死戦(11)
包囲網が解かれた比叡山城の上空には、大量の煙が巻き上がっていた。
油と言わず木と言わず燃し、或いは湯を沸かし或いは肉を焼き、飯を作っているのだ。
減ったとは言え、何千という単位の人間に、腹一杯食わせるだけの飯を、燃料の節約を考えずに用意する。城内の気温が上昇する程の熱気が立ち込め、腹の虫を騒がせる香りも漂い始めている。
それを、無心にがっつく者もいた。
涙で咽て、ろくに腹を満たせぬ者もいた。
傷付き、未だに食事にありつけぬ者も、飯を食う前に既に死んでいた者も――多くの人間が、其処に居た。
援軍による解放の、喜びと安堵に浸る時間――そんな些細なものが、彼等にようやく与えられたのである。
東側の城壁は、貫通された箇所から蜘蛛の巣状に破砕し、殆ど壁としての用を為さない。西側城壁も罅が入り、何時崩れるかも分からぬという有様である。
風を遮るものは無く、城内にはひょうひょうと甲高い音が鳴る。
だが、寒くは無いのだ。
風音を掻き消すように、ごうごうと、鍋を煮立たせるものより更に大きな火が、城内の何か所かで燃えている。
油も種火も用いずに放たれた魔術の火――その中で黒い炭へと変質していくのは、城外より投げ込まれた、腐乱した亡骸であった。
「はーいはーいどんどん次持って来ちゃってー! 気温上がると面倒ですからねー、寒い内にやっちまいましょうねー」
杉根 智江は、腐れた肉や砕けた骨が等しく灰に変わって行く様を、誰よりも間近に見ながら、その悍ましい火がただの焚火であるかのように手を翳して暖を取っていた。
鼻と口を布で覆い、更に上半身に真新しい布を被った若者達が、撒き散らされた亡骸を、戸板に乗せて運び、火へくべて行く。すると、火は一時ばかり揺らいで弱まりもするが、直ぐに火勢を増し、内部の肉を焦がすのであった。
腐れた肉と言えど、元は人である。十数に一つは、人の顔を辛うじて保っているものもある。
それが焼かれ、肉が変質すると、ある顔などは口をぐわと開き、まるで叫んでいるような形相に変わった。智江はそれを指差し、変な顔と笑いさえした。人死にが生んだ惨状への怯えも畏れも、赤い髪の内側の脳髄には、一欠片たりと詰まっていないようであった。
「……弔うっちゅう考えは無いんかい」
「私には無いですねえ、そんな殊勝な思い。親と一緒に燃やしましたもの」
風鑑――この城唯一の医者〝だった〟男が、その隣に立ち、棘のある言葉を吐いていた。
杉根 智江もまた、医術を身に付けた者である。そう聞いた時、人の良い風鑑が真っ先に思ったのは、これで病人が救われるという事であった。
だが、智江が真っ先に行ったのは、この亡骸の焼却処分である。
理屈として、理解は出来る。
どのような疫病で死んだかも分からぬ亡骸を、長らく放置する訳にはいかない。蛆が湧き、蠅になれば、蠅を媒介に病が城内へ拡大するやも知れない。だから無惨な亡骸を一所に集め、燃やし尽くす事までなら、風鑑は己を納得させられるのだ。
許し難いのは、一つには智江の口元に浮かぶ微笑であった。
大笑では無い。目の前の出来事に、とりたてて愉悦などは覚えていない。まるでこの城内に、不幸な出来事が何も無いかのように、智江は微笑んでいるのである。
「ところで、貴方、貴方」
「風鑑や」
「風鑑さん。燃やすのは誰かに任せておくとして、病人は何処かへ集めてるんですかね?」
「……怪我人と病人は、分けて集めてある。病人はあっちや」
風鑑が指さした方向には、他の建物より少し遠ざけられて、急ごしらえの小屋が有る。隙間風を通さぬよう、壁を二重に立ててある、横に分厚い小屋であった。
智江はその小屋を見ると、真っ赤な上着の懐に手を差し入れながら、足取りも軽くそちらへ歩いて行く。
「治せそうにないのは?」
「……五人」
「場合によっちゃ殺しますが、構いませんね」
それが当然と言わんばかりに、智江は言う。
その背を、風鑑は追わなかった。
「良いと、言う思うんか?」
「いいえ、言えないでしょうねえ。だから外様の私がぶっ殺してさしあげるってんですよ、オーケイ?」
「……ノー」
否定の言葉を返しながら、風鑑は何もせず、智江の背を見送るばかりであった。
事実、もう治しようのない病人や、怪我人は何人か居るのだ。
死ぬのを長引かせる事は出来るだろうが、それもひと月かふた月か――何をするでも無く、ただ生きる為だけに生きるような者達。
それを、生きているならと見捨てられないのが風鑑であった。
だが同時に、死なせてやった方が良いのかも知れないと、思わないでも無かった。
「わたしゃ多分、世界一か二くらいの腕利きです。私が治せないってんなら、他の誰を連れてこようが治せないって事だ。薬も飯も、運ぶ人間も、ぜーんぶ無駄は省いて損は無い。そうでしょ?」
風鑑は、この飄々とした口ぶりの女が、どうしても許し難かった。
初対面で自分の腹の内まで見通して、こういう事はお前には無理だと突き付けてくる、自分より優れた人間。
そしてまた、そんな相手が居た事を感謝する自分が、尚も許し難かった。
智江が歩き去った方角から、風鑑は意図的に目を背け――そして、これからもまだ生き続けるだろう者達が、飯を食う様に目をやった。
「……戻って来とらんな」
狭霧紅野が、いない。
その右腕として傍らに立つ、狩野義濟がいない。
老剣客、高虎眼魔がいない。
比叡山の城中で、特に戦に長けた者達が、雪月桜を除いて、誰も戻ってきていない。
もし、今から戦闘が始まるとなれば、この城の兵士は、まさしく烏合の衆となるだろう。
だが――戦いは始まらない。
城を囲む軍勢は既に後退し、城内には、最新の銃器で武装した援軍が居る。そして恐らく、その援軍は、これからも数を増し続ける。
狭霧兵部は失権し、彼が出した悪法は全て効力を失うだろう。その過程でもう一度か二度、戦が起こるかも知れないが――それはもう、風鑑の関与する所ではない。
風鑑は、町人と同じ視線の高さで生きる男だ。
親しき隣人達が迫害され、命を奪われる――それが見過ごせず、比叡の軍勢に加わった。
だが、もう町人達が、無法によって害される事は無い。
城壁の内に籠り、戦の影に怯える事も無ければ、城中の兵糧が何時尽きるかと、日夜思い煩う事も無い。
そういう事は全て、誰かに任せて良い。ただの、誰かに死んで欲しくないだけの臆病な医者が、引き受ける事では無くなったのだ。
「僕はやっと、用済みか……」
風鑑の――いや。特別なものが何もない、一介の町人達にとっての戦が終わった。
そう思った瞬間、嗚咽が込み上げるのを抑えられなくなり、風鑑はぼろぼろと涙を零しながら、雪に手を付いて咽び泣いた。失った友人や、未だに戻らぬ友人の事よりも――安堵に、ただ、ただ泣いた。
「一つ開いては我の為ー、二つ開いては誰の為ー、っとくらぁ」
治らぬと見切りを付けるのは、杉根智江には難しい事では無かった。
風鑑が言ったように、確かに五人、後は死を待つばかりの病人が居た。それを運び出し、物陰で一人一人、腹を裂いては中身を弄り回し、智江は調子っ外れの歌を口ずさんでいた。
隻腕ながら、刃物の扱いに淀みは無い。
人体の、ぶ厚い肉も骨も、易々と斬り外して――その合間に、別な〝部品〟を継ぎ足して行く。人の体に備わっている筈も無い、頑強な爪やら、鋼のように強靭な体毛やらを、智江は病人の体に癒合させているのだ。
「……何をしに来たと、先も聞いたが」
「ええ、聞かれましたねぇ。答えとしちゃあ『助けに来た』ってとこでしょうか」
「その術が、それか」
灰汁を飲み干した直後のような低い声で、桜は言った。
智江が何を作ろうとしているか、桜には見当が付く。
獣の体と人間の体をつぎはぎにした『人工亜人』――膂力は獣に等しく、人の頭部を腕の一振りで叩き落とす。然し顎は弱く、消化器官も人間のそれと然程変わらぬ為、生肉を受け付けず、飼育下に無ければ確実に飢え死にする〝できそこない〟である。
体躯と筋力の割に体重が軽く、また四肢の長さも人に比べて長い為、慣れぬ内は桜も手古摺る程の化け物――そういうものを、智江は〝五つ〟ばかり作ろうとしていた。
「何か、問題でもあるんですかねぇ」
「私が気に入らんと言ったら?」
歪な生き物である。
何かを殺し、そして飢えて死ぬ為だけに作られた化け物――しかもその材料には、生きた人間を使うのだ。そして桜と村雨は、〝そんなもの〟に幾度か苦しめられた。
許し難い、とは言わない。そのような、正義感に満ちた言葉では無く、桜は気に入らぬとだけ言って太刀を抜く。
桜は、智江の首筋に、太刀の刃を触れさせた。戦場から舞い戻り拭わぬままの刀身には、幾多の兵士の血が、べっとりとこびり付いている。
その刃を、智江が右腕で押し下げた。前腕の中程から先の無い、袖が垂れ下がった腕である。
「貴女、狭霧兵部和敬って人間を知ってます?」
左手は変わらず、刃物で病人を切り刻みながら、常より声の調子を落として智江は問うた。
「どういう意味で、だ」
「顔を知ってるかだの、名前を知ってるかだのじゃあなくってですね、あれがどういう人間かを知ってるかってえ質問です。もっと言うなら、どんだけ頭がおかしくて、どんだけ性格が悪いか――一どんだけのタマかって事ですかねぇ」
そして智江は、背後を振り向こうともしないままに語る。
冬の初めの、牢暮らしが少し堪えるようになった頃の事であるという。
杉根智江は牢獄の中、格子越しに魔術や医術の講義を行いながら、日の当たらぬ日々を過ごしていた。
学びに来るのは、政府に特に認められた優秀な若者。身分、才覚に加え、口の堅い事を条件として選ばれている。最新鋭の学問を、政府は民衆の物とせず、自分達の特権として手に入れたいという事であるらしい。
実際の所、学問を身に付けた若者達が、数十年も口を噤み続ける事も無いだろう。何時か必ず、その知は広められるのだろうが――そういう事は、智江の関心事では無かった。
ただ、自分ともう一人が生き延び、自由を手に出来る事――と、叶うなら面白おかしく生物実験に没頭して生きる事。それだけを思って、時間の流れも良く分からぬ地下で暮らしていた、ある日の事である。
「おい、俺を手伝え」
その男は、格子の前にどっかと腰を下ろすと、暴君そのものの口振りでそう言った。
日の本の人間にしては背が高く、中年に差しかかってはいるが、老いは体に浮かんでいない。智江が見るに、見事な健康体である。
然し、精神はどうにも、壊れているように見える。
人の内面は顔に滲み出るものだが、智江の目にその男は、狂人以外の何者でも無いように見えたのだ。
それが、狭霧兵部和敬であった。
「手伝わせたいなら、まず此処を出しちゃあくれませんかねぇ。生憎と牢の中じゃあ、低い天井と近くの壁しか見えませんで――」
「黙れ、毛唐」
格子の中へと無造作に腕を突っ込み、狭霧兵部は智江の胸倉を掴んだ。
看守達や、時折訪れる役人ならば、決してそのような事はしない。噛み付きはしないと分かっていたとて、誰が獣の口に、好き好んで手を押し込むだろうか。
外側の人間を守る為の格子をまるで眼中に入れず、狭霧兵部は言った。
「女を一人、殺す手助けをしろ。一人で千の兵に相当する、馬鹿力が自慢の女だ」
「……そーいう知り合いがいないでも無いですが、またそりゃ無茶な事を仰る。それが出来てたら、わたしゃ此処に居ませんっての」
智江には、誰の話題であるか、直ぐに見当が付いた。
わざわざ自分のような囚人に会いに来た事と、狭霧兵部の口振り――雪月桜という大怪物の話題であろうと。
智江自身、自分一人で数百の兵士程度なら、手玉に取れる自信は有る。だが、一個の生物がああも強大であるというのは、明晰な頭脳を以てしてもまるで予想の及ばぬ所であった。だから、命を取られる代わりに頭を下げ、囚人となって生き長らえたのだ。
「そんな事は分かっている。誰が〝捕える手伝いをしろ〟と言った?」
その経歴を、狭霧兵部もまた、熟知しているようであった。
「それは俺の愉しみだ。どうやって周辺から堀を埋めて、飢えと乾きと病と絶望で弱らせ、抗えぬ物量で押し潰し捕えるかまでは、それは俺が計画すべき娯楽だぞ。誰がお前にくれてやるか!
俺が言っているのはだ、そうやって仕入れた玩具を、最後にどう壊すのが面白いか考えろという事だ」
そして狭霧兵部は、牢の格子を無頓着に開くと、付き従えていた側近に命令する。
鉄兜を被った側近は、荷物を肩に担いでいた。牢の中に投げ入れると、それは苦痛に呻き声を上げ、それから直ぐに立ち上がって逃げ出そうとし――狭霧兵部の目に射竦められ、頭を抱えて壁際にしゃがみ込んだ。
何処かで適当に捕まえてきたのだろう、少女であった。
「……なんです、これ。お土産? 食べませんよわたしゃ」
「だろうな。だが料理はしてもらう――それの腹を裂け」
脈絡の無い、言葉であった。
「……なんと?」
「その餓鬼の腹を裂き、臓腑を一つ一つ検めろ。その間、何処まで死なずに持ちこたえるかをな、まず試しておきたいのだ。
実際に黒八咫を捉えて、さて楽しもうと刃を突き立て、あっさり死なれてはたまらぬだろう? お前のような医者がいれば、人間は何処まで生き長らえるかという事を、是非とも俺はこの目で見てみたいのだ」
からり、と投げ渡された短刀は、錆びて欠け、切れ味も鈍った、人もろくに殺せぬような刃物であった。それを智江が拾い上げると、狭霧兵部はにたりと笑って、牢の格子の扉を閉じる。
「そら、始めろ。どれだけ時間が掛かっても構わん、どうせ仕事は此処でも、誰の血を浴びながらでも出来る」
顔色一つ変えず、智江は語り終えた。
自分が狭霧兵部に従い、罪も無い子供を一人、解体して見世物にした事まで、つぶさにである。
それを聞く桜は、刀の柄を掴みぎぃぎぃと軋ませ、今にも斬りかからんばかりの形相であった。
「狂人ってのはね、普通はさっさと死ぬもんです。自殺するか、殺されるか、野垂れ死にするか。権力者になってから狂うってんなら兎も角、あんな風に最初っから狂ってる人間が上り詰めちまったってえのは、本当に異常事態だ。
あんな人間が、世界に通じる兵器を持ってごらんなさいな。生きた心地がしないなんてもんじゃない、本当に何時死ぬか分かりゃあしない。権力争いに混ざるつもりはありませんでしたが、あれが生きてる間、わたしゃ安心して眠ってられないと思いましてねえ」
だが、桜とて修羅場を抜けて来た人間である。智江の言葉が本心から――それも、相当の警戒心と共に発せられていると見抜いている。
どうしても共存できない生物というものはあるが、智江はどうにも、狭霧兵部をそういう天敵と見なしている様子であった。
「……だから、そういう手を使うのか」
「勿論。生き残る為と言うんなら、使えるものは何でも使いましょうともさ」
顎で切り刻まれる病人を差し、揶揄するように言えば、力の籠った答えが帰る。
「貴女のせいで、わたしゃ死ねない理由を見つけちまいましたからねぇ。どんな手を使おうが、必ず生き延びてやる。その為なら赤の他人の命の百や千や万、切り捨てられるのが私ですし……貴女もそういう人間でしょう?」
「ふむ」
憮然としながらも、桜は一つ頷いた。
中指で右瞼をかりかりと掻きつつ、智江から離れて、この場を立ち去ろうとする。
勝てぬ相手では無いが、桜は、この赤備えの女が苦手であった。下手に追い詰めれば、何もかもを投げ捨てて自分を殺しに来るだろう相手――かつその牙は恐らく、自分を半殺しにするには足るだろう力も有る。
敵対せぬなら、それで良い。そう思い、触れずに置こうと背を向けた――その時、であった。
「ところで、桜さん、桜さん」
「なんだ?」
振り向かぬまま応じた桜に、智江は、冷やかすような笑みを向けて、
「恋人さんから、お手紙を預かってます」
桜は雪を蹴立てて、再び振り返った。
話は数日前、狭霧兵部が部下を集め、比叡攻めを宣言した日の夕方にまで遡る。
春が近づき、少しばかり日が長くはなったものの、やはりまだ日没は早く、そして影の伸びは早い。
背の高い建物が増えた洛中の市街地は、何かが身を隠すには、非情に適した場所であった。
例えば、獣。
人の目を逃れて、影から影へ移るように歩けば、明らかに異質な姿であろうと、人の街の中を生きられる。
そういう具合にこそこそと、洛中の街並みを進んで行く群れがあった。
「……整列!」
先頭に立つのは、村雨であった。
ここ最近身に付けている赤羽織姿では無く、旅をしている時のような、色気の無い西洋風の衣服である。
そしてまた、後方に付き従う群れも――亜人ばかりで構成された村雨の部下もまた、色味に乏しい衣服で揃っている。
彼らは、群れの長の号令に従い、横一列に並んだ。踵を合わせ、手を背の後ろに組み、熟練の兵士の如き顔である。
「お嬢、夜討ちですかい」
「……その呼び名は止めて欲しいんだけどなー」
小隊の面々は、自分達が何をすれば良いかは、既に知っていると見えた。そしてまた村雨も、引き攣った笑みのままで頷き、肯定した。
その横に、ルドヴィカ・シュルツが立つ。村雨の副官のような位置にある彼女は、この日は、顔全体にどんよりと沈んだ雰囲気を漂わせていた。
「……何か有ったんですか?」
「ええ、すっごく嫌な事がありまーす。こいつの命令を良く聞いて、みんなも私とこの気分を共有しましょーう」
部下達の一人が訊ねれば、ルドヴィカは何処か遠くへ視線を飛ばし、乾いた笑い声と共に応じる。それと共に、村雨の笑みも増々強張って――まだ何も言わぬというに、場には異様な緊張感が漂い始めた。
「えー、まず皆に言っておくと、三日後は戦だって。いつもの、比叡攻め」
姿勢は変えぬまま、部下達は各々、表情で怪訝さを表明した。
比叡攻めは朔の夜に行われ、それは四日後の筈だ。一晩早く、どうして動くと言うのか、と。
だが、誰も言葉を差し挟む事は無く、村雨もまた言葉を続ける。
「ちょっと、今回は危ない臭いがする。……つまり、何もしなかったら、本当に比叡は落ちるんじゃないかって。兵部卿の側に居るなら嬉しい事かも知れないけど――知っての通り、私はそうじゃないからね」
村雨は、部下を集めるに当たって、明確に自分の立場を伝えていた。つまり、この戦を止める為ならば、政府側に反旗を翻す事もやぶさかではない、という立場をである。
元より、外れ者として扱われてきた亜人達からすれば、上役がそういう考えであろうと、さして問題は無い。従うべきは権力でなく、単純な〝力〟である。
部下達の目が、誰も異論を唱えていないと見て――村雨は、小さく身震いした。
「これから私達は、とっても危ない事をします。上手く行っても行かなくても、多分、うん、歴史書とかに私達の名前が残ったりするんじゃないかと思う。
成功したら……国の英雄とか? 失敗したら、とんでもない悪人って事で、何百年も有名になれる。……いや、成功して残したいけどね、こればっかりは」
「危ない事……何処を襲うんで?」
既に部下達の何名か、血の気の多い連中は、目をぎらつかせ始めている。この所、人助けばかりの善人めいた過ごし方をしていた彼等は、たんと血潮を滾らせているのである。
「うん、ちょっとあそこをね」
それに応える村雨は――身震いを、更に大きくしていた。
傍から見て、はっきりと〝震えている〟と分かる程に膝を震わせながら、少し遠くにある、大きくまた歴史も深く、決して侵してはならぬ神聖な建築物を指差した。
部下達は、村雨の指を追って、その建物を見て――その指は何か別の建物を示しており、自分が勘違いをしているだけだろうと、幾度か目を擦る。そして気付くが、その方角に、それ以外に該当しそうな何かは存在しないのである。
「あそこの一番偉い人を誘拐します」
血相を変えた部下達の、十数個の口が別々に、やめましょう、と提案する。
その全てを村雨は、引き攣った笑いのまま、やだ、と却下した。




