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黒鷺のお話(4)

 背丈は五尺五寸と、そう高くは無い。

 育ちざかりの子供のような、まだ大きくもなりそうな体格をしている。

 が――ここ数年、ずっと同じ顔を続けている。

 彼より背の低かった子供が、彼よりずっと長身になっても、彼は少年の姿を保っている。

 本当の年齢は、誰も知らない。

 本当の姿も、誰も知らない。

 そういう奇怪な生き物――人間が、『八百化けの源悟』であった。


「いんや、目出度い! 姐さんがお一人で江戸に戻って来たときゃあ、この源悟恥ずかしながら顔を赤くして白くして、右へ左へ動転百辺――」


「源悟、口上は良い」


「ちょっ、つまんねえ」


 足運びの速度まで優雅な洛中では、江戸っ子訛りの早口はやはり悪目立ちするものらしく、周囲の目が幾つも源悟と村雨へ向いた。

 然し、村雨には懐かしい響きである――あの喧しい町を出て、もう半年も経ったのだから。

 あの町は何もかもが早い。半年でどれだけ変わったか、きっと想ったものの幾段か上を行くのだろう。

 だから、変わらない顔が目の前にあると安心する。遠く異国の雪原の他に、この国にも帰る場所が有るのだ。


「江戸は、どう?」


 変わった事は幾らでもあろうが、村雨は、源悟に訊ねた。


「……洛中は、どうでござんすか?」


 源悟は、笑みを消して問い返した。ただならぬ顔になって、声を潜めての問いであった。


「どういう意味かな」


「今じゃあ洛中から江戸まで、書面だけなら一日で届きやす。そっから宿場を、早馬を乗り付いでまいりやしてね。

 以前、お江戸を騒がせた悪党が、こっちに出稼ぎに来たと聞けば、まさか黙っている訳にいきゃんすめえ」


「出稼ぎ……?」


「仔細までは記述が有りませんでしたが。こっちでもその野郎は、女のハラワタを素手で引き抜いてるんですかい?」


 次は、村雨が表情を変える番であった。

 周囲に目を向ける――もう、視線はこちらへと集まっていない。

 それでも、近くの細い道を指差し、そこで話す意思を伝えた。


「……何処まで聞かされてるの?」


「酷い殺され方をした。腹をかっさばかれ、内臓を引っこ抜かれた、そこまでは聞いてやすがね。肋を逆に圧し折って、その先に吊るしてるなんてえ事は、流石に書面にゃ書いちゃおりませんでしたともさ」


 源悟は、村雨に従って歩き、周囲に聞こえない程度に声を潜めて続ける。

 片手を懐に入れているのは、十手を掴んでいるのだろうか。洛中では権力を翳す事は出来ずとも、ちんぴら相手なら十分に通用する武器になる。


「どうです、お嬢さん。やっぱり、そういう死体でござんしたかい?」


「うん……ぴったり、源悟の言う通り。見て来たみたいにその通りだよ」


「何度か見やしたからねぇ」


 油断無い目を左右に走らせる源悟は、ほんの僅かの間、息継ぎの為に言葉を切る。

 息と共に、その言葉を言う覚悟まで吸い込んだかのようで、その後の台詞に淀みは無い。


「かれこれ五年前、つまりお嬢さんが江戸にくる二年も前ですか。同じように、女だけを狙って〝飾り付ける〟事件がありやした。

 男も殺す事は殺すんですが、こいつは積極的に殺しに行くというより、居合わせたら殺すというだけのもの。首やら腕やらをすっぱりと落としてるんで、腕利きの武士崩れかと噂も立ちやしたが……やはり奇妙は、女への酷な遣り口で。

 胸腹切り開き、中身を素手で引き抜いて、逆に圧し折った肋骨に引っ掛ける……っけえ、口に出すだけでむかむかすらあ。結局下手人は捕まらず、自然に殺しも止んじまった」


「そんな事が……」


「ええ、有ったんですよ。傘原様は、犯人は自殺でもしたか、もしくは飽きて何処かへ消えたんだろうと仰いましたがね、どうにもこいつは後者のようで。はるばる都まで上って、また人殺したあふざけた野郎だ!」


 成程、確かに同じ犯人だろう――村雨は、特に証拠も無いが、そう思った。

 この日の本にまさか、こうまで同じ殺し方をする者が、二人と居るとも思えない。

 生き物の体内は複雑に出来ていて、それに外から手を差し入れ、目的の器官を引き抜く――そんな芸当を、死体の体温が逃げ切らない内に終わらせる。どれ程に人体を熟知していれば出来るのか。

 医者か狩人か、或いは生粋の人殺し――犯人はこのどれかだろうと、松風左馬は言った。村雨も同意見である。

 そしてこの犯人は、五年も前から同じ事を続けていると聞けば、その人物像は――


「源悟、協力して」


「はい?」


「その犯人を、捕まえる」


 ――きっと、生粋の人殺しだ。

 改善の余地は無い。生きている限り、人を殺し続ける大悪。

 まだ村雨は、身近な誰かを殺された訳では無いが――人が死んでいると聞いて、黙っていられる程に麻痺しても居ない。

 戦場を知って、一つ分かった事が有る。あれは、日常と全く切り離して考えるべき場所だ。

 戦場で鬼となる兵士も、平時はただの人間であり、人死にを忌む感性を持っている。

 だから村雨は胸を張って、自分は戦場に出る人間でありながら、人殺しを忌み嫌えるのだ。

 源悟は初め、村雨に言われた言葉の中身を、良く理解していないようであった。

 源悟の中の認識では、村雨は、桜の気まぐれに付き合って走り回る少女である。

 圧倒的な意思の化け物に従い、その意思を達成する為に動く少女。それが村雨だと、源悟は思っていた。

 然し、今の村雨はどうか。主体となる筈の桜は、ここに居ない。然しこの言い草は――


「……似てくるもんですねぇ」


「えっ?」


 源悟は、ぱんと両手を打ち合わせて、それから両腕の袖を捲った。


「ようがす、存分にあたしを使って頂きやしょう! この『八百化けの源悟』、関の東西なんざぁ問いません、必やにっくき悪党をば――」


「源悟」


 余程の昂揚か、舞い上がり天へ登って行きそうな調子の源悟の、唇の前に、村雨は指を立てた。


「口上は良い」


「そんなぁ……」


 一点しょげ返って、源悟は石ころを蹴っ飛ばした。






「はてさてしっかし、探すとなればどうしやしょうねえ。まっさか向こうから、はいお呼びですかと面ぁ出すってえ訳も無えでしょうし」


「それなんだよねぇ……」


 源悟を後ろに引き攣れ、村雨は洛中を歩いていた。

 別に、後ろを歩けと命じた訳では無いが、自分が上に仰ごうとした相手から、一歩下がってしまうのが源悟である。

 江戸の町でならず者を取り締まる時と同じ油断の無い目で、源悟は周囲をぎろぎろと見回している。

 が、その目が捉えるのは、平和な日常ばかりなのである。

 決して明るい表情とは断定できない者が多い。だが、絶望に沈んでいるという事も無い。

 洛中を東へ抜けて比叡の山では、今も仏教徒に対する城攻めが行われているし、洛中では異教徒狩りに加えて黒服の人斬り。憂いは幾らでも有るが、それでも飯は食えるし、下手な事を言わなければ家も保てる。欲を出さねば、生きるだけなら楽なのだ。

 この中に、人殺しが紛れているのかどうか――否、という気がする。

 源悟は特に思うのだが、人殺しはどんな時でも、何か普通の人間と違うものだ。

 顔立ちというか、雰囲気というか、そういう事に慣れている者ならば、近づいただけでそれと分かる異常を抱え込んでいる。

 今、源悟の視界に写る人間には、そういう異常は見受けられなかった。


「そういや村雨のお嬢さん。そちらは犯人捜し、どういう手立てを考えてたんで?」


「んー? ……そうだね、やっぱり……一番簡単に、囮を使う」


「囮?」


「私」


 ああ、と源悟は頷いた。

 江戸でも洛中でも、あの人斬りは、女だけを狙って飾り立てていた。

 男は飽く迄も、居合わせたから斬るだけだ。一人歩きの女を狙うのなら、実際に、女一人に歩かせれば良いという事だろう。


「よろしいんで?」


「一番早いだろうからね、それが。源悟は三十間くらい開けて私を追い掛けててくれれば、多分前後で挟み撃ち出来ると思うし――その距離なら風向きが悪くても、どうにか」


「相変わらずの鼻で……となると、今暫しは何処かで休憩なりと?」


 村雨の案を実行するなら、この時間帯に外を歩き回っていても仕方が無い。そう考えた源悟は、夜に備えての休息を提案する。が、村雨はそれへ、首を左右に振って答えた。

 足も止めず、向かう先は洛中でも北西の方角。次第に人の数も減り始める。

 それに連れて、吹いて来る風まで、音を変えてきたような――


「……おんやまた、あたしらの好む臭いがしてきやしたね」


「だろうね、〝看板通〟だもの」


 武術の道場が立ち並ぶ、通称〝看板通〟――洛中でも此処だけは、まるで雰囲気が変わらない。

 か弱い女人などまず立ち寄らず、人斬りなど自分で仕留めるという自信過剰者が集まる所だ。

 特異な理は有るが、真っ当な法が通用する場所でも無い。源悟は既に、十手を懐から引き抜いていたが、


「源悟、物騒だからやめなよ。今からちょっと、お医者様の所に行くんだから」


 村雨がその手を制して、もう片手で、近くの建物を指差す。

 そこは、通りから少し外れた場所にある、小奇麗な建物であった。女医、駒鳥こまどり 荒辺あらべの診療所だ。


「ほほう。こういう所に門を構えてちゃあ、朝夕ひっきりなしに患者が担ぎ込まれそうなもんで」


「実際そうだろうね。ほら、今も治療中みたい」


 言うに被せるようにして、門の向こうから野太い悲鳴が上がった。

 大の男が此処まで喚くのは、果たしてどんな痛みである事か――想像するだに寒気の起こるような、長く続く悲鳴である。


「……お医者様、でござんすよね?」


「間違いない。……うん、間違いじゃないんだ、本当に」


 奥には地獄が待つ門を、村雨は怖気づきながらも潜る。

 一度訪れた場所では有るので、特に差支えも無く奥まで進み、滅多に使われない待合室で、村雨は靴を脱いで座った。

 暫く待つと、先程まで悲鳴を上げていたのだろう大柄な男が、治療室から比喩でなく蹴り出される。手足のどれを見ても正常に動いているので、治療結果自体は問題が無いのだろう――が、過程はやはり、大いに問題がある様子であった。

 治療室を覗き込めば駒鳥 荒辺は、部屋の中央の拘束台を、愛しげに磨いている所であった。


「駒鳥先生、ちょっと良いですか?」


「はぁいはい。……あら、また怪我したんですかぁ? 素晴らし――じゃなかった可哀想に。さぁさ、そこに横になって――」


 可哀想にという言葉とはまるで正反対、駒鳥は喜色満面、村雨の肩に手を置いて拘束台へ誘導しようとする。

 無論、健康体でなくとも遠慮したいような、荒っぽい治療が待っているのは知っている。村雨はその手をそっと押しのけて、


「先生。あの、〝飾られた〟死体について、聞きたいんです」


「……あら」


 押しのけたその手に、僅かな震えを感じた。

 この医者も大概おかしいが、おかしいからこそ、自分以上の狂気には敏感なのだろう。すまし顔に汗も掻かず、だが、確かに駒鳥の手は震えている。


「……どういう事を、聞きたいんです?」


「ちょっと助言が欲しくって……先生から見て、犯人は、どういう人間に見えるか」


 村雨の本業は、『探し物屋』である。見つからぬものを見つけて、江戸では飯を食っていた。

 その経験から分かっている事だが、人を探す時には、その人を知れば良い。そうすれば、その人間がどう動いて、どこに現れるかも予測が出来る。

 今回、惨殺事件の犯人を追うには――知る手がかりが、死体しか無いのだ。ならば、その死体を検分し、また死体を見なれている駒鳥 荒辺にこそ訊ねるべきと、村雨は考えた。


「犯人、ですかぁ……嗚呼」


 駒鳥は、手近な椅子を引いて、その上へ、崩れるように座り込んだ。

 ほんの数度の会話で、酷く疲労したような弱弱しい目で、駒鳥は暫し天井を眺めてから、呟くように言う。


「……治らない病気って、私は大嫌いなんですよぅ。いえ、治せないようになったものが、全部、嫌いです。あの犯人は、もう絶対に、何が有っても治らない病気だと思いますねぇ……。

 いいですか、まずこの犯人は、知恵が回っているという事に気を付けてください」


 村雨と源悟は、少し身を乗り出し、清聴の構えを取る。


「夜に動く事だけならば、その人の中の理に適うからと、それだけの事もあります。けれど、顔を見た相手は確実に殺して――なのに松風さんに見られた時は、無暗に斬りかかろうとしなかった。

 ……本当の事は分かりませんけれど、〝遠くて見えなかったろう〟と、〝手に余る相手だ〟と、どちらも思ったのではないですか?

 この犯人は、獲物を選ぶ。そして一度始めたら、自分を止めようとは、決してしない……理知的な狂人なんですよ。野放しにしていればしているだけ、やり方は上手く賢くなり、狂った頭が自分を殺すまで、人殺しを続けるでしょう。私は、この犯人が私の家の門を潜ったらと思うともう、怖くて怖くて……」


 人の死に慣れた女でさえが、怯えをありありと浮かばせていた。

 この犯人は屋外で獲物を狩る。家の中には踏み込むまいと思えども――何時、そう変わるかは分からない。

 知性が有り、学ぶ事が出来る狂人は、歯止めが利かぬならば、何処まで狂うのか。誰も、計る事など出来ぬのだ。

 村雨は改めて、この狂人を狩らねばならぬと決意した。


「先生。その犯人は……どういう人を狙ってるように見えますか?」


「どういう、とは?」


「私は鹿や猪が好きで、小さい獲物はあまり好きじゃないです。そういう風に、この犯人も、好き嫌いが有ると思うんです」


 人を探すなら、その人を知るべし――獲物の選び方というのは、その人間の人格にかなり近づける分野である。天性の狩人である村雨は、それを、他の人間よりも肌で感じて知っている。


「私が夜に出歩いて、そいつをおびき出します。その時に、例えば服装を変えるなら、どういう恰好にすればいいのか。何かお香を焚けばいいか、とか……それが分かれば、見つかるのは早くなると思うんです」


「成程、傾向ですかぁ……うーん」


 やけに踵の高い靴を、かんかんと床に打ち鳴らして、暫し駒鳥は思考した。そして、思い当たるものを見つけたのか、あ、と言って両手を叩くと、


「〝飾られた〟女性の共通点ですが――」


「うん、うん」


 身を乗り出している村雨と源悟へ、応じるように駒鳥もまた、ぐいと体を突き出す。額三つを付き合せ、言った。


「――女性的な曲線が目立つ、女らしい起伏豊かな体つきの人ばかりでした」


「………………」


 しん、と沈黙が降りた。

 暫しの間、誰も口を開こうとはしなかった。

 或る種の緊張――音を発して良いのかも計り知れぬ、胸に鉛を呑んだが如き重圧。


「……そいつぁ、絶望的で」


 勇気を奮って発言した源悟は、一瞬後、村雨の蹴りを受けて床に引っ繰り返っていた。

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