第97話
「おい!だめだ!来るな千波!」
英が大声を上げながら千波に向かって両手を大きく振った。
「えっ?」
千波は立ち止り、交差点に近づいてくる車が通り過ぎるのを待った。
そして黄色い車が通り過ぎると、英に向かって手を振りながら走ってきた。
英は千波の方をぼーっと見つめている。
「どうしてここにいるの?」
「どうしてって・・・」
英は全身の力が抜けたようにだらんと肩を落とした。
「どうしてって・・・そりゃあ・・・千波に会いたかったからさ。」
「えっ?いつも会ってるじゃない。ねえどうして?しかも和人君まで。」
千波がゆっくり歩いて来る和人の方をちらっと見た。
「そのイヤホン、はずしていたのか?」
英が眉間にしわを寄せている。
「イヤホン?ああ、ホントだ、いつ外れたんだろう。さっき英君に手を振った時かな?」
左の頬に笑窪を見せニコッと笑いかけたが、英の表情は変わらない。
「本当にどうしたの?」
千波が首をかしげると、英の顔が少し柔らかくなった。
「いや、何でもない。・・・間に合ってよかった。」
「間に合ってよかった?」
「そうさ、千波は今日、交通事故に遭って大けがをするはずだったんだから。」
「何、また予知夢とか言うの?まさかそれでここまで来たっていうんじゃないでしょうね。」
「それでここまで来た。和人にタクシー代出してもらってな。」
千波はあきれたような表情で英を見つめた。
そして英の横に並んだ和人の顔を申し訳なさそうに見た。
「千波が俺の言うことを信じるかどうかはこの際問題じゃない。でも今日一日は俺と一緒にいてくれ。頼むよ、大金をはたいてここまで来てくれた和人に免じてさ。」
「それは無理よ。今日はこれからうちの家族やおばあちゃんと守恒山に登るのよ。ずっと前から約束していたことなんだから。」
守恒山は標高150メートルほどの小高い山で、勾配がゆるく、一年を通してハイキング客が多い。
「まさか英君の夢の話を家族にするわけにもいかないでしょ。」
「そりゃあそうだけど・・・」
「心配して探してくれて、ありがとう。私、交通事故には絶対に遭わないようにするから。本当に気をつけるから。」
千波は懇願するように英を見つめた。
和人も英を見る。
「わかったよ。」
英が2回、首を縦に振った。
「でも千波、MDウォークマンだけは俺が預かる。いいな。」
「いいわ。」
千波は素直にMDウォークマンとイヤホンを渡した。
「何事もなくてよかったじゃないか。千波ちゃんも交通事故には十分注意するって言っていたし。」
「ああ、和人のおかげだ。助かったよ。」
英と和人はバスの座席に並んで座っていた。
「それにしちゃあ、あまりうれしそうじゃないな。」
「いや、うれしいさ。本当によかった。でも・・」
「でも・・・?」
「俺が見た夢では千波が事故に遭った時、イヤホンをしていたんだ。さっきの場面でもイヤホンはしていたはずだけど、いつのまにか外れていた。」
「英に手を振った時に外れたんじゃないか?」
「千波もそう言っていたけど、それだったら交差点に差し掛かる時、俺の声や車の音は聞こえなかったはずだ。」
「それは・・・そうだ!英の顔を見たからだよ。英の顔を見たから千波ちゃん立ち止ったんだ。」
英が頷いた。
「そうなんだろうな、おそらく。でも何か引っ掛かるんだよな。太郎を追いかけていたあのスピードで、急に立ち止るものだろうか。」
英は釈然としないようだ。
和人は背中に冷や汗が浮かぶのを感じていた。