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最早残兵に非ず(4)

 比叡山に築かれた城――便宜的に、比叡城と呼ぶべきであろうか。その城門は、三重の構造になっていた。

 一つ門をくぐって入ると、また眼前に門が有り、その向こうにまた最後、もう一つ門が備わっているのである。

 その門全てが、桜を迎え入れる為に開いて、今また、桜の背後で閉ざされた。

 城壁の中には、小さな集落が広がっていた。

 ボロ小屋と櫓が、幾つも入り混じって立ち並ぶ、寒村のようでもある。

 ずっと向こうの方に、柵で区切られた区画があったが、そこは雪が溶けた後、畑にでもするつもりなのかも知れない。人が集まる所に壁を作っただけ――大陸風の、集落を内に取り込んだ城である。

 城壁に屋根は無い。壁の内側は外と変わらず、雪が降り積もっている。その上に立っているのは、様々な年格好の、兵士には見えぬ者達であった。

 彼等は、或いは彼女等は、槍や弓を持っている。武器を持つ姿が似合わぬ、幼い子供まで平等にである。

 表情には疲れも、そして怯えも有った。内から城門を開けて迎え入れたとはいえ、素性も分からぬ女が、刀を携えて城内に居るのだから、無理も無い。

 然し、一部には、動揺と高揚が、五分で混ざっている者も居た。櫓か、或いは城壁の上で、桜の疾走を見届けた者達だ。政府の軍中を、それこそ無人の野の如く駆け抜けた女が、よもや敵であろうとは思わなかったのだ。

 そして、その安堵を更に広く伝播させたのは、桜より一つか二つ幼いくらいの、白髪を頭の後ろで束ねた、傷だらけの少女であった。


「よう、紅野こうや。怪我は無いか?」


「売る程も有るよ、半分くらい持ってけ泥棒」


 狭霧 紅野。

 兵部卿、狭霧和敬の長女にして、今は反政府軍の首領格を務める少女である。

 得手とするのは槍。幾つも、幾つも、使い潰しては捨てているのか、真新しかろうに、既に傷の目立つ槍を携えている。

 元より傷に覆われていた腕も、顔も――きっと衣の下も、ふた月半前と比べて、更に傷を増やしている。

 世が世で、父が父ならば、奏楽や花と戯れていてもおかしくない歳で、またそれだけの家柄に在りながら、少女はどんな兵士よりも多く、また深い傷を、その身に残していた。

 そうして紅野は、人を助けようとする。

 己の身体に傷を残しながらも、誰かが傷つかなかった事を喜びとして、それだけを理由にして戦える少女である。

 桜もまた、彼女に命を救われた一人であった。


「土産だ」


 左腕に抱えたままの少女の、袂へ手を突っ込んで、桜は大きな紙包みを引き出した。それを、ゆるやかに紅野へ放ってやると、受け取った紅野は、その場で封を引き千切った。


「……煙草か!」


「煙管の中身も切らした頃だろうと思ってな」


 ふた月半の籠城を経て、紅野の煙管は、久しく無聊をかこつ身の上であった。

 今すぐにでもこれに火を着け、煙をぐうと吸い込みたいと言わんばかりに、傷だらけの顔一杯に喜色を浮かべた紅野であったが、


「桜、またすぐ走れるか?」


「ふた晩程ならば。それ以上は寝不足になる」


「頼もしいな。……なら、悪いがついて来てくれ」


「構わん。こいつに、誰か付けてやってくれるか?」


 その葉を、また包みに戻して、近くの男に押し付けた。

 今宵は、城壁に取り付かれてはおらぬといえ、戦である。如何なる手段で攻撃があるか、腰を落ち着けて待てる状況では無い。

 そしてまた、立て続けに打って出るというなら、桜も子供連れでは戦えない。

 包みを受け取った男がそのまま、少女の――さとの手を引いて行った。


「狩野、佐伯、五人ずつ選んで付いて来い! それから爺さん、あんたも頼む!」


「おう、やあっと俺が出られんのか。よしよし、荷車か、それとも人か、どっちじゃい」


「どちらも行きたい、今夜のうちにたんと欲張ろう。南門に向かうぞ!」


 ぐわっ、と城内を歓声が埋めた。

 これまで、只管に耐え続けた彼等。妥協し続けてきた彼等が初めて、小さくとも、勝利を得られるやも知れないという予感が、子供をさえ、拳を突き上げ叫ばせていた。


「南に、何か来るのか」


「援軍の僧兵と兵糧だ。……最悪でも、兵糧だけは城内に運びたい。そうしたら私達は、まだ暫くは戦えるんだ。

 これまでは、輸送部隊を迎え入れるのに割ける手勢が限られていたけど……桜。あんたがいれば、融通が利かせられる」


 そう言って紅野は、櫓の一つに駆け上がった。

 槍を掲げ、人の目を集め、彼等の呼吸の周期が自分に揃うのを待って、


「西門側のお前達! 狭霧兵部はきっと、今夜、直ぐに此処は攻めて来ない! けれど、だからこそ此処の守備を、私が離れている間、完全に任せる!」


 それは、兵士が戦場で利くには頼りない、少女の声であったかも知れない。

 だが、比叡城に籠る彼等には、限りなく力強い声であった。

 夜空へ高く、歓声が昇って行く。分厚い城壁さえ揺れるような音声おんじょう

 その中を紅野は、直ぐ右手に桜を、左手には老剣士を、そして後ろに十人少々の手勢を連れて歩いて行く。

 南門もまた、三重構造の頑丈な作りである。

 こちらは、大量の物資と兵員を招き入れる為、暫くの間、解放し続ける必要がある。

 とは言え、紅野が打って出てから戻るまで、ずっと門を開けたままにしておけば、政府軍までなだれ込んでくる事になりかねない。

 だからこそ紅野は、精兵だけを連れていく。

 自分達が外へ出た時点で門を閉ざし、再び門を開くのは、周囲の敵兵を一掃した時。南門近くに敵兵の集団が有れば、どれ程に外の面々が追い詰められようと、救援は出さないし、出せない。

 敵を倒せぬなら、そのまま死ぬ――そういう場所に紅野は、自ら出て行く。


「それが大将のやる事か?」


「こうしてるから、皆は付いて来てくれる。……開聞!」


 城門が開き、紅野を筆頭とした十五人は、城壁の外へ出た。

 政府軍の兵士は、かなり遠巻きになっている筈だが、それでも開けた道は抑えているに違いない。

 荷車を通せるだけの道に、どれだけの兵が居るかは分からないが、その一部を蹴散らし、兵糧を迎え入れる。

 積極的に、勝ちに行く戦いでは無い。負けを遠ざける為、少しでも長く耐える為の戦いである。

 十五人の背後で、三重の城門が閉ざされた。

 外へ出れば、走る。

 荷駄の来る道へと、脇目も振らずに走る。


「おい、そこの娘」


「……? なんだ、そこの老人」


 走りながら、老剣士が、桜に向かって呼び掛けた。

 桜は知らぬ事だが、この老剣士は、かつて『錆釘』に所属していた。

 そして、最初の朔の夜、政府軍側として出陣した果てに、薊という男の腕を斬り落とし、比叡山側へと逃げたのである。

 元より老人は仏教徒であり、狭霧紅野とも内通していた――それだけの事ではあるのだが、その様を見ていた村雨を、混乱に陥れるには十分な事態であった。


「お前、何処かで俺と合ったりはしとらんかい」


 その老剣士は、桜の顔を見て、首をしきりに傾げている。


「あまり軟派はされぬ性質だが、まさか祖父でもおかしくない年齢の相手にされたのは初めてだ」


「ばあか野郎、そういうのじゃねえよう」


 桜が返した軽口に、老剣士は閉口してしまって、それ以上は何も言わなかった。

 やがて、火が見えてくる。松明である。

 道を照らす術として、魔術も確かに方法の一つだが、それより長く使われている、信頼のおける手段だ。

 それだけではなく、自分が此処にいると、味方に知らしめる事も出来る。

 だが――それはつまり、敵も近づいてくるという事だ。

 既に敵兵の気配が、すぐ近くにある事を、十五人全員が感じ取っている。


「構えろ! 何時も通りだ、まずは近づいてくる奴だけをやれ! 飛び道具持ちを見つけたら、その都度仕留めに行け!」


「つまり行き当たりばったりって事だね副隊長!」


「ああそうだ、そういう事だよ狩野!」


 副隊長――そういう呼び方をするのは、夜襲に似合わぬ、真っ白の衣装の男である。

 狭霧紅野は、白槍隊。つまり政府最精鋭部隊の、副隊長を務めていた。

 狩野と、それからもう一人、佐伯という男は、どうやらその頃からの部下であるらしい。

 誰にも、怯えは無い。

 だが、生きて帰れる保証など、感じていない。


「……桜、三つ聞きたい」


「なんだ」


「あの子供、なんだ?」


 敵兵の気配が近づくのをひしひしと感じながら、紅野は唐突に、桜に訊ねた。


「あれは、私の恩人だ。私より丁重に扱ってくれ……丁重にな」


「戦争をしている城に連れてきて、丁重にって言うのはな……ちょっと、その、困る」


「私は千人分働く。それに、あれにも……さとにも、働かせる。あれは存外に骨のある娘だ。お前達がかくまっている子供と同じように、さとにも接してやってくれ」


「……まあ、あんたが良いなら良いが。子供を連れてくるような所じゃないよ、もう」


「だろうな。で、後の二つはなんだ」


 言いながら、桜は脇差を抜いた。

 万力込めて握りしめても、緩みもせぬ金属の柄。生半の刀であれば、桜の力に耐えられず、砕け散る。

 そういう得物をがしと掴んだ桜は、まさしく戦場の鬼神である。

 だが紅野には、僅かに憂いが有った。


「……殺せるよな、誰かを」


「………………」


 そういう事か、と。何も言わずとも、桜は寂しげな目をした。それが十分に語っていた。


「あんたが走ってくるのを見てたよ。誰も殺さないで、見事に単騎駆けをやってのけた。ありゃあ凄いさ、私にしてからが見惚れちまった。

 ……でもな、それじゃ駄目なんだ。私達がやってる戦いって言うのは……」


「おい」


 語る紅野を、桜が止めた。

 前方から、幾本かの火矢が飛来したのだ。

 紅野は槍で、桜は脇差で、あっさりとそれを撃ち落とす。

 そうして、次の矢をつがえるより速く、二人はそれぞれ、別な射手に肉薄した。

 紅野は、射手の頭を槍で貫き、一撃で命を奪い取っていた。

 桜もまた、射手の頭を左手で掴むと、


「……さとに、返り血を浴びせられるか?」


「そうだな……案じるまでもないんだよな、あんたは。……悪い」


 射手の首を、脇差で飛ばした。

 それが合図になったかのように、岩陰やら木の陰やら、或いは草むらに伏せていた政府軍の兵士達が、わあっと声を上げて向かって来る。

 荷駄部隊までの道を、桜は文字通り、切り開いて突き進んで行った。

 赤い波が、幾度も幾度も、夜の空を彩った。






 夜が明けて、兵士が撤退を始めてようやく、狭霧兵部は自軍の現状報告全てを受け取った。

 相変わらず、被害は軽微である。

 だが、その内容が、いつもと違う事に、狭霧兵部は苛立っていた。


「……これは、なんなのだ。これは!」


 狭霧兵部が見ているのは、破壊された大筒やら、〝切断された〟刀やら槍やら――それに、無傷の兵士である。

 本陣守護の兵士に、死者は殆どいない。

 いるとすれば、癇癪を起こした狭霧兵部が、大鋸を振り回して首を落とした数人ばかり。

 雪月桜は、敢えて本陣を一直線に断ち割って走った。

 波之大江三鬼を飛び越え、数十の刀剣を切断し、赤心隊を一蹴し、大砲に至っては砲弾を掴んで投げ返した。それだけの大立ち回りを仕出かして、死者は一人も出ていないのだ。

 つまりは、あしらわれただけだった。

 狭霧兵部は、洛中の――つまりは皇国の兵権を預かる頂点である。即ち軍隊も、己の所有物であるとさえ考える。

 その傲慢な思考が、兵士の敗北即ち、己の所有物の劣等であると結論付けた。

 自分が、相手に劣るものを所有している――我慢のならぬ事であった。


「無能共が! 良くものうのうと生きていられるな! あの場で腹掻き切って死ね、不甲斐無い愚図共!」


 今の狭霧兵部には、誰も近づけない。

 鉄兜の側近さえが、大鋸の間合いの外に立ち、おろおろと周囲を見渡しているばかりである。

 その間にも伝令が、十数人は、報告の為に集まっている。無論彼等も、近づけば両断されると分かっているから、何もする事は出来なかった。

 陣幕を切り裂き、脇息を蹴立てて、憤怒の形相。並みの男ならばまだ良いが、ここで荒れ狂っているのは、道場を幾つか預かっても可笑しくない剣の達人であるのだ。


「……冴威牙、止めて来なさい」


 鉄兜の側近が、あっけなくあしらわれた一人である冴威牙に面倒を押し付けようとする。

 地面にどっかと胡坐を組んだ冴威牙の、羽織の襟を掴んで、引きずって行こうとするのである。


「ふざけんなよ吉野さん、殺されちまうだろ……」


 一方で冴威牙も、自分が鋸挽きされるのは堪らぬと、そこから動こうとはしないのだ。

 もう暫くは、誰も狭霧兵部に近づけぬのだろう――そういう予感が、彼等には有った。

 だが、そう思わぬ者が居た。

 それはどうやら、政府軍の人間では無い様子である。

 雪月桜は、兵士達のど真ん中を、力任せに断ち割って駆け抜けた。

 一方で〝こちら〟は、ただ歩いているだけなのだ。

 だが、兵士達は、それを避けた。

 〝彼女達〟は、とりたてて危険を振りまいている様子は無いのだが、然し近づくなと警告するものが有る。

 それは、片方が背負った、長大な太刀であった。

 見事な黒塗りの柄と、鞘の目立つ太刀である。

 太刀とは言うが、それにしても長すぎる。刀身は四尺も有るし、柄も拳二つで握って、まだもう少しは余る。

 鞘も金属作りである為、傍から見ている以上の重量が有りそうだ。

 そういう、はったりの利いた得物を背負った少女が、もう一人の少女に先んじて、狭霧兵部の方へ歩いて行くのだ。


「おっ――おい、てめぇ」


 冴威牙が、少女を引きとめようとした。知らぬ顔では無かったのだ。

 その静止が聞こえぬかのように、少女は、狭霧兵部の間合いに入る。


「かあぁあっ!」


 少女が間合いに足を踏み入れた瞬間、狭霧兵部は少女の顔を見ぬまま、その首目掛けて大鋸を振るった。

 と、少女も恐るべき速度で応える。

 瞬時に、背の鞘の蝶番を外し、四尺の大太刀を抜く。

 刃までが黒塗りの、分厚い太刀である。

 それで、大鋸を、がっしりと受け止めた。


「……お?」


 狭霧兵部は、不意に表情に理知を戻した。

 自分の斬撃が止められた――そればかりならば、もう一撃を加えていただろう。

 彼に取って重要なのは、大鋸を受け止めた黒太刀が、見覚えのあるものだったからである。

 『斬城黒鴉ざんじょうこくあ』。

 刀匠、龍堂玄斎の手による、頑強無比の太刀である。


「『錆釘』より、お呼びもございませんが――」


 太刀が、大鋸を弾いた。

 互いに手は届かず、だが声は届く距離に立ち、


「八咫の脚を手土産に、村雨、ただいま参りました!」


 酷く殴られて顔を腫らしたままだが、この場の誰よりも、村雨は輝かしく笑っていた。






「ところで、紅野」


「あん?」


 荷駄部隊を城内に迎え入れ、日が昇った。

 これでまた一月は戦いが無い――奇妙な戦である。

 然し城壁の裏側は、負傷者と、回収した死者と、外から迎え入れた兵とで、鍋を引っ繰り返したが如き様相となっていた。

 桜も、紅野もまた、血塗れであった。

 桜は返り血だけで、黒い衣服を赤に染めている。

 紅野は返り血もそうだが、幾つかは己の手傷も有る。それでも、治療を急ぐ程では無い。


「質問、三つ目とはなんだ」


 桜は紅野に、途中になっていた質問の続きを促した。

 紅野の方はと言えば、自分の質問ながら、暫くは内容を思い出せずにいたが――


「……そうだ。背中のあれ、どうした?」


「背中の……ああ」


 桜の背中、本来ならば黒太刀が背負われている筈の場所を指差して問う。


「取られた」


 それだけを言って、はにかむように笑ったのであった。

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