28.マーブリング-2
週末の午後は、自分の取り巻きの令嬢たちとお茶会をするのがアネットの日課だった。
ゴシップ話はもちろんのこと、他の令嬢の悪口から自分の結婚観についてまで話題は永遠に尽きない。インコの鳴き声さながらに、お嬢様方の午後は騒がしく過ぎて行くのだ。
「そういえば、アネット様こそ、そろそろご結婚なさらないのですか? アネット様なら引く手あまたでしょうに」
「まったくですわ。あの太っちょブリジットですら貰い手が見つかったんですから」
その辛辣な冗談に弾けるような嘲笑が湧き起こる。
“太っちょブリジット”とは、その名の通り食を生き甲斐にしている娘で、つい先日子爵家に嫁いで行ったのだ。
「でも私はまだ、この気楽な生活を謳歌したいわ。それにまだ運命の男性にお会いしたことがないし」
「あら、この前お会いしたバトン伯爵のご長男のエミリアン様なんてアネット様に首ったけでしたわよ。由緒正しき家柄で多額の資産もおありでしょうし、しかもなかなかの美男子でいらしたわ」
確かに、とアネットは思う。
しかしアラン・ルヴィエと比較すると、どうしても霞んで見えてしまうのだ。
家柄、財産、容姿、どれを取ってもアランに勝る男が彼女の前に現れることはなかった。まだ少女の頃、もしアラン様と結婚できたらと、夢のように幸せな想像を描いたこともあった。
しかし、両親が彼の婚約者として選んだのはよりによって出来損ないの平凡な妹。
これまでの人生の中で、あれほどの敗北感に苛まれたことはなかった。憧れの的だったルヴィエ公爵と、あの妹が結婚。考えるだけで、奥歯を噛み締めたくなる。
だから彼女は、今日も祈るのだ。この計画が無事に成功するようにと。
「エミリアン様に、私のような娘なんて吊り合わないわ」
そう謙遜を口にしながら、妖艶な笑みを浮かべて―――。
*
「思いのままに描けることができたら楽しいでしょうね」
真剣な面持ちで筆を走らせているフェルナンを眺めているうちに、思わずそんなことを口走っていた。
フェルナンはデッサンを終えたキャンバスに顔、髪、服、背景と一通り彩色していきながら、ルイーズに訊いた。
「絵を描く事は?」
「才能がないもの」キャンバス越しに彼女は肩を竦める。
「見てみたいな、画家“ルイーズ・ミシュレ”の作品を」
「まあ、私を馬鹿にしてるのね?」
「とんでもない」
フェルナンとルイーズは同時に吹き出して笑い合った。
「でも、実は誰でも簡単に絵を描ける方法がある」
「え? 本当に?」
半信半疑なルイーズに向かって、彼はパチリと片目を瞑った。
「じゃあ今から、やってみようか」
「今から?」
「今日は肖像画はここまでにしよう」そう言って筆を置いた。
フェルナンはさっそく侍女を呼んで、浅く広い容器と紙を何枚か持ってこさせるように指示した。
今から一体何が始まるのかまるで分からないルイーズは、見物客にでもなったような気分でそのやり取りを聞いていた。
やがて持って来させた容器を前に、彼女は好奇心いっぱいの眼をフェルナンに向ける。
「こんな物でどうやって絵を?」
「まあ見てなって」
そう言うと、彼は容器の半分くらいまで水を張り、そこに赤色と黄色の絵の具を数滴垂らした。
そして筆の柄の部分で水の表面を少しかき混ぜてから、そこに長方形の紙をそっと浸けた。そしてすぐにその紙を水から剥がすと……
「まあ! すごいわ」ルイーズは興奮を抑えきれず感激を露わにした。
そこには、まるで水面にできた波のように、赤と黄色が幻想的に混ざり合う美しい模様が描かれていたのだった。
まさかこんなにも簡単にと疑いたくなるほど、それは列記とした一つの作品に仕上がっていた。
「見て下さい、ここは渦のように混ざり合っていて……おもしろいわ」
頬を紅潮させて無邪気に嬉しがる彼女を、フェルナンは微笑ましく見つめた。自分とは正反対の、無垢で清純な少女が彼には眩しかった。
「ねえ、私もやってみても良いかしら?」
「もちろん」
ルイーズが少し思案したあと手に取ったのは、白と黒の絵の具だった。
フェルナンに手伝ってもらいながら慎重に手順を踏み、それはあっという間に完成した。出来上がった自分の絵を、彼女は食い入るように見つめる。
白と黒。そして所々に灰色。
今にも動き出しそうなほど、縦横無尽に泳いでいる色の線たちは、彼と自分そのものだとルイーズは思った。
絶対に溶け合わないと思っていた者同士が、こうして見事に調和して一つの作品になっているのだから。




