12.偽りなき想い
「っつ……」
眉間に皺を寄せ、アランは額に手をやりながらペンを止めた。
傍に居たレナルドは整理していた書類を投げ出し、すぐさま彼のもとに近寄る。
「アラン様、如何なされました」
「ちょっと頭痛がしただけだ」
「熱があるかもしれません」
「いや、大丈夫だ」
「……最近急に温かくなってきましたから、お気を付け下さい」
「分かってる」
“心配するな”とでも言うように、彼は顔を綻ばせた。
こういう気遣いがアランの長所でもあり短所でもあると密かに思いながら、レナルドは彼の肩にショールをそっとかけた。
アランは引いて行く痛みと共に大きく呼吸を吐き、再びペンを走らせた。
「お手紙ですか?」
「ああ……ルイーズに……」
2人が会わなくなって3日が過ぎていた。
今まで毎日のようにミシュレ家へ赴いていたアランは、彼女に会えないこの数日の間に甘酸っぱい切なさを存分に味わっていた。
そしてルイーズへの恋焦がれる気持ちがここまで深くなっていたことに今更ながら気付いたのだ。
会いたい、でも彼女の意思を尊重しなければならない。そんな歯痒さは積もりに積もり、居ても立っても居られず彼はペンを握っていた。
そんな主人の姿に、レナルドは片眉を下げる。
「ルイーズ様はあなたと当分の間、距離を置きたいのです。彼女の気持ちを無視するおつもりですか」
「これは僕が一方的に送る手紙だ。べつに返事はいらないし、読みたくなければ捨ててもらっても構わない」
「それに何の意味があると?」
「意味なんてどうでも良い。僕が送りたいだけだ」
「……」
あまりに一途で、それでいて敢然としたアランの様子に、レナルドは口を噤むしかなかった。
手紙の内容は、ごく他愛もないものだった。
公共工事の視察に行ったこと、最近読んだ本の感想、昨晩見た神秘的な満月について……。
そこでふと、彼は思った。
きっと彼女に、あの満月をプレゼントすると言っても、その心を動かすことはできないのだろうと。
人前では気後れして足が竦みそうになるくせに、自分の主張は隠さない固い意思が実は潜んでいるのだから。
アランは密かに苦笑しながら、紙の上に丁寧に言葉を紡いでいった。
*
―――最良の道って……?
封の切られていない手紙をぼんやりと見つめながら、ルイーズは自分の胸に問い掛けた。
今朝、レナルドを通して渡されたアランからの手紙。
読むのも捨てるのも自由だと言われたそれは、彼女の手の中で未だ如何されることもなく収められている。
ルイーズは、手紙を届けに来たレナルドとのやり取りを思い返した。
彼の瞳には、終始ルイーズを気遣うような色が滲んでいた。
「ルイーズ様、ご気分は?」
「ええ、良いわ」
「変に思い悩んではいませんか」
「……大丈夫です」
レナルドの優しさに、彼女はぎこちなく微笑んだ。
「彼がルヴィエ家の当主でなければ、これほど悩む事はなかったかもしれません……」
「というと?」
図らずも彼女の口から出た胸中に、レナルドは小首を傾げた。
「最初はただ、傷つくのが怖かった……だから逃げたんです。
でも……今は少し違うんです」
ルイーズは苦しそうに瞳を伏せながら言う。
「私は、他人とまともな交際もできない臆病な人間です」
「ルイーズ様……」
「わざわざあなた方のお顔に泥を塗るような真似はしたくありません。私は結局、ルヴィエ家やアラン様にとって、相応しい妻にはなれないのでしょうから……」
それは身の程をわきまえた尤もな主張にも聞こえたが、レナルドはどこか釈然としない思いを抱えた。
「あなたのお気持ちはどうなのですか?」
「え?」
「この婚姻がルヴィエの顔に泥を塗るかどうかは置いておくとして、ルイーズ様のお気持ちを聞いていません。
アラン様のことは、今でもお嫌いですか?」
「……それは」
ルイーズは気まずそうに言い淀んだ。
その表情に、やはり、と彼は思う。
レナルドにとって、元々この婚姻はルヴィエ家の権勢を固辞するための手札にすぎなかった。
しかし、2人の中で徐々に見え隠れしている“愛情の芽”を全く無視することはできないのだ。
「今後の事について、あなたがどんなお答えを出すのか分かりません。でも、ご自分の心に正直になることが最良の道だと思うのです」
「……」
レナルドの言葉が、ルイーズの耳からしばらく離れなかった。
どこかで感じていた違和感が、その輪郭を鮮明にさせたように見えたのだ。
自分はなぜ、この婚姻を諦め切れないのだろうかと―――。
アランからの手紙は、それから毎日欠かさず届いた。
箱の中に溜まって行くそれは、まだ一通も開けられていない。そこに詰められていく彼の想いは芳しく、彼女の胸を締め付けた。