8.この心は染められない‐2
オルガ、ブランシュ、エドワールの3人は、ミシュレ家の屋敷に集まっていた。
「それでは挙式は今年の10月頃ということで良いかしら」
「ちょうど良い季節だと思うわ。私たちの結婚もその頃だったし」
「ああ、でも当日は急に気温が下がってしまって、2人とも寒さのせいで何となく不機嫌だったな」
「せっかくの門出の日だったのにね」
若き日の懐かしい思い出に、彼らは笑いが込み上げるのを我慢できない。
今では共に歳を重ね皺も目立つようになったが、オルガとブランシュの美貌はあの頃と変わりないし、カイゼル髭を蓄えたエドワールは醸し出す威厳が増していた。
「それにしてもうちの娘ときたら、まだ公爵に薄情な態度をとってるらしい。困ったもんだ」
「あら、うち息子の方こそ厚かましいことを色々としてるみたいで申し訳ないわ」
「それはルイーズのことを想って下さってるからですもの、気になさらないで」
「どちらにしても、もう少し時が必要なのかもしれないな」
そうして何となく沈んだ雰囲気なったのも束の間、オルガが何かを思い出したように手のひらを合わせた。
「あ、そうそう、招待客のことなのだけど」
「それならリストを今日持って来たわ。昨日作らせたの」
「まあ、助かるわぁ」
そんな浮き騒ぐような声は、2人の結婚ではなく結婚“式”の方が楽しみでならないといった感じだ。
当事者のいないこの場で、なぜか挙式の話は着々と進んでいった。
*
今夜、晩餐に招待したい。
アランからそう誘われ、一度は断ったルイーズ。しかし、彼女が敬愛している作家の幻の初版本と言われる一冊がうちにあると言われ、ルイーズの眼の色が変わった。
「この国に数冊ほどしか現存していないものなんだが、その内の一冊が実はうちの書庫にあるんだ。見たいかい?」
「……」
エサをちらつかせておびき寄せようとするアランの魂胆などお見通しだったが、ルイーズはその素晴らしく魅力的なエサの前に結局は白旗を上げてしまったのだった。
気付けばこの男のペースに乗せられてばかりだと、彼女は自己嫌悪に陥る。
「じゃあ、6時ごろに迎えの者をこちらに寄越すから」
「分かりました」
「僕の送ったドレスも着てくれるよね? 薔薇の飾りが胸元についてるやつなんて良いんじゃないかな」
「……考えておきます」
気のない返事にも十分満足したように笑みを浮かべ、アランは去って行った。
彼の要望通り薔薇の飾りが付いたドレスを着たことに、べつに深い意味はない。何でも良かっただけ。
そっぽを向きながら、むくれた顔でそう説明したルイーズ。それでも彼女を出迎えた彼は、その姿を見て胸を踊らせた。
ドレスもそうだが、普段は背中に流している艶やかな巻き毛を上にまとめ、露わになった白く華奢なうなじがやたらと扇情的なのだ。
「ようこそお越し下さいました。さあ、どうぞ」
わざとらしく紳士を気取るように、アランは腕を差し出した。躊躇いがちに動いた彼女の手が、そっとその腕に添えられる。
彼らはそのまま広い主階段を上り、大食堂へと向かった。
昼過ぎから降り出した雨が、いつの間にか地面に打ち付けるような豪雨に変化し、その音は廊下にも響いていた。
2人の後ろを歩くレナルドは、それが何かの前兆のように思えてならなかった……。
「ここだよ」
食堂の前に来ると、アランは重厚な扉に手を掛けゆっくりと開いた。
てっきり、オルガも交えて3人で食事をするものだと思っていたルイーズ。
しかしそのとき扉の先に見た光景に、彼女は絶句した。
広いテーブルには見知らぬ若い男女が数十人ほど着席しており、彼らの視線が一斉にルイーズに注がれたのだ。
彼女は頭が真っ白になる前に、すぐに扉を閉めた。
「これはどういう事なんですか!?」
扉の裏で、ルイーズは出来るだけ声を抑えながらアランに詰め寄った。その瞳は怒りや恐怖心で動揺している。
「あれは僕の友人たちだ。僕の婚約者として正式にあなたを紹介しようと思ってね」
「わ、私を騙したのですか?」
「騙さなければ、あなたはここに来ないだろう?」
「ひどいです!」
ルイーズの唇が震えている。
それほどまでに嫌がる彼女にさすがに罪悪感を覚えつつ、アランはやさしく彼女の両肩に手を乗せた。
「いずれ、もっと多くの人前に出なければならない時が来る。今のうちに慣れておいた方が良いだろう?
笑顔の練習だって一緒にしたんだし、あとは実践するだけだ」
「……」
「ルイーズ、頼むよ」
アランは身体を屈め、眼を伏せたままの彼女の顔を覗き込んだ。
「……初版本、見たいだろう?」
「!」
こんな時にそんなエサが今さら通じるとは思っていなかったが、ルイーズの反応は意外なものだった。
「初版本は……本当にあるんですか?」
「え、うん、もちろん。それは神に誓って言えるよ」
それを聞いたルイーズは、額を手で覆いながら小さく唸った。
彼女の中で起こっている心のせめぎ合いを見守りながら、アランはその攻防に決着がつくのを辛抱強く待った。
「……分かりました」
腹をくくったようにポツリと耳に届いたその一言に、アランは安堵した。
まあ、初版本の威力に負けたという事実が彼を複雑な気分にさせた事はこの際どこかに置いておこう。
ひとつ咳をし、アランは気を取り直す。
「それじゃあ、行こう。自信を持って」
囁かれた言葉に、ルイーズは微かに頷いた。
アランは再び食堂の扉を開けた。
彼女は大きく深呼吸する。
戦地に赴く軍人の気持ちが、今なら分かるような気がした。
5、6話のタイトルを変えました。
以前にもこういった事があったので申し訳ないです。