表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の少女と黒い女  作者: 烏羽 真黒
品川夏空模様
1/187

最初のお話(1)

「おじさーん、お蕎麦おかわりー!」


「あいよっ、替え玉一丁!」


 太陽がカンカンと照りつける真夏日でもお江戸の町は平常運航で、日の本一の活気を吹きあげていた。

 大八車がガラガラと駆けていくのに飛びつこうとした悪ガキが、母親のげんこつを貰ってしょぼくれる。そんな平穏な日常風景が暖簾の向こうにある蕎麦屋。一人の少女が威勢良く、空のセイロを突き出していた。

 禿頭にねじり鉢巻きの店主が、氷水で冷やした麺を大盛りにしてつっ返す。受け取った少女はすぐさま麺をつゆにひたし、景気良くずるずると音を立ててすすった。

 店内に居並ぶ客は、どいつもこいつも図体のでかい、むさくるしい男ばかり。仕事の合間をぬって腹を膨らましに来た為か、むせるような汗の臭いすらある。そんな連中の横に座っているこの少女は、背丈は五尺(150cm)前後の色白の、そして細っこい娘であった。


「ぷはー……ごちそうさま! お代はいつもの所ねー!」


「はいはい、『錆釘さびくぎ』にツケておくよ」


 ものの二分か三分。セイロはすっかり空になり、麺つゆも随分薄まってしまっている。脇に座る大男が一杯平らげる間に、少女は二杯の蕎麦を食べ終わり、町の喧騒に負けぬ高い声を張り上げた。

 この店の常連にしてみれば、この光景はもはや夏の風物詩と言っても良い。三年前、外来船と共にこの江戸に流れ着いた少女は、今ではいい歳をした男どもの娘扱い、癒しとなっているのである。

 どこの生まれかは誰も知らない。灰色の髪と、目鼻立ちのはっきりした顔は、日の本の生まれではないとだけ予想がついた。

 十四になっても人懐っこさと愛嬌を失わないこの少女は、気難しい年頃の子どもを抱えた父親連中には、確かに心の慰めとなるのだろう。


「それじゃ、行ってくるねー!」


「えぇ、おいおい、気が早いじゃねえか! 急ぎの用でも有るのかい?」


「用もそうだけど喧嘩! 速くしないと終わっちゃうじゃない!」


 さあとやってきてさあと立ち去る、にわか雨にも似た有り様。名残惜しげな男どもの声を背に、少女は通りへ飛び出していく。


「……うーし野郎ども、見に行くぞ!」


「おうっ!!」


 遅れること二十数え。店主以下九名が、少女の後を追って走りだす。

 火事と喧嘩は江戸の華。花は桜木、人は江戸っ子、武士なぞ物の数でなし。開国より五十年、江戸の町の気風は何も変わらず、寧ろ庶民を中心に、より『粋』を好む風潮が広がっていた。



 そも遡れば吉宗公の御世、日の本は、国をひっくり返さんばかりの大騒動に見舞われた。東の海より江戸に辿り着いた巨大黒船と、その船員達の持つ摩訶不思議な力に、である。

 指先から火を起こし、生身で空を飛び、空の器を水で満たす。いかな奇術大道芸よりも珍妙で、かつ種も仕掛けも見受けられない技に、人々はおそれおののいた。その力を盾に迫った列強が開国を要求したのは、今は別な話として置いておく。

 人が生まれながらに持つ『魔力』をよろずの用途に使う、算術にも武術にも似た新たな学問、『魔術』。それは勤勉な日の本の住人には、非常にしっくりくる分野であったらしい。

 十年で、全ての藩に、魔術を扱う専門の藩校が作られた。更に十年で、庶民の中の富裕層が、教養として魔術学を修めるに至る。その後三十年の間には、魔術は庶民の一般常識として、母親が子供に教える程にまで広がったのだ。

 天下泰平の江戸の世、悪さに魔術を使う輩はあれど、与力お奉行十手持ちに至るまでも、やはり魔術を身につけている。全員が力を持っているから、なんやかんやで釣り合いは取れているのだった。


「やっほー、私にお仕事が入ったんだって?」


「受付前で騒がんでおくれ……ああ、そうそう、あんたをご指名だとさ」


 さて、また話は変わって、喧嘩見物も済んでの事である。

 少女の職場は『錆釘さびくぎ』と呼ばれる人材派遣業だった。

 カタログと呼ばれる冊子に顔写真(これも黒船から伝わった舶来物)と名前、得手とする分野を記述し、無料であちらこちらに配る。何らかの人材を必要とする者はそれを見て連絡を取り、一定期間の雇用契約を結ぶのだ。

 先に語った魔術が関係してくるのもこのあたりからで、『錆釘』は魔術の指導に力を入れているのだ。

 即戦力に出来ない人間であろうとも、教育次第では優秀な術者になり得る。そして、教育に掛かった費用は、後々に色々な名目で中抜きをして回収する、という寸法である。

 中にはこの少女の様に、魔術の心得が薄い者もいるのだが、その場合はまず確実に、常人では持たぬ何らかの技術を身につけているのが通例だ。

 以上の様に、派遣する人材の質の高さから、『錆釘』の評判はすこぶる良い。短期間の子守りから、場合によっては長期にわたる大店の番頭代理まで引き受けている。

 洋風御殿の玄関ホール、片手間に縫物をする受付のおかみさんから、少女は辞令を受け取った。


「ええと、何々? 品川宿は達磨屋二階……岡場所の宿じゃない。え、本気?」


「うちは身を売れなんて無茶は言わないよぉ、そこのお客さんが呼んでるのさ。なんでも探し物だそうでね、ならあんただろうって話が決まったわけ」


「ああ、びっくりした……でもあの町、空気が馴染まないんだよねー。ま、行くけどさ。日時とか内容は?」


「それが、なぁんも聞かされてない。使いを走らせてきて、『来られる時によこせ。見てから細かい事は決める』だそうな」


「結構無茶苦茶だね、その人」


「無茶苦茶だろう? だったらあんたの領分だ」

 

『錆釘』での辞令は、石灰で板に文字を書いただけのもの。令を受けた本人が閲覧すれば消され、また受付の壁にぶら下がる。


「おもいっきり景気よく行っておいで。最初の挨拶が肝心だ、いいね!」


「らじゃー!」


 西洋被れと揶揄される事もある挨拶で、弾けるように駆けだしていく少女。自慢の健脚、目的の宿まで四半刻とかかるまい。結いもしない灰色の髪が、夏の暑さを緩和するようにそよいだ。





「さ・て・と。こーいうところは、あんまり慣れてないんだけどなあ。臭いもキツいし」


 行き交う人の数は、先程の通りに比べれば少ない。だが、それも日中だけの事。ここは岡場所品川宿、夕暮れから夜に掛けて賑わう町だ。

 蕎麦屋の通りは汗や煙の臭いがするが、この町は白粉やお香の匂いが、宿の柱にまでしみついている。深呼吸などしようものなら咳き込みそうだ。

 地図はなくとも、近隣の町の屋号くらいは覚えている。中でも達磨屋といえば、ひときわ大きな宿。探さずともすぐに見つかった。


「いらっしゃー……い? おいおい嬢ちゃん、ここは普通の宿じゃないぜ、他を当たんな」


 客寄せの男が、宿の看板を見上げる少女に、気取った声を掛けてくる。


「知ってるってば! あのね、お仕事で来たの」


「仕事ォ!? ぶったまげたぜあんた、んな若さでここまで身を落とさんでも」


「ちーがーう!」


 客寄せの男も、分かって言っているのだろう。芝居がかった動作で顔を覆い、世の不条理を嘆くように首を振る。飄々とした態度に、思わず彼の頭をひっ叩いてしまう少女。


「あのね、私は『錆釘』の人間なの!」


「おー痛ぇ……で、二階の御大尽様のおよびだろう? 話は聞いてるさ、上がって上がって」


「……なんだ、知ってるんじゃない。それじゃお邪魔しまーす!」


 叩かれた場所を撫でさすりながらも、客寄せの男は少女を招き入れ、丁寧に階段の下まで案内してやった。


「一番奥の襖だぞ、部屋ぁ間違えんなよー……いやまあ、今はお客人は他にいねえけどよ」


「そりゃ良かった、ありがとう。只今まいりますよお客様ー」


 とんとんとん、小気味良い音と共に、少女は二階へ上がっていく。



 照明器具など夜間にしか使わない。灯り取りの窓は有れど、やはり薄暗い。立地条件は良いようで、真夏日の今日も風が入り、達磨屋の中は非常に涼しかった。

 左右に襖の並ぶ廊下の最奥―――障子を使わないのは、影が映るからだろうか――の前に、少女は行儀よく両膝を付いて、


「『錆釘』よりお呼びに預かりまして、村雨、只今参りました!」


 定形の口上と名乗り。廊下に声がくわんと響き、また静けさが数瞬。


「入れ」


 たった一言を返したのは、吹きこむ風のように涼しげな、女の声だった。


「失礼します。さっそくですが、雇用条件についての説め―――」


 灰色の髪の少女――村雨は、こうべを垂れたまま襖を開け、深く一礼する。顔を上げ、職務内容である雇用契約の締結を行おうとした村雨は、口を半開きにしたまま表情を凍りつかせた。

 知識として理解していた事ではあったが、そういう実例を目にした事はない。そして、目にしたとしてすぐに納得出来る程には、村雨は柔軟な頭をしていなかった。もう少し世慣れた者であったのなら、驚愕を表に出す事もなく、ただ目を伏せるに留めただろう。

 端的に言うならば村雨は、この町を訪れるにあたり、少々覚悟が足りなかったのである。



「……ああら、もうお仕事でありんすか……? もう、数日は泊まると言ってくださいましたのに……」


 暗い八畳部屋の中央には、布団が一揃いだけ敷かれていた。そこに、人の影が二つ。

 寝乱れた緋絹を引っかけただけの女が、男を絆す猫撫での甘え声で、もう一つの影に纏わりついている。禿童が髪結いをせぬまま育った様な長い髪は、露わになった肩や胸に被さり、肌を覆い隠していた。

 だが、その麗しの黒髪さえ、『彼女』と比べれば劣っただろう―――『彼女』だ、『彼』ではない。

 美しい黒髪を、烏の濡れ羽色と呼ぶ。『彼女』の髪は、まさしく若烏が水を浴びた後の、闇との境目さえ知れぬ黒だった。上体を起こして尚、敷布団の上に広がる程に長く。指に取れば水のように零れ落ちるだろうと信じられる程に、三尺の髪に一つのクセもない。


「すまんな、今日は外へ出る。……なあに、明日の夜にはまた来るとも。それでよかろう?」


「いいえ、許しんせん。嘘つきの主様でありんす、明日もわっちは待ちぼうけでありんしょう」


「そうむくれるな高松、私も夜明けが憎らしい。だが、もう日は高いのだ」


「言い訳など聞きたくありんせん、やはり主様は――――――、あ、ん……」


 両肩に乗せた黒襦袢と己の長髪で、『彼女』は、高松と呼ばれた女――言葉遣いから知れるだろう。遊女である。岡場所の安遊女にしては堂に入ったものだ――を胸に掻き抱き、長かむろの髪に指を通す。そっぽを向いた高松の顎に指を引っかけ、上を向かせ、不平零す口を唇で塞いだ。


 村雨は、まず目を擦って、眼前の光景が真実かを確認した。間違いない、人の体温はそこにあるし、生きている人間の匂いがする。だから次は、この光景に理屈をつけようと、知識を可能な限り並べて、筋道を立てようとした。

 そうすればする程に、暗い部屋の中で睦言を交わす女達を、目に刻まれる。見るまいと思えども、眼球が横へ動かず、瞼が降りようとしない。ぽかんと口を開けたままで、村雨は、二人の黒髪が重なり合うのを見ているしかなかった。

 男と女がそうしていたのならば、村雨はこうまで思考を痺れさせ、身を硬直させずに居られただろう。片方が醜女か、そうでなくとも平凡な顔立ちであったのなら、目をそむけて事務的な態度に徹する事ができた筈だ。

 高松という遊女は、少女の目から見ても鮮やかな、色香の漂う女だった。細くしなやかな腕、括れた腹、舐る様な言葉回しは、同性の村雨をして赤面させる程である。

 だが、それ以上に村雨を惑わせたのは、塗れ羽烏の髪の『彼女』だった。


「どうした、説明をするのではなかったか?」


「――え、ぁ……あ、はい! 説明させていただきます! まず私ども『錆釘』は……―――」


 言葉を続けるよう促す『彼女』に、答えた村雨の声は裏返っていた。咳払いも出来ず、常よりも早口に、少女は頭の中に用意した台本を読み上げていく。その間も『彼女』の顔が、目が、村雨の心を萎縮させ、同時に惑乱させてもいた。

 意思が強く、キツそうな目だ。柳眉に沿って目尻は上がり、目を身開くだけで何かを睨みつけているようにさえ感じられる。然し、不思議と恐怖心はない。表情は薄く、だからこそ高松に向けた僅かな笑みさえ、多大な慈愛の発露に思えた。

 説明を聞いている間、『彼女』は一度も、村雨から視線を外さなかった。氷像の如き面貌は、心中に抱いた思いを僅かにさえ零さない。


「……成程、良く分かった」


「はい……以上で、説明は終了でございます、ます……」


 『彼女』が言葉を発するまで、村雨は、自分が語るべき全てを語り終えた事にさえ気づかなかった。

 ただ、部屋が暗いな、と。その為に、『彼女』の黒髪が良く見えないと残念がった事だけ、後に思い出せた。


「よし、立て。気を付け」


「は、はいっ!」


 村雨は火が付いた栗のように立ち上がり、両手を伸ばし、直立する。『彼女』が高松を布団に下ろし、すうと立ちあがった。


「動くなよ」


「は、ひ? え、わわ、わっ!?」


 『彼女』が肩に掛けた黒の襦袢は、その肩と背だけを覆う。肌の殆どを隠すのは、長く伸びた彼女自身の黒髪だ。五尺七寸の背の腰を過ぎるまで。それは、烏の羽のようにも見えた。

 襖を開けたまま敷居の前に留まっていた村雨の前に、『彼女』は音もなく歩み寄った。古傷に塗れた無骨な手が、村雨の肩を、膝を、首を掴む。


「ふむ……腕、良し。脚、良し。首も頑丈……腹はどうだ、それから……」


「ひゃ、くすぐった、やめ、止めて! 止めてくださいー!」


 懇願虚しく、腹、脇腹、胸、二の腕、腿、脹脛……衣服の上からとは言え、村雨は体の殆どの部位に触れられた。痛みを覚悟して強張らせた体は、予想外の擽ったさに驚き、逃げようにも雇用主の命令が―――いや、『彼女』の命が有った。

 腹を抱えて笑い転げる事も出来ないのは、きっと中々に苦しい事だったに違いない。


「……悪くないな。少し細いが、育てば骨も太くなるか……? 良し、最後に一つ確認させろ」


「ぜー、はー……。 あ、か、確認ですか?」


 呼吸を整える村雨。橙黄色の村雨の瞳を、『彼女』の黒い瞳が見下ろす。



「誰かを殺した事はあるか?」


 それは、本当に簡単な問いだった。


「……必要なだけの生き物を、食べる為に殺しました」


 これだけの答えが、生き方を変える理由になるなど、誰が思っただろうか。



「……雪月ゆづき さくらだ、暫く私の仕事に付き合ってもらう。昼食は済ませたか?」


「はい。 ……つまり、契約成立という事で構いませんね?」


「それでいい。もう少し口調は崩しても構わんぞ、固っ苦しい。半刻で外へ出る」


「畏まりまし―――うん、分かりました!」


 雇い主は『錆釘』と派遣された者に金銭を支払い、雇われる側は契約の範囲内でその指示に従う。この時、村雨と桜の間に交わされた契約は、『とある刀の行方を捜す』というものだった。

 雇い主の意向に従い、可能な限り普段の調子を取り戻そうとした村雨だったが、


「ああそうだ、晒を巻くのを手伝ってくれんか? 一人では少々面倒で―――」


「そこの人に頼んでください!」


 この程度の命令無視は、契約違反にはならない筈。そう思い、後ろ手に襖を閉じたのであった。

2012/3/19、不要と思われるエピソードをごっそり削除。補間するように文章を追加した為、差し引き1000字くらいしか文章は減っていない。

2013/5/18、行間を開けてみた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] すごい。 こんなにも情景が浮かび上がり、グッと掴まれるような小説はなろうでなかなか出会えない。 過去の作品だけどもこういう出会いがあるからなろうは辞められないんだよなあ... まだ1話です…
[良い点] 殺すべき時に殺すべき奴を殺したいように殺せばいい。 あるいは殺したい奴を殺したい時に殺したいように殺す為に殺せる奴を殺さないこともある。 生きるためにでも死ぬためにでも。 [一言] 一話…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ