表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
152/187

御旗のお話(2)

 獣の群れが、夜を這う。

 身を低く、光を避け、音を殺して忍ぶ。

 やっている事は、狩りと同じ――静かに近づき、必要ならば一瞬で仕留める。

 ルドヴィカ・シュルツを筆頭とした五人は、誰に気付かれる事も無く、目的の建物の奥へと進んでいた。

 建物というのは、寝所である。

 一棟まるごと、ただ眠る為に設けられた、贅沢の産物――然し華美では無く、欄間などに慎み深く、飾りを施している。

 護衛の兵士は、建物の周辺には多いが、建物の内側には殆ど姿が無い。主の安眠を妨げてはならぬという事か――それがルドヴィカ達には幸いした。

 数人ばかりを平和裏に気絶させ、物陰に押し込んで隠してしまえば、後は楽な潜入行であった。


「……どっち?」


「お高そうな香りは、こっちッス」


 ルドヴィカが行先を問えば、五人の先頭を進んでいた男が、首だけ振り返って答えた。

 床に膝と手を着き、這うように進んでいる男は、邪烙という。村雨と同等かそれ以上に鼻が利く。

 貴人が纏っているような香りは、間違いなくこの建物の、中央から漂っているという。


「ただ……嫌な臭いもするッスね。なんつーのか、こういうお時間にお会いしたくない感じの――」


 邪烙がそうまで言った時、ぎっ、と、少し離れた床が鳴った。

 ルドヴィカ達が歩いている程度なら、軋みはしない頑丈な床である。それを鳴らすのは、中々の巨体であった。

 いや――相当に、でかい。うっかりもすると、一本角の生えた頭が、天井を殴りつけてしまう程である。


「……げっ」


 鬼が居る。ルドヴィカは、己の目を疑った。

 身長は九尺もあるし、腕や脚の太さと来たら、下手な家の大黒柱などよりよほど太い。額より生えた角など、槍の穂先より鋭く光っている。

 日の本全体を見て、何百人と居るかも分からぬ鬼――その内の一人が、この寝殿の警護に当たっているのだ。

 実際に戦場などで出くわした場合、古の剣豪とて泣いて逃げ出したくなる程、鬼とその他の生物とは、基本の性能がまるで違う。異常に頑強で、大地を反す剛力を備える、数十倍の戦力を備えていなければ出会いたくないような相手だ。

 一度逃げよう――相手に見つかってはならぬと、ルドヴィカは後方を指差し、全員で後退しようと指示を出す。

 が、それで御しきれるような面々でも無いのである。

 床ではなく天井を、風のように這う影があった。あまりに高所である為、それはルドヴィカ達の目にすら映らず――天井を伝い、鬼の背後へ回り込んだ。

 そして――四肢に加えて、背に潜ませた四つの〝脚〟で鬼の背に取り付くや、その口と鼻を、ぶ厚い布で覆ってしまったのである。


「……!? っ、っ!!」


 背後からの襲撃者に対し、鬼は腕を後方へ振り回して払いのけようとするも――敵は背中にピタリと張り付いている。

 鼻と口を覆う布は、鬼の顔にべったりと張り付いて剥がれず――息を吸うも吐くも阻害する。

 叫んで誰かを呼ばれる事は無い、が――それでも、単体で尚、軍勢が手に余す大怪物を前にして、


「……ええい、しょうがないっ!」


 ルドヴィカは、後方に向けた指先を、鬼へと真っ直ぐ向けたのである。

 呼吸が出来ずにもがく鬼へ、真っ先に近づいたのは倫道――村雨が最初に部下とした三人の一人、熊の亜人であった。

 彼の武器は、腕。本性を現せば、重量は人の数倍もあろう巨木の如き腕を、背から頭上を越えるように思い切り振りかぶり――


「おっしゃああぁっ!」


「……んぐぉ、っ!?」


 鬼の横っ面を〝ひっぱたいた〟。

 熊の爪は確かに恐るべき凶器であるが、そも、爪など使わずとも、平手打ちの衝撃だけで人を殺すだけの力はある。

 渾身の一撃は、鬼の巨体を大きく揺るがせ――だが、鬼は倒れない。

 踏み止まったのでなく、倒れられなかった。

 顔を覆うように巻き付いた先程の布が、今は伸び、天井から鬼を吊るす紐のようになっているのである。


「……こんな奴じゃなく、お兄様を喰いたい」


「殺しちゃ駄目って村雨が言ってたでしょうが……」


 鬼の巨体をも吊り上げる糸――たがね 阿耶あやの、蜘蛛の糸である。

 止めなければそのまま、鬼の首筋に牙を立てて噛み切ってしまいそうな阿耶を止めながら、ルドヴィカは右手の拳を握り、鬼に近づいた。


「『Anmachen』」


 ばちっ、と鋭い音がして、それ以上に鋭く、ルドヴィカの拳が奔った。

 自分自身の筋肉の一部を感電させ、痙攣によって超高速駆動させ放つ右拳は、更に骨の代わりに腕に埋められた鉄骨によって、重さと硬度を得る。

 鬼の顎を、真下から打ち上げる拳――ごきん、と鈍い音がして、鬼の目玉がぐるりと白目を向いた。


「殺しちゃ駄目って、自分で言ったくせに」


「顎砕けたくらいで死なないわよ、糸解いてやんなさい。……で? 居た?」


 絡まる糸が解かれれば、鬼の巨体がぐらりと傾くが、倫道が昏倒する鬼を支え、倒れる音を鳴らさぬように横たえる。その横で邪烙が、鼻を鳴らしながら、手近の障子やら襖やらを開けて、部屋の内を覗き込む。


「……香の匂いやら女の匂いやらはあるんスけど、誰も居ないっスね……外れ引いたか、もしかして」


「もしかして?」


 空の部屋に鼻面を突っ込んでいた邪烙は、顔を外へ出さないまま、後手に南側を――ルドヴィカから見て、丁度左手にあたる方角を指差した。


「どっかでバレバレになってたかっスねー」


「え? ……うぇー、バレバレっぽいわね」


 ルドヴィカが嘆息し、それから身構える程度に時差は有ったが、暗闇の中からぶわっと、気迫といおうか、殺気とも呼べようものが湧き上がった。

 見れば、闇に溶ける黒衣を纏った、衛士よりも胡散臭い姿の――男か女かは分からぬが、集団がにじり寄って来る。

 得物は、刃物ではない。神聖な主君の住処を血で濡らさぬようにか、鋭く長い針が一本と――衣服より覗き見る腕や脚の太い事から、体術が得手と読み取れる。


「御庭番みたいなもんっスかね、あれ」


 頭巾の内側より、目ばかりをギラつかせる集団は、獣の群れをも竦ませる程の凄みを備えていた。


「さあね。……仕方がない、せいぜい賑やかにぶちのめすわよ!」


 ルドヴィカも此処へ来ては、すっかり開き直っていた。

 愚痴は後で、たんと村雨にぶつけてやろうと――緊張混じりの引き攣った笑みを浮かべながら、両の拳を高く構える。

 ぴしゃん、と雷光が、夜の寝殿に迸った。






「うひゃっ!?」


 無尺は頓狂な声を上げ、顔を両手で覆った。

 彼は丁度、瞳孔を極限まで拡大し、殆ど光も無い寝殿の中を探っていた所であった。


「おいおい、変な声出すなよ」


「煩いな、あの光を見ただろ……目が痛いんだよっ」


 亜人は夜目が利く者が多いが、こと無尺の暗視能力は極めて高い。が、それが祟り目でもあった。

 異様に広い敷地の中でも、ルドヴィカが放った雷光は遍く届き、それを無尺の目はしっかりと拾ったのである。あやうく倒れるまで仰け反った無尺を、蛇上がからかいつつ背中を支えた。


「……むこうが煩くなったけど、あれは?」


「おっぱじめたんだなぁ……都合がいい、俺達の方は手薄になるねこりゃ」


 耳を澄ませていると、建物の外、幾つも足音が南へ走って行く。

 ルドヴィカ達はどうやら、暴れると一度決めたら、これでもかと目立つやり方を選んでいるらしい。稲光のような先行やら、夜闇を劈く咆哮やら、静かだった夜はにわかに祭のごとき喧噪となった。


「で、標的さんはどこじゃいなと。見つけた?」


「見つかんない。……そっちももうちょっと頑張ってよ」


 次から次へと襖を開けながら――ついでに時折、襖の内側の人間を穏便に気絶などさせたりしながら、二人は寝殿の中を歩いていた。

 すると、二人の眼前に、天井から逆さにぶら下がる影が有った。

 鏨 阿羅あら――妹の阿耶あやともども、中堅どころの役人にでも居そうな真面目顔をした、蜘蛛の亜人である。


「うおっ」


「失礼、お嬢は何処に?」


 今度は蛇上が仰け反り、その背を無尺が支える番であった。

 そんな二人を余所に、阿羅は二つの目と、更に髪の中に隠れる残り六つの目――合わせ八つの目で、村雨を探していた。

 が、答えを言うより前に、当の本人が丁度、向こう側の廊下を曲がって、此方へやってくる所でもあった。


「おっ、流石お嬢、嗅ぎつけて来た」


「え、何、何々? 何か有った?」


 村雨の方も、一通り見つけた部屋を漁り、だが目標を発見できずに居た所である。それで一度合流しようとしたところ、蛇上のこの言葉――足音を立てぬ小走りでやってきた。


「何か有ったと言えば有ったのですが……その、どうにもこうにも、うむ、ええと」


 阿羅は天井から逆さに釣り下がったまま、眉根を下げて――この場合〝上げて〟となるのかも知れないが、困り顔を作っている。妹の無理を押し付けられている時も、大概はこの顔である。


「来ていただけませんか? 私ではどうしてよいものか、些か計りかねまして……」


「……うん……?」


 先導する阿羅だけが上下逆になったまま、その後を村雨達が付いていく。

 と、阿羅が向かったのは寝所として用意された部屋では無く、そこから幾分か離れた、物置のような場所である。その前に立ち止まった阿羅は、困ったようなといおうか、助けを求めるような顔をしていた。


「この中に、どうにもですね……誰か居るのは、確かなのでしょうが、その」


「ああー……」


 困ったような顔になるのは、村雨も同じであった。

 床板の軋むような音に、苦しげだが喜悦も混じった声と――端的に言うと、二人して励んでいる最中のような物音が、物置の戸の向こうからするのである。


「なんだい、この程度の事でまごついて――」


 戸の前で鼻を一度ひくつかせ、開けようか開けまいか逡巡する村雨――の横から、無尺が進み出て、戸に手を掛けた。

 一息、ぐいっと、思いっきりである。ぴしゃん、と小さく音が鳴る程、強く戸が開かれて、


「ひゃっ!」


「きゃあぁっ!?」


 高い悲鳴が二つ、殆ど同時に鳴った。


「あっ」


 戸の向こう側では、あられもない恰好をした女官が二人、折り重なるようにして逢瀬の最中であった。

 片方、年若であろう側が、年長の女に圧し掛かり、髪を首や背に張り付かせて、頬を上気させている――そういう光景を目にし、


「……ご、ごめん」


 開いた戸を、そのままに閉じる無尺であった。


「……『この程度の事でまごついて』?」


「おっ、女同士は想定外だろっ!?」


「私は何も見ておりませんゆえ、ええ」


 蛇上がねちっこく冷やかすのを、しどろもどろに反論する無尺と、その背後できっちり目を両手で覆い隠している阿羅。三者三様の反応を示している横で、村雨は未だに鼻をすんすんと鳴らしていた。


「ねえお嬢、流石に女同士だったら驚くよね? ね!?」


「いやいや無尺、お前は男と女が抱き合ってたってああなる奴だ、おっさんにはよーく分かる」


「嫁さんに逃げられたおっさんが偉そうに……!」


「あっ、あっ、それ言わないで、心に刺さる――っと、お嬢?」


 ぽんぽんと軽口をぶつけ合う二人を、村雨は横へ押しのけ、戸の正面に立った。

 戸の向こうの物音は静まって、時折、衣服を直してでもいるのか、衣擦れの音だけがするのだが――


「蛇上さん、無尺、走る用意。阿羅、ちょっと来て」


「……はぁ? っ、いや待って、目をふさっ」


 阿羅が止める間も無く、村雨は再び戸をあけ放つと、物置部屋の中へずかずかと踏み込んだ。

 改めて見てみれば、それなりの広さのある室内である。

 部屋の殆ど真ん中に、先の二人が身を寄せ合って座っていて、周囲には何やら、きっと宝物であろう美術品やら反物やらが並ぶ。

 村雨はその部屋を、真っ直ぐに突っ切って歩き――壁際に置いてある、質素な木箱の前で立ち止まった。


「阿羅、こっち来て、こっち」


「は……そこの二人、早く服を着なさい。私の目に毒だから」


 未だに律儀に目を手で覆いながら、阿羅は村雨が手招きするまま、その隣に立ち――そして村雨は、木箱の蓋を取り去った。

 その中には、人間が居た。

 服装もそうだが、顔立ちも、表情も、何か〝やんごとない〟人間が、箱の中に隠れていたのである。


「……あなたは?」


「つまらぬ下人にございます、お慈悲を――」


 まるで恐れなど感じていない風に、その男は言って、木箱の中で立ち上がった。

 何をしていたかは言うまでもない――覗き見である。この先客に、女官二人も気付いていなかったと見えてか、年若の一人が男を指さし、口をぱくぱくとさせていた。


「み、みっ」


 女官はそこまでを言って――はっと気づいたように、口を両手で覆った。

 が、遅かった。


「……確保! 逃げるよ、みんな!」


「ははぁっ!!」


 行動は迅速であった。

 阿羅の吐く糸が、忽ちにその男を縛り上げ、村雨がそれを肩に担ぐ。


「おおっ、攫われてしまうぞ。これ、狼藉者、せめて落ち着いて名乗ってはどうか――」


「暫くお静かに! 舌噛まれると困るからね!」


 この段階まで来ても落ち着き払った男に、一応の警告だけを発し、村雨は真南を目指して駆けだした。

 先に決めた通りである。南へ走り、皆と合流し、南の塀を超えて脱出する。

 その後は、まだ村雨の胸の内に仕舞っている。隠していると言うのでもないが、急ぎの策故、じっくりと言い聞かせる間も無かったというだけの事だ。

 村雨は、吠えた。

 人の声で叫ぶのではなく、狼が夜に遠吠えするが如く、低く長く、うねるように吠えた。

 耳にした者が本能的に、身を隠すか、或いは抗うかを選ばされるような、怖気を呼ぶ声。左右を並走する部下でさえが、軽く身震いを起こしていた。

 暗がりを抜けて、少し光の多い所が近づいて来る。松明の火だ。

 幾人かが松明を持ちより、地上に固定し、対象物を目視しようとした痕跡である。

 炎はゆらゆらと、光量の一定でない灯りとなり、それに時折、黒衣の集団が照らし出されていた。


「ルドヴィカ!」


「……! 見つけたの!?」


 黒衣の集団が包囲する中央に、ルドヴィカを含む五名が集まり、迎撃の体勢を取っていた。

 何れが有利かと見れば――既にルドヴィカ達の周りには、十数人ばかり、地に倒れ伏す黒衣衆の姿。

 もはや隠密行動など諦めて、全力で殴り倒す腹を括ったのであろう。ルドヴィカは両腕に磁力を纏わせ、砂鉄で腕を覆い、鎧に変えて振り回していた。

 それでも、敵の残りはまだ十数人ばかり――包囲は分厚い。それを見て取った村雨は、肩に担いでいた男を、蛇上に押し付けて先へ進み出たのである。

 黒衣衆から二人ばかりが、それまでとは訳の違う殺気を滾らせ、村雨へ襲いかかった。賊徒の長と見抜いたのであろう、必ず殺すと定めてか、心臓と眼球をそれぞれの持つ針が、最短距離で狙っていた。

 ひゅうっ。

 と、風が吹くような音がした。村雨の左右の拳が、引き戻される音であった。

 過たず一人に一撃、顎を討ち抜く打撃――鎧を身に着けぬ近代の格闘術である。これで二人が昏倒した。

 その二人が倒れるより早く、次もまた一人、村雨の左手側から、身を沈めて馳せ寄る者が居た。両膝を腕で抱き捉え、地面に引き倒そうという腹である。

 右膝が、その一人のこめかみを討ち抜く。これもまた、一撃であった。

 そして、次は村雨から走った。

 闇に紛れて背後に回り込もうとする者が居たのだが、如何に彼等が夜目が利くとは言え、それは人狼たる村雨以上では有り得ない。捉え、彼以上の速度で、彼の背を取った。そして背後より、右拳を回しこむようにして顎を打ち、昏倒させた。


「――――――」


 黒衣衆は、尚も村雨に襲いかかる。無言で為される連携と、任務に対する遂行意識は、恐るべきものであった。

 だが、村雨には届かない――物理的に、得物の切っ先が追い付かない。

 速度こそは村雨の、最大の武器である。軽量の不利も、尋常ならざる速度を以てすれば、十分以上に補えるのだ。

 一人に対し、一撃。迫る凶器に身を翻し、擦れ違いざまに急所を打ち、次々に沈めて行く。

 会敵より、ほんの数十秒の後、ルドヴィカ達を包囲していた十数人は、悉く意識を飛ばされていた。


「ん、行くよ」


「……ぁ、ああ、うん……うん!?」


 何が起こったのか、ルドヴィカの目では追い切れぬ光景であった。気付けば包囲が潰され、そして再び村雨は走り出しているのだ。

 呆気に取られたまま、それでも先を行く村雨を追うルドヴィカは――下手な愚痴も言えぬのではと、心中、肩を落とす。


「お嬢、強えなぁ……なぁ無尺、お前あれに勝てる?」


「……無理だろ、絶対」


「……だよなぁ。でもさぁ、お前そこはせめて、惚れた相手に負けを認めちゃ」


「煩いっ」


 そしてまた、同じように震え上がる部下も、二人ばかり居たのであった。

 合流し、倍の数になった群れは、もはや身を隠す事もせずに走る。

 南の塀の付近では、これまた亜人が五人ばかり、兵士を蹴散らして道を開けていた。

 思譲しじょう繕行ぜんぎょう奇璃過きりか杯出はいでやく――村雨に指名されたこちらの五人は、紛う事なき荒事好きである。

 道を塞ぐものは何も無い。

 そして村雨の走る先には、さしたる高さとも言えぬ塀がある。


「立ち止まれば間に合うが、どうする?」


 村雨に担がれたままの男は、のんびりと、諭すような口ぶりで言う。


「私を置いて逃げれば、まだ罪は軽いのであろうが、そのまま塀を越えれば大罪ぞ。今の内に遠く、遠国まで逃げるのが良いと思うが」


「残念ながら、お断りします」


 それを聞き入れず、村雨は跳んだ。

 かくして村雨とその部下、併せ十四人は、一夜で大罪人となった訳であるが――然しそれは、大々的に宣伝される事は無かった。

 このような事が知れ渡れば、責を負う者の首が飛ぶどころか、連座でまた幾つか首が飛ぶ程の大ごとである。

 そしてまた、三日後の戦に備え、二条城は慌ただしく蠢いている最中である事も幸いした。

 人攫い――というには、あまりに畏れ多い罪ながら、踏み越えた村雨はいっそ、すがすがしささえ有る顔で、夜の洛中を駆けるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ