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26.気持ちを届けて‐2



 ミシュレ家の屋敷の中でも特別に日当たりの良い部屋で、フェルナンはイーゼルの位置を注意深く確認していた。その傍らには木製の道具箱が置かれている。


 彼の相棒とも言うべき大切な道具箱には、皺くちゃで真っ平らな絵の具のチューブやべとついて汚れた油壺、絵の具の染み込んだ筆が収められている。一見すると素人にはガラクタと思われかねないほど使い古されている物だが、不思議なほどそれらは彼の手に馴染むのだ。


 この部屋はしばらくフェルナンのアトリエとしても使用されることになっていた。

 贅沢すぎるほどに快適な空間を提供されて彼もすぐにここを気に入ったらしく、上機嫌に口笛を吹きながら木炭の先をナイフで削っている。


 そうなのだ。あれから、もう一度アランと話しをしようとしたルイーズだったが、このところ彼の仕事が多忙なようで会う事は叶わず、結局ぎくしゃくしたまま今日から肖像画の制作が始まるのだ。




 フェルナンとの約束までの残りわずかな時間。

 自室で待機しながらまだ彼女は迷っていた。

 やはり、アランが嫌がるならこの話は勇気を持って断るべきだったのか。しかし今更拒否した所で自分勝手だと責められるのがオチだ。

 ―――でも、やっぱりちゃんとアラン様の気持ちを直接聞いた方が……

 そんな悶々と考え込む彼女の元に、予期せぬ人物が訪れた。



 あまり見た事のない青色のコートに、手には帽子を提げてアランは現れた。

「突然訪ねて申し訳ない。仕事の所為で会えなかったことも」

「いいえ、とんでもないです……」

 驚きを隠せないまま、彼女はアランの傍に近寄る。


「あの……やはりこの前のことを改めてきちんと謝りたかった。

 僕のつまらない嫉妬のせいで子供じみた態度を取って、すまなかった……」


 目線を彷徨わせながらそう言ったアランが、まるで悪戯をした訳を必死に弁解する不器用な少年のように見えて、ルイーズは口元を緩めた。ああやっぱり、自分はこの人が愛おしいと。


「私も……アラン様のそういう気持ちに気付くことができなくて情けなく思っています。

 でも、安心してください……あの」

 ルイーズはなかなかその先の言葉を紡げなかった。しかしジゼルからの助言を思い出し、彼女は大きく深呼吸をして自分を奮い立たせた。


「アラン様が心配することは何もないんです。だって私がお慕いしてるのは……アラン様だけですから……」


 赤く染まる頬に手を当てながら、それは消え入りそうな声だった。

 しかし真冬に降り注ぐ太陽のような温かな告白は、みるみるうちにアランの胸に染み渡っていったのだった。


「ああ、ルイーズ!」

 感極まった様子で腕を広げたかと思えば、あっという間にルイーズの身体はその腕の中に閉じ込められていた。

「あなたがそんな事を言ってくれるなんて初めてだ」

「あの、ちょっと、くるし……」

「ああ、ごめんよ。感激のあまり力加減というものを忘れてしまったよ」

 アランはルイーズの身体に腕を回したまま、少し力を緩めて彼女と見つめ合った。


 いつになく親密な雰囲気が流れ始め、彼女は赤い顔を俯かせる。でもアランがそれを許さなかった。

 ルイーズの頬に指先を這わせたかと思えば、そっとその顎を持ち上げたのだ。


「キスしていいかい?」


 欲望を抑え切れないような熱い瞳でまっすぐに見つめられ、彼女は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。

 しかし彼女は従順にも、返事の代わりにゆっくりと瞼を閉じたのだった。


 桃色の形の良い唇は熟れた果実のように瑞々しく、まるで自分を誘惑しているようだとさえ彼は思う。

 その唇に吸い寄せられるようにアランは顔を近付け、そしてやさしく口付けた。


 最初は掠めるように触れるだけのキス。その後は少し吸い付くようにキスをしてその感触を確かめた。

 まるで耳元で愛を囁かれているような、そのどうしようもないほどの愛情が唇を通して伝わり、気付けばルイーズも思い切ってキスを返していた。

 少しぎこちない彼女からの口付け。それは当然のことながらアランを歓喜へと導いた。


「愛してる、ルイーズ」

「私も……」

 蕩けそうな身体を再びアランに預けながら、ルイーズは夢心地でうっとりと眼を閉じた。





          *




 約束の時間。

 アトリエに現れたのはルイーズと、“彼女の婚約者”というおまけ付きだった。


 その婚約者は穏やかに微笑んではいるが、フェルナンの眼は騙されない。

「あの、こちらは私の婚約者のアラン・ルヴィエ公爵です。そしてこちらが画家のフェルナン・ダリエ様です」

「初めまして、ダリエ君」

 そう言って握手を求めてきたが、握ったその手からはあからさまな敵意が伝わってきた。

 

 ルイーズの番犬にでもなったつもりかと密かに苦笑しながら、フェルナンは彼の“弱点”に眼をやる。すると彼女はなぜか居た堪れない様子で顔を俯かせていた。

 見せつけるかのようにアランの手がルイーズの腰に回され、ぴったりと身体が密着していたのだ。

 ―――やれやれ、困ったものだ。

 ルイーズに同情しつつ、フェルナンは心の中で肩をすくめた。


「僕の大切な婚約者だからね。無理はさせないでくれ」“婚約者”をわざと強調する。

「ご心配なく。ルイーズの都合も考えながら進めて行きますから」

「ほう、気安く人の婚約者を名前で呼ぶとは無礼だな、君」アランは眉をひそめる。

「早く彼女と親しくなりたいんです。描き手とモデルの間に信頼関係がなければ良い絵は描けませんからね」

「こじつけのようにも聞こえるが」

「経験から言ってるんですよ」

 自分がこの娘に変な気を起こすとは到底思えないフェルナンだったが、警戒心が剥き出しのアランの態度には不愉快さを隠せなかった。


 しかし当の彼女といえば、身体に回されたアランの腕が気になって仕方なく、彼らの棘にまみれたやり取りなど耳には入っていなかった……。





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