第95話
(時が動き出したら、全速力で千波ちゃんのもとに駆け寄って、すぐに救急車を呼びに行こう。交差点の先の家には、おそらく千波ちゃんの両親がいる。もしかしたら急ブレーキの音を聞きつけて、交差点に走ってくるかもしれない。)
和人の体は疲れ果てていた。
だが、自分にしかできない、いや、自分がやらなければならない大事な役目が残っている。
英の横をすれ違いながら英の顔をもう一度見つめた和人は、大きく息を吐き歩いた。
鋭い眼光で何事かを決心したような表情だ。
時を止めたときに自分がいた位置へもどる。
和人が携帯電話を出そうと懐に手を入れたとき、ふと、違和感を覚え視線の先を凝視した。
さきほど英と走ってきた道はゆるやかにカーブしており、ここから約50メートルの位置で雑草に隠れ見えなくなっている。
その雑草のわきにちらっと見えるものが、違和感の原因だった。
(あれは、靴だ。あそこに誰かがいる。・・・でもおかしいぞ。あそこは一本道で俺たちはそこを走ってきたんだ。あそこに人がいるとしたら、俺たちと同じか、それ以上のスピードで走っていることになる。)
和人はその靴らしき物のほうへ歩を進めた。
近づくにつれて、はっきりと見えてきた。
やはり靴だ。
ナイキのマークが入った白いスニーカー。
そしてジーパンをはいた足も見える。
腕も見えてきた。
薄い紺色のジャンパー。
和人は足を止め後ろを振り向いて見つめた。
英を、いや、英の服装を。
・・・同じだった。
まったく同じ服装。
和人は向き直り、さらに歩を進めた。
(あそこにいるのは一体誰だ。まさか、まさか。)
胸の鼓動が高まってきた。
もうすぐ顔が見える。
あと3メートル、2メートル。
その時右手が前方の何か、ふわっとした物にあたった・・・ような気がして、和人は立ち止った。
右手の周りには何もない。
もう一度進む。
やはりあたった、今度は左手に。
それはやわらかくて弾力がある、しかし見ることができない何かだ。
・・・目の前に何かがある。
和人は右手のひらを前方に差し出した。
すると50センチくらいのところで、手がそれ以上進まなくなった。
左手も出してみる。
やはり同じ位置で何かにあたった。
和人は両手をさらに強く押し出した。
一瞬の抵抗の後、両手が50センチを超えてぐっと前に出た。
両手の指は自由に動く。
どうやら50センチを超えてしまえば抵抗は無くなるらしい。
目の前にある何か・・・、それは抵抗力だ。
まるでそこに空気の壁があるかのような不思議な感覚。
鳥肌が立つような不気味さを覚えた和人だったが、あと1メートルでも前に進めればあの人物の顔を見ることができる。
和人は右足を前に出した。
やはり足の先がその壁にあたる。
構わず力を入れて踏み込むと、右足が壁を通過したのがわかった。
もう顔のすぐ前に、その壁はある。
和人は眼をつむって頭を壁に押し当てた。
ゆっくりと頭が通過するのを感じたとき、突然「シュッ」という音がした。
「うわっ!」
次の瞬間、和人はものすごい勢いで前方に転んでいた。
「おい!大丈夫か、和人!」
「あ、ああ、手のひらをすりむいただけ・・・え?英がな、ん、で・・・」
和人はあっけにとられたように立ち上がり、英を見た。
「何でって、何わけわかんねえこと言っているんだよ。とにかく大丈夫なら走るぞ、さあ。」
英は前を向いて走り出した。
和人は何がどうなっているのか分からなかったが走りだした。
(どういうことだ?なぜ時間が動いている?しかもこれは・・・)