2.引きこもり娘との婚約‐2
格別な香りのお茶に、明るいピアノの音色。
安息日には屋敷のサロンに気の合う友人たちを招き、自分の好きなものに囲まれて過ごすのが彼の習慣だ。服装もハイカラーのシャツにベストだけというラフな格好である。
「ヴァンサン伯爵のご令嬢、ついにジル子爵とご婚約ですって」
「あら、でもジル子爵はグラッセ公妃と噂になっていたじゃない」
「もう破局したと訊いたが?」
細かな装飾を施されたソファにゆったりと座りながら、友人たちは大好物のゴシップ話に花を咲かせる。
「アラン様は結婚のご予定などないですわよね?」
彼の隣に座っていたとある娘が、アランの腕をそっと触りながら媚びるような視線を送る。
「予定はないけれど、条件の合う女性がいればすぐにでもしたいよ」
「まあ、そんなこと仰らないで下さいな」
「いいや、アランにはさっさと結婚してもらいたいね。こっちに女が回って来ないんだから」
「おいおい、ろくに女性をダンスにも誘えない君に言われたくないね」
男性陣は面白おかしく冗談を言い合っていたが、その横に居るご令嬢方は気がきでない様子だ。
我こそはとアランの心を射止めようと躍起になる娘は数知れず、舞踏会での牽制のし合いは半端ではない。
長い脚を持て余すような長身に、均整のとれた顔立ち。
ダークブロンドのクセのある髪を艶めかしく掻き上げて、その琥珀色の瞳で意味ありげに目配せされたら、大抵の女はこの男に落ちてしまうだろう。
「さあ、この話はここまで。誰かピアノを弾いてくれないかい? とびきり楽しい曲を」
そう言ってアランが立ち上がると、ふいに部屋のドアが開いた。
一礼して入って来たのは、側近のレナルドだった。
「オルガ様が、大事なお話があると」
アランにそう耳打ちする彼は、含みのある眼をしていた。
*
首都、イルフェから東に位置するローシェル地方。
この地を治める諸侯の中で莫大な資産を持ち、ひと際女性の憧れの的になっているのがルヴィエ公爵だ。彼の父親、ダミアンが持病を患って数年前に他界し、一人息子のアランが若くしてその爵位を継いだのだ。
実は、ルイーズの父のエドワールとダミアンは大学時代からの友人であった。ダミアンの葬儀で悲しみにくれる妻のオルガを献身的に支えたのもミシュレ伯爵夫妻だった。
こういった縁もあり、ミシュレ家の使者を通じてアランに結婚の打診があったのは今朝だった。“引きこもり娘”の異名を持つルイーズとの。
「誰か特別な恋人でもいるのかしら?」
「いいえ、いませんけど……」
「だったら私は賛成よ」
そう言ってオルガは微笑んだ。
傍に立っているレナルドもそっと頷いて、自分も同意だと主張する。
息子に舞い込んでくる数々の縁談にオルガが意見した事はほとんどなかったので、この彼女の態度にはアランも面食らった。
「ミシュレ伯爵夫妻とは特別に親しい仲だから、色々と安心だわ」
「確かにそうですが、問題が」
「あら、なにかしら」
「……長女のアネット様とは何度かお会いしたことがありますが、ルイーズ様は……おそらく幼い頃に1,2度お会いした程度で顔すら覚えていません」
「……」
一瞬空気が固まったのを無かった事にするように、オルガは白々しく笑いながら「なんだ、そんなこと」と言ってレナルドと顔を見合わせた。
「大丈夫よ。あの素晴らしい夫妻の娘だもの。いくらその存在が謎だと言われても、きっと良い女性になられているに違いないわ」
「存在が謎という時点でおかしいでしょ……」
あらぬ方向へ傾こうとしている自分の運命に、アランは不穏な様相を隠せない。
そんな彼の様子にレナルドが口を開いた。
「アラン様、この結婚は我がルヴィエ家にとっても得策かと。
ミシュレ家はルヴィエに次ぐ資産と伝統を有している家。しかも夫人のブランシュ様は現国王と遠縁にあたる方……言っている意味がお分かりですよね?」
金と権力が絡んでいることを平然と口にされても、アランは割り切れない気持ちを拭えなかった。
結婚に打算があるのが常識の世の中であっても、どうせなら愛情を持って結婚したいと常々思っていたのだ。
「まあ、すぐには承諾してくれないと思っていたわ」
押し黙る息子にオルガは苦笑する。
「来週、ミシュレ夫妻とルイーズ様をこの家に招待するわ。その時に返事を頂戴」
「……」
アランは諦めたように眼を閉じた。