第36話
「さあ、やれるだけのことはやった。後は桑田、お前が頑張るしかない・・・。頑張れ桑田。絶対に死ぬなよ!」
和人はもと来た道を引き返しはじめると、途中でまた松永とすれ違った。
松永は、留守の家のドアの前にいた。
ドアの前で口を大きくあけ、げんこつを振り上げている。
顔中に汗が流れ必死の形相だ。
「松永、残念だけどこの家は留守だ。それにしても、よくがんばったな。桑田が助かったらアイスでもおごってやるからな。」
そういうと和人はその場を離れ、先を急いだ。
急いでどうなるものでもなかったが、和人は桑田の状態が気になって仕方がなかったのだ。
体育館に着き、桑田のそばへ来て見ると、英が桑田の左手首をハンカチで押さえていた。
桑田は仰向けの状態で、積み上げられたバッグの上に足を乗せている。
表情は ― 目をつむり眉間にしわを寄せていた。
「よし、まだ意識はあるみたいだ。でもいったいなぜ手首をけがしたんだ?」
和人はゆっくりと桑田の周りを見回した。
桑田の血しぶきが広い範囲で床に散らばっている。
この血をたどるとすぐに原因がわかった。
桑田が倒れている場所から10メートルほど先に窓があり、窓を保護するために鉄の格子がついている。
その格子の左下の角の部分を止めるためのビスがかなり緩み、壁と格子の間に2センチほどの隙間ができていた。
「これか。この隙間に桑田の手が入りこんで、角の部分が手首を切り裂いたんだ。」
そう納得した和人は、体育館を出て、プールとボイラー室の間のわずかな隙間に入った。
そして、 ― 時が動き出した。
和人が体育館に入ると、すぐに英と目が合った。
「和人、まだ救急車に連絡は取れないか!?」
「・・・近くを走りまわったけど、車も誰も通らない。でも松永が民家がある方へ走っていったから、もうそろそろ連絡が取れるんじゃないかな・・・。」
「そうか。」
「それにしても楠田先生は何をしているんだろう。」
「松永先輩に今日は遅くなるからって伝えたそうです。」
一年生の部員が和人の問いに答えた。
「たぶん臨時の職員会議か何かだ。・・・学校へは誰か連絡に行ったか?」
「はい、川本と戸高が行きました。」
「よし。」
英の目はその一年生部員をちらっと見た後、桑田の手首へ移った。
鋭い眼光。
歯を食いしばり、どんな小さな変化も見逃さないだろうと思えるほど集中している。
ピーポーピーポー・・・。
遠くから救急車のサイレン音が聞こえてきた。
英と和人が目を合わす。
「桑田聞こえるか?救急車が来たぞ。もう少しの辛抱だ。」
英が声を張り上げた。
答えるように桑田が小さく首を縦に振った。
体育館の前に救急車が到着し、すぐに担架が運び込まれた。
そして3名の救急隊員が手際よく桑田を担架に乗せ、救急車へ運び入れた。
「桑田は・・・、桑田は助かりますか?」
英が絞り出すような声で救急隊員に聞いた。
「さあ、それはわからん、医者じゃないからな。先生は?誰か大人はいないのか?」
「いません。先生は遅れてくると言っていました。」
「そうか、じゃあキャプテンは?」
「松永ですが、今ここにはいません。」
「じゃあ、君が病院まで同行してくれるかい?」
「はい。」
「僕もいいですか?」
和人が聞いた。
「もちろんだ。さあ行こう。」
救急隊員は英と和人を救急車に乗せ後部のドアを閉めた。