第33話
時が動き出した。
和人はトイレを出て自分の教室に向かった。
途中、玄関の前を通ると、生徒たちが濡れた制服への対応であわただしく動いていた。
(かわいそうに、あのズボンじゃ着替えなきゃどうしようもないな。)
和人はその中の一年生男子の姿を見て思った。
教室に着くと、クラスメートはまだ数人しかいなかった。
「おはようっす。」
皆に聞こえる声でそう言いながら、和人は教室の中に入った。
「あれ、今日は早いじゃないか、和人。」
声をかけてきたのはバスケ部の北島だった。
「さては、車で送ってもらったな。」
「そういうこと。こんな土砂降りの日に傘をさして歩いてくるなんて考えられないね。」
「歩いてきて悪かったな。うちからは歩いてすぐだからって送ってもらえないんだよ。」
「それにしても本当に車で来る人が多いな。」
和人は教室の窓から外をみた。
「おっ、あれは英んちの車じゃないか。正門の前に止まったぞ。ドアを開けて、傘をさして、― 出てきた出て・・・きた。」
和人の声のトーンが急に下がった。
(嘘だろう・・・。何で千波ちゃんが英んちの車に乗っているんだ!)
「ヒューヒュー。我が校のベストカップルが同じ車に乗ってきたぜ。もしかしたら彼女は昨夜園山の家に泊まったのでは!」
北島がクイズのアナウンサーの如く、マイクを握り締めたような恰好で大きな声を出した。
「和人、これは親友として園山に真実を問いただすべきだぞ。」
「あ、ああそうだな。真実を問いただしに行こう。それに別の話もあるし。」
和人は笑顔でそう言ったが、頬のあたりが少しひきつっていた。
「朝っぱらから見せつけてくれるな。」
廊下を歩いてくる英にむかって和人が言った。
「見てたのか。だから正門の前でおろすなって言ったのに、うちの親父ときたら。」
「親公認の仲ってことか。」
「昨日千波をうちに呼んだんだよ。そしたらうちの親、妙にちやほやしやがって俺の部屋にジュースやお菓子を持ってきたりさ、千波のことじろじろ見たり。今日だって俺だけ送ってもらうはずだったのに親父ったら『千波ちゃんも乗せていこう』ってきかないんだ。」
「そうか。でも昨日俺学校終わってから千波ちゃんと会ったんだけどな。」
「ああ、確か千波もそんなことを言っていたな。犬の散歩で会ったんだろ?」
「そうなんだけど、あの時千波ちゃん、お前が受験勉強で忙しいから会えないようなことを言っていたぞ。」
「ところがな、どうしても会いたくなっちゃったわけよ。」
「それで夜に呼び出したのか?信じられないぜ。」
「夜って、まだ5時にもなっていなかったよ。それでな・・・。」
「まあいいや、それより英、とってもいい話があるんだけどな。」
和人は千波の話を遮って、例の話を打ち明けようと意を決した。
「へえ、何だろ、いい話って。」
英は少しだけ興味を持った表情をしたが、構わず自分の話を続けた。
「でもその前に俺のいい話も聞いてくれよ。実はな高校受験を目前に控えて、さすがの俺もちょっぴり不安だったわけよ。それで千波に泣きついたんだ。」
「泣きついた?」
「本当に泣いたわけじゃないぞ。元気づけてくれって頼んだんだよ。」
「それでお前の家に来たってわけか。」
「ほとんど無理やりだけどな。でも千波のやつ俺の親に初めて会うんで緊張しちゃってさ。それがまた可愛かったりするわけだ。」
「ふうん、それで?」
和人は平常心を装っていたが、内心は嫌な予感がしていた。
「ま、さっきも言ったように親がお菓子やジュース運んできて、初めのうちは落ち着かなかったんだけどさ、落ち着いてきてから千波に言ったんだ、不安で不安でたまらないって。」
「そしたら?」
「そんな弱気なのは園山先輩らしくない、大丈夫だからしっかりしてって言われたよ。」
「ほう。」
「でも最近不安で夜も眠れないから、力を貸してほしいって頼んだんだ。・・・キスさせてくれないかって。」
「・・・。」
「で、めでたしめでたしって訳だ。」
「したのか?キス。」
「そう!・・・千波可愛かったぞ~。その後千波んちまで送って行ったんだけどさ、ずっと真っ赤になったままなんだ。おかげで俺様の気合もばっちり入りまくって、2時まで勉強しちまったぜい。すごいだろ?」
「おお、・・・すげえな。・・・とうとうキスまでしちゃったのか。」
和人は努めて明るく言った。
「ま、和人も早く彼女見つけろよ。そうだ、千波の友達紹介してもらおうか?」
「いいよ、今は受験で精いっぱいなんだから。」
「それもそうだな、じゃあ受験が終わってからということで。ところでさっき何かいい話があるって言ってたな?」
「あ?ああ、あれは・・・、そう、レンタルビデオのただ券をお父さんにもらったから、よかったら英にやるよ。」
「・・・それだけ?しかも今の俺、ビデオ借りる余裕ないってわかってるくせに。おい和人・・・。」
和人は英の声に耳を貸さず足早に立ち去ってしまった。