第80話
翌日の朝、和人と鉄平があのバス停の前を通ると、そこにゆきの姿はなかった。
その翌日も、翌々日もその次の日もゆきに会うことはできなかった。
金曜日の朝、ようやくバス停にゆきの姿を見つけた。
「おっ、やっと会うことができたな、和人。気がきく俺は急ぎの用事があるってことで先に学校に行っとくよ、じゃあな。」
「え?そんな気を使わなくても…。」
和人が止めるのも聞かず、鉄平は急に駈け出した。
そしてバス停のところでゆきとあいさつを交わしたようだ。
和人は少し足早に歩いた。
「おはよう。」
5メートルほど手前でゆきの方から声をかけてきた。
「おはよう、久しぶりだね。」
あいさつを返す和人の顔は、ゆきの顔を見ても赤くなることはなかった。
あの日のデートのおかげだろう。
ゆきのことを必要以上に意識しなくなったのだ。
「ごめんなさい。いつも寝坊ばかりしていてこの時間に間に合わなかったの。」
「そう、朝が弱いんだね。」
「和人君は、朝は自分で起きるの?寮のチャイムが鳴るとか、モーニングコールがあるとか。」
「まさかあ、ちゃんと目覚ましをセットして一人で起きるよ。」
「そうよね、私も見習わなくちゃ。ところで、また明日デートできないかしら?今度はどこかお金がかからないところで。」
ゆきが窺うように和人を見つめた。
「うん、大丈夫だよ。どこに行く?」
「龍架公園はどう?私、お弁当を作るわ。料理の腕には自信があるのよ。」
ゆきはあらかじめ考えていたようだ。
「へえ、それなら本当にお金がかからないね。龍架公園って結構広いって聞いたけど。」
「とっても広いわよ。一周するのに2時間くらいかかるもの。明日はきっといい天気だから気持ちいいと思うの。」
「じゃ決まりだな。何時にどこで待ち合わせる?」
「また9時にここでどう?今度はこの前みたいに驚かせないから。」
ゆきがいたずらっぽく笑った。
「わかった、じゃあ明日。」
「うん、明日ね。」
二人は小さく手を振って別れた。
「おい英、いい加減に本気を出せよ。」
放課後、グラウンドの隅で寝転がっている英に、滝本雄一が寄ってきて言った。
「本気だよ。今のは橋本先輩のフェイントにまんまと引っ掛かった。」
部員たちは、ボールを持った選手がマークについた相手を抜きシュートをする、一対一の練習を終え、10分間の休憩をとっていた。
雄一は英の頭の横に腰をおろした。
「ディフェンスの時だけじゃないだろ?ボールを持った時だって本当は楽に抜けるのに、なんでボールを取られるんだよ。」
雄一の声がだんだん大きくなってくるので、他の部員に聞かれないかと英は心配になった。
「小さな声で話せよタッキー。別に気にするなって、それに今新しいフェイントを練習中なんだ。」
雄一は眉間にしわを寄せ、ふうっとため息をついた。
「お前が本気を出すことで、先輩たちの刺激にもなってチームのレベルが上がるんじゃないか。何を遠慮しているんだ?本気で北高に勝つつもりなのか?」
「そう睨むなよ、そのうち徐々に頭角を現していくさ。まだ入部したばっかりなんだから、先輩と仲良くなることが先決だよ。」
「俺はなあ、・・・言いたくはなかったけど、ここ(西城)に来たことを後悔してたんだ。去年の準優勝校だから少しは期待していたんだけど、練習は生ぬるいし、先輩たちのレベルもいまいち。これじゃ自分のスキルも上がらないし、北高に勝つのは夢のまた夢だってな。これなら今からでも北高の編入試験を受けようかなって、本気で思っていたんだ。でもこの前の練習試合でお前のプレーを見て思いとどまった。お前となら北高に勝てるチームを作れるんじゃないかってさ。」
「だからもう少し待ってくれって。そんなにあせ・・・」
「だめだ。」
雄一が英の言葉を鋭く切った。
「俺とお前は1年生からレギュラーになって全ての試合に出るんだ。そして確実に力をつけ、北高の1年生よりも絶対にうまくなる。」
「北高の1年生か。確か葉山中の太刀中っていうのがいたな。あいつは長身の割に足技が切れていた。」
一瞬、雄一が英を睨んだ。
「俺はその太刀中にだけは絶対に負けないぞ。だから英、本気になれ。」
今度は英がふうっとため息をついた。
「まったく、相変わらず自分中心に物事を考えやがる。わかったよ、そろそろ頭角を現してやるか。タッキーに転校する気になられちゃかなわないからな。」
英はやれやれというふうに、ゆっくりと立ち上がった。
だが雄一に背を向けたその英の顔は、少し笑っていた。