第69話
朝になり、和人は鉄平と一緒に少し早めに寮を出た。
「ちくしょう、なんだか緊張するなあ、和人。」
「何でお前が緊張するんだよ。俺の身にもなってみろって。」
「わかってるよ、ま、言葉に詰まったら俺が助け船を出してやるからまかせとけ。」
鉄平は少しハイになっているようだ。
一方の和人は、顔が青白い。
二人が曲がり角を曲がるとバス停が見えてきた。
そしてそのベンチにゆきの姿を確認した和人の顔は、瞬く間に赤くなった。
(やばい。本当にいた!)
心の隅では、ゆきが今日そこにいないことを願っていたのだ。
「大丈夫だって、和人。俺に任せろ。」
「頼む・・・、任せた。」
追い詰められた和人は弱々しい顔で鉄平に哀願した。
ゆきとの距離が5メートルほどに近くなった。
「おはよう。」
鉄平がゆきに挨拶すると、ゆきは少しびっくりしたようだったが、
「おはよう。」
とにっこり笑って立ち上がった。
「君の家、ここの近くなの?あ、俺、安井鉄平っていうんだ。」
「安井・・・、鉄平・・・さん?えっ、あの短距離走の?」
以外にもゆきは鉄平のことを知っていた。
「え?俺のこと知っているの?うれしいなあ!」
鉄平は有頂天になった。
「私、県大会の決勝、見に行ったんですよ。大会新記録を出した時には、本当に鳥肌が立ちました。」
「え?見てたの?本当に?いやあ、照れるなあ。実はあの時、俺予感してたんだよね、レコードを出すってさ。あは、あは・・・。」
笑いながら和人の顔に目を移すと、鉄平は大事なことに気がついた。
和人は笑っているどころか、顔がこわばっているではないか。
「それは置いといて・・・。えへん、中森さんは和人のことを以前から知っていたの?」
ゆきが和人の方を見る。
「いいえ。」
「じゃあ何で和人に話しかけたの?」
「お友達になりたいと思ったから。」
バス停には会社員のような大人が3人いたが、その3人にも聞こえるようなゆきの凛とした声だった。
「それって、和人のことが好きってこと?」
いきなり鉄平は核心をついてきた。
ゆきの目はしっかりと和人の目を見ている。
「わかりません。」
「え?」
鉄平が拍子ぬけしたような声を出した。
「でも、あなたとなら友達になれそうな気がしたんです。だから・・・、もしあなたさえよければ、明日二人きりで会っていただけませんか?」
「・・・。」
「バスが来ました。明日朝9時にここで待っています。」
「え?ちょっと・・・。」
やっとのことで声を発することができた和人であったが、ゆきは駆け込むようにバスに乗り込んでしまった。
「度胸あるなあ!」
走り去るバスを見送りながら、鉄平が感心したように言った。
「俺にはとてもまねできないよ。なあ、和人。」
真っ赤な顔の和人が、あっけにとられたように黙って頷く。
(信じられない・・・。明日二人きりで会おうなんて。そんな言葉、想定外だよ。)
和人はふうっと息を吐いた。
知らず知らずのうちに全身に力が入っていたのだろう、いろんなところの筋肉が張っている。
(でも、鞄を持つ手が少し震えていたし、バスに乗り込んだとたんにほっと溜息をついたようだった。ああ見えても彼女は一生懸命だったんだ。)
ゆきの女の子らしい一面に気づき、和人は少し安心した。
「で?明日来るんだよな、ここに?」
鉄平がニヤニヤしている。
「仕方ないだろ、来るよ。」
「ヒュ~。いきなりデートか!明日は俺は付き合わないんだぞ?大丈夫かな~。」
鉄平が冷やかす。
「大丈夫。男の子だ。」
いつしか、和人の声は落ち着きを取り戻していた。