宴のお話(4)
狭霧和敬によって開かれた惨酷の宴は、主賓たる二人の少女が居なくなってからも続いた。
命を助けると唆され、自ら刃を握り、狩野 義濟を刺した――彼等が未だに、解放されていないのだ。
彼等は、周囲の兵士に槍を向けられ、身動ぎさえ許されず立ち尽くしたままに居る。
一度、確かに彼等に訪れた筈だった安堵の色も今は無く、寧ろ以前より色濃く、恐怖と絶望が、彼等を彩っていた。
「おそらく、明日だ」
その表情を肴に、咽返るような血臭を鼻で吸い込みながら、狭霧和敬は美食を堪能していた。
膳の美に比べて、行儀は酷く悪い。まさに『がっつく』という表現が適切な喰い付きぶりである。
「明日には連中、攻撃してくるだろう。つまりは明日、俺達が勝つという事だ」
「しかしながら、兵部卿!」
その言に、異を唱えた者が居る。
八重垣 久長――波之大江三鬼の副官を務める、若き知将であった。
「我等は寡勢、城は包囲され、そして義と道理は彼方に在り! 如何にして勝利を掴もうと仰るのか!」
「……八重垣か。やけに吠えるな、何が言いたい」
「我等は既に賊軍! こうなれば速やかに城を明け渡し、正道の裁きを待つが得策と思われる!!」
がん、と膳を蹴りつけ、狭霧和敬は大鋸を手に立ち上がる。
八重垣はその場に座し、ふんぞり返り、それを迎え討つ。
「戦以外に能の無い若造が、良くも正義だなんだと抜かした」
「貴公の元で戦うは武門の恥、これよりの死には些かの名誉も御座らぬ! ……仮にも武人を、あのように嬲り殺すとは、人の為して良い事かっ!!」
八重垣が吠えていられたのは、それまでだった。次の言葉を発しようと息を吸った次の瞬間、彼の太い首に大鋸の刃が喰い込み、一瞬で骨までを挽き断ったのである。
座に戦慄が走り、静寂が色濃くなる。
或いは他にも、八重垣と同様に思い、立ち上がる機を待った者とて居たのかも知れない。然し彼等も、義憤そのままに口を開いた生首が掲げられ、内部に溜まった血を滴らす様を見ては、声を上げる事も出来なかった。
もはや狂気、恐怖に、この空間は埋められていた。
「……嗚呼、なんて酷い」
それを突き崩すような嘆きと共に、修道服を纏った女が、血の海に足を浸した。
〝大聖女〟エリザベート――この戦の元凶の一人、拝柱教の主であった。
死者を悼み、エリザベートは涙を零していた。
その涙に、一切の偽りはない。底抜けの善意を以て、エリザベートは、言葉を交わした事も無い、八重垣の死を嘆いている。
だが――嘆きながらも彼女は、落ちた首と、別たれた胴と、それぞれに手を触れた。
すると、エリザベートに触れられた亡骸が、どろりと融解を始めたのである。
固形であった筈の屍は、黒い水に――油の如くに変わり果て、宴席に広がる血溜まりと混ざり合う。
やがてその赤黒い池の中に、小さな珠のようなものが浮かんだ。それをエリザベートは拾い上げ――
「私と共に生きなさい……いつまでも、どこまでも」
その珠を、飲み込んだ。
「命の蓄えは、そろそろ足りたか? 俺はそこまで溜め込めんぞ、二十も食えば腹を下しかねん」
自分の席へと戻った狭霧和敬は、相変わらず行儀悪く食物を食い散らかしながら、エリザベートに問う。
「……ええ。貴方が殺した何百、何千の命が、私の道を……天へ至る道を支えてくれます」
彼女には珍しく、返す言葉には、僅かに棘が有った。
然しその棘も、宴席の他の者達――狭霧和敬の他に居並ぶ諸将――へと向けられる時には、すうと影を潜める。
「もはや私は不死。あらゆる文献に語られながら、一度として人に奇跡を与えなかったあらゆる神に代わり、私が全ての民へ正義を授けましょう。……この戦は聖戦、故に貴方達は勝つのです!」
エリザベートの言葉は、その主張だけを聞くならば、常に叶わぬ理想を叫ぶようなものである。
だが、この女の姿を目にして、直接に声を聞くと、不思議とその主張が、真実であるように感じられるのだ。
何故ならば、エリザベートは心から、己の言葉を信じているからである。
自分は勝つ。
幾千の命を踏み台に得た、不死の躰を用い、必ずや勝利を奪い取る、と。
日の本一国を犠牲にしてでも、世界の全てを救う事が己の使命だと、この女は心底信じていた。
「兵部卿」
エリザベートは、狭霧和敬を、既に剥奪された官位で呼ぶ。
す、と持ち上げられた指は、返り血で服を染めたままの、囚われの子供達をさしていた。
「おう」
「その子達に、慈悲を。皆、もう十分に苦しんで――」
「それは、ならん」
僅かにも思案する事なく、狭霧和敬は、エリザベートの願いを切り捨てる。
今宵、流れた血の凄惨さは、決して戦の夜にも引けを取らない濃度であったが、この男はまだ満ち足りる事を知らぬのだ。
「たかが三十、されど三十。喰らっておけ、大聖女殿。殺しは俺達が引き受けてやろう」
そう言って狭霧和敬は、右手を高く掲げ――振り下ろすと同時、矢雨が、子供達の頭上に降り注いだ。
二条城より数町離れ、広くに敷いた政府軍の陣営。
腰の引けた陣よ、臆病者の布陣よりと誹る声も有ろうが、然し、その規模は相当のものであった。
元より洛中に有った兵に、民間よりの志願兵やら、隣国西国を問わずの援兵や、海を越えてまで集った兵さえ居る。規模を言うなら、二万を越えているだろう。
これ程に膨れ上がった軍勢を暴徒と為さず統率出来ているのは、政府軍の人材の厚みもあるが、やはり高い士気が故であった。一つ同じ目的に向かい進む集団は、少々の事で瓦解などしないのだ。
尤も、その士気の高さも、ひと月もふた月も保てる類のものではなく、迅速に城を落とすべきではあるが、彼我の兵数の差は十倍以上にもなろうか、野分が藁束を吹き飛ばすが如くの攻城戦となる筈であった。
実際、そうはならなかった。
第一陣として攻め掛かった、最新鋭装備に身を固めた十字教徒の部隊五百は、完膚なきまでに粉砕され、追い散らされたのである。
「……死なない兵ですと?」
「はっ。……確かに銃弾は、奴等の頭を撃ち抜いた筈。だのに三度まで、あの城内の兵士達は立ち上がるのです……!」
その、追い散らされた第一陣の生き残りが、政府軍の総大将と、その他並み居る諸将の前で報告を行っていた。
総大将――狭霧和敬に変わって新たに兵部卿に任命された、中大路なる朝臣は、長い髭を指で梳きながら暫し口を閉じ、
「厄介ですのう」
状況とは裏腹、のんびりとした声であった。
「然しまあ、決して勝てぬという事ではないようで」
「はぁ……?」
報告を行った兵士が、惚けたような顔を晒す前で、中大路は髭を指に絡めたまま立ち上がる。
「三度まで立つなら、四度まで斬れば良いのです。囲めば、四倍の兵よりは与し易い。そういうものなのだと理解して、恐る事無く戦えばよろしい。
……とは言え、恐れ知らずの兵が無数に居るでも無し、困りましたのう」
困る、困ると言いながら、チラチラと視線を横へやるのである。
その視線の先に居たのは、堀川卿であった。
〝さる高貴な男〟を説き伏せた後、政府軍に補佐役として加わった堀川卿は、能ある怠け者の中大路の代わりと、あれやこれや面倒事を背負わされているのだ。
が、堀川卿とて、百鬼夜行の如き『錆釘』を取り纏める女。中大路の要求など、他の無理難題に比べれば容易いものと、随分に気が楽そうな晴れやかな顔である。
「この戦、なんも向こうさんを皆殺しにする戦やありまへん。拝柱教教祖エリザベートと、狭霧和敬の両名さえ討ち取れば、それでええ。四方から緩々と、攻めるでなく、引くでなく纏わりつかせておいて、何処か一方から精兵を進ませ、首魁二人を討ち取る。そういう手筈がよろしおす」
「精兵ですとな。ほう、当てがありますかな?」
「お代金さえ頂ければ、三百人までなら」
すす、と堀川卿の髪のひと束が、細々と文字の書き込まれた紙を、中大路の手へ滑り込ませた。中大路はそれを見て、ほんの一瞬、左側の眉をぐんと持ち上げたが、直ぐにまたのんびりとした顔へと戻り、
「では、采配も含めて、頼みますかのう」
「ほな、全権は確かにお借りします」
少し横へ歩くと、どっかりと胡座で腰を落とし、本来自分が座していた箇所を明け渡した。
空いた席に、堀川卿が座った。
普段は五丈超の金髪に、顔も体も隠れているような堀川卿だが、この日は背中の後ろに、まるで屏風のような形に髪を纏め、日焼け知らずの顔を晒していた。
「……長かったなぁ、ほんまに」
そして堀川卿は、前任者を真似るように、ゆったりと集座へ語り掛けた。
「ここまで来るのに、随分と掛かってしもた。各々、無くしたものも、腹が立ったことも、悲しかったり悔しかったり、色々な事があったやろうけど……全部、終わりに出来る日が来た。待ってたものがようやく、実を結んだんよ。
……なあ、うちらは、この戦で何を得たと思う?」
答えは待たない。堀川卿は瞑目し、緩やかに首を左右に振った。
「なぁんにも、無い。色々無くして、これからやっと降り出しに戻せる。そっからはキツいやろなぁ……無くした分を取り返して、まだ余るくらい、この日の本を大きく、大きくしていかなあかん。もしかしたらこの戦より、ずっと辛い事ばかり待ってるかも知れへん」
けれど――と、継ぎ足される言葉。堀川卿は、その世長けて落ち着いたかんばせに、ぎょっとする程に幼げな笑みを浮かべた。
「きっと、キツくても、楽しい! 毎日毎日、こんな事は嫌だ、もう止めたいて呻きながら寝床に入る必要は無い! 誰かを殺したくない、誰かを死なせたくないって泣きながら、悪夢から目覚める必要は無いんや!」
ざん、と靴が地を擦る音を鳴らし、堀川卿は立ち上がる。諸将がそれに倣い、やはり、立った。
彼等は何を思うのか。
高揚か、それとも去りし悲劇への哀悼か。涙するものも、目を輝かせるものも、不敵に笑うものも、それぞれに。
意思の統一は見られぬ彼等だが、一つ、間違い無く、共通して抱く想いが有る。
「さあ――〝こんな所〟で長々と立ち止まってはおれへんよ。この国を強く、大きく――死んだもんに誇れるような国に叩き直す! その為にも、まずはさっさと、謀反人の討伐に行こか!」
「応っ!!!」
――勝って、戦を終わらせるべし。
政府軍二万の、その末端に至るまでが強く望んだその願いは、気焔となって春の空を焼いた。
「開戦! 伝達の花火を! まずは初手――思い切り驚かしたろ! 政府軍正規部隊は、東の部隊をまずは残る三方に移動させ、前線を推し進めえ! 『錆釘』の構成員は東、城門が空き次第、第一波として雪崩れ込む! 死なん程度に突っ込んで、あかん思うたらら後詰に任せて逃げえ!」
各武将が、或いは小隊の隊長が、各々、己の成すべき事の為に馳せて行く。
とうにこの国に於いて、珍しくも無くなった戦の気配。
然し彼等の目は、己の道に影が落ちていないと知る者の、輝かしい光に満ちていた。
そうして馳せる者達――大きな波のうねりとなった彼等の中を掻き分け、堀川卿の元へと歩いてくる者達が居た。
一人は――黒の小袖に黒袴。黒の帯、黒太刀、濡羽の髪。鎧兜の如き無粋は身に付けず、ただ刃のみを携える。
一人は――この頃の伊達衣装も何処へやら。簡素に洋服を、シャツ、ズボンとそれだけ。防具と武器を兼ねてか、両腕を覆うのは、分厚い鋼の籠手。
雪月 桜と、村雨であった。
「よう」
桜は、まるで古い知己にでも呼び掛けるような口振りで、片手を上げ、立ち止まった。
「あら、桜さん……村雨ちゃんも」
「久しいな、色々と世話になった」
桜は堀川卿の前で、小さくだが頭を下げた。彼女がするにしては珍しい行為に、堀川卿も驚きを隠せず、口元を手で隠し「あら」と面食らった様を見せた。
「これで終わりにするのだろう、私達は何をすれば良い。……尤も、知恵働きを期待されても困るが」
「そうどすなぁ、桜さんにはやっぱり、前線で戦ってもらうのが一番どすやろ。けどもう少し、出るのを待ってもらおと思うとります」
「ほう、その意は」
軍の先頭で斬り込む事を考えていた桜であったが、出番が先だと聞かされると、気勢を削がれたか眉の端を下げる。
「さっき、中大路様が言うてましたやろ。死んで三度立つ兵は、四度斬ればよろしい。なら、幾度立つか分からない相手は、どれだけ斬ればええ?」
「……エリザベートの事か」
謎掛けとしては、難易度の低い問い。桜が答えれば、堀川卿はまた直ぐに言葉を繋ぐ。
「何十回か、何百回かは分からへんけど……向こうの兵士を見て推測するなら、エリザベートは完全な不死やない。どういう術を使うとるのかは知らんし、桜さんが何度も斬りつけて、それでも死なんような相手やけど……きっと、何時かは死ぬ。
その為に桜さんには、力を温存してもらいます。雑兵と打ち合わず、門を破ったりもせず、ゆったりと歩いて進んで、エリザベートの前に立ち、そして――」
「斬れ、と」
堀川卿は、言葉よりも数段も明白に、強く、頷いた。
それから顔を上げて見れば、桜の表情は普段通り――氷像の如く緩まぬ、余人には色の見出せぬものである。然し堀川卿は、その無表情が否を意味するのでなく、ただ雪月 桜が万全である事をのみ、示しているのだと理解していた。
次いで、その横に立つ少女に目をやって、
「村雨ちゃん」
「はいっ」
名を呼べば、快活な声が返る。
「……村雨ちゃんには、最初に思うたより散々に困らされたなぁ、もう……悪い人とお付き合いするから悪い子になるんよ」
「あははは……言い返す言葉もございません」
「けど、悪い子で大変結構。戻ってきたら、面倒なお仕事ばっかりたーんまり押し付けたるさかい、きばってらっしゃい!」
堀川卿の髪の一束が、ひゅるりと村雨の後方に回り込んだかと思いきや、その背をばしんと引っ叩いた。激励の一撃であった。
その時、桜達が居る政府軍本陣より西側――つまり二条城の方角から、突如、轟音が鳴り響いた。
火薬による爆発とは違う、もっと単純な接触による破壊音。鈍器の打撃音を、数百倍にしたようなものと言うのが正しいだろうか。
それが、開戦の合図。
最後の戦が始まる、号令の音であった。




