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死戦(5)

 それは一騎討ちともまた違う対峙であった。

 比叡山軍の大将である、狭霧紅野。

 政府軍に於いては役職こそ持たぬが、拝柱教の教祖である〝大聖女〟エリザベート。

 この二者が城門の前で、互いの手の届く距離に立っているのである。

 戦場が、しん、と静まっていた。

 僅かの身動ぎや息ならば、雪が溶かして隠してしまう。

 だがそれ以上に、皆が息を殺し、この二者を見守っているのである。

 殺し合いでは無いが――戦うのだ。

 知的生物の二個体が、向かい合って戦うのだと、誰にも分かっていた。


「問いましょう。貴女は何故、無暗に民草を煽り束ね、勝てぬ戦に拘泥するのです。敗戦は必定、これ以上の抵抗は苦しみを生むばかり……城門を開き頭を垂れなさい。貴女を信じた者達に、安らぎを与えるのです」


 エリザベートは、問うとは口で言いながら、何か答えが返る事を願いもしなかった。

 主張は一つ――降伏せよと、それだけだ。


「悪いが、出来ない。あんたがどう言った所で、うちの親父が最低の人間だって事は皆知ってる。城門を開く? そんな事したら次の朝には、城内全部が死体の山だ。

 何故というなら答えてやるよ。私達は、抵抗しなけりゃ殺される。が、抵抗すりゃ生き延びられるんだ。私の槍には城内全部の命が掛かってる、頭は下げられないね」


 無論、否。

 狭霧兵部和敬という人間を、最も理解している者の一人が、紅野である。

 降伏する恭順する、或いは抵抗する反乱する、そういう区切りは狭霧兵部にとって無益なのだ。彼の基準は、己が殺したいかそうでないか、そこに尽きるのである。

 狭霧兵部が殺すと定めた以上、狭霧兵部を殺すまで、比叡山軍に安息は無いのだ。


「逆に聞くよ。あんたは人を助けて回ってるらしいね。ああ大した善人様だ、怪我も病気も何が怖いって、〝ちゃんと生きられない〟か〝死ぬ〟のが怖い。それを取り除いて回ってるんだから、あんたは良い人なんだろうさ。

 じゃあ、なんでその〝良い人〟が、人殺しと手を組んで私達を殺そうとする? 私達は死んでも良い人間だ、ってか?」


 煙管から煙を目一杯吸い込んで、冬の寒さより一段白い息を吐きながら、紅野は問う。

 その目は、人を殺せる人間の目であったが、正面からその視線を受けても、エリザベートはたじろぐ気配を見せなかった。


「はい」


 そして――肯定する。

 その言葉は、戦場全体を震え上がらせる非情の響きであった。

 慈悲の塊である女が、誰かの死を。それも、二千以上の人間の死を良しとしたのだ。


「世界全てを救う為に、私は、何万かの人間を死なせても良いと考えています。何故なら世界には、何百万も何千万も、何億もの命が生きているからです。

 より多くを救う為に、私の道を妨げる全ては、私の決意の元に殺しても良い――そう、信じています」


「そりゃ勝手な」


 紅野は、努めて嘲るような口調を作った。目の前の女が愚者であり、世迷言を吐いていると断定するかのように。

 然し、その些細な抵抗は、大蛇の身には刺さりもしない。


「世界は未だに争いを続けている。そして戦争の形は、やがて大きく変わりましょう。一つの城を囲んで睨み合うのではなく、国と国が遠くから、相手の顔も見ずに殺し合うようになるでしょう。

 城壁でも、人の手でも防げぬ戦火が、遠く離れた何処へまでも届くようになるのです。その果てにあるものは――滅びの道しかない。貴女には分かりませんか」


「………………」


 分かる。紅野は、心の中ではそう答えた。

 エリザベートの思想は、狭霧兵部と似ているもの。そして狭霧兵部が、紅野に教えたものでもあったのだ。

 昔の戦いは、人間が一対一で、素手で殺し合うものだった筈だ。

 それが武器を持ち、群を為し、策謀が生まれ、魔術が生まれ、兵器が生まれた。

 戦いの形はやがて、兵器に偏って行くのだろう――狭霧兵部はそう断言するし、エリザベートが信じているのも、それだ。

 力の強いもの、賢いものが勝つのではない。優れた兵器を大量に所有する者が勝つ戦い――そういうものが戦争の主流となれば、どうなるか。

 分かり易い話にすれば、睨み合いの末の共倒れである。

 全ての集団が、資金の許す限りに兵器を買い集め、そしていざ戦いとなればそれを存分に用いて攻撃しあう。互いに初撃で敵を滅ぼせる力を得たなら、瞬き一つの間に、二つの国が共倒れになる事さえ出るだろう。

 それが、何百年後か、何十年後なのかは分からない。然し必ずそうなると、狭霧兵部は不機嫌な顔で口にしていた。


「この国に眠る〝神代兵装〟は、平和を生む解の一つなのです。決して滅びぬ聖域を生む、最強の守り――私ならばそれを、更に強く作り替えられる。月の見えぬ朔の夜でさえ消えぬように、その有様を作り替える事が出来る。その先に待つ世界が見えますか?」


「あんたに誰も逆らえなくなる、それだけだ。それが気に入らないから、こうやって戦争が起こってるんだろうが!」


 然し――そんな未来の予想図に、一つの例外が有る。この比叡山に存在する〝神代兵装〟――〝別夜月壁よるわかつつきのかべ〟である。

 絶対防御の障壁とは謳うが、これはそも、防御では無い。内と外の完全な隔絶を為す神秘であり、如何なる力でも破れないものだ。障壁の外から見れば、内側は存在しないも同然の空間となり、そして存在しないものを破壊するなど不可能だからである。

 これがエリザベートの力によって、朔の夜にも力を失わず、更には覆う範囲を拡大した場合、どうなるか。

 それはもはや、戦争どころか争いにすらならない。エリザベートから一方的に齎される、反逆者への蹂躙となる。


「ええ……その通り。私は絶対の支配者として、世界に君臨出来るでしょう。私の意に背き争いを生む者は滅び、私の意に従い善を為す者は全て守られる。

 即ち私は、この世界を創造された主の代理として、世界に善の基準と秩序を齎すのです。私の元に在る者には、決して不当に命と在を奪われる事が無い、平等と平和の世界を約束しましょう」


「……っ、お前は、お前は……!」


 もはやその言葉は、常人の感性を以てしては、受け入れがたいものであった。

 お前は間違っている――紅野は、そう謗る事は出来ただろう。

 だが、何が間違っているかと問い返された時、流暢な言葉で反論を述べられない。

 間違っているというなら、そも根底から狂っているのだ。

 人間を数で見て、大の為に小を切り捨てる。選択の結果自体は間違っていないのだろうが、そも選択する事が間違っている。

 然し、間違っているという事の論拠は?

 紅野の思考の中では、理解出来ぬ者への恐れと反発が渦巻き――


「お前は、神にでもなったつもりかよ……っ!」


 最も端的に、その思考は言葉に変わった。

 答えは、エリザベートでは無く、空を裂く一閃と、着弾の轟音が返した。


「うっ……!?」


 紅野が後方を振り向いた時には、背後にそびえる西側城壁に罅が走っていた。、

 五里東に設置された巨大砲塔〝揺鬼火〟が、尖頭砲弾を射出、比叡山城の城壁を狙撃したのである。

 先の砲撃で、既に東側の城壁には罅が入っていた。そして今またの砲撃は――城壁を貫通、砲弾を城内へ着弾させるに至る。

 着弾の衝撃で城壁は内側へ向け、大量の瓦礫を飛び散らせた。その内の幾つかは、超音速の砲弾で押されたか、亜音速で城内に突き刺さる。

 砲弾自体もまた、雪上に着弾しながらも、その地点を大きく抉りながら跳ねた。

 一度、二度、地面とぶつかって跳ねながら、側面方向の速度はさして変わらず――遂には西側城壁へ内側から突き刺さり、蜘蛛の巣状の罅を残して、やっと止まったのであった。


「……んな、馬鹿なっ……!」


 これは、どうにもならぬ。

 届かぬ距離から、決して防げぬ攻撃が飛来する。もはや謀略も戦術も何も無い。

 圧倒的な理不尽を前にして、紅野は茫然としながら、それでも抗う手立てを探し――無い、と結論を付けた。

 城に固執しては、決して勝てぬ。

 勝つならば、まずは砲を潰さねばならない。

 だが――それを、誰がやる?

 五里も先の砲に接近し、砲自体を破壊するか、或いは動かす為の兵士を皆殺しにする。

 桜か、自分しか出来ない。

 その何れを動かそうとも、その間に城を狙われる。

 どうにもならぬ。

 どうにもならぬ。


「落雷は、神の御業と恐れられました。遥か天上より降り、そして決して防ぐ事は出来ぬ光と炎――この砲撃は私の落雷と思いなさい。

 比叡山の人民全てに告ぎましょう! 仏の教えを捨て、私に従い、私の教えの元に生きるのならば、兵部卿が何を言おうとも私の力で守り通します! 私に抗い続けるというならば、この砲は決して止まず、日に三十二度、貴方達の頭上に怒りとなって降り注ぎましょう!」


 城門前に殺到していた兵士達は、エリザベートを取り残し、数間ばかりの後退を始めた。

 巨大な城と、その内の二千以上の人間に、エリザベートは一人で対峙しながら――その言葉は、天上より一方的に齎されるものであった。

 無防備だ。刀も、槍も、矢も、銃弾も、この女に易々と届く。だが殺せない。

 そしてエリザベートは悠々と、城壁に背を向け、引いて行く兵士達を追う。


「私は天に至る。至天の塔に立ち、この世界を見下ろし、永き安らぎを与えましょう。恒久の平和の為に――死になさい、私を妨げる者よ」


「…………っ!」


 追わない。追って殺せる相手では無く、そして敵兵の攻撃にも備えねばならない。

 何よりも――混乱した城内に轟いた、今の宣告の影響を知らねばならない。

 紅野はエリザベートを追わず、城内へと戻った。そして桜は、敵が完全に後退したと確信するまで、暫し城門の前に立っていた。

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