第35話
第2体育館は人家がない小高い丘の上にあり、プールやテニス場など複合スポーツ施設として使用されていた。
もともとは市が管理する市民体育館だったのだが、市民体育館の建て替えに伴い、部活動用として中学校に移管されていた。
かなり老朽化が進んでおり、あと2年後には取り壊す計画らしい。
中学校からは歩くと30分もかかる程の距離だが、使用する部はジョギングをしていくため、ちょうどよい準備運動になっていた。
「1時間だけ付き合うって言ったのは、練習時間のことだからな和人。この移動の時間は当然含まれないぞ。」
「はいはい、どうにでもしろ。」
和人たちが体育館に着くと、松永が血相を変えて飛び出してきた。
「よう松永、あわててどうしたんだ?」
和人が尋ねると松永が体育館の中を指さし叫んだ。
「大変なんです!桑田の手首の動脈のところが切れてしまって、血が止まらないんです。楠田先生はまだ来ていないし、救急車を呼ぼうにも電話がないんです!」
「しまった!今日は高校受験の3日前だったんだ。」
英がはじかれたように血相を変えて体育館の中へ駆け込んだ。
和人も遅れて中へ入る。
体育館の壁近くにはサッカー部員が集まって騒いでいた。
その中心には桑田が倒れている。
「どけ、みんな!誰かタオルを持ってこい!ほかのやつは外に出て誰でもいいから大人を捕まえるんだ。携帯を借りて救急車を呼べ!」
英がてきぱきと指示を出し、1年生が持ってきたタオルを桑田の肩の近くできつく縛った。
「ちくしょう・・・俺はなんてバカなんだ、こんな大事なことを忘れるなんて・・・。」
英の顔は恐怖で歪んでいた。
和人は英が何を言っているのか理解できなかったが、桑田の手首のおびただしい出血と蒼白な顔を見て鳥肌が立った。
(これは1分1秒を争う時間との戦いだ!早く救急車を呼ばないと、桑田は死ぬ!・・・そうだ!)
和人は目を大きく見開き、体育館の外に向かって走りだした。
外に出ると、あたりを見渡し、身を隠す場所を探す。
そしてプールとボイラー室の間のわずかな隙間を見つけ潜り込むと、携帯電話を鞄から出した。
和人はすぐにSTOPボタンを長押し。
白い光とともに「Time must stop!」の文字が浮かぶ。
― 時が止まった。
和人はふうっと一息ついた。
「よし。とりあえず民家があるところまで行ってみよう。」
和人は声に出し歩き始めた。
10分ほど歩くと、先の方に松永の姿が見えた。
「さすがだな、もうこんな遠くまで来ていたか。でもまだ民家まで5分はかかる。」
やがてその松永に追いつき追い越した。
松永の顔は苦しそうだった。
きっと全速力で走ってきたのだろう。
「こんな時に限って車が一台も通らないなんてな・・・。」
和人は静止している松永に語りかけた。
さらに和人は歩き続けた。
ずっと遠くに家の屋根が見える。
「あと少しだ。あと少しで電話ができる。」
和人はさらに歩を速めた。
そしてとうとう一軒の民家についた。
「さて、このうちの人、いてくれよ。」
言いながら和人はドアノブに手をかけた。
ガッ。
回らない。
カギが閉まっているのだ。
留守の家に上がりこんで電話をするのはさすがに無理がある。
下手すれば留置所行きだ。
「仕方ない、次の家をさがそう。」
和人は、先へ進んだ。
「あった、家だ。しかもおじさんが庭の植木にホースで水をまいている。・・・よし。」
和人は周りを見渡し、そのおじさん以外に誰もいないことを確かめると、おじさんの後方へ回り「STOP」ボタンを押した。
「すみません、おじさん!友達が大怪我しているんです。電話を貸して下さい。」
和人がおじさんの後ろから叫ぶと、そのおじさんはびっくりしてホースを放り投げた。
「おわっ!な、なんで後ろにいるんだよ。びっくりするじゃないか!」
「すみません話は後です。とにかく電話を貸して下さい。」
和人の必死の訴えに、おじさんがたじろいだ。
「わ、わかった。玄関の電話を使え。」
おじさんがそう言った時には和人はもう玄関を開けていた。
119番をダイヤルする。
ガチャッ。
「はい消防署です。火事ですか、救急ですか?」
「救急車を、すぐに緑丘中の第2体育館へお願いします!」
「第2体育館と言えば、以前に市民体育館だったところだね。」
「はい、そうです。出血がひどいんです。すぐにお願いします。」
「大丈夫です、救急車は今出発しました。けがしたのは誰ですか?どこをけがしたんですか?」
「中学生です。部活中に手首の動脈のところを切ってしまったんです。」
「君の名前は?」
「たち・・・、すみません急ぐので切ります。」
ガチャッ。
和人はふうっとため息をついた。
(あせった~。あやうく自分の名前を言いそうになった。それにしても早く来てくれよ救急車。)
玄関の前におじさんが立っていた。
「第2体育館から走ってきたのか?大変だったね、どれ、おじさんが車で送ってやろう。」
「いえ、いいんです。電話を貸していただいただけで。ありがとうございました。それじゃあ失礼します。」
「あ、君。」
おじさんが止めるのも聞かず、和人は飛び出していた。
そして、周りに誰もいないことを確かめると、もう一度「STOP」ボタンを長押しした。