化けて出た裏話
物事には全て裏が有る。知らないでおけば、少し切なくて、綺麗な話で終わったのかも知れない。だが往々にして世の中は、善人ではなく賢い人間が報われるように出来ているのである。
村雨の足音が遠ざかり、それからもまだ、念を押して暫くの間を開けて、
「……帰った、かな?」
顔を上げた燦丸は、涙は乾いていないが、けろりとした表情であった。
「うむ。あの足なら、もう通りに出ただろうな」
桜もまた、それが当たり前であるかのように答える。
「さて、それでは本題に移ろうか」
胡坐で座る桜、足を横へ流して座る燦丸。この二人にとっての種明かしは、今、ようやく始まったばかりである。
「やあれやれ、お前がああも殊勝な態度を取る筈がないだろう。客に入れこまないなど、上等な遊女ならば基礎も基礎の芸当だぞ」
「そりゃね、騙して惚れさせる方が騙されるんじゃたまらない。けど、僕の愛は本物だよ?」
「馬鹿抜かせ。それでは、その惚れた男はどこに消えたのだ?」
「床板の下に、土を掘って隧道を作り、店の外へ繋げたのさ」
「町のど真ん中だぞ、ここは。数里もの隧道を作るなら、一体何年の期間とどれだけの工人が必要なのだ?」
村雨は気付かずに帰ったらしいが、ここは夜に賑わう町である。夜陰に乗じて抜け出す、という芸は出来ないのだ。城攻めに使う様な隧道を作ろうものなら、人の目に付かぬ所に届くまで、魔術を使おうが二年ばかりは掛かってしまうだろう。土を砕いて道を作れば、空気を含んだ土が堆積を増す。運び出す作業に追われる事になるのだから。
「隧道は有るのかも知れんが、どうせ途中で行き止まりだろう? 逃げ道というよりも、垣右衛門を隠しておく為の場所だ。私達が劇場を探しまわっている間、垣右衛門は床の下に隠れていた、そうではないか?」
「仮にそうだとしようか、だとしたら?」
「お前が垣右衛門と駆け落ちするなど有り得ぬ。隠れた垣右衛門は、お前の協力が無ければ、おそらくこの店から出る事も出来ぬ。足抜けに目を光らせるのは、どの店も同じ事だ」
遊女の足抜けと言えば、通俗話には格好の題材だ。大概は遊女は連れ戻され、体に傷が残らないように、だが二度と逆らう気の起きないように、陰湿に痛めつけられる。逆さ吊り、大量に水を飲ませる、一睡もさせず何人もの客の相手をさせる、等々。嗜虐的な傾向を満たす為の方策は、全てが虚構とは言い切れないのだ。
「……さて、燦丸。お前次第だ。お前次第で私は、お前を引きずって恐れながらと申し出るか、全てを忘れて宿に戻るかを選ぼう。どうする?」
「そうだね、だったら話をしようか。こんな事が有ったかも知れない、と仮定の上で、どこかの誰かの話をさ」
村雨という、耳と脚に長けた計算外が居た時点で、どうせ失敗はしていたのだ。今更隠す事もないだろうと、燦丸は、何処かの誰かの話と称して語り始める。
「人の欲とは恐ろしいものでね。偽りの愛を買う為に店を傾ける人が居るなら、店を傾けない為に、一人を切り捨てる事だって有り得るんだ。何処かのお金持ちの親戚は、陰間に引っ掛かった男を追放して、自分が店を継ごうとしたんだね。実際、そうした方が誰の為にもなる。店が潰れれば、路頭に迷うのは一人二人じゃないのだから」
「その割に、最初のやり方はぬるかった、と」
「好きこのんで身内を殺したがると思うかい? 死んだ事にして、騙して幽閉しておけるなら、それが良かったのさ。彼らは、男の馴染みの陰間に金を渡して、口裏を合わせた。男が死んだものと世間に誤解させる為にね」
「その男は、どう騙されて、自分を殺す事に同意したのだと思う? 自分の築いた店を、容易く他人の手に譲り渡すとは、な」
「んー、難しい質問だね。もしかしたらその男は、『幽霊に攫われたなら誰も足抜けだと思わない』とか言われたのかも知れないな。確かに死んだと思われる為に、毎日続けていた茶屋通いを、半年も耐えたのは流石だと思うよ」
「言い方を変えれば、半年しか耐えられなかった。親族は、永久に耐え続けて寿命が来ることを望んだのだろうが」
「そうだね、一度死んでしまったのなら、もう二度と表に出て欲しくなかった筈だ。なのにその男は、人目に付く場所を堂々と歩いて、馴染みの陰間に会いに行くんだもの。
既に一人殺した犯罪者で、しかも世間的には死んだ筈の人物。出来るなら、迷い出たのも間違いだった事にして、また土の下に返したい――あ、多分、半年くらいは親戚が、どこか地下にでも匿ってたと思うな」
「自分達に咎が及ぶ事を恐れた、か……そうして当の陰間は、狂言の為の証言者を呼んだ訳だ」
「本当ならね、最初に誰かが駆け付けた時にはもう、閂の向こう側に居る筈だった――と、思うよ。思ったより脚が速いのが一人居て、騒ぎを聞き付けてから到着までが短すぎたんだ。そこで一つ、明らかな失敗をしたせいかも知れない。もしかしたら、と疑われてしまったのは」
「……ふむ、成程」
仮に、の推測の話が終わる。桜は、一つ一つ相槌を入れて、内容を噛み締めていた。自分の推測と、大きく離れてはいない。動機までは考えていなかったが、それはきっと燦丸の推測が正しいのだろう。
「これまでの話から考えるにだな、垣右衛門はまだ、床の下に有るのだろう?」
「さあ、ね?」
「惚けるな、奉行所に申し出るぞ。……垣右衛門の親族も、つまらん小細工を考えた。自業自得だが、垣右衛門が表を歩くだけでも、気が気ではなかったのだろうな。死んでくれるのなら、それに越したことはない。幽霊騒ぎで駆け落ちしよう、という嘘は、そのまま親族の願いを叶える狂言に転用出来たのだ。
床下に隠れさせ、私達が去ってから、お前が垣右衛門を迎えに行く。油断しきった枯れた中年男など、赤子の手を捻るようなものだっただろう。垣右衛門は今、幾つに分かれている?」
居る、ではなく、有る。生き物に対して用いるならば、これほど不当な表現も無い。生命への敬意を払わず、対象をただの物体に貶める言葉だ。だが、桜も燦丸も、今の垣右衛門には、この言葉が妥当だと信じていた。
「十一個さ。そのうち三つ程は、もう処分が済んでる。今頃垣右衛門様は、広い海を眺めて、草木と指を戯れさせているよ」
「では残り八個が処分される前に、私はお前を突きださなければならん。心苦しい事だ」
「はは、止めて欲しいな。僕はお金を詰まれて頼まれただけさ。揺するなら仕入れ問屋だよ、今の店主は肝が小さい。垣右衛門様に比べたら、騙すも脅すも朝飯前、あれは数年で潰れるね。それで足りないなら……そうだ、元々の約束の礼金を払おう。彼女に着せた振袖はどうだい?」
村雨は、おそらく善人である。彼女は燦丸の境遇に同情し、問題が解決された後も暫く、晴れ渡らぬ心を抱える事になる。
燦丸は、間違いなく悪人である。振袖一つを代償に、面倒な客とは手を斬り(ついでに体を切り離し)、口止めの為に大金を得た。
桜は――やはり、世間一般には悪人だ。これから、垣右衛門が盛り立てた問屋へと向かい、その親族と丁重な話し合いの場を持つのだろう。村雨に着せて楽しむ振袖を得て、桜は非常に上機嫌だ。
「持つべきものは友だな、親友よ」
「ああ。全くだね、親友」
固い握手と共に、桜と燦丸は、この問題を完全に忘れ去るのであった。
大紅屋の片隅には、広さは然程でも無いのだが、趣味の良い調度品の置かれた部屋が有る。大紅屋の主人、清重郎の部屋だ。夜遅くまで行燈を灯し、滑稽本を読みふけるのが、清重郎のなによりの楽しみだった。
頁の端まで目を通し、紙を捲ろうとしていた時、襖を叩く音がする。初めに二度、次に三度、最後の一度。入りなさいと、自分からは向かわず、言葉を掛けた。
「終わりましたよ、旦那様」
部屋に滑り込み、襖を後ろ手に閉じたのは、燦丸であった。昼間と同じ様に緋襦袢だけの薄着である。日光よりも火の灯りの方が、この中性的な少年を照らすには似合っていた。
「ごくろうさま、燦丸。昼間のお友達は、良く分かってくれたのだろうね?」
「はい、振袖一枚で帰ってくれました。単純な友人ですから」
「それは良かった。おいで、膝が寒い」
背後に立つ燦丸を、清重郎は肩越しに手招きする。あぐらを掻いた清重郎の膝の上に、燦丸はまるで猫の様に、うつ伏せに転がった。
「悪くはないやりかただった。けれど、お前はまだせっかちだね。何事も急ぎ過ぎるから、ああいうお客様まで作ってしまうんだ」
「はーい、ごめんなさーい……」
「一気に落としちゃいけないよ、ゆっくりと絞るんだ。枯れないように枯れないように、飽きられる寸前までね。本当に枯らしてしまうのは、もう水が増えないだろうと思った時だけにしなさい」
膝の上に猫が居れば、きっとそうするだろう事を、清重郎は燦丸にしている。頭や背を撫でてやったり、喉を擽ってやったりと、だ。優しく諭すような声で、綴る内容は冷血な商売人のもの。細められた瞼の奥の目は、何時も人の数倍の物を見ている。
清重郎は、燦丸を気に入っていた。少々過激すぎるきらいはあるが、容色麗しく知恵が回り、思い切りがよい。これまでも、大紅屋に多大な貢献をしてきた。優秀な人間が、清重郎の好みであった。
垣右衛門を殺してくれという話が燦丸に持ちかけられた時も、清重郎は、今の様に静かな語り口で、やりなさいと肩を押した。燦丸もまた、やります、と二つ返事で引き受けていた。清重郎と燦丸は、血縁も何もなくとも、互いを深く信じあっているのである。
「いい子だね、美しく育った。もっと美しく、賢くおなりなさい」
「旦那様のお陰です……だから、もっとをお望みなら、旦那様が頑張ってくださらないと。ね?」
燦丸は、親無しの子供だった。薄汚れたボロ布を纏い、泥に塗れ、貧村の端で暮らしていた。清重郎が彼を拾い上げた時、燦丸は野生の猪を五十の破片に解体し、幾つかを焼いて食っていたところだった。
燦丸は、『弱みを知る』特化能の持ち主である。人の心の何処が脆いのか、獣の肉の何処が薄いのか、生物の骨の何処が弱いのか、生まれながらに知っている。学べば学ぶ程、他人の欲を知り、煽る技術を身につけていく。短刀一つを持たせれば、刃を欠けさせぬまま、人体を幾つかの部品へと変えてしまう事が出来る。どの角度で刃を滑らせれば、逆上し反撃する間もなく、静かに人を殺せるか、いつの間にか身につけていた。
燦丸は、自分の弱みも知っている。村雨に吐いた嘘ではないが、結局は自分も愛情に飢えているのだ、と。自分が優秀で愛らしく在る限り、主人からの愛情は途絶える事がない。陰間は――いや、大紅屋で働く事は、燦丸の天職であったのだ。
清重郎は、賢い人間である。世の中は善人でも悪人でもなく、賢い人間が一番得をする。行燈の蝋燭が、ふぅ、と吹き消され、大紅屋は夜の帳に包まれた。




