
鹵獲され、二条城攻略の為に運ばれた〝揺鬼火〟。
比叡山城の城壁を容易く打ち砕いた砲が、このたび狙いを定めたのは、まさに東大手門であった。
遥か遠方より飛来させた砲弾を、極限まで地上と平行になるよう、門扉へ叩き込む。熟練の砲手にさえ難行といえるこの技を、智江は見事にやってのけたのである。
そして、その威力たるや、凄絶の一言に尽きる。
門を貫いた砲弾は、その後方に待機していた二条城内の兵達の中に飛び込み、何十人かを薙ぎ倒した挙句、地面に触れて跳弾した。跳ね狂った砲弾が更に、二の丸を覆う石垣まで破砕する程の衝撃であった。
「んー、こいつがあればねえ! 桜さんにぶつけたら勝てたろうになぁ、ちきしょう悔しーっ!」
貸与された兵器とは言え、自分の指示で巨大な力を振るう事は、この狂人にはすこぶる愉快な仕事であるらしい。ぴょんぴょんと飛び跳ね、拳をぐんと突き上げている。
その眼前で、先陣を務める『錆釘』の精兵達が、城内へと雪崩れ込んで行く。一人一人が、並の兵とは比べものにならぬ速度の、雑多な服装の群れ――
「……おっ。ありゃ、ありゃ、ありゃりゃ」
その中に智江は、見憶えの有る顔を発見した。
かつて一度は捕らえ、実験体として用いようと企んでいた、人間と亜人の混血児。遠目に見ても、彼の長身と、肌を僅かにも晒さぬ外套姿は目立つものであった。
「……ラッキー」
智江は、見た目には武器を何も持たぬまま、『錆釘』を追って走る。
何処まで行ってもこの女は、結局、知的好奇心で生きている。
「ちょ……ちょっと、何処へ行くんで――」
「物見遊山へ! 砲撃は先の指示通り、完全に角度を合わせて行うように、オーケイ!?」
呼び止めた兵士に目もくれず、狂才の魔術師は、喜々として戦場に身を投じた。
城内へ流れ込んだ『錆釘』の軍勢は、二手に分かれて、本丸東の櫓門を目指す。
一隊は、二の丸の中を突っ切るように。
もう一隊は南側、やや開けた箇所へ迂回して。
彼等の意気盛んなる事は、闘志天を焦がす程である。
然し、迎え撃つ軍勢とて――士気の高さは互角以上。〝大聖女〟エリザベートへの狂信に支えられた、拝柱教の信者達である。
武装信者およそ千五百は、二の丸に五百、南側の広い通路に三百と、それから本丸に七百、分けて置かれていた。
そして、南側より攻め上がる『錆釘』百五十名の中に、葛桐が居た。
――こいつら、捨て兵か。
最前線の、最前列。最初の敵との接触で、忽ちに敵兵二人の首をへし折りながら、野生の嗅覚を働かせ、葛桐は値踏みしていたのである。
隘路にて正面からの衝突は、数の不利など有って無きが如し。『錆釘』の面々は、敵兵の屍を次々に踏み越え、狂信者の軍を押し込んで行く。
脆い。
戦いを生業にする者と、祈りによって生きる者と、同じ生物で、こうも力が違うものであろうか。『錆釘』の戦士達は、忽ちに敵の陣を、十数間も後方へ押し込んだ。
部隊の先頭、葛桐は、当たる者を悉く薙ぎ倒さんばかりの勢いで暴れ狂う。
凍土を掘り返す強靭な指が、敵兵の腕を掴み引き寄せ――羆の骨さえ噛み砕く顎で、首を噛み、圧し折る。そして、瀕死に追いやった獲物の死を見届けぬまま、次へと飛びかかるのだ。
群れと群れの戦いならば、瀕死の獲物は、後ろに続く味方に任せて良い。葛桐は口元を真っ赤に染め、次、その次と噛み殺し続けた。
――楽な戦だ。
呆気無くも死んで行く彼等に、葛桐は、情を抱かなかった。そして、引きずり倒した敵兵の頭蓋を踏み砕きながら、先へ先へと進んでいこうとした。
その脚が、後方から掴まれる。
「――っ!」
たった今、踏み殺した筈の敵兵士が、頭蓋を復元しながら起き上がり、葛桐を捕らえたのだ。
咄嗟に葛桐は、敵の兵士の髪を指に引っ掛けると、ぶんと振り回し、前方の敵の群れへ投げ込んだ。
同じような事が、『錆釘』の面々の後方でも起こっていた。彼等が撃破し打ち捨てた屍が、次々と起き上がり、交戦中の『錆釘』部隊の背後へ食らい付いたのである。
葛桐が見抜いたように、彼等は命を捨てていた――ただし、四つの命の内、一つだけを。死に、捨て置かれる事が狙いだったからこそ、彼等は容易く死んだのだ。
三百の捨て兵は今、『錆釘』部隊を前後から挟み撃ちにし、遮二無二攻め立てていた。
彼等は死を恐れない。
心臓を狙う刃をさえ、避けない。
その身で刃を食い止め、腹を貫かれながらも掴みかかり――そうして止めた獲物を、味方ごと、斬る。斬られた者は、また立ち上がって敵に飛び掛かる。
それはまさに、常軌を逸した戦いであった。
『錆釘』の猛者達さえが、殺しても死なぬ敵に怯えを抱いた。
いいや、殺せる。三度まで起き上がるとしても、四度目で、確かに殺せるのだ。だが、例え荒事に慣れた『錆釘』の面々とて、同じ人間を二度以上殺した経験を持つものなど居なかった。
次第に『錆釘』が押され始めた。
怒声が悲鳴に代わり、負傷者が増え――死ぬ者が出始める。死から還った敵兵の壁で、後退さえ許されない。前後それぞれを自分達と同数――命の数はその四倍の兵に挟まれた以上、戦の常道に照らすなら、彼等の全滅は必然である。
だが。
かの堀川卿が太鼓判を押した『錆釘』の精鋭は、常道を歩まぬ者達であった。
「……皆さん、どうして喜ばないんでしょう。一人を四回も殺せる機会なんて滅多にありませんよ! 皆が殺さないなら、私が独り占めしますけど宜しいですか!?」
この地獄に喜々として、味方を押しのけ、最前列へと進みでる女が居た。〝十連鎌の離堂丸〟――変人揃いの『錆釘』に在って、更に名高き狂人である。
気性を端的に表すなら、狭霧和敬などと同様の、人殺しを好む性質。但しこの女の場合、必ず自分の手で死なせてこそと、些か拘りが有る。
返り血で顔を朱に染めたまま、得物を縦横無尽に振り回し、立つ敵は斬り伏せ、倒れた敵は立つのを待ってまた斬り殺し、離堂丸は、幸福の絶頂が延々と続く戦場を堪能していた。
異常の戦地に在っても、尚、この狂気は異質である。敵も味方も、敢えて離堂丸に近づこうというものは無く、離堂丸が一度踏み込めば、敵兵の先頭が、先へ進む事に二の足を踏んだ。
「……独り占めは困る、金が入らねぇ」
そうして、押し寄せる敵兵の波が止まるや否や、次は葛桐が、咆哮と共に敵陣の中央へと飛び込んで行く。
敵兵に怯えは無い。だが、葛桐とて、僅かにも敵の刃を恐れていない。この男の目に、敵の首級は全て、山積みにされた財貨に見えている。
――悪くねえ場所だ。
無造作に敵兵の首を噛み千切りながら、葛桐は笑っていた。
葛桐は、戦が好きになり始めていた。
獣の性を剥き出しにし、人間を蹂躙しながら、咎めだてをされる事も、蔑まれる事も無い。誰に憚る事も無く使える、金がたんまりと手に入る。
金は、力だ。
どんなに蔑んだ目をする人間だろうが――いや寧ろそういう人間こそ、顔の前に銭を積み上げて見せれば、忽ちに掌を返す。だから葛桐は、貪欲に蓄財を続けている。
「があああああぁぁあぁぁぁっ!!!」
眼前に迫る敵の、手首に噛み付き、吠える。牙を骨まで喰い込ませ、強靭な顎と首の力を用い、その敵兵を振り回した。
人間一個の重量が、まるで旗竿の如く振り回され、迫り寄る敵兵を打ちのめし、叩き潰す。
次第に、立つ敵の数が少なくなり始めた。三度まで殺され、それでも立ち上がった敵兵が、四度目の死を得て、完全に動かなくなったのだ。対する『錆釘』の面々は、死者も幾らか出たとは言え、未だに意気軒昂の者が多い。
寧ろ、そればかりか――
「ねえ、そこの貴方!」
もはや衣服に、返り血を浴びぬ部位が無い程も赤黒く染まった離堂丸が、妙にふくれっつらをして、葛桐に呼び掛けた。
「……あ?」
敵兵の喉仏を爪で引き千切りながら、葛桐は離堂丸の方へと顔を向け――面倒臭そうに、また直ぐ顔を正面へ向け直した。
「あんまり殺しすぎないでください、私の分が足りなくなります」
「……俺の金だ、お前が取るな」
「別にお金はどうでもいいんです、首です!」
噛み合わぬ会話の合間合間、二人は次々に敵兵を仕留めて行く。敵兵の後方の集団は、明らかに浮足立ち始め――遂に幾人もが、『錆釘』に背を向けて逃亡を始めた。
すると、即座に離堂丸は、それを追い掛けて行こうとするのだ。
「ああ、ほら、逃げてしまう……! 勿体無い、勿体無いぃ!」
「おい、こら! 俺の獲物だ、俺の金だ!」
咄嗟に葛桐も、隊列を抜け出し、逃げた兵達を追い始めた。
それから――自分の行動を顧みて、思わず己を、鼻で笑った。
――無駄な事をしてやがる。
本当に、金が欲しいだけなら、味方の中に混ざって安全に、確実に敵を殺し、耳でも鼻でも集めて持ちかえれば良い。
比叡山攻めではそうしていた。着実に、自分は傷付かぬよう、金を稼ぐためだけに戦っていた筈だ。
だのに、今の葛桐はそうしない。敵を仕留めれば亡骸を打ち捨て、次、また次と襲い掛かり――挙句に味方を置き去りにして、狂人を追い掛け、どんな罠が待つかも知れぬ城の奥へと向かって行く。
――そうだ、金は欲しい。
その思いに、偽りは無い。
――だが、この場所が嬉しい。
自覚した葛桐は、外套を脱ぎ捨て、鍔広の帽子を払落し、獣性を剥き出しにした姿で突き進んだ。
思い出すのは、もう半年も前の、とある宿の出来事。
自分と似た境遇の少女が居て、少しばかり語りあった。
その少女は、自分自身があまり好きでないのだなと、なんとなく感じた事を葛桐は覚えている。
自分より大事な物など無いと考えていた葛桐とは、或る種、対極にある考え方だとも――獣として生きるには、命取りの考え方だとも。
けれども、その少女は、自分がとうに無くしたようなものを、後生大事に抱えて生きていた。
躊躇い、迷い、自分が損をすると知りながら他人に尽くしてしまう、甘さ。
そういう生き物は、眩い。
だから、同じ所で働かないかと誘われた時、あっさりと応じたのだ。
――良い群れだ。
単純な善悪、道徳の判断に照らせば、『錆釘』は正しいものか、そうでないのか――葛桐には答えが見つけられない。
だが、『錆釘』は〝異質〟が集まった群れである。
まともに生きられない者が居る。武に命を捧げた者が居る。金だけを求める者が居る。人殺しが居る。亜人が居る。
――俺は、このままでいい。
その全てが、肯定されて、此処に居る。
金に汚く、口が悪く、面倒な仕事に毒づき、割の良い仕事に嬉々として応じる、そんな生き物でいい。
やがて、三百の敵兵を壊滅させた時、『錆釘』の分隊百五十名は、その一割を失いながらも、士気は頂点から揺らぎもせぬままであった。
同時刻、二の丸御殿に向かったもう百五十名は、やはり死なぬ兵に困惑を見せながらも、順調に敵軍を押し込んでいた。
元より、戦に向かぬ城。更に拝柱教の信者兵は、個々の力はさておき、城を守るような戦の経験は無い。単純な兵数で劣る『錆釘』の分隊は、地形を存分に用い、三倍以上の敵兵を翻弄していた。
『錆釘』の兵に、正規の装備という概念は無い。各々が、己の力を最大限に発揮する装備を選ぶ。
その中に在って、兜以外の防具も、武器も身に付けぬ男が居た。
片谷木 遼道――破鋼道場という道場の主であり、格闘家である。戦場に在ってこの男は、己の拳一つで、敵兵を破砕していた。
「……しぶといな」
敵兵の頭蓋を拳で陥没させながら、片谷木はひとりごちた。この男とて流石に、同じ人間の頭を、四度も潰すという経験は初めてであったのだ。
「だが、脆い!」
その片谷木から数間離れた所には、松風 左馬が、鋼造りの六尺棒を振り回して敵兵を打ちのめしていた。
左馬の言うように、立ち塞がる敵の技量の程は、この二人にしてみれば、まるで取るに足りないものである。
開戦から、片谷木が殴り殺した敵兵は、既に二十以上。左馬は長物を振り回しているのでもう少し多く、三十を幾らか過ぎる程――実際にはその数を、四度ずつ死なせている。この二人だけで、二の丸に陣取った敵兵の一割を仕留めているのだ。
「……然し、片谷木よ」
「なんだ?」
「お前が此処に来ようとは思わなかったよ」
ふむ、と片谷木は受け答えながら、切り掛かってきた敵兵を手繰り寄せ、鎧の上から胸骨が陥没する程に殴り付けた。
片谷木は、左馬などとはまた別種の自由人である――加えて、集団に混ざる事を好まない。比叡山城の攻城戦にも、幾度も参戦を求められながら、結局は一度も加わらなかった男だ。
それが、まさか軍勢の先頭に立ち、自ら率先して敵兵を打ち殺して行くとは――これまでの彼の信条には、似つかわしく無い姿であった。
「どうも、欲が出た」
「ほう……」
遠方から矢が飛来する。それを片谷木は、拳を振るい迎撃する。
鏃と拳が衝突し、砕けるのは鏃。片谷木の拳には、傷一つ付かない。
「負け知らずを自負していたが、お前に負け、お前の弟子にまで負けた。私は本当に強いのかどうか、自分でも分からなくなってな、試してみようと思った」
「……それだけの理由で、その暴れっぷりかい」
「まだ足りない。現状、この兵達の鍛錬が足りぬ事が分かっただけだ」
味方の兵が勢い付いて、敵兵を追い散らしながら、二の丸御殿へと雪崩れ込んで行く。
五百も居た敵兵は、もう半分以下に数を減らし、御殿の中で防衛線を張っているが、さしたる労力も無く破り得るだろう。
二人は、早くも今の戦に飽き始め、三間の距離を置いて正対した。
「……片谷木、そんな魅力的な顔をしてくれるな。濡れて来そうだ」
「お前こそ、恐ろしい顔をする」
結局、この〝強さ〟に狂った二人は、尋常の敵では満ち足りぬのだ。互いが同時に一歩、間合いを詰め、そして今一歩――
「――っ!?」
その時、二条城が揺れた。
地に根を張った武道家の脚さえ揺るがさんばかり、縦に振り回すかの如く、揺れた。
地震か――いや、二の丸が爆ぜたのだ。
業火が幾本も柱となって立ち上がり、壁も屋根も、豪奢の限りを尽くした二の丸御殿を吹き飛ばし、暴音と黒煙を撒き散らしたのである。
何が起こった。
問うまでも無い。狭霧和敬が好みとする、爆薬である。
大量の爆薬を、二条城二の丸御殿に伏せ、或いは地に埋め、敵兵が雪崩れ込んだ折りを見計らい、味方ごと吹き飛ばしたのだ。
爆風の余波を受け、左馬と片谷木も地を転げ、五間も離れたところでようやく立ち上がり、
「な――何が有ったぁ!?」
動転しながらも、即座に戦いに備え、身構えた。
そして、二人が見たものは、この戦に於いても際立って悍ましいもの。
焼け爛れ、手足を吹き飛ばされた拝柱教の信者達が、死の苦痛に呻きながらも己の身を再生させ、亡者の如く集い来る姿であった。
「……おぉ」
戦場を、己の腕を確認する場と定めていた片谷木さえが目の色を変える。
その声は、驚愕であったか、或いは歓喜であったか。
〝無傷の二人〟に対し、〝一度死んだ兵士二百〟は、足並みも揃わぬままでにじり寄った。




