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19.新たな扉の先



「さっきルイーズが家を出て行ったようだけど、どこへ?」


 お茶を淹れに来た侍女にアネットは訊いた。

 侍女は少々言い難そうに答える。


「……ルヴィエ公爵と、スイセンの花畑へ向かわれたようです」

「……」

 カップを鼻に近付けて、その香りに酔いしれる様は何処からどう見ても優雅な淑女そのものだが、彼女の内心は苛立ちで溢れていた。


 数日前、この屋敷の門でアランが倒れ、夜通しルイーズが彼を看病したという話はアネットも両親を通じて聞いていた。

 その結果がこれである。ますます彼らが絆を深め合ってしまったことに、アネットは唇を噛み締めそうになる。



―――……まあ、いいわ。もっと高い所から落としてあげるから……。



 アネットは突然お茶のカップを置くと、椅子から立ち上がった。

「私も少し出て来るわ」

 いつもの強気な色が彼女の瞳に戻っていた。






           *






「ほら、もうすぐだよ」

「アラン様ちょっと、もう少しゆっくり行きましょう」


 2人は花畑へ続く道を進んでいた。息も絶え絶えなルイーズの手をアランが強引に引っ張りながら。


 

 今日はルイーズの雰囲気が違っていた。

 いつもの地味な色ではなく淡い水色のハイウェストドレス姿の彼女を、アランはちらりと横目で見やる。以前自分が無理やり彼女に贈ったものに違いなかったが、シンプルなデザインのそれは文句なしにルイーズに似合っていた。

 

 服が汚れるかもしれないのに、婚約者からの上等なドレスをわざわざ着て来たということは……自惚れても良いのだろうかと自問自答しながらも、アランの頭は浮かれていた。


 一方ルイーズの方は、未知の扉を開けたような気分になっていた。

 時折肌寒さを覚えることもある3月の下旬に、こんなに汗だくになりながら歩くこと。舗装されていない地面を踏み締める度に靴を通して伝わる、土、枝、草、葉の感触を知ること。半歩前を歩く婚約者の、逞しい背中や繊細な指先の感触に胸が高鳴ること……。

 そんな初めての経験に彼女は知らず知らずのうちに顔を綻ばせていた。




「あなたは体力がないね、まったく」

 ふいに、呆れたようにアランがそんな事を言った。ルイーズは少しむっとする。

 

「私がどんな生活を送って来たのか、よくご存じでしょう?」

「そんな威張って言うことじゃないだろう」

「べつに威張ってなど……あなたはもともと、活発な女性が好みなのでしょうけど」

 卑屈な心にまかせて嫌味っぽくそう言ってから、すぐに彼女は後悔した。

 どうして自分はいつも、こんな可愛げのない皮肉ばかり言ってしまうのだろうと。

 ルイーズは自己嫌悪に陥りながら自分の足元を見つめるしかなかった。


 でもアランの方は、さして彼女の発言を気にする風でもなく、むしろそんなルイーズの心情を全て見越しているようだった。


「……ま、あなたらしくて良いけど」

「え?」

「いや、何でもない。あ、ほら見えて来たよ」

 

 お茶を濁されたようにも思えたが、アランの指差した方向を見た瞬間、ルイーズの心は一気に浮上していった。


「わあ……」

 さり気なく、ひっそりと佇む白いスイセンたちの群れがそこに広がっていた。


 ルイーズは子供のようにはしゃいだ様子で、そちらの方に駆け寄って行った。「ルイーズ、急ぐと危ないぞ!」というアランの忠告も耳には届いていないらしい。


 見ごろの時期を少し過ぎてしまったせいか萎みかけている花もいくつかあるが、それでも十分だった。

 どこからともなく、囁くように吹いた風にそれらが一斉に揺れる。そうすると、トランペットの口のような花弁を突き出して、スイセンの合奏が始まったように見えるのだ。

 そよそよ、というやさしい音色に耳を傾けながら2人は花畑の傍らに腰を下ろした。


「来て良かっただろう?」

 気持ち良さそうに目を細めるルイーズの横顔を見つめてアランが言う。


「ええ……こんなに美しいものを見たのは初めてです」

 感嘆の溜め息と共に、彼女は今まで味わった事のない感動に包まれていた。きっとアランが連れ出してくれなければ、一生知りえなかっただろう。


 そうして、2人はただ自然の中に身を任せるように、しばらく余計な会話をすることもなく過ごした。時折、意味もなく見つめ合っては微笑んだりしながら。

 

 ルイーズは目の前のスイセンに夢中のようだったが、当然アランは彼女のことばかりに意識が向いていた。そんな彼の熱い視線に気付いたのか、ルイーズは「どうしたのです?」と首を傾げた。


「いや、やっぱり綺麗だと思って」

「ええ、本当にそうですね」

 アランの言葉をこのスイセンたちへの賛美だと思った彼女は、それに共感するように深く肯いた。しかしルイーズが勘違いしていることに気付いた彼は、そっと彼女の柔らかな髪の毛に指を絡めた。


「違うよ」

「え?」

「綺麗なのはルイーズだ。あなたの美しさには、このスイセンたちだって勝てない」


 1ミリの疑問も持たずにそう言ってのけたアランを前に、彼女の肌は首まで薔薇色に染まっていった。もはや顔を上気させるほどの恥ずかしさで、ルイーズは息苦しそうだった。


「アラン様はずるいです……」消え入りそうな彼女の声。

「おや、それは光栄だな」

 悔しそうに瞳を潤ませるルイーズとは対照的に、アランは可笑しそうに笑っている。


「僕は、皮肉を言って攻め立ててくるあなたも好きだけど、口を噤んで顔を赤くするあなたを見るのも好きなんだ」

「……いじわるです」

「そう、僕はあなたの前になるといじわるになるのかもしれない。

 でも、僕は誓ってあなたの前では本音しか言わないよ。本当に美しいものしか愛でないし、本当に愛する人にしか、愛してると言わない……」


 そう言ってアランは、彼女の滑らかな額にひとつキスを落とした。

 甘く、どうしようもない愛おしさが詰まったそれは、彼の唇を通してルイーズの身体を痺れさせた。

 それは彼女にとって不快なものではなく、むしろ悦びを感じるものだった。


 アランはそっと腕の中にルイーズを抱き寄せた。

「来年は、夫婦になってここに来よう」

「……はい」

 彼女はぎこちなく彼の胸に顔を埋めた。ベルガモットを思わせるような、ほのかな香水の匂いが鼻孔をくすぐる。

 こんなにも温かな場所を、ルイーズは知らなかった。

 



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