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黒鷺のお話(5)

「おーっ、痛え! ったた、村雨のお嬢さん、またすっかり逞しくおなりで……」


「自業自得!」


 お天道様も空高い、真昼の洛中を、村雨が憤然として歩いている。そしてその背を、顎を押さえながら、源悟が小走りで追いかけていた。

 抑えきれぬ余計な一言を発したが為、村雨の痛烈な蹴りを受けた源悟は、暫く歩いても痛みが消えていない様子である。

 村雨は村雨で、源悟を蹴り飛ばす羽目になった理由が理由。怒りは飛ばしても、反論の術が見つからないので、憤りは尚更であった。

 ――それにしても、人間はこんなに軽かったか。

 源悟の軽率な言葉が原因とは言え、少々やりすぎた気がしないでも無い。

 というのも、江戸を出てから洛中に至るまでの道中、軽口を叩いては蹴り飛ばされていたのは、あの雪月 桜なのだ。全力で蹴り込もうが揺らぎもしない怪物と歩いていて、それに感覚が慣れてしまっていたらしい。

 洛中では洛中で、蹴り一つを打てば三倍に返す師匠やら、そも親しくなる筈も無い道場破り先やら、そういう類の相手とばかり接触してきた。遠慮が必要な相手など、久しく出会っていないのだ。

 軽く引っ叩く程度の心積もりで居たが、思った以上に威力が有った。少し慎まねばならぬかと思いながら、村雨は内心で源悟に詫びた。


「しっかし、蒸し返すようで悪いんですが、どうしやすかい」


「……どうしようねえ」


 さて、話は戻って、囮作戦は早くも瓦解しかけていた。

 街医者、駒鳥 荒辺の見立てに寄れば、犯人が狙うのはどうやら、豊満な女性であるらしい。

 これまでの犠牲者を振り返ってみると、その傾向が明らかなのだという。

 優しげな目、何処となく丸みを帯びた頬から顎の線。髪はあまり飾らないものを好み、そして豊かな胸や尻。成熟した女を、獲物にしていると見えた。

 翻って、村雨を見るに――


「……どーせ私は貧相ですよーだ」


 平らな胸、引き締まっている尻。髪は短く、飾り気がないという所には合致するが、目は優しいというより、丸く大きな子供の目。見事に殺人鬼の好みから外れているのである。


「いやいや、人にはそれぞれの良さが有る訳でして、つまりお嬢さんにはお嬢さんなりのですね、そう、魅力ってもんが有るんでさぁ。だから桜の姐さんも、連れだって京にまで行くなんて言い出した訳で」


「慰め有難う、余計に虚しくなった」


 がくりと肩を落として歩く村雨であったが、


「お? お? お言葉とは裏腹に、ちぃとばかり嬉しそうなお顔で……ははん、あれだ。姐さんの名を出したからで――おぶっ」


 二度目は軽くを意識して、左拳。それでも源悟の膝は笑った。






 そうして、暫くは道行く人を探りながら、二人は歩き続けた。

 日が頂点から降り始めたものの、まだ空は青いまま。少しばかり雪の嵩は減ったが、夜の内にはまた積もるのだろう。

 碁盤の目を東西南北、歩き回って分かった事は、これではどうにもならぬと言う事。そして京の都は、解体殺人鬼には垂涎ものの、彼女好みの女を幾らでも見かける街だ、というものであった。

 通りを一つ移る度、一人か二人は、これという女を見かける。

 ――誰が死ぬのだろうか。

 村雨は、益体も無い思考を、首を振って散らす。

 そうさせない為に、自分達は歩いているのだ――だのに、何を考えているのか。

 然し、そうは言うが、手がかりが無い。

 一度でも犯人の臭いを捉えれば、それで追いかける事は出来るだろう。

 だが、犯行現場に残るのは、大量の犠牲者の血の臭い。それに掻き消されて、迅速に立ち去っただろう犯人の臭いまでは、とても嗅ぎ分ける事が出来ない。

 最大の武器の鼻が使えぬのなら、残る武器は足と根気のみ。夜を徹して街を回ろうかと、村雨が考え始めた頃合いであった。


「……しっかし帝がおわすこの街も、っちゃぁ、すれたもんで」


「源悟、何か見つけたの?」


 たっ、と舌を強く鳴らして、源悟が誰へともなく毒づく。

 村雨が振り向けば、源悟はその手に、ぐしゃぐしゃになった紙切れを掴んでいた。


「こういうゴミを投げ捨てる輩が出る所ぁ、大概は荒れ始めてるもんでさぁ。風流が染みついてると聞いちゃいましたが、どうにも剥がれ始めてるようで……」


「……それは……あれま、瓦版」


「の、残骸ですがねぇ」


 広げて見ればそこには、如何にもな安印刷の掠れた文字で、昨今の洛中の様を謳う文面が連なっていた。

 外へ出てはならぬ――警告文。

 政府は無力か――批判文。

 心当たりは筆者まで――募集文。

 文章はやや特徴的。事実を伝える瓦版でありながら、何処か物語仕立てにも見える。

 主語である〝私〟が、世の本に比べて随分と多い。主観的な報道とは、また奇妙なものだ。


「……あー」


 こういう文章に、村雨は見覚えが有った。

 顎を軽く上げて、鼻をひくひくとさせ、とある一方へ首を向けると、


「しゃっ!」


「あ、ちょい、ちょい待っ……!」


 たんと一飛び、近くの屋根まで飛び乗った。

 その勢い、まさに矢の如しである。天性の跳躍力に、此処暫くの左馬の鍛錬、更に戦場の経験と重なった、見事な八艘跳び――となれば、源悟では追い付けぬのだ。

 忽ちに後方へ、哀れな少年を置き去りにして、村雨は一直線に屋根の上を駆けて行く。道行く者の好奇の目も、幾つかは追い掛けてくるのだが、あっという間に振り切った。

 そうして暫く走って行くと、細い路地に降り立つ。其処から村雨は、足音を消して歩いた。

 森林ならば、鹿にも気取られぬ歩み。真後ろを歩かれたとて、ただ人ならば気付きはするまい。

 そういう、狩人の性を剥き出しにした歩の先に、小さな人の群が出来ていて、少女を一人、囲んでいた。


「さーあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、ついでにお一つ買ってらっしゃい! 国を支えるは真摯な報道、此処に出でたは新誌が一刷! 近代国家の礎は、正しき報道に有ると知りましょう!」


 中央で声を張り上げていたのは、この国では珍しい、金色の髪をした少女だった。

 少女の背は、村雨より幾分か高い。

 髪は――村雨も女性性としては短いが、それよりまだ短く、男童のようでさえある。だぼっとした服に、色気というものは何処にも無い。

 が、悪い顔立ちでは無い。寧ろ顔立ちだけで言うなら、擦れ違った男が振り返る類の、端的に言えば美人である。然しそういう事を思わせない程、兎角、活動的である事が先に立つ雰囲気であった。


「昨日も出たよ、昨日も出ました! これでひのふの、ええと八人目! 結局今宵も姿は見えず、尾羽を残して黒八咫は飛び去ったそうな! これまで同様の無惨、嗚呼無惨な屍の有様、知りたいならば是非是非に――」


 口上を途中まで延べれば、銭が飛び、手が伸びる。たちまちに少女――ルドヴィカ・シュルツの手から、非公認誌〝つぁいとぅんぐ〟は消えていた。

 その迅速たるや、ご禁制の品を密輸する商人のようであるが、事実この少女、お尋ね者である。政府公認の立場にありながら、政府に対して批判的な記事を書いた為、追われていた身であるのだ――ちなみに今は、何処かの雇われの読み本書きが、頭を捻って公認誌を捏造しているとか。


「ふーい、売れた売れた! ……これで次が刷れるし、ご飯も買い込めるし、家賃も払えるし……ひやひやしたわぁ……」


 売り切れ御礼、ルドヴィカは胸をなでおろす。成程、金には困っていると見えて、服の裾が草臥れている。じゃらじゃらと銭を胴巻きに流し込んで、意気揚々と歩き出そうとした、まさにその時であった。


「売れてる?」


「ええ、そりゃあも――」


 呼び掛けられ、振り向いた時には、ルドヴィカの右手首を、村雨が両手でがっしりと掴んでいた。

 持ち上げるように捻りながら、その腕の下を潜り、背中側へ――流れるような動作で、村雨はルドヴィカの右腕を背中側へ折り畳む。


「――おうったただあああぁっ!?」


「やー、お久しぶりー。元気だったー?」


 酷い大根役者の棒読みであった。

 ぎりぎりと音も聞こえそうな程にルドヴィカの腕を捻り上げつつ、片手で、道端で拾った瓦版を広げる。その間、痛みに大騒ぎするルドヴィカには構わずである。


「〝かつては政府に嘴を向けし狂鳥、今は無辜の民草を爪に掛けるか〟……これ、桜の事を書いてるんだよねー」


「あだだ、た、痛い痛い痛いやめ、折れる! 折れるから! ちょっと!」


「桜がどういう人間か、直接に見て知ってる筈じゃなかったっけー。あれー、おかしいなー?」


「お、お嬢さん、止めときましょう! ちぃとありえない方向に曲がりかけとりやす!」


 一度完全に極まってしまうと、関節技というのは抜けられぬものである。左手一本でルドヴィカを痛め付ける村雨を、やっと追いついた源悟は少し遠巻きにしながら制止していた。

 結局の所、解放したのはそれからもう暫く、そろそろ腱がいかれるのではという線の半歩手前という所であった。


「おー、痛っ……何すんのよ! 折れたら自然に治らないのよこの腕! 鉄骨入りだから!」


「いっそもぎ取れば直す必要は無いと思うんだけどねー」


「あんた前にも増して腹立つな!?」


 涙目で肩を抑えるルドヴィカに、村雨は恐ろしく乾いた反応である。

 源悟から見ると、どうも珍しい光景に想えた。村雨は基本的に、人当りは良い部類であり、こうして他者を粗雑に扱う事は少ない。例外と言えば、桜のように親しく、且つ雑に取り回しても問題の無い頑丈な人間程度のものである。

 ルドヴィカ・シュルツ――かつてこの少女は、村雨と全力で殴り合った。

 いや、殴ったばかりでは無い。村雨は蹴りを幾つも放ったし、ルドヴィカは村雨の首を絞めて落とした。然しその理由は、当人達以外からすれば、さして重大でも無いものであった――端的に言えば、同族嫌悪に近いものだった。

 その後、ルドヴィカは己の在り方を見つめたか、思う侭に政府批判の記事を書いて姿を消していたのだが――


「……ったく。ちょっとは見直してた私が馬鹿だったよ」


「うっさいわね、お金が無いと腹は膨れないのよ」


 ――それが、あの三文記事である。

 村雨はもう、呆れるやら何やらで、溜息を零す他は無かった。

 何せこの少女、確かに同族嫌悪の対象だが、そればかりでは無い。村雨には無いものをやたらと持っている癖に、同じような僻み根性を持っているのが気に食わないという、中々に根の深い相手なのである。

 広い見識やら学門やらという〝経験〟などもそうだが、〝才能〟の部分――まず人間として生まれている事と、発する端を遡れば、もはや当人同士でどうにもならぬ所。一方でルドヴィカはルドヴィカで、天性の身体能力を持つ亜人種に生まれついた村雨が、無い物強請りをしているようで腹が立つと、そんな理由で、顔に青痣を作る程にやりあった仲である。

 そういう相手が、その日の暮らしの為、人目を惹くだけの記事を書いているとなれば、村雨も怒りより脱力感が先立つのであった。


「で?」


「で、って何よ」


「売れてんの? そのインチキ瓦版」


「インチキとは失礼な。……そうねぇ、馬鹿売れしてるわよ。だってあんた、考えても見なさい。殺人鬼がこの街の何処かに居るのよ、街の何処に居たかくらいは知っておきたいでしょ」


 村雨が手に持っている、捨てられていた瓦版を奪い取りながら、ルドヴィカは諭すような口ぶりで言う。


「そんなもの買わなくても、いやという程噂にはなってるだろうにねー」


「あれ、あんた……ああそっか、あんたそういえば、『ラスティ・ネイル』の構成員だっけ」


「……なんで知ってるの」


「兵部卿に聞かされたのよ。前は私のスポンサーだったもの……あー、またあの贅沢したいー……」


 素性を言い当てられれ、次いで上がった名を聞けば、村雨の表情も俄かに引き締まる。

 ちなみに『ラスティ・ネイル』とは、帝国本土での『錆釘』の正式名称――錆釘と言う名の由来は、元の名の直訳なのである。ルドヴィカはどうやら、殴り合いをする前に、村雨が『錆釘』の所属である事は知っていたらしかった。


「贅沢はどうでもいいのよ。あんた、今の政府がどこまで情報を開示してるか、知ってる?」


「さあ」


「殆ど、何にも。噂話で流れてくる以外の、正確な情報源なんて無いのよ。政府の兵士だとか『錆釘』みたいな天下のお抱えなら、そりゃ内々の話も聞けるでしょうけれど、町民は本当に噂だけ。

 ためしに適当な人を何人か捕まえて聞いてみなさい。死体の数だとか、見つかった場所だとか、かなり噂は入り混じってる筈よ」


 情報の開示を、国民の権利として認めるのは、民主的な国家だけではなかろうか。

 現行の日の本政府は、洛中を騒がせる解体殺人鬼に関しての情報を、殆ど民衆には知らせていないのだと言う。

 村雨は所属が故に、また左馬が最初の死体を見つけたが為に、関係者として正確な話を知っていた。だから、街の誰もが、事件の詳細を知っているものだと錯覚していたが、


「だから、書いてるって言うの?」


「当然! 何処で誰がどういう風に、分かるなら何時頃に殺されたのか! これ以上に洛中の良民が求める情報など、今は何処にも有りはしません! つまりちょっと割高でも飛ぶように売れて、つまり印刷代も、足元を見られて高額にされた家賃も全部問題無く――っとと、後半は無かった事に」


 村雨が思う以上に、洛中は何も知らないのだ。

 ルドヴィカは一度、大袈裟に咳払いをする。私欲は多大に混ざっているが、その行為の向く先は、事実の周知――即ち報道。

 生きるだけならば、その術は幾らでも有るだろう。敢えて報道という道を選び、政府から隠れ住む日々を送るからには、彼女とて一個の思想人であるのだ。

 そして、更に深く入れば、ルドヴィカの根幹は〝書く〟人間である。桜や左馬のような人間が、戦う事から切り離されて生きられないのと同じに、どういう場所に居ても、書く事に拘るのが、ルドヴィカなのだ。


「……ふぅん」


 村雨は、そういう人間が嫌いでは無かった。いや――嫌いでは無くなった、と言うべきなのか。

 根が張っていて、一本の筋が通っていて、それに沿って生きる人間というのは、近くに立っていて気持ちが良いものだ――短い旅で学んだ事である。

 とは言え、憎まれ口を叩き合う仲の相手を素直に称賛するのも気恥ずかしく、鼻先であしらうような言葉で会話を終わらせようとすると――


「ふんふん、ふむふむ、ふーむふむ……こりゃまたこりゃまた、良いんでねぇですかねえ」


「……源悟、何してるの」


 源悟が、ルドヴィカの顔をまじまじと眺めながら、立ったりしゃがんだり、あれこれ視線の角度を変えていた。


「うわ、なんですか貴方、気持ち悪い」


「き、気持ち悪いってそりゃ――っと失礼、あたしは源悟、こちらの村雨お嬢さんの舎弟を務めておりやす」


「舎弟違う」


 誰何に対して、源悟は腰を折りながら、然し視線は相手から外さない、油断の無い礼を見せた。

 その後はまた、角度を変えてルドヴィカの顔を眺めるのである。

 そして、頷いたり、首を振ったり、挙動不審を暫く続けていたが、ふと動きを止めると、こんな事を言い出したのだ。


「ええと、金髪のお嬢さん」


「あ、ルドヴィカ・シュルツと申します」


「おう、こりゃご丁寧に。……ルドヴィカさん、化粧ってのはした事がおありで?」


「はい?」


 聞き返したのは、ルドヴィカばかりではない。村雨も全く同じように、源悟の発言を聞き返した。

 源悟は懐から、小箱を一つ取り出した。

 開けて見れば、内側には小筆やら墨やら白粉やら――化粧用具が一式揃っていて、


「いえいえ、あたしもこれで、変装にはちぃと自信が有りまして。ルドヴィカさん、大和撫子に化けてみようたぁ思いやせんかい?」


 化かし、騙しはお手の物。〝八百化けの源悟〟は、指先で筆をくるりと回した。

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