雪中夢のお話(5)
祭事なるものの性質が、賑やかしの一点に終始せぬというのは、誰も異論を差し挟まぬ所であろう。
生きる事に強く根付いた、土着神との、あるいは動物神との、祖先神との交信。端的に表すなら、宗教行事である。
この日の本、神などは米粒から厠まで、それこそ八百万も居る訳であるから、寧ろ彼等彼女等を意識する機会は少ない。だからこそ、特別な日を設ける事で、空気の如く纏わりつく神々に、目を向けようという訳である。
「然し、静かなものよなぁ」
「江戸や京と比べられたら、そりゃな。俺ん村さぁ、小せえもの」
八重が祭りを開くと、そう告げて数日。
村の中央には、少しばかり開けた広場がある。そこへ桜と晟雄は、櫓を組む為の材料を運んでいた。本来ならばこの作業、数人がかりでえっちらおっちら数往復もするのだが、桜は一人で材木の大半を担いでしまう為、晟雄は釘やら縄やらを運ぶに留まる。
そうして運んだ先には、届けられた木を組み合わせ、雪と土を掘って作った穴に立てる者が居る。若い男は、江戸風にねじり鉢巻きをしていたが、桜が運ぶ材木の数を見ると、土と煤に汚れた瞼をひんむいて仰天してみせた。
「で、祭りとは言うが……まさか、飴売りを呼ぶ訳でもなかろう?」
「だから、ここは江戸じゃねえんだって。櫓だって一間も無い、ちょっと登って見下ろすだけでな。
やるのは結局、酒盛りと夜更かしみたいなもんで……馬鹿騒ぎだな、要は」
「風情が無い事だ」
木材を渡してしまった後、とくに急ぎでやる事も無い桜は、櫓が組み上がる様子を眺めていた。
冬のさなか、雪の中に在りながら大粒の汗を流し働く若者――然し、その表情は強く輝いている。
突然に飛び込んだ余計な仕事を、全身で歓迎している様に、動きもまたきびきびとしたもの。眺める桜は、祭りなるものの予感を心地良く味わっていた。
「馬鹿騒ぎ、悪くねえぞ? 飲んで騒いで疲れて寝る、楽しいじゃねえか」
「まあ、なぁ。酒を注ぐ女が居るなら全く同感だが」
「注ぐ? いやいや、樽から柄杓でがぶ飲み。ちまちまして面白いか?」
「尚更風情が無いなぁ、良い事だ。酒飲みはそうでなくては……で、それだけか?」
ただの酒宴で無いだろう事は、祭りの到来を告げた八重の、存在の奇妙からもうかがい知れる。当然の様に晟雄は、深々と頷いて言葉を続けた。
「とんでもない。この祭りは〝俺達〟と〝お山〟が溶けあう為のもんだ。生まれた子供が何もせんで、人間の大人になれるもんかい」
「図体がでかくなれば大人、では無いと? 成人の儀式というのも珍しいが、それなら毎年やりそうなものだな」
「どっちかというと、村単位だからなぁ」
個々人の成人よりも、全体が〝神〟と約定を取り交わす、いわば契約行為の色合いが強い祭祀――成程と、桜は晟雄の動作を真似たかの様に頷く。
成程、確かに村の全体が、山から戻って見れば激しい熱気を帯びている。これは誰か一人の祝福ではなく、青前全てへの恩恵なのだ。
しかして晟雄の口振りを聞くと、どうも成人の儀の色合いも有る様で、桜は分からなくなり首を傾げ――
「……あの神様、無精でな」
「ああ、納得した」
――単純な理由に、嘆息した。
人間の側からすれば、数年や十数年は広い間隔だろうが、人ならぬ身にはきっと一瞬。頻繁に降りて来ないと、それだけの事なのだろうと。
そう思えば、村が沸き立つのも無理は無い。薄情では無いが放任主義の神が、人の村まで降りて来ようというのだから。
「で、酒宴には私も加わって良いのか?」
「勿論よ、酒は大勢で飲むのが良い。……雪の上が、寒くなけりゃあな」
「雪など。大陸の雪は此処よりも重くて深いぞ……と、待て。雪の上? ……雪の上で酒宴?」
はて、それは如何なる光景かと思い描く。雪の上に御座を引いて胡坐、樽の酒に獣の肉――原始的だ。諸外国から贅を尽くした椅子やら机やら輸入されているこのご時世、江戸の町とて魚油の灯りばかりではなくなっているというに、此処では松明の灯り。壁も屋根も無い所で宴とは、いっそさかしまに回って、風情が有る様にさえ思い始めた。
兎角、祭りの用意は進められる。力仕事もそう残ってはおらず、桜は時間を持て余した――と、雪をざくりと掻き分けてやってくるものが居る。さきとさとの姉妹であった。
「あ、見つけた……」
「ちょっと、あんた! 朝から何処に出かけてたのよ!」
「お前達、何時も騒がしいのだな……いや、さとだけか」
妹の後ろに隠れるように立つ姉、あまり背丈の変わらぬ二人。歳の割に小柄な姉妹が何をしているのかと言うと――何を、する事も無いのだ。
冬であるから、農作業も無し。雪掻きは桜が一人で、十数人分も働いてしまうから、やる事が無し。家の手伝いをしようにも、屋内でちまちまと縄を綯う程度であれば、忽ちに終ってしまう訳で――やる事が無いから、遊びに出ていた。
「何処にと言ってもなぁ、山に登って降りて、それだけだ。遠出した訳でも――」
「あー、やっぱりずるい! 私達はお山に入っちゃ駄目なのにー!」
「うー……ずるいー……」
この数日ですっかり桜に懐いた二人は、纏わりつきながらもぎゃいぎゃいと喚く。頭を適当に撫でてやりながら、桜は晟雄の方に首だけ向けた。
「こいつらにも、飲ませるのか? ……すぐに潰れそうな感しかないが……」
「さとには少しな。さきには、別な用事が出来る――おおぅ、そういえば言ってねがった! 悪い!」
十二の娘にも酒を飲ませる、これもまた原始的な風習だと思いながら、一つばかり聞き逃せない言葉が有った。
桜とさとはほぼ同時に、名指しされたさきに目を向ける。いきなり四つの目が集まって、気弱なさきは明らかに動転した表情を見せた。
「え、と……用事?」
「おう! 十三から十九までの若いもんだけだがな、祭りの夜に。お前達が生まれてからは初めての祭りだが……ん、なあに、そんな難しい事は無え。さとは……何時になるかな」
父と娘――姉は、父親がしゃがむ事で、視線の高さを合わせた。
力強さ、逞しさが先立つ父だったが、こうして正面から目を合わせると、寧ろさきは穏やかさを感じていた。安堵を生む目だ。
だからこそ逆説的に、安堵を呼ばねばならぬ事でもあるのかと――少しばかり後ろ向きなさきは、疑ってしまう。
「大丈夫、なんだよね……お父さん……?」
「なーにが怖いか、なんも怖くねぇ。祭りの前の夜に教えてやっから、暫くは遊んでろ。な?」
含みある顔で笑う父親は、子供にして見れば信用して良いものか迷う所であろうが、ごつごつした指に頭を撫でられれば、引っ込み思案のさきも、表情を和らげる。
櫓は既に組み上がり、注連縄やらの飾りを重ね始めている。祭りの気配は少しずつ、青前の村に忍び寄っていた。
「……うー、いっつも私はのけものなんだから……さきばっかりずーるーいー!」
「おい、こら、あまり強く引っ張るな。後な、変に痕が残るから編むのは程々に……」
ちなみにだがその間にさとは、腰の辺りまで垂れ下がる桜の髪を掴み、毛先だけでも三つ編みにして遊んでいた。一応は恩人の様なものであるからして、桜も強くは出られないのである。
とりあえず視界に収まる様に――あまり大量に結われても困ると――さとを視界の右に入れて、桜は適当な大石に腰掛ける。そうしてから、村の景色を眺めた。
江戸の町も京の街も、人は雲より速く走っていた。この村では雲が、視界の中で最も速く動く。欠伸一つ上げてみると、その音が少しばかりくわんと響いて、雪に浸みこんで消えて行く。
雪玉を作って、手の上で転がした。柔らかい雪だ。強く握り込めば、氷の様に固くなる。歯を当てて噛み砕き、口の中で溶かしてみると、舌が冷たいと文句を言って、感覚を失った。
この雪が、この土地を生んだのだと、桜は何故だろうか、はっきりと理解した。
長く冷たい冬の間、雪に覆われて太陽を待ち焦がれる土は、村人達の心根に良く似ている。諦めではない、そうある形を受け入れて、そのままに生きていく、当たり前の生き方に。高い所ばかり、或いは忙しい所ばかり、常ならぬ生き物ばかりに目を奪われて生きてきた桜だが、こうして地に足を着けて見ればなんとまあ、平凡な人間の面白い事か。感嘆しながら、雪玉を喰らって飲み干した。
「おい、さと」
「何よ。……あっ、動かないでよ! 結べないじゃない!」
濡れた掌を袴で拭きながら、桜は傍らに立つさとの方へと顔を向けた。髪が逃げて行き不満顔のさとを、桜は苦笑いしながらも、肩に手を置いて窘める。
「そろそろ飽きてくれんか? ……ではなくてだな、思ったのだ。お前、村の外へ出た事は?」
「外? ……なんで?」
問いの意味を図りかねたか――そも、そう問う理由が分からなかったのか。兎角、さとは桜の望み通りに手を止めて、ぽうっと呆けた様な顔を見せた。
「お前もいつかは、大人になるぞ。真っ当な生き方をするなら、旦那を得て、子供を産んで、老いて死ぬ。この村で旦那を得て、この村で死ぬつもりなのか?」
実際の所、何故にその様な事を尋ねたのか、桜自身が理解していなかった。ただ、気になっただけだ。
こんな問いを、十二の少女にぶつけてしまった事に、己の軽薄を笑えば――さとが、髪を一束掴んでくいと引っ張った。
「……分かんないわよ。でも、多分……そう、なんじゃないの? だって、お母さんもそうだもん」
きっと彼女の母親も、その様に生きてきた。だからその様に死ぬのだろう。十二年生きて来て、薄々と気付いていた事なのだろう。淀み無くとは言えないが、思い悩む様子も無く、さとは答えた。
「この村は好きか?」
「当たり前よ!」
こんな問いも、あまり投げかけた記憶は無い。住む土地を嫌いだと、断言する者が寧ろ珍しいのだから。
それにしても力強い肯定、愉快と思わずにはいられずに――
「ほう、何故だ?」
「えっ?」
――冗談めかして、理由など聞いてみる。そうすればさとは、狼狽を明確に表に出した。
必死で答えを探そうとしているのは伺えるが、自分の土地が好きだなどという理由を、明文化して考える事などそうはあるまい。ましてや他の土地を知らぬ少女の事、他と比較する事も出来ないのだから。
かと言って、一度出した答えを引っ込める事も出来ず、うんうんと唸りながら、さとは何か言葉を探す。、
「ああ、すまんすまん、質問が悪かったな」
「ひゃ、わわ、ちょ、高っ、止めなさいよっ!?」
それがあんまり面白かったか、はたまた愛らしいと感じたか。桜は、さとを抱きかかえてぐいと持ち上げた。赤ん坊のころならば兎も角、十二にもなって抱き上げられる事などまず無かろう。じたばた手を振り回して、降ろせと喚いてみても、寧ろ桜はさとを高く掲げるばかりだった。
「母親の真似事かえ?」
「まさか、無い物強請りはもうせんわ。……退屈なのか?」
「祭りの日まではのぅ、寝てばかりいると夜を寝過ごすし」
背後からの声――気配は薄いが、誰とは分かる。怠惰な山の神はどういう芸当か、ふわふわと浮かんで、抱え上げられたさとと目の高さを合わせていた。
「あまり幼子をからかうものではないぞ。酷い大人よ、のぅ、さと?」
「誰が幼子よ! ……って、あんた、あれ」
「此方は山の主ぞ、見知り置けい。……先の夜にも逢うたばかりと思うたがの」
自分の頭越しに会話が飛び交うのも居心地が悪かったか、桜は右腕だけでさとを抱え、左手では浮かぶ八重を捕まえ、これも腕に抱えた。
「両手に花だな、うむ」
「片方は未だに咲かぬ花よ、蕾のうちに摘み取るつもりかえ? ……と、戯れ事ばかり吐くつもりは無いんじゃがの。
白昼より降りて出でたは、祭りの次第の……そうじゃの、〝太刀役〟を選ぶ為よ」
八重の声は、決して大きくは無い。にも拘わらず、彼女が〝太刀役〟と口にした途端、近くを歩く男衆が、一斉に八重に視線を向けた。
余程に心を浮つかせる話題であるらしく、村長の晟雄までが首をぐるりと向けてくる。何やら大ごとらしいと感づいて、桜は少しばかり顔を引き締めた。
「太刀役とは、それはなん――」
「山ン主様! 是非うちの息子に!」
桜が問うより、それは速かった。駆け寄ってきた村人の一人が、雪の上である事も構わずに平伏する。桜が抱えている八重に跪く訳だから、つまり桜の目の前で雪に額を擦り付ける事になり――
「いや、うちのせがれに!」
「いんやいや、うちん息子さぁ銃はからっきしだども、刀はもう若ぇ衆でも――」
――そんなものが、三人、四人、ぞろぞろ集まってくる。これには流石の桜も困惑した。
たじろいで一歩引き下がると、平伏したまま雪の上を這って近づいてくるのだから、寧ろ惑うを通り越して気味が悪い。二歩、三歩と後退した所で、今度は平伏こそしないながら、群に晟雄まで加わった。
「山ン主様よ、俺の息子はまだ未熟もんだが、根性は付いて来た。次の村長にしてやりたいのもある、ここはどうか……」
「頼みごとをする態度には見えぬぞ、人よ。それによう知っておろう、此方が懇願に耳を貸さぬとは」
「……そりゃそうだ。じゃあ、どうやって決める。あんた一人で決めちまうのか?」
這い蹲る人の群と、ついでに困惑する桜を遥か眼下に置いて、八重はまたふわりと浮かび上がる。空気の流れはあるだろうに、髪も常盤色の着物もはためかず、切り抜かれた絵の様で――そのままに、広場の木の一本に立った。
枝とは言うが、人の腕よりは撓まず強く、八重はそこに脚を流して腰掛け――髪紐を一本解いて、手近な枝に結びつけた。
「なれば。これを、切った者を〝太刀役〟としよう。上るも良し、刃を投げるも良し、好きにせい」
さも、これが神事であるかの様に――いや、実際にそうなのだが、八重は不要におごそかに告げた。俄然沸き立つ村の男達、晟雄は一人で懐かしそうに目を細める。
「……またこれか。俺ん時は矢で落としたけどなぁ……うっし! おい連中! 若ぇ衆に伝えに行くぞぅ!」
おう、と皆が叫んで応じると、蜘蛛の子を散らす様にばらばらと走り始める。ここ数日の滞在で見覚えた顔と地形を鑑みるに、それぞれが各々の家に走ったのだと、桜は気付いた。
皆の表情に浮かぶ熱気と来たら、まさに雪を溶かさんばかりの強さで、理由は知らずとも共に浮かれたくなる程の――例えるなら、祭りのよう。
「そうか、もう始まっていたか……つまり、あれを斬れば良いのだな」
「そうなんじゃないの? って、ちょっと待った……まさか私抱えたまんまで木登りとかしないでしょうね!?」
樹上の髪紐を見上げ、玩具を前にした男児の様な目の色をする桜に、さとは危険を感じて釘を刺す。
だが、もはや遊興の矛先を見つけた桜に、尋常の制止では通じもしなかった。
右手でさとを抱えたまま、左手で脇差をひょいと引き抜き。ひゅう、とたった一度だけ振るって――さとの頬を、熱風が撫でた。
「熱っ!? 何よ、いきなり何すんの――、って……?」
ひら、ひら、と落ちてくる布きれ。手を伸ばして掴んださとは、それをじっと眺めて――先程、木にむすばれたばかりの髪紐の、飾り布だと気付く。
樹上、高さにして一丈と五尺。刃は全く届かずに、然し髪紐を切り落としていた。
「ほれ見ろ、私が一番乗りだ! で、褒美は有るか?」
髪紐の残骸を掴むさとを、見せびらかす様に揺すぶりながら、駆け戻ってくる村の男と、その息子達に見せつけた。
ああ、と溜息が伝播していく中、晟雄は顔の半分で引き攣った笑いを、そしてもう半分では眉根を垂らして困り顔をしていた。
「……まあ、美酒と熊の手くらいはあるが……あんた、本当に型破りっちゅうかなんちゅうか……」
「ほうほう、それは楽しみだ。一番乗りの権限という訳か」
「いいや、それは違うぞ、人よ。……くく、数百年は聞かなんだ、このような事は。
馳走を喰らうならば、相応の理由が有ろう。此方の横に並ぶおのこが、粗末な枯れ飯を喰らっていては、のう?」
脇差を鞘に戻す桜の手を、木の上から降りた八重がそっと包む。
「〝太刀役〟はただ一夜なれど、この村の、山の神となる。故に、美酒美食を与えられる。
つまり太刀役はの、一夜かぎり此方の夫となる役よ。……務めてみせい?」
周囲から集まる視線が、やけに増えた気がする。きょろきょろと桜は周囲を見渡して、それからさとの手の中の髪紐を見て――
「……今から、木に結わえ直しては駄目か?」
「駄目じゃ」
「おおう……」
考えずに動くものでは無いと、珍しく反省をした。
そしてこの夜は、これは浮気になるものかと、おかしな事で頭を悩まし、日の出まで眠れず終いであった。




