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16.あなたに捧げる花‐4



“今日はとある友人とチェスの勝負をしたんだが、お互いムキになっていたらすっかり夜になっていた。勝ち越したのは僕の方。

 その後アルコールを飲みながら相当な優越感に浸っていたのだけど、ふと我に返って思ったんだ。男というものは、眼の前にある一瞬の煌きにさえ途方もない喜びや快感を覚える事のできる単純な生き物なのだと。

 大の男2人が前屈みになって些細な遊びに興じる姿を思い出す度、苦笑してしまうよ。”

 

 綴られた文面を読みながら、ルイーズは小さくふっと笑った。

 そして次の手紙を手に取る。


 流麗な筆跡の中で語られていたのは、まるで日記のような他愛もない出来事だった。そのどれもが、会わない間にできた2人の距離を埋めていくようで、ルイーズは時を忘れてアランからの手紙に読み耽っていた。


 身の危険を顧みず、どうして彼はわざわざスイセンを摘みに行ったのか。会わない間に何かあったのだろうか。

 そんな事が気になっていた彼女だったが、手紙を読んでもその答えは書いていなかった。


 愛の言葉を期待していた訳ではなかったが、彼の手紙には本当に当たり障りのない日々の日常を知らせる文章が並べられているだけ。


 それは、しばらく会いたくないと言った自分への配慮だという事は容易に想像できたし、その優しい気遣いが、また彼女の心を揺るがせるのだった。

 

 横たわるアランは穏やかな寝息を立て、侍女も椅子に座ったままうたた寝をしている。時間はすでに深夜。

 屋敷は静止した湖面のように静まり返っていたが、ルイーズはアランの手紙を読み進めるのを止められなかった。

 そして読み進めながらも、彼女は心の整理をしていた。これからの事をはっきりさせるために。







          *






 深い暗闇から上昇していくような不思議な浮遊感に包まれながら瞼を開けると、知らない天井が眼に入った。薄手のカーテンから漏れる太陽の光がやけに眩しく感じる。


 まだ体に倦怠感が残っていたけれど、意識ははっきりとしていた。


―――……ここは?


 スイセンの花を届けようとミシュレ家を訪れ、そしたら急に眼の前がぼんやりと霞んでいって意識がプツリと途絶えた。そこまでは彼も覚えていた。


―――ということは、ここはミシュレ家の屋敷か……一体どのくらい眠っていたのだろう。


 喉の渇きを感じながらアランがそんなことを思っていると、ふいに、自分の名を呼ばれた。


「アラン様……」


 それは、この世で一番聞きたかった声。

 幻聴ではないだろうかと思いながら、アランはその声のした方へゆっくりと顔を向けた。

 

 自分の傍らで、彼女が自分を見下ろしていた。瞳に微かに涙を浮かべながら。


「ルイーズ……」

「良かった、目覚められて……気分は?」

「ああ……大分良い」

 彼女の向ける安堵の微笑に、アランは自分の頬を抓りたくなった。やはりこれは夢なのではないかと。

「あの、レナルドさんに知らせて来ますね」

 しかし急に冷静な顔で腰を上げようとするので、アランは反射的にルイーズの手を掴んだ。


「ここに居てくれないか……少し話がしたい」

 請うような眼で彼は言った。

 彼女は握られた手に胸の高鳴りを覚えながら、彼の望み通り再び椅子に座った。


 アランは話しやすいよう上体をゆっくりと起こし、改めてルイーズの方を見つめた。いつも夢の中で思い描いていた、あのルイーズが自分の眼の前にいる。


「……久しぶりだね」

「ええ……」

「会わないと約束したのに、こんな事になってすまない。迷惑をかけしまった」

「いいえ、気にしないで下さい」

 2人の視線は、どこかぎこちなく気恥ずかしそうだ。


「あの……事情は聞きました。どうして無理をしてまであの花を?」

 そう言ってルイーズが窓辺の方を見つめると、そこにはアランの摘んで来た一輪のスイセンが花瓶に生けられていた。

 しなやかな茎に、大きく広がる白い花弁。その姿は強い生命力を発するように凜としていた。


「丘に咲くスイセンが見ごろだと聞いて、居ても立っても居られなくなったんだ」

「どうして?」

「誰かがあなたのために摘む前に、自分が摘んであなたに届けたかった」

 そう言って浮かべた屈託のない笑顔は相変わらずで、ルイーズの色白の肌が微かに紅くなっていく。

 しかし急に彼女は怒ったように口を尖らせた。


「そ、そんな事のために危険を冒すなんて。もっと自分の身体を大事にして下さい」

「嬉しくなかった?」

「それは……嬉しかったですけど……」

「なら良かった」

「全然良くないですっ」

 呑気な調子でズレた事を言うアランに彼女は溜め息をついた。



「アラン様は馬鹿です……私なんかのために」

「あなたのためなら馬鹿にだってなれるさ」

「……っ」

 おどけるように、だけど真実の言葉を彼は口にした。

 

 ルイーズは呆れながらも、照れくさそうに顔を逸らす。


 2人の間に、以前とは違う風が流れていた。




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