17.素晴らしき朝
鳥のさえずりを耳にしながら、2人の会話は続く。
「あの……お手紙ありがとうございました。あなたが眠っている間に全部読んで……」
サイドテーブルに置いておいた手紙の箱を思い出し、ルイーズは気まずそうな顔でそう言った。
「……お返事も送らないで……ごめんなさい」
「謝らないでくれ。あれは僕が勝手にした事だから」
読んでくれただけでも嬉しいと、アランは笑顔で付け加える。何の見返りも求めない純粋な愛情をもはや彼は隠そうとしていなかった。
「ルイーズ」
突然、あたかも重要な話を切り出すような雰囲気で名前を呼ばれ、彼女は小さく返事をした。
「会わない間に、何を考えていたんだい?」
ついにその質問が来たかと思いつつも、彼女の心は意外と冷静だった。なぜなら、彼の傍で過ごした一夜の間にすでにルイーズの心は決まったのだから。
「何か答えが出たのかな?」
「……」
こくりと、彼女は頷いた。
「今、それを話してくれる?」
「……はい」
穏やかな表情を崩さないアランを前に、彼女もじっと彼の方を見つめる。
「これからどうするのか、あなたの決めた事に意見するつもりなんてないけれど……でも、僕の気持ちを言うくらいは許してくれるかい?」
「え?」
「先に、僕の気持ちを聞いて欲しいんだ。最後の悪あがきさ」
自嘲気味に、だけど余裕のある態度でアランはそう言った。
ルイーズが返事代わりににこりと微笑むと、彼は語り始めた。
「……最初、あなたとの婚約を決めたのは好奇心からだった。僕とは正反対な人格で、時に挑戦的な眼を向ける風変わりな娘への」
そこまで聞いてから、「どうせ私は……」と拗ねたように呟くルイーズに、彼はごめんと謝りながらも愉快そうに笑っていた。
「でも、それから好奇心がだんだんと愛情に変わっていった……僕はどこかで期待していたんだ。育っていく愛もあると」
「育っていく……?」
「ああ。だからあなたを振り向かせようと強引な手に打って出たんだけど、見事に失敗だったな」
そう言って漏らした渇いた笑いには、悔いた色が含まれていた。
「あなたの気持ちを考えずに勝手な行動をしていたことを、許してもらおうなんて思ってない。でも僕はあなたを諦める事なんて出来ないんだ。
これからも、僕の婚約者で居て欲しい」
「……アラン様」
焼けるような熱を帯びた彼の視線を受けて、ルイーズはもじもじと膝の上で指先をいじりながら顔を俯かせた。
その仕草がまた可愛らしく、アランの顔が一気に緩んだ。
「さあ、次はあなたの番だよ」
彼に促され、ルイーズは一呼吸置くように咳をした。
何から話せば良いのか、慎重に頭の中で確認してから彼女は口を開いた。
「会わない間に……色々な事を思い出していました。
私は初めからこの婚約には後ろ向きで、あなたが私を外の世界に連れ出そうとするのも嫌でした……。でも結局それは、“逃げ”だったんです」
アネットから、我儘にしか見えないと言われた日のことを彼女は忘れられずにいた。
「いつまでもこの家に居座って周りに甘え続けるなんてできないって分かってたくせに、あなたを悪者のようにして逃げて……本当は、私の方こそ謝らなければならないんです」
肩を窄める彼女に対して、アランはすぐに首を左右に振った。
「ルイーズは何も悪くないよ」
「でも……」
「あなたの心を得るために愚かな事をしたのは僕なんだ」
「愚かだなんて」
「あなたを傷つけたんだから、それが真実さ。
ほら、もうそんな顔しないでくれ」
赤子をあやす様に、アランの宥める声が彼女をやさしく包み込む。
「あなたは何も悪くないんだ。いいね?」
「……はい」
全てを納得した顔ではなかったが、ルイーズはようやく良心の呵責から解放された気がした。
「……あの、訊いても良いですか?」
「? 何かな」
「アラン様は……本当に私なんかで良いんですか」
「え?」
思いがけない問いに、アランは少々間抜けな声を出した。
「だって、その……私はこんなだから、また社交場で白い眼で見られたり、変な失敗を犯したりするかもしれません……あなたやルヴィエ家に恥をかかせたくないの」
ぎゅっと手を握り締めながら、ルイーズはずっと気掛かりだった事を打ち明けた。自分の評判によって家の名を傷付けてしまうことを怖れていたのだ。
しかし、アランはすぐさまこう応えた。
「そんなこと、心配しなくて良い。何かあっても僕があなたを守るし、お互いの足りない所を補い合うような関係を築こう。
僕は、ルイーズじゃなきゃ嫌なんだ」
「アラン様……」
アランの瞳には、はっきりとルイーズとの未来が描かれていた。そしてそれを実現するだけの自信と、彼女への深い愛が。
だからまるで魔法の呪文のように、彼はあっさりとルイーズの中にあった憂いを取り除いてしまった。
これでもう、彼女の迷いは完全になくなっていた。
「……あなたが一緒なら……」
「ん?」
「……私、あなたが一緒なら、もう逃げません」
ルイーズはルヴィエ家に嫁ぐ決心を初めて露わにした。
アランは眼を見開いた。
「私……これからもアラン様の婚約者で居たい。また、あなたと口喧嘩して、無理やり外に連れ出されたり、一日中部屋で過ごしたりしたい。
私も……アラン様が良いです」
予想だにしなかった告白に、アランの口は半開きになった。
彼女の大胆な口振りに一番驚いたのはルイーズ本人で、全てを打ち明けてしまってから急に身体を縮めて顔を真っ赤にしている。
「あの、今言った事は本当かい?」
「……もちろんです」
頬を手のひらで覆いながら、喘ぐように彼女は応える。
アランの気持ちは、あっという間に花畑をスキップしているかのように急浮上していった。
「ルイーズ、その、何と言ったらいいか……こんなに嬉しいことはないよ」
またもや夢の中にいるのではないかと疑ってしまうほど、彼は幸福の味に酔いしれていた。
「ありかとう……また、よろしく」
「こちらこそ」
新たなスタートラインに立つような心持ちで、2人は微笑み合った。
「……ルイーズ」
「はい」
「もう一つだけ、言いたい事があるんだ」
「?」
気持ちが通じ合った後の甘い余韻に浸りながら、半ば夢心地にアランは言った。
彼は預けていた背を起こし、彼女の方に身体を近付けた。
そして微笑を浮かべながら、そっと囁いたのだった。
「愛してる」
生まれて初めて言われた愛の言葉は、稲妻のごとく彼女の身体を駆け巡った。
恋愛初心者のルイーズ相手に、彼は手加減するつもりなどないようだ。
「あ、あの……」
うっすらと潤んだ瞳で困惑気味に視線を走らせ、そして首元まで肌を紅く染めた彼女を、アランは満足気に見つめ続けた。
病み上がりの身体などとうに忘れていた。
こんなに素晴らしい朝はないと、彼は愛おしい人を前に眼を細めた。