13.あなたに捧げる花‐1
初めはレナルドや他の従者に届けさせていた手紙だが、最近では、時間のある時はアランが自ら手紙を携えミシュレ家へと赴いていた。
自分の彼女へのひたむきな愛情をこれ見よがしに示そうなどという浅ましい気は毛頭無く、ただ、僅かばかり残っているであろうルイーズとの絆の糸を少しでもこの手で繋ぎ止めておきたかった。
そんな些細な願いくらいは許されるのではないかと言い聞かせながら、今日もアランはミシュレ家に来ていた。
「これを頼む」
「かしこまりました」
いつものように、門前でミシュレの従者に手紙を託していると、屋敷の方から一人の女性がこちらに向かって緩やかに歩いて来るのが見えた。
眼を奪うような存在感を帯びながら紅いルージュの引かれた口元を仄かに上げて、その人は怪しげに微笑んだ。
ドレスの裾から垣間見える小枝のような足首でさえ、どこか艶めかしい。
「……アネット」
突然現れた彼女に、アランは少々面食らった様子で久しぶりにその名を呼んだ。
「お久しぶりですわ、アラン様」
アネットは恭しく腰を屈めて挨拶する。
「元気だったかい? 最後に会ったのはヴァンサン家での夜会だったかな」
「ええ」
深いグリーンの瞳が、妖艶に彼を見つめる。
妹とは似ても似つかないその堂々とした気高く優美な佇まいは、昔と何ら変わりない。
「事情はお聞きしましたわ。毎日のように手紙を届けていらっしゃるんですって?」
「まあね、あなたの妹にひどい事をしてしまったのだけど……また彼女とやり直したくて」
格好悪いと思われても良かった。アランは肩をすくめながら苦笑いする。
「両親が心配しておりました。いつかアラン様に愛想を尽かされたらどうしようかと」
「まさか。悪いのは全て僕の方だ」
「でもこうなった原因は妹にもあると思いますわ。あの陰気な性格ですし……」
「いや、」
どこか嘲笑交じりのアネットの言葉を、アランはすぐさま否定した。
「彼女の気持ちを考えなかった僕のせいなんだ。
僕がルイーズを守らなければならなかったのに……」
「……」
ルイーズを庇うような、それでいて彼女への愛おしさが募っているアランの様子に、アネットはしばし黙り込んだ。
「……そうですわね、あなたの言うとおりですわ」
ようやくそう言いながら優しい笑みを浮かべる裏で、アネットの握り締めた手は微かに震えていた。
気分転換のつもりで久しぶりに刺繍をしていた彼女。
「ルイーズ」
どこからともなく聞こえた声に、彼女の身体が反射的に震えた。
部屋の戸口を見ると、そこにはいつの間にかアネットが立っていた。
瞬間、亡霊にでも遭遇したかのような恐怖感が彼女の身体を駆け巡った。
「び、びっくりしました、お姉さま」ルイーズは心臓を抑える。
「……珍しくドアが少し開いていたものだから」
ルイーズが家で姉と顔を合わせることは少なかった。
アネットは毎日のようにお茶会や夜会に出席して家を空けているし、男からの誘いが絶えない彼女は何かと忙しい予定をこなしているようだった。
そしてルイーズの方も、アネットと顔を合わせるのを意図的に避けている節があった。
アネットを前にすると、どうしてか途端に息苦しさを感じるのだ。何を言われた訳でもないのに、チクリと身体を刺されるような妙な圧迫感。ルイーズはそれが苦手だった。
「アラン様からのお手紙よ」
アネットは先ほどアランが届けに来た手紙を差し出した。
いつもと変わらない大きさの封筒に、封蝋には鋭い爪の鷹があしらわれたルヴィエ家の紋章の印璽。
最近、ルイーズはどこかでこの手紙を心待ちにしている自分に気付いていた。
「……ありがとうございます」
彼女は複雑な顔で手紙を受け取った。
「それにしても、返事の来ない相手に手紙を出し続けるなんてお可哀想に」
「……」
当てこすりを言うアネットに、ルイーズは逃げるように眼を逸らした。
その姿にまた、アネットはどうしようもない悦を感じる。
「あなた、何様のつもりなのかしら?」
「え……」ルイーズの瞳が揺らいだ。
「アラン様はあなたを庇っていたけれど、私には我儘にしか見えないわ。ルヴィエ家に嫁ぐという自覚がまるでないもの」
攻めの手を緩めず、アネットは捲し立てる。
「あなたとアラン様が釣り合っていないことは周知の事実だけれど、でもせめて婚約者らしく振る舞えなかったのかしら。
アラン様の心が離れるのも時間の問題だわ」
まるでそうなる事を期待しているかのような声音だった。
ルイーズは身体を萎めたまま、何も言い返せない。
どこかで、彼女の言う事があながち間違いではないと認めていたのだ。
この婚約を受け入れつつも望んだ結婚ではないと彼を跳ね除け、親密になることを嫌がった自分。しかしアランの前では強気に自由に主張できる自分もいた。
そうさせてくれたのは、きっと彼なのだ。
でも自分は結局また殻に閉じこもり、この結婚からも、アランからも逃げている。
自分は彼に、甘えている。
―――何様だと思われても、仕様がないのかもしれない……。
ルイーズは思い詰めるように眉間に皺を寄せ、アネットに背を向ける。
その背中を、アネットは満足げに見つめていた。
*
体調の思わしくない日が続き、ついにその日は微熱が出た。
問題ないと言って寝間着を脱ごうとするアランを、レナルドは強引な手を使ってでも止めるつもりだった。
「だからあれほど十分に睡眠を取るようにと申したのに。
今日はおとなしく寝ていて下さい。倒れるかもしれませんので」
「そんな大袈裟な」
ノー天気に笑い飛ばすアランを、レナルドは睨んだ。
「今までだって何度か倒れたじゃありませんか。
あなたの健康管理は私の責任でもありますので、私の言う事を聞いてください。いいですね?」
「……」
有無を言わせぬ迫力に、アランはおとなしくベッドに潜り込むしかなかった。
少し不貞腐れた顔で雑にシーツを掛けようとする彼。
その時、何気なく眼に入ったある物に、アランの手が止まった。
端に置かれているライティングテーブルの上の花瓶。
昨日までなかった数輪のスイセンがこちらを見ていたのだ。
「あれは?」
アランは指を差しながらレナルドに問い掛ける。
「ああ、あれは侍女たちが昨日摘んで来たものです。今が見ごろらしいですよ。
昨日の夕方には飾っていたみたいですけど、気付かなかったんですね」
「……スイセン」
“スイセンが好き?”
“ええ、まあ”
ふと、あの時交わした会話が蘇った。
ベッドの中で横になっている場合ではないと、彼の心は突き動かされた。