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第89話

風呂から上がった和人は、洗面用具を自分の部屋に置くと、隣の部屋のドアを叩いた。

「おい鉄平、ちょっと話があるんだけど。」

鉄平の部屋からは何も聞こえてこない。

「鉄平なら、さっき外に出て行ったぞ。気分転換してくるとか言ってたけどな。」

通りがかったのは同じ1年の崎山だった。

「気分転換?」

「なんだか妙に疲れているみたいだったな。」

「そうか・・・」

和人は嫌な予感がしていた。

さっきの鉄平の表情が気になって仕方がない。

「ちょっとクロベエを散歩に連れて行ってくる。」

そう言うと、和人はいそいそと玄関へ向った。

「えっ?風呂あがりだろう?それにクロベエの散歩ならおやっさんが済ませたはずだぞ。」

後ろから崎山の声が聞こえてきたが、和人はそれを無視して玄関を飛び出した。


「さあクロベエ、久しぶりに俺と散歩に行こう。」

クロベエはしっぽを振りながら、辺りをきょろきょろしだした。

ハッハッと荒い息遣いをしながらリードが首輪に繋がれるのをじっと待っている。

「よし、行こう。」

和人のその声で、クロベエは和人をグイグイ引っ張るように駈け出した。

鉄平のいる場所に心当たりがあるわけではなかったが、和人はとりあえず近くの公園に行ってみることにした。


「いらっしゃいませ~。」

鉄平が入ったのは駅の近くの小さな喫茶店だった。

喫茶店へは、親と一度入ったことがあるだけだったが、高校の思い出に一人きりで入ってみようと決めたのだ。

一番奥の二人用のテーブルへ進み、椅子に腰かけると、店員がメニューを持って近づいてきた。

鉄平は店員の顔も見ずに、アイスコーヒーを注文し、窓の外に目をやった。


昨日の夜の母親の電話で、父の会社が倒産したことを知った。

父の会社はビジネスホテルやリゾート施設を経営する県内でも大手の部類に入る会社で、父はナンバー2の重役だった。

将来は自分もその会社に入り、父と一緒に仕事をすることを鉄平は夢見ていた。

だが、その夢はもろくも崩れおちた。

経理の一切を任されていた社員が、会社の全財産を持ち逃げしたという。

鉄平の父や会社の幹部は、自分の財産を持ちより会社を何とか立て直そうとしたが、その金は取引先の銀行から差し押さえられた。

持ち逃げした社員は、なんと会社名義で銀行へも多額の借金をしていたのだ。

父の会社はすぐに不渡りを出した。


わずか一週間で鉄平の家は無一文になった。

父と母はハローワークで仕事を探しているのだという。

母は鉄平に高校を辞めるようにと、涙ながらに話した。

寮費どころか授業料も払うことはできないのだと。


「お待たせいたしました、アイスコーヒーです。」

「あ、はい、どうも。」

鉄平は店員が来ていたことにも気づかずに、あわてて答えた。

(あれ、今の人どこかで見たことがあるような・・・)

店員がカウンターの中に入る時、ちらっと横顔が見えた。

だが、思い出せない。

すると店員はカウンターから出てきて、隣のテーブルの片づけをしだした。

時折正面から顔をみることもあったが、やはり思い出せない。

その時ちらっと胸の名札が見えた。

(そうだ名札だ。何でそんな簡単なことに気付かなかったんだろう。でもなかなか見えないなあ、おっ少し見えたぞ。中、森、・・・えっ、中森ってまさか!)

鉄平は店員の顔をじっと見つめた。

たしかに中森ゆきにそっくりだ。

ただ、そう、眼鏡をかけていない。

それでなかなか気付かなかったのだ。

(でも間違いない、あれは確かに中森ゆきだ。)


鉄平がじっと見つめていたため、ついにその店員と眼が合った。

するとゆきと思われるその店員は、にこっと微笑み鉄平の方へ近づいてきた。

「やっぱり気づきました?安井鉄平さん。」

「そう、誰かに似ているなあって思ってたんだ。中森さん、めがねは?」

「コンタクトをしているの。仕事の時だけね。」

鉄平はゆきのほほ笑みに少しどきっとした。

眼鏡をかけていないゆきはなんだか大人っぽく見える。

鉄平はつづけた。

「どうしてここで働いているの?和人はこのことを知っているの?」

「訳あって少しお金が必要なの。ちゃんと高校の許可は取っているわ。和人君には・・・実はまだ話していないの。」

「どうして?」

「だから、訳ありなの。よけいな心配掛けたくないし。和人君には私が言うまで秘密にしていてくれないかしら。」

「わかったけど。和人にしてみればきっと話してくれた方がうれしいと思うな。」

「そうね。・・・あっ、ごめんなさい。私仕事中だからこれで失礼するね。」

ゆきはそう言うと、軽く手を振ってカウンターの中へ戻って行った。


鉄平はゆきが自分のことを何も話さないことを、和人から聞いていた。

ゆきはなぜアルバイトをしているのか。

きっとお金に困っているんだ。

もしかして母子家庭とか、そういう苦しい境遇に違いない。

それでもあんなに明るく頑張っている。

鉄平の想像はどんどん膨らんでいく。

そしてふと気づいた。

「そうだよ・・・」

鉄平の口から小さな声がもれた。

(どんな訳があるかしれないけど、ゆきちゃんは学校に行きながら働いている。それなのに俺は何をくよくよと悩んでいるんだ。学校をやめたくなければアルバイトするという手があるじゃないか。それだけの金じゃ足りないかもしれないけど、奨学金とか何か、何か方法があるかもしれないだろう!)


鉄平は深く沈んでいた心の奥から、はっきりと気力が湧いてくるのを感じた。

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