22.名もなき画家‐1
「なるほど、ローシェルのワインは酸味も渋みも軽くて口当たりが良いのですね」
ラベルの違う数本のボトルを前に、ルイーズは腕組をする。
「昼間からワインを用意したなんて言うから何事かと思えば……」と、彼女の正面から苦笑するのはアランだ。
最近のルイーズは“花嫁修業”と題し教養を磨く事に余念がない。これもその一環らしく、先ほどまで2人で各地のワインを試飲していたのだ。
もともと酒の弱いルイーズはごく少量を口にするだけだったが、ほのかに赤らんだルイーズの首筋がまた色っぽく、もしこのまま彼女を酔わせたら……などとアランの邪でイカガワしい想像を掻き立てた。
「アラン様は夜は忙しいと言っていたから……だから昼間にお呼びしたんですけど……」
「そんなに僕に手ほどきして欲しかったのかい?」
それはいつもの挨拶代わりの軽口に過ぎなかったのだが、ルイーズの方は彼の予想に反し、なんと恥ずかしそうに目を伏せたのだった。
これにはアランも思わず眼をパチパチと瞬かせた。
―――え、何その可愛い反応はー!
という心の興奮はもちろん口には出さない。「動じない男・アラン」を演じようとするが、見事にだらしなく彼の口元は緩んでいた。
「あなたにもそんな愛らしい表情ができたのだね」
「まあっ、どうしてアラン様はいつもそうやって……」
途端に口を膨らませて顔を背けるルイーズ。
時折垣間見るこういう幼さい表情も可愛らしく思えるのだから、自分の重症さに呆れてしまう。
でもそれも仕様がないだろう。
無理をしなくて良いと言っても、彼女は努めて明るい色のドレスを着ようとしているし、アランの買い物に付き合ったり、観劇に出かけたりと積極的に外出するようにもなっていた。その彼女の努力が、変化がまたアランの心を包み込むようにして放さないのだ。
そうして、ペンを走らせて紙に何やら書き留めているルイーズを愛おしそうに見つめていると、ふいにノックの音がした。
ルイーズが返事をすると、侍女が入室し「アネット様がルイーズ様をお呼びです」と告げた。
彼女はアランと顔を見合わせる。彼女の顔には明らかに緊張の色が帯びていた。
「……分かったわ。すぐ行きます」
席を立ちながらルイーズは「ごめんなさい、急に」と囁くように言った。
「いや気にしないで。まだ時間があるから、もう少しここに居るよ」
「分かりました。それじゃあ……」
そう言って背を向けた彼女の後姿がいつもより一層華奢に見えて、アランは思わずその身体を抱きしめたくなった。
*
実姉のことをかねてから苦手としていたルイーズは、アネットの部屋へと続く廊下を進みながらなぜか不吉なことが待ち受けているような予感がした。
刷り込まれたように、姉という存在がひどく彼女を怯えさせるのだ。
アネットの部屋の前に着き、一呼吸してからドアをノックした。
返事はすぐに聞こえた。いつもと何ら変わらぬ、自信と優雅さを兼ねそろえた声。この声に、どれだけの男が虜になったのだろうと、ルイーズはふと思う。
「いらっしゃい。急に呼んでごめんなさいね」
「……いえ」
ドアを開けると、金色の装飾が縁に施されたソファにゆったりと寛ぐアネットがいた。
この部屋に入るのは何年かぶりのことで、ルイーズはそっと周りを見渡してみる。
細かな模様や装飾で彩られた豪華な調度品や小物がいたる所に置かれ、まるで異世界に来たようだというのが端的な彼女の感想だった。あまりに自分の部屋と違いすぎて怖ろしいくらいだった。
とてもじゃないが心休まらないこの空間が姉にはそう感じないのだと思うと、ルイーズにはこの目の前にいる肉親が赤の他人のように思えてならなかった。
「あなたをここに呼んだのは、実は会わせたい人が居るからなの」
「会わせたい人?」
訝しげに尋ねるルイーズを、何とも意味深な笑みで見つめるアネット。
すると、どこからともなくアネットの背後から一人の青年が現れた。
更新遅くなってすみませんでしたっ
「書けない時は本当に書けない」そんなムラがとても厄介です……泣