34.密告者-1
この日、とある侯爵の生誕を祝う夜会にアランは招待されていた。
ルイーズのこともあってあまり気が乗らない彼であったが、これも執務のひとつ故、たいして親しくもない侯爵に精一杯の愛想笑いと共に祝辞を述べた。
時折、自分に向けられる変な視線が気になり、その方を向くと、扇子で口元を隠した女たちが好奇に満ちた眼で何かを囁き合っていた。
ひどい陰口だということは容易に想像できるので、アランは怒りさえ覚えず、ただ時間が過ぎるのを待った。
「ごきげんよう、公爵様」
いつもより大分多めに酒を口にしながら、この夜会を傍観していると、横からそう声を掛けられた。
アネットと彼女の取り巻きたちだった。
「ごきげんよう、ご令嬢方」
いつものようにアランは丁寧な挨拶をするが、その頬はすでに幾分か赤く染まっていた。
「アラン様、この度のことは、私の不肖の妹がご迷惑をおかけしてしまって……」心痛な面持ちで謝罪するアネット。
「いいえ、とんでもない。皆さんの間に出回っている噂は根も葉もない単なる噂ですから」
「と言われましても、この眼で見てしまいましたのよ。2人がひしと抱き合っているのを」取り巻きの1人が言う。
「それは事実だとしても、2人にそれ以上の関係は何もないということです。本人が事実無根だと言っていますし」
「あら、アラン様はルイーズの言ったことを鵜呑みにするおつもり?」
「ええ、信じてますから」
自分の気持ちは一寸たりとも揺らいではいない。そう言っているかのように、穏やかな笑顔を湛えながらアランは堂々と宣言する。
「……でも、ルイーズにも多少“隙”があったと思います。そんな妹がアラン様の結婚相手だなんて、姉の私としては心配なのです」
「その気持ちは分かるが、心配は無用です。何があっても、僕の妻はルイーズしかいませんから。では、失礼します」
「……」
背を向けて人混みに紛れて行くアランを見つめるアネットは、屈辱感と惨めな気持ちを押し殺して、どうにかその場に立っていた。
途中で夜会を退席し、ルヴィエ家の馬車は帰路を走っていた。
アランは向かい側に座るレナルドに指示した。
「アネット・ミシュレの最近の行動について調査してくれ」
*
―――悪魔のまま、ひとり逃げ去って良いのか。
良心など、とっくに失くした感情だと思っていたが、自分の中にそんな気持ちが現れた。
最初はうっすらと、そしてだんだんとそれは浮き彫りになり、とうとうフェルナンの中で明確な意志となって溢れ出していた。
こうしてる場合ではない。
フェルナンは酒のグラスを放り投げて、勢い良く部屋を飛び出した。
「アネット様が郊外にあるアパートメントに出向いて最初にフェルナン・ダリエと接触したのが約1カ月前です。1人だけ、目撃した住人が居ました。
それで彼と親しい住人に聴取した所、フェルナンが描くのは風景画ではなく抽象画で、アネット様が発言していた事とは一致しません」
「そうか……」
レナルドから調査の結果を聞きながら、アランは顎に手を添えて思案する。
アネットがフェルナンの人物像をでっち上げたという事は、これで彼女が黒幕の可能性が高くなった訳だが、それを裏付ける証拠が何より必要だった。
「どうしますか。フェルナンにもう一度事情を聞きますか」
「そうだな、今日の夕方にでも行こう」
フェルナンの居る宿屋を突き止めてから、秘密裏に監視を付けていたが、まだ彼がここを離れたという情報は入っていなかった。そこにも、アランは疑問を感じる。
計画的にルイーズを陥れたと問いつめられる前に、早々に行方を晦ましても良いものを、なぜまだ宿屋に滞在しているのだろう。
何か躊躇う理由が……?
と、そこへ、件の男が突然ルヴィエ家を訪ねて来たと執事補佐から報告を受けたのは間もなくのことだった。
「フェルナンが?」
「はい、どうしても公爵にお会いしたいと」
一体何の狙いがあってここに来たのかと不審に思いつつも、アランは彼を部屋に通すよう伝えた。
アランの執務室へとやって来たフェルナンは、前に宿屋で会った時とは印象が違っていた。無精髭を生やし、服も所々汚れている。ここ最近、荒れた生活を送っていたのだろうか。
「何をしに来た」
「……話さなければならないことがある」
対峙しながら、フェルナンの眼には迷いのない光が宿っていた。