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第88話

時間は夜の7時になっていた。

和人は今、緑丘中の後輩への指導を終え寮に戻ったところだ。

自分の部屋のドアを閉め、ベッドに腰掛け、バッグから携帯電話を出した。

ふうっと息をつき、右手に持った携帯電話の「STOP」ボタンをじっと見つめる。

「よし。」

和人は小さな声でそう呟くと、「STOP」ボタンを親指で長押しした。

液晶画面の白く眩しい光。

そしてスー、ハーという自分の口から出る息の音以外のすべての音が、・・・消えた。

「あー、久しぶりだなあ、時を止めるのは。」

和人はこの完璧なまでの静寂が、やはり好きになれなかった。

だからいつも必要以上に大きな声を出す。

「今日から特訓だー。といってもひとりぼっちだからなあ。どんな練習をすればいいんだろう、ねえお母さん。」

そう言いながら、和人は机の上の写真を見つめた。

「そのくらい自分で考えろって?わかりましたよ。でも実は、だいたい決めているんだけどね。テクニックは無いよりもあった方がいいけど、それは英やタッキーに任せとけばいいんだ。俺はあいつたちのようには、恐らくなれないから。あいつたちに無くて俺にあるものを伸ばすほうが絶対にいいって思わない?」

和人はベッドから立ち上がり、ゆっくりと床に手をついた。

腕立て伏せを50回連続でやった。

次に腹筋、そして背筋、スクワット、すべて50回一気にやった。

大きく息をつく和人。


もう一度机の上の写真を見つめると、和人はまた話しだした。

「あいつたちに無くて俺にあるもの、それはディフェンス力だ。そう、ディフェンス力。地味すぎるって?それでもいいんだ、北高に勝つためには最も大切なことだと思うから。攻撃の方は英に任せとけばいいし、キーパーは徹也が超高校級に進化するはずだ、たぶん。そうするとあと足りないものはディフェンス力ということになる。北高の攻撃を防がなきゃならないんだから大変だよ。だからとりあえず俺、体を頑丈にすることにした。そして脚力。」

和人は部屋を出て、玄関の靴をはいた。

ジョギングをする。

向かった先は高校のグラウンドだった。

四角いグラウンドの、隅から10メートルくらい内側を全力で走る。

角に来るとゆっくりとジョギングし、次の角に来るとまた全力で走った。

インターバル走だ。

和人はそうやってグラウンドを5周し、ジョギングで御萩野寮に戻った。


和人のTシャツは汗でびっしょりになっていたが、そのまま食堂に入った。

2年生の先輩二人が食事をしており、おかみさんが食器を洗っている。

和人は、流し台の横の冷蔵庫を開けると、牛乳パックを取り出し、食器棚のコップとスプーンを取った。

そして自分の部屋の前へと戻る。

ドアの前に立つと、ふと隣の部屋の鉄平のことが気になった。

鉄平とはこのところほとんど会話をしていない。

あんなにおしゃべりだった鉄平が、急に無口になった。

そればかりか、会うといつもうつむきかげんで、話をしにくい雰囲気を漂わせている。

「いったいどうしたんだよ、鉄平。もしかして思春期ってやつか?」

和人は鉄平の部屋のドアを開けた。


鉄平は机の上に紙をひろげ、鉛筆で何かを書いているところだった。

「やっぱりどうかしているぞお前、まさかとは思うが宿題をやっているんじゃないだろうな?」

和人は鉄平の後ろからその紙を覗き込んだ。

紙には一行だけ文字が書かれている。

”短い付き合いだったな、和人。サッカーがんばれよ、そして北高を必ず”

和人の目が、その紙に釘付けになった。

「どういうことだ?まるで別れの手紙じゃないか。しかもお前の表情・・・」

鉄平の目には力がなく目にはうっすらと涙がたまっている。

和人は、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を覚え、鉄平の部屋を出た。


自分の部屋へ入った和人は、持っていた牛乳、コップ、スプーンを机の上に置いた。

ベッドの上にある携帯電話の「STOP」ボタンを押す。

「やっと音が聞こえてきた。」

和人はぼそっとつぶやき安堵の表情を浮かべると、汗びっしょりのTシャツを脱いだ。

次にコップに牛乳を注ぎ、用意しておいたプロテインを混ぜてスプーンでかき混ぜる。

ごくっごくっと音をたてて一気にそれを飲み干した。

ふうっと大きな息を吐き、和人は壁の向こうの鉄平の姿を想像した。

(後で鉄平の部屋へ行ってみよう。あいつの身に何かが起きている。)


和人は着替えを持って風呂場へと向かった。

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