第68話
サッカー部の練習が終わり、和人は制服に着替えて英と一緒に部室を出た。
部室の外では、徹也と滝本雄一が二人を待っている。
この二人の組み合わせは和人の予想外だった。
徹也は滝本に「タッキー」というニックネームをつけるほど、すぐにうちとけたのだ。
滝本にしても、サッカー未経験者の徹也がアドバイスを求めてくるのを悪い気はしないだろうし、何でも教えたことをすぐにでき、いちいち感謝の言葉を言ってくる徹也の姿勢が気にいっているようだった。
「遅いぞ、女じゃあるまいし着替えに時間かけるなよ。」
「まあまあタッキー、怒らない怒らない。一番最後に出てきたから部室の掃除でもしていたんでしょ、なあ英。」
「もちろんだ、ただし俺じゃないけどな。」
「英は俺が一生懸命掃除しているのに、全然手伝おうとしないんだぜ。」
和人が口をとがらせながら言った。
その時だった。
ふいにフラッシュが和人を襲った。
当然他の3人にはフラッシュは見えていない。
和人は右手の甲で目を擦ろうとしたが、違和感を感じた。
なぜか右手はしっかりと拳を握りしめており、その拳の中に何かが入っている!
入っていたのは折りたたんである一枚の紙だった。
和人は他の3人に気づかれないようにその紙を広げてみた。
『知っているぞ。3回も続けて時を止めたな。S』
あの時と同じ筆跡だった。
紙も手のひらほどの大きさに千切られたノートの切れ端だ。
和人はきょろきょろと辺りを見回したが、近くには誰もいない。
「おい和人、こっちの方向に用事でもあるのか?」
英がニヤニヤしながら言った。
和人は寮へ行く道を通り越し、駅へ行く3人の後を歩いていた。
「いや、ちょっと考え事をしていて・・・。じゃあまたな。」
あわてて和人はそう言って、引き返した。
それから一時間後。
和人が寮の自分の部屋で勉強をしていると、誰かがドアをノックした。
ドアを開けてみると、鉄平だった。
「部活が終わってすぐ勉強するなんて、何を考えてるんだ?」
和人の机の上に教科書とノートが広げてあるのを見て、呆れたように鉄平が言った。
「中学の時からの習慣さ。復習は帰ってからすぐにやる。風呂と晩ご飯が済んでからゆっくり予習をするんだ。」
和人が言い終わらないうちに鉄平は部屋の中に入って、ベッドに腰かけた。
「おっ、山口素弘じゃないか。お前ファンなのか?なかなかシブいな。」
部屋の壁には和人のお気に入りの大きなポスターが貼ってあった。
「陸上の練習は今終わったの?ずいぶん遅くまでやるんだな。」
和人は鉄平に椅子を向けて座った。
「サッカー部が早く終わりすぎるんだよ。」
「人間は長時間集中力を維持することはできない。だらだらと練習したって逆効果だ。効果的な練習を合理的に短い時間でやることこそ、近代的な練習方法だ。」
「なにそれ?」
「サッカー部の監督の受け売り。全体練習は1時間半で終わって、その後個人練習を30分するらしい。体の調子が悪い時は個人練習をしないで帰っていいそうだよ。」
「へえ、徹底しているな。でも本当は監督が早く帰りたいからだったりして。」
「それはわからないけど、俺はいい練習だと思う。」
「ふうん、まあいいや。ところで1年生は何人入った?」
「12人。そのうちサッカー経験者は8人だ。」
「いいな12人もいて。陸上部なんかまだ4人だっていうのに。ところで・・・。」
鉄平の声が少し上ずった。
やっと本題に入るようだ。
「今朝の話、よく聞かせろよ。」
「聞かせるも何も、今朝話した通りだよ。向こうが急に自分の名前を名乗って、その後に俺の名前を聞いただけだ。」
「和人の名前を聞いた?で、教えたのか?」
「うん、別に隠す必要もないし。」
「それから?」
鉄平は腕組みをした。
「何もないよ。急いでたから『じゃあ』って言って立ち去った。」
「なんで?」
「ん?」
「バカだなお前。その子、えっと、ゆきちゃんっていったっけ?ゆきちゃんはお前のことが好きなんだろ?少しぐらい話をしてやってもいいじゃないか。せっかく勇気を振り絞って話しかけてきたって言うのに。」
「俺のことが好きって・・・。」
「あたりまえじゃねえか。そうじゃなかったら話しかけたりしないだろ、ふつう。」
「でも、俺あの子のこと知らないんだぜ。」
「向こうは知っていたんだよ。以前にどこかで会ったに決まっている。なあ和人、明日はちゃんと話をしろよ。緊張するって言うんなら、俺がついててやるから。」
「・・・。」
「わかったな!」
「・・・わかったよ。」
和人はふうっとため息をついた。
「じゃあ、俺は風呂にいくぜ。いいなあ、入学3日目でもう彼女ができるのか。」
鉄平は立ち上がりそう言うと、ニヤッと笑って部屋を出た。
「中森ゆき・・・か、どこで会ったのかな?」
言いながら和人はベッドに横になり、もういちどため息をついた。
明日の朝彼女と出会うことを考えると気が重かったが、今まで味わったことがない不思議な気持ちに胸がときめいた。