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少し昔のお話(4)

 冴威牙は森のねぐらを離れ、小さな町へ出た。

 つい先日、熊越 斬波の子分達を、白昼堂々と殺した、あの町である。

 伴うのは紫漣、ただ一人。

 寡兵ですらない、単騎である。

 茶屋の縁側に陣取り、近寄ろうともしない店主に胴巻きごと銭を投げ渡すと、


「おい、俺は此処だ!  山犬の冴威牙が此処にいるぞ!」


 物陰から覗き見する衆目の、全てに届けとばかりに声を張り上げた。

 覗き見の幾人か、ご注進とばかりに走り去った者も見咎めず、冴威牙は悠々と茶を飲み、紫漣の膝を枕に横になった。

 その紫漣であるが、浮かぬ顔をしている。冴威牙の剛毅さが、この場合は仇にならぬかと気を病んでいるのだ。


「そう暗い顔をすんな、紫漣。俺が負けるとでも思ってんのか?」


「…………」


 その問いに対する答えを、紫漣は持たない。否と答えれば嘘になるが、応と返すなど口が裂けてもできぬ事なのだ。

 紫漣にとって冴威牙とは、強く尊い生き物であり、それを貶める要素を己が、まして当人に向けて発するなど考えもつかぬ。だから黙りこくって、目を伏せる以外に出来ることは無い。盲信 と忠心の板挟みになり、動きがとれぬのであった。

 雲もなく日が眩しく差し込み、風は穏やかに、長閑な午後である。欠伸の出るような静けさは、然し長く続かなかった。

 冴威牙の鼻が捉えたのは、平穏な町には似合わぬ獣臭であった。

 冴威牙はその臭いを知らない。だが、獣が臭いで敵の質を知るように、臭いの主が並々ならぬ敵である事を悟った。

 そして、ずらりと野盗の群れを引き連れて現れた姿を見れば、尚、怪物であると伺い知れる。

 冴威牙より頭一つ以上高い背だが、遠目に見ると、さして大きく無いようにさえ錯覚する。然しそれは、この男の筋骨があまりに巨大なので、縦横の比率が長身のそれには見えず、縮尺を見紛うだけなのだ。世間が言う〝巨漢〟を、比率はそのままに二回りも大きくしたような巨体であった。

 腕は、鋼線を縒り合せたが如く張りつめて、手は赤子の頭など包み込んでしまう程に広い。

 顔も図体に見合った広さであるが、まさに容貌魁偉、髭面の中にらんらんと光る目玉は、明らかに常人のそれとは違う狂気を帯びていた。


「てめぇが冴威牙か……なんだ、ちいせえな」


「お前がデカすぎるだけだろうがよ」


 減らず口を返したようにも聞こえるが、その言葉が事実なのである。

 熊越 斬波は、とかく並みならぬ巨体であった。

 それも、鈍重な牛では無く、獰猛にして敏捷な熊。

 冴威牙は立ち上がって身構え、そして紫漣は翼を打ち鳴らして茶屋の屋根へと舞い上がっていた。何れもこの山賊を、類稀な強敵と見なした証であった。

 そして殺し合いは、合図も無く始まる。

 斬波の代名詞たる薙刀――柄の十尺に刃三尺、しめて十三尺の大薙刀は、冴威牙を頭から両断せんと振り下ろされる。

 それをひらりと身軽に躱した冴威牙は、まず間合いを詰めんと、斬波の懐目掛け真っ直ぐに飛び込んで行った。

 冴威牙の一撃目は、膝を狙っての踏み蹴り。前進する勢いがそのままに乗った、重い蹴りである。それを斬波は、薙刀の柄で払い落としながら、きっちりと踏み込まれた間合いだけ後退した。


「……ほぉう」


 思わず冴威牙は、敵に称賛を送りたくなった。

 賊の頭、無法者と聞けば、遮二無二力任せに斬り掛かる猪武者を想定していた。然し斬波は、己の間合いをきっちりと保ち戦う、見事な武芸者である。

 構えもびたりと、木像が動き出したが如く力強く、そして無駄な動きを排除した不動の姿。賊徒として生を終えるには、あまりに過分な武技と見えた。


「――ぬおうっ!」


 斬波の足が、地面から浮かずに前に出た。

 薙刀の刃の切っ先で、冴威牙の目玉を狙って突きを打つ。

 冴威牙が横へと逃れて躱せば、薙刀を振り上げ、脳天目掛けて振り下ろす。

 軌道は直線的ながら、恐ろしく速い。一度気を抜いたならば、間違いなく体を唐竹に割られるのだろう。

 避けながら、冴威牙が追う。

 斬波は、円を描くように後退し、間合いを詰めさせない。見事に獣をあしらっていた。


「お前、ただの山賊じゃねえな!」


「ふんっ!」


 度々、冴威牙は斬波の懐へ飛び込もうとするのだが、斬波の薙刀裁きは見事であり、その隙も見出せない。

 これではままならぬ、一度呼吸を整えようと、今度は冴威牙の方から、後方へと引き跳んだ。

 その時になって初めて、斬波が、己から攻めかかった。

 先程まで縦に振るうばかりであった薙刀を、縦横無尽に振り回し、脚と言わず首と言わず、当たるを斬ると吠え掛かる。

 尋常ならば、こうなると間合いの差が大きすぎて、とても勝負にはならぬ。

 蹴りを主体とする冴威牙の間合いは、軸足から伸びて五、六尺。同じように計ったなら、斬波の間合いは軸足から薙刀の切っ先まで、十三、或いは十四尺。倍以上の差が有る。

 冴威牙は遠い道程の半ばまでを踏み進んだ所で、斬波が振るう薙刀に追い立てられ、間合いの外へ逃げる事を繰り返した。

 やがて冴威牙も、これは正道では敵わぬと見たか、先程までのんびり横になっていた縁側から、茶屋の内へと逃げ込んで行く。


「ちっ!」


 斬波は舌打ちしながら、それを追った。

 屋内となれば、柱も有り壁も有り、長物を存分に振り回せる場所ではない。

 斬波の腕と力なら、柱を断つ程度は容易かろうが、そうすれば今度は、屋根が頭上に落ちて来る。

 土足のまま、巨体を押し込めるようにして、斬波は茶屋の内へと上り込み――


「何処へ行ったぁ!?」


 吠える。

 その時、既に冴威牙は、斬波の視界から消えていたのである。

 物陰に隠れたか、畳を剥いで潜り込んだか、単に奥の部屋へと隠れたか――


 ――かたん。


「ぬっ!?」


 斬波は、頭上の物音を耳聡く聞き付け、薙刀を思い切り振り上げた。

 薙刀は天井板を貫き、切っ先が屋根瓦を持ち上げる程の高さまで達した――が、生物を捉える事は無かった。

 何故ならばその物音こそは、天井裏に隠れ潜んだ冴威牙が、己の位置を晦ます為、持ちこんだ〝あるもの〟を投げた音だったのである。

 そして、貫いた天井板から降って来たものは――沸騰寸前の湯が並々と注がれた、鉄瓶であった。

 斬波は鉄瓶を、ぶ厚い手で払いのけたが、内に収まった熱湯は、斬波の頭上へ無情に降り注いだ。


「があああぁあああぁぁっ!?」


 如何な怪物とてこれは堪らない。

 頭皮と顔を焼かれた斬波は、手負いの獣の如く吠え狂い、身を丸くしてのた打ち回る。

 その背の上に冴威牙は飛び降りて、頭と言わず背と言わず、届く限りに踏み、蹴り付けた。

 鍛え上げられた肉体は鋼の如き硬度だが、冴威牙とて鉄脚。一度横たわってしまおうものなら、立ち上がる事も出来ない。そのまま一息に、斬波の首を蹴り折ろうか――という、丁度その時、であった。


「さ――冴威牙っ! 助けておくれよっ!」


「……あぁ!?」


 茶屋の外、至極聞き慣れた声と臭いが、冴威牙を呼び求めたのである。

 思わず斬波を打ち捨て、また縁側から表に出て見れば、其処には夕霧や、他にも冴威牙の子分が十数人、斬波の手下に捉えられ、喉元に短刀を押し当てられていた。


「んっ、だ、こりゃ」


「あんたが勝手に飛び出して直ぐ、こいつらが襲って来たんだよう! だからあたしは――」


「黙れ、余計な口を利くんじゃねえっ!」


 夕霧が助けを求めるも、その口を山賊が手で塞ぎ、黙らせる。

 悲しいかな、それは茶番であった。

 既に夕霧は冴威牙を見限り、自分が拠って立つべき男を熊越 斬波に乗り換えている。そして、夕霧に誑かされた子分達も、冴威牙への疑念と斬波への恐怖で、とうに主を変えているのだ。

 だが、冴威牙はそれを知らない。

 冴威牙の目に映るのは、己の群れが捕えられ、生死を敵の手に握られているという〝事実〟であった。


「冴威牙様、打ち捨てなさいっ! そのような者に構わず、斬波にとどめを――っ!」


 真に冴威牙の味方と言える一人、また夕霧の策を看破していた紫漣は、冴威牙に継戦を促した。

 然しもう、冴威牙は――この時の彼は、己の中にある規律に、これ以上無く忠実であったが為に、


「そりゃ出来ねえよ……ちきしょう」


 背後に迫る斬波の、巨大な拳をそのままに受け入れた。






 冴威牙が目を覚ました時、彼は、暗い部屋に置かれていた。

 暗いとは言えども、亜人たる冴威牙の目ならば見通せる程度の闇である。

 まず冴威牙の周りには、鋼造りの格子が有った。

 これが木であれば、強引に蹴り破る事も出来たのだろうが――強度ばかりでなく、蹴りに速度を乗せる空間が無い程に狭い。

 だがこの檻は、部屋に元から備わったものでなく、外から運び込んで床に置いてあるだけの代物であるらしい。

 冴威牙がそう理解したのは、この暗い部屋が、冴威牙には見慣れた己のねぐら――〝城〟であったからだ。


「……なんだ、まだ殺されてねえのかよ」


 自嘲的な響きを以て、冴威牙は己を笑った。

 人質を取られ、殴り倒され、獣用の檻に入れられて、己の城へ舞い戻った。言い訳のしようがない、敗北である。

 しかもこの敗北は、どうにも取り返す機会が無さそうだ。

 自分はこれで最後なのだと、死刑を待つ囚人そのものの境遇。不遜の冴威牙も遂に、己の死を覚悟した。


「けっ、あっけねえや」


 必ずや成り上がると、威勢良く啖呵を切った事も有った。それも、檻の中に在れば虚しいばかりである。

 然し冴威牙は、己の境遇を嘆こうとはしなかった。

 諦念――何ともならぬ事ならば、もう足掻く理由も無いと、まるで他人事のように全てを諦めていたのである。

 暫し目を閉じ、周囲の音と臭いに意識を巡らせた。

 知らぬ大勢の臭いと、良く知った者達の臭いとが、部屋の外に幾つも有る。酒食の臭い、賑わいを聞けば、きっと宴でも開いているのだろうと思えた。

 その肴として、自分は殺されるのだろうか。

 そう思っても、既に諦めを知った冴威牙の身は、四肢に力を与えようとしなかった。

 暫しの時間が過ぎる。

 賑わいの中から、一つ、特に重い音と、凶暴な獣の如き臭いが近づいて来る。部屋の戸を乱暴に開けて踏み込んできたのは、冴威牙の予想の通り、熊越 斬波であった。


「ざまぁ無えな」


「はっ、煩えよ。頭の具合はどうだ、禿げになってねえか?」


 斬波は檻を蹴り、冴威牙への答えとした。

 頭から浴びせられた熱湯は、頭皮の一部を焼いて、冴威牙が言うように脱毛せしめていたのである。


「この檻も悪くねぇなあ、お前の無駄にデカい手足じゃ届かねえ」


「……せいぜい減らず口叩きやがれ。てめぇは明日、その檻のままで川に沈めてやる」


 そう告げられても尚、冴威牙は表情を変えなかった。

 だが、死を突き付けられても怯えを見せぬ冴威牙の姿は、斬波の不興を煽るばかり。焼けた皮膚が痛むのか、斬波は頭を掻き毟りながら、細くした目を惨酷にぎらつかせた。


「おお、そうだ。てめぇの仲間がどうなったか知りたくねぇか?」


「……!」


 冴威牙が腹を括っているのは、悔いが無いからであろう。そう、斬波は見通していた。

 ならば悔いを残させてやろうと、斬波は隣室へ取って返し、宴の騒ぎの中から、幾人かを見出して連れて来た。

 彼らは皆、腹一杯に食ったのか血色が良く、加えて相当に飲んだか、冴威牙でなくとも吐気に酒精の香を感じ取れる程であった。

 だが、彼等は――本来、斬波の部下達と酒色に耽る筈も無い者。

 夕霧と、特に彼女に親しい数人の、いずれもが冴威牙の子分格達――茶屋の前で捕らえられ、短刀を突きつけられていた者さえが居た。


「おめえら……!?」


 無事だったか――とまでのんびりした言葉を発する程、冴威牙も鈍くは無かった。

 彼等が無事であるどころか、斬波の部下達と同じ待遇を受けているという事、怯えの欠片も無く斬波の元に居るという事は――


「俺を――俺を売ったのか、夕霧!?」


 冴威牙はようやく、己がもう、彼等の群れの王で無いと気づいた。

 叫びも虚しく、夕霧は囚われの冴威牙を鼻で笑い、熊越斬波の太い腕に纏わりつくと、


「あんたがあたしらを裏切ったんじゃないか、犬っころめ!」


 檻の中の冴威牙に唾を吐き掛け、高笑いを響かせたのであった。

 それに唱和し、他の〝元〟子分達までもが、冴威牙を指さし嗤い、新たな主人への忠義を示す。

 既に冴威牙は、恐れられていなかった。

 山野に在る猛獣を恐れる事はあろうとも、檻に捉えられた哀れな獣に怯える事が無い様に。彼はもはや力を失った野良犬に過ぎなかった。

 だが――そも力を奪われたは、何が為であったか。

 言わずや、彼が〝己の〟群れと定めた者達、今も冴威牙を嘲笑う彼等さえ含んだ、己以外の為である。

 ただ一個、野生の獣として逃げ延びる事も出来ただろうが、そうはせず、囚われた山犬の王。打ちひしがれた彼に、もう力の一片たりと――


「……おい、お前ら」


 ――いいや、違う。

 人である彼等は、人に在らざる怪物の力を、未だに理解していなかった。

 唾を吐き掛けられ、頬には涙が伝い、手足さえ伸ばせぬ檻の中に居ようと――彼の鼻は確かに、〝城〟の外の情景までを、その脳裏に映し出していた。

 瞳孔が収縮する。眼球の強膜――白目部分に赤みが差す。

 犬歯が肥大し、牙と化し、凶悪な捕食者と成り果てた顔で、


「逃げろ――今、直ぐにだっ!!」


 それでも彼は、〝元〟子分達を救おうとした。

 その冴威牙の言葉は、ごうと巻き上がった熱風に掻き消される。

 方角を問わず、四方八方にて吹き荒れる熱風と赤光――そして、肌を焼く熱。


「かっ――火事だぁっ!」


 誰かが叫んだ時には、〝城〟は炎に包囲されていた。

 冴威牙は、その炎が、油を撒かれた為である事に気付いて――もう一度、涙を流す。

 直後、天井の板が砕け、檻の上にぱらぱらと降り注いだ。

 天井を砕いて降り立ったは、冴威牙が囚われた折に何処かへと逃げた、紫漣であった。

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