群れのお話(3)
翌朝――赤心隊の面々は、意識を失っていた者を覗いて、此処まで一睡もしていなかった。
城の外へ出ていた者も戻ってきて、今動けるのは十九人。いずれも、喧嘩ならば自信が有るが、兵の指揮のいろはも知らぬ連中である。
それでも最低限、集団で行動をし、常に周囲に目を向けるという事だけは怠らなかった。
寧ろ怠らなかったこそ、皆が揃って寝不足であるのだが、今は一つでも多くの目と手が欲しい彼等である。加えて、〝してやられた〟ままで高鼾もかけないのが、彼等の精一杯の見栄でもあった。
「どうする……?」
「どうするってもな……」
だが、彼等に出来るのは、防御の姿勢を取る事だけ。
村雨の攻め口は、山の獣と同じ。自分が自由に動ける領域に陣取って、敵の不意を突き、着実に仕留めるものだ。
山の獣を狩り出すには、熟練の猟師が必要だ。彼等に、その技法は無いのである。
「……まず、飯だ! それが最初だ……!」
彼等とて人間、食わねば持たぬ。二人ばかりが重い足取りで、賄い方へ赴こうとした矢先であった。
拳大の石が、障子を破って、大部屋に飛び込んできたのである。
それも一つ二つでなく、矢継ぎ早に幾つも。そのうち二つばかりは、障子の木枠が格子状になっている部分にぶつかり、見事にへし折った。
「何しやがんだこらァ!?」
隊員の一人が、がらっ、と障子を開けた。
障子の向こうは、広々とした庭園のようになっている。本丸の内は、城であろうと、風流に飾られるのが洛中なのだ。
その庭園の、大きな丸石に、村雨が腰かけていた。
足元には、どこから掻き集めて来たものか、拳大の石がごろごろと転がっている。
「おはよー、良く眠れた?」
健康そのものの顔で、村雨は言った。
無論、隊員達の徹夜明けの心を、余計にささくれ立たせる言葉であった。
「ふっ――ざ、けん、なぁっ!!」
大部屋から中庭に、草履を突っかける暇も惜しんで、隊員達は飛び出した。すると村雨は、丸石から飛び降り、くるりと踵を返して走るのである。
隊員達は、全員で追う。だが、追いつけない。
元より、平地で人狼と、駆け競べをしようというのが無謀である。まして空腹に疲労、寝不足に裸足と、悪条件が揃っている。
寧ろ村雨は、振り切ってしまわぬように、後方を確認しながら馳せて――遂に庭園を走り抜け、本丸の塀に飛び乗った。
塀の向こうには内堀がある――冬の事でもあり、表面には氷が張っている。水面と塀の頂点との距離は、低く見積もっても三間はあるだろう。庭園側から見ても、塀の高さは七尺ばかり――そこへ村雨は、一飛びに登ったのである。
「おーにさーんこーちらー、こーこまーでおーいでー」
子供同士でしかやらぬような、あっかんべぇ。舌を出す村雨に、ようやっと一人が追い付き、塀に飛び付いた。
「この餓鬼……逃げんなよこら! くそ、このっ……!」
身の丈よりもうんと高い塀だ。中々、一息には登れない。それでも、腕を引っ掛け、足を持ち上げ、やっとこ体を半分も持ち上げた、その時であった。
「よっ」
村雨が塀の上から、その隊員の腕を掴んで、思い切り引き上げたのである。
いや、引き上げただけならば良い。隊員の足が塀の上に乗っても、村雨は体を後方に傾け、足を突っ張ったままであった。
繰り返しになるが、時節は冬。内堀にはうっすらと氷が張るほどの寒さであるし、塀の頂点から堀までの落差は、少なくとも三間。
塀の上で、追ってきた隊員一人をがっしりと捕まえて、村雨は微笑み、
「はい、どーん!」
そのまま、落ちた。
「な、長倉ぁーっ!?」
後方から走ってきて、やっと他の隊員が追いついた時には、村雨は長倉隊員を抱え、真冬の堀の中へと飛び込んでいたのである。
さしもの恐れ知らずの赤心隊とて、数間の高さを飛び降りて、堀の水に入るというのは堪らない。
「くっ……回り込め、逃がすな!」
「逃がすな、あの餓鬼が出たぞ、追え! 追えーっ!」
場内を走り、本丸の門を出て、内堀に沿って走る。
ようやっとたどり着いた時には、ずぶぬれで羽織を剥ぎ取られ、そしてやはり首を絞められて意識を失っている長倉隊員の姿があった。
村雨の姿は見えない――雪に足跡さえ残っていない。
「水中か!?」
誰か一人がそう言って、堀を覗き込んだ時、彼のすぐ近くでうずたかくなっていた雪山が蠢いた。
中から、手が突き出る。
堀を覗き込んでいた隊員の、襟を掴む。
足が雪山から出てきて、隊員の尻を蹴った。
「痛えっ――あ、お、おうわあぁっ!?」
ばしゃあん、と盛大な音を立てて、その隊員も堀の水へ落下する。
村雨は、雪の中に隠れていたのである。
「ほらー、こっちこっち! もうちょっと付き合ってよ!」
「うぐうう、ぐううっ……! こん餓鬼ゃああああぁっ!」
村雨はどこまでも、赤心隊をコケにする事だけを考えているようであった。
再び突風のように駆け去る村雨。追いつける者がある筈も無く、また堀に落ちた仲間を引き上げねばならない。
「ひぃ、ひぃ……寒ぃ、さみぃよう、さんびぃ……!」
「馬鹿っ、引っ付くな、濡れる、冷てえっ……ちっきしょおおおっ!!」
爽やかな冬の朝に、叫ぶ声がこだまして、だがそれだけ。
結局この日も、村雨を捉える事は適わず、そして何人かが絞め落とされては、羽織を奪い取られたのである。
そうして、また次の日になった。
この日、赤心隊は、大部屋に篭って動かなかった。
二日の徹夜で疲労が限界に来た為、半分は眠り、半分は見張りに徹しているのである。
効果は有ったのか、朝から、被害はまだ出ていない。
然し、少女一人に大の男が、二十人近くも、篭城を決め込まされているのである。
もはや面子はずたずたで、一矢報いてやろうという気概も萎えかけている。
まずは負けない事、叩き伏せられない事を第一目的としての篭城である。
「……なっさけねぇ」
そんな風に呟く者もいたが、どうにもならぬことであった。
重苦しい沈黙は、暫く続いた。
すると、大部屋の襖が、がたっ、と音を鳴らして動いた。
隊員達は皆、ばね仕掛けの玩具のように立ち上がる。
「よっ、帰ったぞーう」
「た、隊長ォ!」
上機嫌で戻ってきた冴威牙は、寝起きそのまま、髪も寝癖で乱れたままであった。
余程に飯が美味かったのか、血色良く、心なしか肌のつやまでが良い。疲れは無く、背筋がしゃんと伸びている。
その三歩後ろには、未だ夢見心地の顔で、紫漣が続く。
「……ぱらいそは有りました」
「何言ってんですか姐御」
翼を動かさずとも浮かび上がっていきそうな紫漣に、隊員の一人が思わず釘を刺してから、
「……じゃねえんすよぉ! 聞いてくださいよぉ、このままじゃ俺達の立つ瀬がねえ!」
「どうにかしてくれよ隊長!」
「隊長!」
大の男達がわらわらと、餓鬼大将にやられて親に泣き付く子供のような顔をする。
「あー、お前達、もう散っ々にやられてんのな。だっせー」
「笑いごとじゃねえんですって!」
「いーや、あそこまで行ったら笑うしかねえって。なぁ、紫漣?」
何やら含みを持たせ、冴威牙は言った。その間も、抑えきれぬ笑いを、無理に噛み殺しているような様子である。
「……?」
「なんだ、紫漣。お前、あれ見てねぇのか……しゃーね、見に行くぞ、おら」
「あ……待ってくださいよ、隊長!」
その言葉の真意を取れる者はいなかったが、冴威牙は紫漣の手を引いて、再び廊下の方へと引いて行く。
赤心隊の隊員達が追って行くと、冴威牙は本丸の門を出て、其処で振り返り立ち止まっていた。
視線は、高くを向いている。
門の上に何か有るのかと思ったが、それよりもまだ上――かなり首の角度が急だ。
紫漣も、同じく顔を上空に向け、だがこちらは酷く強張った顔をしている。
「なんっすか、もう!? あんな所に何が――」
隊員達も追い付いて、同じ所へ目をやった。
門より上、更に高く高く、天守閣の屋根の上に――
「――ある、って、て……てめえええぇっっ!!」
真っ赤な旗が、翻っていた。
いや、旗ではない。布ではあるが、旗として作られたものでは無いのだ。
それは、羽織である。
赤心隊の、気絶した隊員から剥ぎ取られた羽織が、物干し竿に括り付けられて、旗のように風を受けていたのだ。
「ひい、ふう、みい……なんだお前ら、半分もやられてんじゃん。まじだっせえ」
冴威牙は、旗の本数を指差し数えて笑っている。
よくよく気付けば、笑っているのは彼ばかりでなく、通りすがりの城中の兵士やら、役人まで笑っている。
傍若無人、決して良くは見られていない赤心隊が、散々に馬鹿にされている。それが面白くてならないという風に、口こそ手で抑えているが、明らかに笑声が零れだしていた。
「これ以上続けるー? どうするのー?」
天守の屋根の上から、村雨が叫ぶのが聞こえた。
羽織の旗を一つ掲げて、誇らしげに振っている。顔の腫れも引いていて、勝者らしい姿である。
続けると答えれば、また何処かに隠れるのだろう。そうして、隊員達が諦めるまで、不意打ちを続けるに違いない。
赤心隊には、酷く分の悪い戦いである。
「ひっはははははは……ぁあーあ、こりゃお前らの負けだ、負け! 認めねえと駄目だろ、なぁ?」
「冴威牙様! どうしてあのような小娘に!」
案外に冴威牙は、短気な気性とは裏腹、愉快そうに笑うばかりであった。
それが気に入らないでか、紫漣が、金切り声を張り上げる。
「だってよ、あいつ、俺に喧嘩を売ってんだぜ? しかも殴り合いじゃなくて、どっちが群の上に立つかって所で喧嘩やってんだもんよぉ。俺がこいつらに味方して、あいつに蹴り掛かってみろよ。俺たちゃ指差されて笑いもんだろ?
それに、俺はいっつも言ってんだろ。偉い奴が偉いんじゃなくて、強い奴が偉いんだってよ」
実際の所、村雨と冴威牙が正面から戦った場合、何れが勝つものか――互角では無いだろうか。
冴威牙には技術という概念が無く、村雨は武を僅かなりと身に付けたが、それだけで大きく差が着くものでもない。
何れかが死ぬまでやれば、もう一方は重傷を負う。その程度には拮抗しているだろう。
然し村雨は、勝ち負けの基準を、別な所に置いた。
互いに獣であるならば、無視は出来ぬ形。かつ、自分が有利に立てる競い方である。
端的に言えば、器の勝負。村雨が成果を挙げて、認めるかどうかは冴威牙に委ねる。
そういう事が出来る雌であったかと思えば、冴威牙には、鷹揚に構える他は無かったのだ。
「……納得できません!」
冴威牙の笑声を遮るのは、紫漣のつんざき声であった。
一対の白翼が背に伸びて、それが虚空を叩き、風を巻き取る。
忽ちにその体は、天守の屋根まで舞い上がり、村雨の正面に立った。
「お久しぶり。何時以来だっけ」
この二人も、過去に一度、対面している。
商家に預けられた娘であるみつが、赤心隊に捕らわれ、村雨がそれを助けようとした事が有る。その折、村雨もまた捕えられたが、白槍隊の長である波之大江三鬼に救われた。
三鬼と冴威牙は、行動の是非で口論となり、ではどちらの言が正しいかと、みつが隠れていた小部屋を改めた。
元々は、仏教の経典等が散らばっていた部屋である。現在の洛中では、仏教徒は即ち反逆者であるとして、理由無しに捉え、断罪する事が許されている。
この時は、商家の店主が、事前に部屋の本類を摩り替えていた為、大事には至らなかった。
然し、たった一つ見落としがあった――小さな仏像だ。
それを見つけた紫漣は、そっと振袖の裾に隠し、何も言わずに居たのである。
「……あの時、追い払うだけでなく、殺しておくべきでした……!」
情では無い。打算であった。
紫漣がそのような事をしたのは、己が為である。
冴威牙と赤心隊の面々は、捉えた女を嬲りものにする悪癖持ちである。故としては、娯楽としての意が一つ、見せしめの意が一つ、そして当人の心を抉る為が一つだ。
紫漣は、それを内心、嫌っている。
良心が為では無い――極論、隊員達が女を犯すのは、どれだけやってくれても構わない。日の本中の女にそうしたとて、紫漣は微笑みを崩さずに居られるだろう。
だが、冴威牙が自分以外の女に触れるのが、紫漣には我慢ならない事であるのだ。
止めろと言って、聞く男でも無い。
それ以前に、自分の言葉で、冴威牙の行動を制限したくない。
紫漣は冴威牙に、もはや狂信に近い程の懸想を抱いている。
だから、村雨とみつを冴威牙から遠ざける為に、仏教徒である証を隠して、庇いだてのような真似をしたのだ。
然し、今となれば、それは間違いであったと、紫漣は思っている。
ほんの一時、己が耐え忍べば、冴威牙とその部下が嘲笑される事は無かったのだ、と。
己の失策は、己で償う。
紫漣の目には、死鬼が如き怨念が籠っていた。
「死ねえぇっ!」
懐に手を入れ、抜く。
紫漣の手には、錐を幾分か太くしたような凶器が握られていた。
胸に刺せば心臓まで届くだろう、貫通性の極めて高い武器。
それを紫漣は、村雨の眼球目掛け突き出していた。
「はいやっ」
村雨は、左手で軽くそれを打ち払っていた。
軌道を反らし、入れ違いに右手を突き出す。
人差し指と中指だけを伸ばし、紫漣の顔へ――眼球に届く手前で、寸止めにした。
睫毛に指先が触れている感触は、僅かの手違いで、目玉二つが奪われていたと如実に示しており――
「くっ……う、ううっ!」
呻きながら、今一度。次に紫漣が狙ったのは、村雨の喉である。
然しこれも、単調に突き出すだけの攻撃。人狼の目で、見切れぬものではない。
やはり左手で払いながら、今度は手首を掴んで引き、姿勢を崩させて、右手を振るう。
親指の腹で喉に触れ、ほんの少しだけ押し込んで、止めた。
「うっ……!? っく、けほっ、こほっ」
紫漣が咳き込み、背を丸める。
立っている村雨に、後頭部を無防備に曝け出す姿勢である。
だが――紫漣は、此処で殴ったり蹴ったりという攻撃が来ない事は読んでいた。
そうまでするのは〝やり過ぎ〟だ。他の隊員達からの反発が、抑え込めない所まで高まってしまう。
だからこの時、こうして背を向けている間は、何もされず――自分が呼吸を整える時間として使える。
数度の呼吸で、心臓が落ち着く。
「――やあああぁっ!!」
そして紫漣は、翼が生む推進力も合わせ、眼前の村雨向けて思い切り、体を伸ばすように飛びかかった。
狙う位置は、腰から下――下腹部の、何処でも良い。手での防御がやり辛い位置だ。
立ち位置が近すぎて、足を持ち上げるのにも自由が利かない、そういう場所である。
それも、空振りする。
紫漣の視界から、村雨が消失していた。
「……っ!?」
何処に行った――探すまでも無い。
後方から腕が伸びてきて、紫漣の両手首を掴み、動きを抑え――
「ひゃううぅ!?」
紫漣が頓狂な声を上げ、腰を抜かした。
村雨は後方から、紫漣の耳を食み、耳孔を舌で擽ったのである。
へたりと尻餅をついて、動けずに居る紫漣を置き去りに、村雨は屋根を一段ずつ伝い、地上に下りた。
真っ直ぐ冴威牙の方へと歩けば、その間に立つ隊員達が、ざあと二つに分かれて道を開ける。
「お前、あんなもん、何処で覚えたよ?」
そう言いながら冴威牙は、村雨に手を差出した。
取れるかと、言外に聞く、握手である。
「ないしょ」
そう答えて村雨は、冴威牙の手を握り返した。
手に力は籠められていたが、同じく力で握り返す。
そうしながら、どうという事も無いと言うように、村雨は平然とした顔を見せた。
自分の意思を、自分の力だけで通した――すがすがしさが、そこには有った。




