御旗のお話(3)
夜――堀川卿は一人、自分の尾を枕に横たわりながら、天井を眺めつつ思案に耽っていた。
堀川卿は、日の本の『錆釘』の、殆ど統括のような位置に在る。
自分から表だって働く事は少ないが、人員の配置やら資金繰りやら、そういう裏方仕事を務める女である。
この夜、堀川卿は、政府よりの要請にどういった返事をするか、頭を働かせていた。
〝比叡攻めは三日後とする、最良の戦力を整えろ〟――狭霧兵部和敬、直々の厳命。
朔の夜でなければ、比叡の山に攻め入る事は出来ないと、堀川卿は知っていた。それに例外があるとすれば、即ち比叡山を守る〝神代兵装〟の力が消え失せた時――つまりは比叡山の座主が死んだ時である。
――暗殺か。
敵将の暗殺を謀るのは、戦ならば当然の事と、己に言い聞かせる。
だが――死ぬのは、ただの僧侶。悪を為さず、善を積み上げて老いた僧侶である。
そして、その死が齎すのは、より多くの死。
守りを失った比叡山は、狭霧兵部の軍勢と――あの巨大砲〝揺鬼火〟に蹂躙されるだろう。
その蹂躙に加わる兵士を、貸し出せというのだ。
断る利点は無い。元より負けの見えぬ戦であるし、報酬は十分に与えられるとも知っている。
然し、その戦とは真っ当な戦いでなく、弱者を一方的に殺戮するばかりの、地獄絵図を描く行為であるのだ。
そういう行為を、喜ぶ者は多くない。望まぬ戦に誰かを駆り出し、誰かを殺させるというのは――心の痛むことであった。
「嫌やわぁ……」
弱音を吐いても、聞き咎める誰もいない。堀川卿は存分に嘆き、髪に顔を埋めては、子供のように啜り泣きもした。
そうしていると、ふと、耳に奇妙な音を聞く。
足音だが、普段聞いているより数が多すぎる――十数人ばかりぞろぞろと、自室に近づいて来るようであるのだ。
「………………」
基本的に、堀川卿の私室には、呼びつけた者以外の立ち入りは無い。
案内役として、子供を一人ばかり使っているが、どう聞いても足音の重量は、その子供のものではない。
夜分遅くに、招かれざる客が近づいているとなれば、堀川卿には心当たりが多すぎる。己が幾度殺されようと、世の恨みは尽きるまいと知っている女であるのだ。
長い――最長の部位は五丈にも及ぶ髪が、部屋の床を這い、敷き詰められる。
堀川卿の頭髪は、人間の指より精密に動く、一種の凶器である。いざとなれば、人の眼窩から侵入して脳髄を掻き回し、絶命に至らしめる事さえ可能である。
来るならば、来い。
そして――それで死ぬとしても、それはそれだ。
一種の諦念さえ交えて身構えた堀川卿の眼前で、部屋の戸が押し開けられた。
「あのー、すいませーん……」
「……む、村雨ちゃん……? なんや、驚いたわぁ……」
そこに居たのは、 『錆釘』に所属する少女――と、ぞろぞろと頭数を揃えた、亜人の群れであった。
堀川卿の脳内分類では、村雨は、〝芯はあるが人の良い少女〟とされている。少なくとも、自分を害する存在ではない筈である。
が――村雨が担いでいる〝荷物〟を見れば、その安堵も何処かへ消し飛んで行こうというものだ。
その荷物は、村雨によって床に降ろされると、腕を蜘蛛糸で縛り上げられたまま、呑気にぐるりと部屋の内を見渡して言った。
「おお、堀川卿だな。日々の忠勤、誠にご苦労。在野に留めるには惜しいと、常々思うているのだぞ」
「は――はっ、い!?」
話は変わるが、堀川卿は、権力者に対して顔が広い。
一般構成員が到底出入りなど出来ぬような箇所に出向き、一人で商談を纏めたり、或いは何か助言をしたりと、兎角高貴な人間とは縁深いのである。
が――それでも、顔を知らぬ相手も、居ると言えば居る。例えば、如何なる時も御簾の向こうにおわし、また堀川卿も平伏して接する相手だ。
然し、声は覚えている。また、匂いも忘れる筈が無い。
つまり――〝此処に居てはならぬ〟お方が目の前にいるのだと、堀川卿は気付いたのである。
「むっ、村雨ちゃん、どういう事なん!? 村雨ちゃん!?」
普段の姿からは予想も付かぬ程俊敏に、堀川卿は村雨の肩を揺さぶった。見ようによっては、男に縋り付く愁嘆場にさえ見える程、泡を食った顔であった。
「えーと、その……あは、あっはははは」
「この娘に攫われたのだよ。堀川、寝床を貸してもらうぞ、よっぴて覗きは、流石に眠気が来る」
「さ、攫……わ、わわ、わ」
そこで、折からの心的疲労やら何やらが、どうにも上限を振り切ったものであるらしい。堀川卿は、ぱったりと仰向けにひっくり返ってしまったのである。
「う~、う~……ううう」
日付は変わり、帝国の暦を用いれば、1794年2月27日。すっかり日が昇ってしまってからとはなったが、漸く堀川卿は目を覚ました。
自室の布団の上に移動させられ、額には濡らして絞った手拭いが乗せられている。まさに病人の待遇である。
まだ視界が暗いようにも思えるが、それでも無理に目を開くと、真上から覗き込んでくる顔がある。
「あのー……大丈夫ですか?」
「うちは村雨ちゃんほど頑丈やないからなぁ」
皮肉を返しても、真上にある顔は表情を変えない――村雨であった。
「……呆れてものも言えんわ」
「すいません」
上体だけを起こし、堀川卿は嘆息する。
村雨がしでかしたのは、ただの誘拐ではない。よりにもよって、この日の本で最も触れてはならぬ人物に対して、村雨はそういう事をしでかしたのである。
素直に頭を下げる村雨をよそに、堀川卿は部屋の内をぐるりと見渡した。すると、部屋の真ん中の方に布団が敷かれていて、誘拐されて来た当人が、すうすうと寝息を立てているのが見えた。
「……説明して貰えるんやろね。場合によっては、村雨ちゃんばかりやない、うちの首まで飛ぶで」
「錦の御旗をお借りしようと思いました」
村雨は、崩していた膝を畳み、その上に手を置いて言う。
「錦の御旗」
「はい。兵部卿よりもっと上から、比叡を囲む兵を引けと命じてもらう為です」
「出来ると思うてるんか」
堀川卿の声は冷ややかであった。
権力に対し、権力で反抗する――それが叶うというならば、確かに有効であろう。狭霧兵部が人を縛る術は欲と恐怖であり、利害である。即ち利害を以て切り離し得る。
然しその対抗策こそは、狭霧兵部とさして変わらぬものなのである。
権力者を脅迫し、自分に与するよう仕向ける――
「逆賊の手口や」
つんと突っぱねるように、堀川卿はそっぽを向いた。
「私は、この国の人間じゃないですから」
村雨の答えは、深刻さをまるで感じさせぬものであった。
あまりの軽率さに、堀川卿は、つい先ほど横へ向けた首を、ぐるりと村雨の側に回す。
「ついでに言うと、そもそも人間でもありません。逆賊だとか、官軍だとか、そんな事は関係ないんです。私がそうしたいかどうか――それを貫けるかどうか。強いっていうのは、そういう事だと習いました」
「……松風 左馬に師事してたんやてねぇ」
「それも有りますが」
言葉を区切り、村雨は堀川卿へ顔を寄せた。暴挙に開き直った、晴れ晴れとした顔である。
「あなたに、絶対に譲れないものはありますか」
「そういう事は、答えないようにしとる」
「私には、有ります。昔から意地は有りましたが、割と最近に、別なものに変わりました。その為だったら、世の中の決まりだとか伝統だとか知った事じゃない……それくらいに大事なものです」
「その為に死ぬとしても?」
「死にませんし、譲りません」
まるで子供の我儘である。
然し、この子供は、何処までも真っ直ぐに、全身全霊を以て、その我儘を通そうとする。
――変わった。
目的が己の内でなく、外にあるからか。
自分の為だけであれば、こうまで我を張れる少女ではなかった筈。堀川卿は、自らの目と耳をまず疑い――
「……駄目言うたら、噛み付かれそうやねぇ」
諦めたように、首を左右に振った。
こうなればきっと、村雨は譲らない。生来の意地っ張りが、かっちりと譲れぬものに噛み合ってしまったのだ。
良し、と肯定は出来なかったが、もはや窘めたり、阻止を計ったり、そういう事は無意味であると、堀川卿は深く理解した。
「変革は何時も、外側からだ。それがこの国よ、のぅ、堀川」
「は――、っ!」
諦念たっぷりに俯いた堀川卿を、親しげに呼ぶ声――いつの間にか〝男〟は目を覚ましていた。
堀川卿は布団から跳ね起き、床に膝を着いて低頭する。
〝男〟は横になったまま、その姿を見ずに続けた。
「五十年前よりも変わらぬ。大きな変革をもたらすものは、常に外から訪れる。あの時は黒船で、或いは今は、この異国の娘なのやも知れんよ……村雨と言ったか」
「……はい」
名を呼ばれ、村雨は居住まいを正す。
堀川卿との正対は、不敵ささえ滲ませていた村雨であるが、この男の前では、自然と背筋が引き伸ばされる。
こういう資質は、生来のものかも知れない。
言葉を一つ、二つ、飾りもせず発するだけで、その場の頂点は〝男〟となるのだ。
「私は、お前に与する事はできぬ」
「……!?」
そして〝男〟は、当然の事を繰り返すかのように言った。
「私は狭霧兵部を、信頼はせぬが信用している。あの男の手により、この国は外の強国に肩を並べ、やがて追い抜くだけの力を手に入れると。その為に必要なのが、あの男の酷薄なる事と、〝大聖女〟――エリザベートの奇跡であると」
「それはっ……!」
「民の命を省みぬ、と誹るか」
声を上げた村雨へ、〝男〟は手を翳して言葉を止めさせる。
「然り、である。私は、我が世の民の犠牲を以て、この国に恒久の平和を齎そうと思う」
天上に立つ者は、或いは地上を這う者と、まるで違う目で世界を見ているのかも知れない。
己を人間でないと称した村雨でさえが、〝男〟に、〝人でない何か〟を見る目を向けた。
「人には、生まれる時が定まっており、生まれる場所が定まっている。ならば為すべき事も定まっているのだろう。私は、それが天命というものであると思っている。私もまた、稀代の悪王として名を馳せるが為に生まれたのであろうよ」
「は……?」
人でないものには、人の道理が通じない。〝男〟は全く穏やかに、道徳とはかけ離れた次元で、己の信念を語るのだ。
譲らぬと、目が語る。
頑な――というのは、違うのだろう。そも、他者の言を受け入れるという概念さえ、有るのかも分からない。
天上の理屈を用いて、〝男〟は村雨を諭すのだ。
もしかすればそれは、この国の〝人〟であれば、頭を垂れて無条件に受け入れるべきものであるのかも知れなかった。
「従って私は、狭霧兵部が為す行為を止めず、エリザベートなる女が神に成り代わるのを助けてやろうと思う。八百万の神にひとはしら加わった所で、天上の座が狭くなる事はあるまい」
「いっ――」
村雨は顎を下に落とし、丸く開いた喉の奥からしばらく唸り声をあげて、それからやっと続く言葉を選んだ。
「――意味が分かんない」
「こ、こらっ、村雨ちゃんっ!」
〝男〟が天上の理屈を振るうのに対し、村雨も、もはや〝人〟ではなかった。
狭義の〝人間〟という意味ではない。或いは堀川卿など、〝人〟であるのかも知れない。
〝人〟であるなら、必ず平伏すべき権威、絶対性――そういったものを、例え畏れながらであろうとも、拒む。
その点を以て見るのなら、村雨は既に、人であろうとする事をやめていた。
「だって、この人、何言ってるのか分かりません! 誰かを犠牲にして? こ、こうきゅう……の?」
「恒久の平和を築く、と言った」
「そう、それ! もうそこからぜんぜん分からない! 高俅だか九紋龍だか知らないけど!」
顔を青ざめさせた堀川卿の横で、村雨は一息にまくし立てる。
「理解ができぬと?」
「今生きてる人を大事にしないで、どうやってこの先を良くするのか、あなたが考えてる事は何も分からない!」
「ほほう」
然し〝男〟には、暖簾に腕押しと言うべきか、まるで堪える様子が無い。鷹揚な顔のまま、静かに幾度か頷いて、村雨の主張を聞く――聞き流すばかりである。
「むー……!」
遂に村雨も業を煮やした。がっしと、〝男〟の手首を掴んだのだ。
「おっ」
「来て!」
足音荒く大股で――背がさして高くもないので、歩幅も推して知るべし――村雨は、堀川卿の部屋を出て行く。腕を引かれる男も、素直に引かれるままでそれに従った。
「むっ、村雨ちゃん!? 何処行くん!?」
「ちょっとお散歩して来ます!」
部屋の扉を閉める事もせず、村雨は通路へ飛び出し、部下達がその後を追う。
堀川卿が引き留めようとする余地も無い、全く突風の如き有様である。
がらん、と途端に静寂の訪れた部屋の中で、
「村雨ちゃん……悪い人と付き合うから……」
堀川卿は一人、胃痛の予感に頭を抱えていた。
春の足音が近づいて尚も、京の大路には雪がたんと残っていた。
どうにも今年の雪は根が深い。少し溶けたかと思えば、また継ぎ足すように振って来て目方を増す。
然し、日中は風も穏やかに、日の光も和らぎ始め、ぶ厚く何枚も重ねていた衣を、一枚ばかり減らして丁度良い程になっていた。
そういう具合の光の中を、貴人の女のように衣を担いで歩く男が――〝男〟が居た。
「のう」
「………………」
「これは、何処への御行ぞ?」
今少し、精密に描写する。
衣を担いで顔を隠しながら歩く〝男〟を先導するように、村雨が、赤心隊の羽織姿で歩いている。
その二人から、心持ちいつもより大きく距離を開けて、ルドヴィカ・シュルツを始めとする、村雨の腹心たちが追いかけている。
総勢十五人の行列である。
流石に擦れ違う町民が、一度か二度、振り向いて目で行く先を追いかける程には、悪目立ちする光景であった。
「良いから、着いて来てください。自分の目で見て」
「何を。街か、それとも人か」
村雨とて、癇癪で堀川卿の部屋を飛び出した訳では無いのである。
村雨は〝男〟を、為政者が座す高みでなく、町人の視線に立たせたかったのだ。
然し、その思惑は、どうにも〝男〟に見破られている様子であった。
「良く見てください。あっちを歩いてる人も、そっちの建物から覗いて来てる人も」
「幾年か、以前に見たより面に陰りがある。市街地での戦は短かったにせよ、心憂きはやはり戦火か」
「……分かってるくせに」
被衣に隠れた顔に如何なる表情を浮かべてか、〝男〟の声に初めて、鷹揚さ以外の色が混ざった。
鎮痛な声が示すのは、憂いである。
「なればこそ。なればこそこの国は、強く生まれ変わらねばならぬ。この痛みをこの都、この時のみに止める為にも」
それでも尚、〝男〟は持論を譲らず、寧ろ増々誇るように、胸を張って歩くのだ。
「だーかーらー!」
先を歩く村雨が振り返り、噛み付かんばかりに犬歯を見せて唸る。だが〝男〟は、考えを改める様子が無い。
寧ろ、言っても聞かぬ幼子を宥めるように、しっとりと、言葉一つ一つ噛み締めるように言う。
「海の外は広い、私は父より聞かされた。この国が二千年以上に渡って積み上げた力は、海の外へ運べば、一吹きに消える蝋燭の燈火の如しであると」
〝男〟は幾分か足を速め、村雨の横に並んだ。
「世界地図なるものを、見た事が有るか?」
「………………」
無言で村雨は首を振る。
大陸の、大帝国本土と周辺国家を描いた地図ならば、見た事がある。
西に海を越えて直ぐの五指龍の国の地図も、見た事がある。
だが、そういった巨大な国々を、一つに描いた地図であれば、見た事が無い。
「世界に比せば、この国は小さい。小さき者が大なる者に勝つには、弁慶を下した義経が如き、武と知が必要となる」
「……衣川は綻びました、巻き添えを連れて」
「それも力が足りぬ故、よ。糸が乱れぬように固く、固く結ぶ。それが私の天命であると、私は父より教えられた。そしてまた、私自身がそう考えている」
〝男〟は脳裡に、世界の地図を焼きつけている。そして、その世界という枠の中で、日の本が如何に小さく、後進の国であるかを――或いは信仰とも呼べる程、強く信じている。
歩む足がまた速まり、何時しか〝男〟は、この小集団の先頭を歩いていて、村雨がそれに付き従う形となっていた。
強さとは何か――村雨の師、松風左馬の定義を借りるなら、どれだけ我儘で居られるかである。
この瞬間、村雨は我儘の度合いで、この〝男〟に敗北を喫していた。
まだ村雨は、こうまで無条件に、自分の理屈を信じては居られない。
正しいと信じたものも、何らかの根拠を示した上で反論されると――その根拠に理解が及ばない事も含めてだが――抗戦の手立てが無くなるのである。
それでも、何かは無いかと、村雨は目を動かす。すると――
「……あっ」
その時に探していたものと、全く別なものを見つけた。
老婆が如き白髪の、眠たげな目をした少女が、菓子を扱う店の前に立っているのである。
狭霧 蒼空――狭霧兵部和敬の娘であり、剣技日の本一の達人。今の村雨の立場としては、日の本政府の所属という点は同じながら、関わり合いになる事も少ない相手であった。
蒼空は、何をしていたという訳でもない。ぼんやりと、店先に並ぶ品物を眺めているようであった。
だが、村雨には、それが何故か分からぬが、〝何かやる〟という予兆に見えたのだ。
「ちょっと――」
声を掛けようと、〝男〟を放置して小走りになった村雨の目の前で、蒼空は売り物の饅頭を無造作に掴み、齧った。
そして、店の主人が見ている前で堂々と、代金も払わずに立ち去ろうとするのである。
「――あ、こらっ! ちょっと待ったあっ!」
大声で呼びとめながら、村雨は蒼空に追い付こうとした。
ところが蒼空は、自分が呼び止められたという事にも気付かず、もう数歩ばかり、そのまま歩いて行くのだ。
村雨が正面に回り込んで初めて、蒼空は、何か接触を図られていると理解したらしかった。
「あなた、お金はちゃんと払った?」
「……?」
眠たげな目が丸く開かれ、蒼空は無言のままで首を傾げた。幼子に異国の言葉で語り掛ければ、こうもなろうかという無垢な顔である。
「お金。お饅頭、勝手に取ったでしょ。駄目でしょ?」
「……なんで?」
「いや、なんでって……当たり前でしょ!」
様子があまりに幼いものだから、村雨も思わず、子供を窘めるような口振りになる。
だが、蒼空はそれ以上に、子供以上に言葉が噛み合わぬのである。
「んー……お腹空いた、じゃ、駄目……?」
「駄目に決まってるってば、何言ってるの……おじさんも!」
「ほい!? 儂か!?」
「そう、おじさんも何で黙ってるの! 怒らなきゃ駄目でしょ!」
あまりに噛み合わぬが為か、村雨の矛先は、菓子屋の店主にまで向いた。然し店主は、両手と首を同時に振ってこう言うのである。
「何時もの事やし、政府の偉いさんからお金貰うたりしたらどうなるか……怖いやろ、な?」
「はぁ……いや、怖いって、いやさあ……」
往来のど真ん中、村雨は、右手に蒼空、左手に店主を置いて、双方平等に問い詰めていた。
これがまた――端的に言えば、目立つのである。
赤心隊の赤羽織に、異国の生まれとはっきり分かる灰色の髪。蒼空も洛中では、ちょっとした有名人ではある上に、村雨の後方にはぞろぞろと、がたいの良いのやら強面やらが十数人。
この一団は、やたらと衆目を引いていた。
「店主殿、失礼。この少女の飲食分は私どもが支払いますので、ついては明細を……」
「お嬢、お嬢、一度どこかへ行こう。子供を叱るのは目立たない所が良いって、な?」
流石に居心地が悪くなったか、村雨の部下の内から二名が、場を収めようと進み出た。鏨 阿羅と蛇上 離解である。
冷静が取り柄の阿羅は、店主に金を握らせつつ、穏便に事を運ぼうとする。一方、自分も子持ちである蛇上は、蒼空がどういう少女であるかをなんとなく察して、まずこの場を離れようと提案した。
「むぅぅ……」
村雨も、喉から唸り声を上げながら周囲を見回した。
確かに頭を冷やして見れば、これ以上に人の目が集まるのも、何となく居心地が悪い。常ならば兎も角、今は〝男〟を連れ回している最中でもあるので、尚更に留まるのは愚策である。
「えーい、もう! お饅頭はそのままでいいから、ちょっとこっち来なさい! こっち!」
「……こっち……?」
何も分からぬ様子の蒼空の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張るようにして、村雨は人通りの少ない細道へと向かう。
その後を、部下達が、目立つ格好と少しでも抑えるようにと、身を縮めて負い掛け――
「おうい。捕まえておらねば逃げるぞ、おうい」
〝男〟は群れの一番後ろを、これまたのんびりと歩いて追いかけるのであった。




