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蝶のお話(2)

 さて、翌日の事。

 桜は狭霧紅野に頼まれて、練兵の手伝いをする事となった。

 元より桜の剣は、師もそうであったのだが、類稀な身体能力に任せたものでもある。これを教えるのは難しかろうと一度は断ったのだが、刀の構え方、槍の持ち方を見るだけでも良いからと言われて、それならと応じたのだ。


「其処! 動きが堅いぞ、まずは息を吸え!」


 そして――実際の所、桜の教えは、役に立っている。

 桜が受け持っているのは、外部から比叡山城に逃れて来た、所謂〝新兵〟に当たるものだとか、本来は後方に置かれるべきだが敢えて志願している女、子供達である。

 これらはまず、〝技〟を教える段階に無いのだ。

 武器はどう持って、どう振るい、どうやって身を守るか――基本的な挙動に関してであれば、常道の剣術を用いぬ桜であっても指導は出来る。速い話が、当たり前の事を良い、そして正しい形になるように口出しをすれば良いのだから。

 幸いにして、戦った相手は星の数程。過去の記憶から、真っ当な剣術、或いは槍術はどう構えるかは、確りと頭に入っていた。


「それにしても……どうしたものかな」


「弱くて、かい? 仕方がないよ、私らと違ってみんな、戦いなんかと切り離されて生きてきたんだから」


 紅野は、汗を袖で拭いながら言う――こちらは兵士上がりの者達に訓練をつけているので、そこそこに動き回っている。

 この国の大きな乱は、直近でも五十年程前となるか。余程の老人以外、直接に参加して戦った者は無い。そして、それ以来、職業としての兵士の在り方が定まって来たが為、農民や町人が調練を受ける事は少なかったのである。


「違う、見ていたら私も動きたくなったのだ」


「はっは、そりゃ我慢してくれ! あいつらじゃ何百人でも、勝負にならないだろ?」


 数百人が、刃は付いていないとは言え武器を翳し、攻防の動作を行っている――桜はそれに、どうにも昂ってしまっているらしかった。

 確かに、武術の道場めいた光景であるし、体は鈍らせないに越した事は無い。

 が――問題は、この場で桜の相手を務められるものが居ないという事であった。


「お前ならどうだ? お前とてこいつら相手では、槍も存分に振るえまいに」


「あんたとやりあうとかまっぴらごめんさ、私が三人に増えてから相手してくれよ」


「ふん、二人も居たら首が取られるわ」


 そう言って桜は、拗ねたように頬を膨らますのである。

 人斬り働きの後は、柄にもなく沈んでいた桜であったが、その反動だろうか――これはこれで柄にもなく表情が多彩である。そんな顔が出来るのかと、紅野がつられて笑っていると、


「ならば、この僕がお相手仕ろう!」


 ずしゃあっ、と雪を蹴り飛ばして、白い衣の裾をたなびかせた青年が進み出た。


「狩野……お前なぁ」


「副隊長、挑まれて答えぬのは我ら白槍隊の名折れ! そして女人が無聊を持て余しているからには、慰めるが男の勤めだろう!」


「……愉快なやつが出たな」


 狩野 義濟ぎさい――紅野の、白槍隊時代からの部下である。桜が比叡山軍に加わった夜の、荷駄部隊を迎える為の出撃の折も、紅野の横で戦っていた男だ。

 眼光は強い。自信に満ち溢れ、希望を決して見失わない、ぎらぎらとした光を放つ目である。顔立ちは整っている部類なのだが、その目の為か、表情は非常に暑苦しい雰囲気を醸す。そして何より、声がでかい。


「洛中の夜を羽ばたいた黒八咫よ、白槍の誉れは伊達では無いぞ! 白槍隊にその人有りと謳われた狩野 義濟の、数多の美技を味わうが――」


「ああ、分かった分かった」


 口上を全て言い終える前に、桜はもう、笑みを浮かべながら武器を構えていた。

 変な奴だが、楽しそうだ。そう思わせる程度には、体つきも、覇気も、力を備えている。

 狩野が手にしているのは、一丈もの長槍――の、穂先を落としたもの。それに対して桜もまた、六尺の槍を構えたのである。


「む!?」


「槍使いなのだろう。合わせてやる、来い」


 刀を振るう時には、これと言って定まった形を持たない桜だが、槍は随分と真っ当な構え方をした。

 左足が前の半身――つまり、後方に置いた右手で槍に力を与え、相手を突く、基本の形である。

 口数こそ多けれども、狩野もまた腕利き。桜が尋常の相手でないとしり、口元引き結び、


「ぃやあっ!」


 初撃は、真っ直ぐであった。

 真っ直ぐ胸の中心を突く軌道――穂先が無いとは言え硬い木の棒であるが、狩野は加減をしなかった。加減こそ無礼となる相手と理解しているのである。

 桜はそれを、己が持つ槍の柄で横から小突いてずらそうとし――


「ふん!」


 狩野の槍が翻る。

 桜の胸を狙っていた槍は一度引き戻され、それに倍する勢いを以て、喉目掛けて突き出された。


「おおっ」


 桜の想定より、数段上の速度である。思わず感嘆が唇から零れる。

 上体を反らして避ければ、次は腹、次は膝、兎角休まず槍は向かって来る。

 それを、後方に下がったり横へ動いたり、避け続けながら、桜は改めて狩野の顔を見た。

 成程、口を閉じていれば中々の美男子。暑苦しい目も、槍を携えていると、やや凶暴にも見えて心地良いものがある。狩野はまるで加減も遠慮もせず、桜を叩き潰そうとしているのだ。


「楽しいな、狩野とやら!」


 然し、役者が違う。桜は笑いながら、喉を狙って突き出された槍の柄を掴んだ。

 握り潰さぬように、力を緩めて。

 だが、逃がしはしない程度に雪を踏みつけ。


「む――ぬ、くっ!」


 狩野がもがこうと、桜が掴んだ槍はびくともしない。

 そして桜は、掴んだ槍を思い切り、狩野の体ごと引き寄せた。あまりの勢いに、狩野の脚が浮かぶ程である。

 高速で向かって来る体――その顔面を、桜は左手で、正面から掴んだ。


「むがっ!?」


 顔面を掴む片手のみで、狩野は吊り上げられていた。指先で頭蓋骨の凹凸を引っ掛け、手の平で鼻や口を覆う掴み方である。

 手にした槍の柄で桜を打つも、桜はまるでけろっとした顔で、時々はその柄を右手で払いのける程度。

 元々桜は、戦うのも好きだが、それ以上に強者を蹂躙するのが楽しみの一つであるのだ。

 暫し吊り上げていた狩野を雪の上に投げ捨て、桜は満ち足りたような笑顔を見せた。


「良いな、続けてくれ」


「ふ……ふふふ、ふっふっふ……良いだろう……! 今度ばかりは油断したが次こそは――」


 狩野は笑いながら不敵に立ち上がる。一丈の長槍は、流石にこの間合いでは振るえないので、一歩大きく飛び退いて――


「次こそは、なんだ?」


 それより数段も速く、桜が狩野の懐に飛び込んでいた。

 初動を見せぬ踏み込み。棒立ちになったまま、瞬時に転送されたが如き、奇怪な歩法であった――少なくとも狩野と、それから脇で眺めていた紅野にだけは、そう見えた。


「おっ!?」


「……ふむ、思いつきだが、そこそこの真似事には出来たか」


 驚愕し、反応も出来ぬ狩野の喉元に人差し指を押し当て――これが短刀ならば命を奪えただろう。桜はようやっと体が温まり始めたのか、愈々笑みを深めていた。

 桜がやってのけた技は、俗には〝縮地〟などとも言われるが――それを、少し違う形で実現したものである。

 事実、見ていたものの内で、桜が〝消えて〟〝現れた〟ように思ったのは、紅野と狩野に、あと数人ばかり。他の者は全て、〝桜が恐ろしい速度で踏み込んだ〟としか分からなかったのだ。

 人は案外、己の経験で、それから先の動きを予測し生きている。特に武の道に於いては、向かい合った距離から跳ぶ拳の全てを、見てから落とす訳にはいかない。間に合わないからだ。

 だから、肩や腰、或いは視線の動きで次の行動を予測するのだが――桜はまず、〝一歩も進もうとしないような〟そぶりを作った。それがあまりに見事であった為、武に長けた者は、〝動くまい〟と無意識に思い込んだ。だから、初動を完全に見落としてしまい、不意に消えて現れたような錯覚を受けたのである。


「器用なやっちゃなぁ~……」


 紅野は思わず、両手を打って称賛していた。その称賛の意味が本当に分かっているのは、やはり数人しかいなかった――言い換えると、数人はいた。

 その内の一人は、既に嬉々として刀を抜き、桜の背後に迫っていたのである。


「――っ!」


 振り向きざま、桜は、脇差を抜いて横一文字に振るった。桜の背後に忍び寄っていた者は、刀を抜いたまま、三間も飛び退いて着地する。

 気配は、有った。だが、桜が気配を察した瞬間、まるで一時も躊躇わず、その気配の主は刀を抜いていたのである。

 思い立ち、動くまでに躊躇が無い。腕もそうだが、心構えが戦地にある者と感じられて、桜は愈々愉しみの絶頂に入る。

 何者かと見てみれば、白髪白髭の老人であった。指は太く、背筋は真っ直ぐに伸び、老いを感じさせぬ若々しい肉体を誇っている。然し顔に浮かべた飄々とした感、敵を見定めようと細められた目は、やはり老獪の風も醸し出す。


「そういえば、互いに名乗りもしていなかったか」


「わっぱの名は知っておる。俺は高虎たかとら 眼魔がんまよ、この皺首を見知りおけぇい!」


 高虎――『錆釘』より離反し、構成員である薊の腕を斬り落として比叡山城へ寝返った老人は、その凶行に似合わず、邪気無く名乗った。

 刀を鞘に納め、軽く前傾姿勢となる。右手は胸の前に、開いたままで浮かせて――これだけで、構えが完成している。

 手にしているのは真剣だ。まさかこの老人は、真剣で桜と手合せを望んでいるのか。


「……酔狂な爺だ」


「酔ってこその老い先よ」


 然り。高虎は嬉々として、桜に切りかかった。

 剣撃、鋭絶。

 抜刀と同時の斬――居合である。

 ひょうと空気を裂いて、老剣客は桜の首を狙う。

 桜はそれを脇差で受け、弾き、返す刀で老人の頭蓋を狙った。

 老人は受けず、体ごと避けながら、再び刀を鞘へ戻す。

 そして、何処かへ散歩に出るような足取りで前へと進み――雪に沈むように身を低くしながらまた居合を放った。


「よっ」


 桜は、刃すれすれに跳躍して、老人の左肩に蹴りを放とうとし――


「甘いわぁっ!」


「なんのっ!」


 ――翳した右足を瞬時に引き戻す。老人の刃は何時の間にか、桜の足の下から抜けて、蹴り足を切り捨てようとしていたのだ。咄嗟に桜は脇差を差し入れ、老人の斬撃を防いだ。

 地に足を着け、斬。

 胴、首、頭、首、頭。桜は只管に、急所を狙って斬撃を放った。

 老人はそれを、受け流し、或いは避けながら、同じように胸へ、腹へ、或いは膝へ、肩へ。即死か、或いは間をおかずに死ぬだろう部位への斬を繰り出した。

 二人の間に火花が飛ぶ。刀身と刀身が打ち合わさって、衝撃が熱を産むのだ。

 刃の軌跡は、常人の目には追えない。瞬き一つの間に、三つも四つも衝突音を響かせる。

 ぎゃがっ。

 刀二つが奏でるには、分厚すぎる音。

 ぎしっ。

 これは、桜の身の内から鳴った軋み。戦地でも行わぬ程の激しい動きで、異常なまでの強さの筋肉が、骨と腱を軋ませたのだ。

 この軋みも、もう暫くで消えるだろうと桜は確信していた。やはり自分は、酷く鈍っていたのだ、とも。

 数十合の剣閃の応酬を経て、体に力が戻って行く。戦場一つ駆け抜けても戻り切らなかった力が、指先にまで満ちて行くのを感じ――


「ぜ、ぇ、ぜぇ――ぇえやぁっ!」


「……おい、爺」


 ――愈々興に乗った所で、正気に戻った。

 老人の剣を受け止めながら、桜の表情から愉悦が抜けて行く。

 高虎眼魔は肩で息をしていた。手傷は一つも負っていないが、目の前に桜が居なければ、今にも雪上に膝を着きそうな程である。


「ああー、もう、ほら、爺さん! 若くないんだから無茶すんなって!」


「お、おのれぃ……二十年前なら俺が勝っているものを……」


 間に紅野が割って入ると、老人はしぶしぶ刀を引いた。それを見届けた桜も脇差を鞘に納めるが、こちらは息一つ乱さず、やっと汗を掻き始めたという風情であった。


「いーや、五十年前だろうが私が勝つだろうよ。腰を痛めるぞ、無理をせずに縁側で寝ておれ」


「けえっ、小生意気な餓鬼め……」


 成程、技で競えば互角やも知れない。速度も同等であろう。

 が――老いの悲しさ、体力で劣るのに加えて、力ならば桜が数段も勝る。良い手合せであると満足はしたが、桜に取っては、命の危機を感じる程のものでは無かった。


 ――これが、この城の戦力か。


 桜も、城内全ての人間を見た訳では無いが、参陣の夜を考えるに、紅野の他の腕利きならばこの二人が上がるのだろう。

 確かに良い腕だが、桜の敵では無い。政府軍の中にも、この程度の腕利きならば居る事だろう。

 戦力比を考えると、絶望的な差が有る訳だ。


「ふむ。……気張らねばならんなぁ」


 額の汗を拭いながら、桜は一人、呟いた。

 そこで、ふと目を周囲へ向ける。そういえば今は調練の時間であったと、やっと思い出したのだ。

 驚愕を主とした、様々な色の感情が向けられているのに気付く。

 その中でも特に、子供達や女達から注がれる感情の色合いは――


「ねーちゃん、ほんまに凄いんやん! ほんまやった!」


「信じて貰えたようで何より」


 憧憬、尊敬、その他もろもろの、好ましいもの。

 平太――子供達の中でもひときわ背の低い少年――など、やはり纏わりつくように近づいて来て、子供の手に合うよう削られた木剣を振り翳すのである。

 桜は、子供は嫌いではない――言葉が通じる程度にまで成長しているなら、と但し書きが付くが。


「ようし。少しばかり剣でも教えてやろうか」


 そう言ってやると、子供達は皆、それこそ鬼ごとを誘われたかの如くに沸き立った。

 桜も、一人一人の顔と名を覚えようと、膝を追って目の高さを合わせ、名を聞いて行った。

 そんな中に、周りより一歩だけ後ろに立って、はにかむように笑っている少女が居た。

 最後まで名前を答えようとしなかったが、平太が強く促すと、『蝶子』と答えた。

 何処か暗い目をした彼女の事が、桜は少しだけ気になった。

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